第十六話 いよいよ
(小学生がこんなに……。)
土曜日の午後3時50分。待ち合わせの公園に着いてみると、小学生が10人くらいで賑やかにサッカーをやっていた。
(そうだよな……。)
道路から公園を見下ろしながら思い出す。ここは使い勝手がいい公園だった。俺も友だちと来たことがあるし、小学生だけじゃなく、高校生も遊んでいるのを見たことがある。かなり利用率が高い公園なのだ。
(ゆっくり話す場所なんかあるのか?)
見回しているあいだにも、小学生が歓声を上げて隅っこに転がったボールを追いかけて行く。その近くにあるベンチは彼らの自転車に囲まれたうえ、荷物も置いてある。
「山根。」
(え?)
後ろから軽い声。振り向くと久野樹がいた。
「あれ、久野樹?」
(なんてラッキーなんだ!)
思わずにこにこしてしまう。
今日は会えないと思っていた。しかも、向こうから気付いてくれるなんて!
「こんなところで会うなんて、偶然だな。どこか行くのか? それとも帰り? 家、この辺だっけ?」
浮かれて言葉がポンポン出てくる。
私服姿を見るのは久しぶりだ。いつものポニーテールに淡いグリーンの半袖ブラウス、茶色のショートパンツ。おとなしめな服装がいかにも久野樹らしい。
「え? あの、待ち合わせ……。」
なんとなく困った顔で、上目づかいに俺を見る。意味ありげな態度にドキッとしたけれど、気になるのは彼女の「待ち合わせ」という言葉。
「へ、へえ、待ち合わせ? これから? どこで?」
根掘り葉掘り訊くのは少しばかり気が咎めて、「誰と?」は思いとどまった。
「え、あの、ここ。」
「ここ!?」
「うん……。」
この何か訴えるような表情は、俺に「気を利かせてどこかに行ってくれ」と言っているんだろうか。でも、それは無理だ。もう栗木が来るかも知れないし……。
(あ! 栗木!?)
こんな場所で待ち合わせなんて、そうそう重なるはずがない。ということは。
「あ、あのさ、」
久野樹が表情を引き締めた。
「待ち合わせの相手、訊いてもいいか?」
質問を聞いて、彼女が唇を噛む。俺の予想どおりなら、それは――。
彼女はすっと手を上げ、小さく指差して言った。
「山根。」
(やっぱり……。)
胸の中に苦い思いが広がる。
「栗木に頼まれたんだな?」
「えぇっ?」
驚いてる。言い当てられたことがそんなに予想外なのか。
「そのくらい、俺だって推理できるよ。じゃあ、栗木は来ないのか?」
「え、ちょ、ちょっと待って、何のこと? 栗ちゃんも来ることになってるの? ここに?」
「え? 知らないのか?」
(栗木に頼まれたわけじゃない?)
「じゃあ、なんで……?」
彼女は困った様子をしてまた唇を噛む。そして。
「あたしが指定したから。」
「久野樹が指定した?」
「うん。」
「俺に?」
「うん。」
(俺、忘れてるのか……?)
久野樹との約束なら忘れるはずがないと思うんだけど……。
「あの、いつ言われたっけ?」
「ええと……、水曜日、かな。」
「水曜日? 学校の帰り?」
「違う。メールで。」
「メール?」
まったく覚えが無い。でも、メールなら残っているはずだ。確認すれば――。
「あ、あのね、山根。」
スマホを出そうとした俺を遮るように久野樹が呼んだ。
「ん、ああ、何?」
申し訳なさそうな顔をしているのは……?
「あのね、あたしが……どんぐりなの。」
「……は?」
(久野樹が……どんぐり?)
「え? どんぐり?」
彼女はこくんとうなずいた。
(もしかして「どんぐり」って木の実の方……じゃ、なくて? あの「どんぐり」?)
「へ……?」
間抜けな声が出てしまったけど、今はそれよりも重要なことが……。
(久野樹が「どんぐり」ってことは……?)
つまり。
(どんぐりは久野樹?)
もう一度、頭の中で繰り返す。
(久野樹がどんぐり……。)
ということは!
俺が待ち合わせをした相手は久野樹ってこと。そして今までメールのやり取りをしていたのも――。
「えええええええぇっ!?」
今度は俺が驚く番。その反応で、逆に久野樹は緊張が解けたように見えた。
「う、あ、ウソつけ! あれは男だったぞ!」
「男子のふりをして――」
「だっ、男子校の話とかっ。」
「お兄ちゃんが昔、言ってたことを――」
「ホントにウソなのか!?」
喚いているうちに、どっちがウソだかホントだかわからなくなってきた。その間も、今まで送ったメールの内容がどっと記憶によみがえる。
(久野樹をどう思ってるか、あんなに書いちゃったのに!)
「ぅあ〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
大声を抑えられなかった。熱くなった顔は両手で隠して。
「なっ、なんでもっと早く言わないんだよ!」
身悶えするほど恥ずかしい!
「おまっ、あれだぞっ、あんなにっ、俺はっ」
「ご、ごめんね、ホントに。ほんっとにごめん!」
指の間から、久野樹がペコペコと頭を下げているのが見えた。
彼女を責めるのは間違いだ。だって彼女は、俺があんなことを書き送るとは思っていなかったに違いないのだから。
(わかるけど! わかるけどさ!)
このどうしようもない恥ずかしさはどうしたらいいんだ! ずっと、本人に向かって好きだ好きだとわめいていたようなものだったなんて!
(信じられない!!)
顔を隠したまま、暴れまわりそうな衝動をどうにか抑え込む。
(うわああああああ……、もう…………。)
気付いたら息を止めていた。苦しくなってふっと息を吐くと、一緒に体の力が抜けて行った。同時に手もだらりと下へ。彼女がうかがうように俺をそっと見上げる。
「……もういいよ。」
間抜けな自分を笑うしかない。
やってしまったことはもう取り消せない。それに、彼女だって、あんなメールをもらってとても驚いたと思う。
(だから反応が変だったんだ……。)
今なら納得できる。俺は途方も無く恥ずかしいけど。
(ああ……。)
ため息が出てしまった。
「俺の方こそごめん。ちょっと、落ち着くまで待ってて。」
くるりと彼女に背を向ける。それからゆっくりと深呼吸。それから数をかぞえて。
(よし。)
気を引き締めて向き直る。まだ頬が熱いけど、それはこの際、無視するしかない。
「この公園じゃ、ゆっくり話せそうにないから、」
下では今も小学生が走り回っている。
「少し歩きながら話そう。」
どうにか笑顔を作ってそう伝えると、彼女は緊張した様子でこくんとうなずいた。俺が歩き始めると、トトトッとやって来て隣に並んだ。その途端、胸の中がくすぐったくなった。
(これはこれで嬉しいかも。)
久野樹と一緒に歩いていると思うと心が浮き立ってくる。自然と唇に微笑みも浮かぶ。
休日の夕方。学校の行き帰りじゃなく、お互いに会うために作った時間。いつもよりゆっくりと話ができる。そして……、どんぐりだった久野樹。
(そうなんだ。)
俺をずっと応援してくれていたのは久野樹だった。俺がつらい立場にいるときに手を差し伸べてくれた。高校に入って話すようになってからも、昔と同じように友だちになってくれた。
期待するのは自意識過剰かも知れない。だけど。
期待せずにはいられない。
次回、最終話です。