第十三話 可能性
昼休み。
横谷と連れ立って、人が通らない場所をさがして北棟の廊下に来た。窓側の壁に並んで寄りかかり、俺は言葉を選びながら、なるべく簡単に今までの経過を話した。
俺が中学のときに孤立したこと。そのときに匿名で応援してくれた友人がいること。その相手と今もメールのやり取りをしていること――。横谷は同情や疑問の言葉をはさまずに、軽くあいづちを打つだけで聞いてくれた。
「じゃあ、そのどんぐりは山根の恩人なんだな。」
「うん。恩人だし、親友だよ。」
「そうか。でもさ、」
横谷がまっすぐに俺を見た。
「疑うことは無かったのか? 疑うまで行かなくても、不安になったりとか。メールだけの付き合いなんだろ?」
「ああ、確かに最初は疑ったけど、そのあとは心配なんかしなかったな。」
「ふうん。ケンカも無しか。」
「ん、ああ、まあ、ケンカっていうのとはちょっと違うけど、この前、メールが来なくなったことがあって。」
「へえ。」
そうだった。あのときは本当に心配した。
「急に返信が来なくなったから、もしかしたら重い病気とか、学校でつらい目にあってるとかかも知れないって考えちゃって。」
「ああ、そうか。山根に心配かけないように黙ってるんじゃないかって。」
「うん。それで、『困ってるなら話してほしい。力になりたいから』ってメールしたんだ。」
「お前、いいヤツだなあ……。」
「いや、だって、相手はどんぐりだから。…で、そしたら、『やめようかと思ってた』って返事が来て。」
「え? お前とのメールを?」
「うん。」
あのときは本当に驚いた。
「自分が俺の邪魔になるんじゃないかって思ったらしいんだ。」
「邪魔って、なんで?」
「そう思うだろ? なんかさ、俺には新しい世界があるからって。いつまでも背後霊みたいにくっついていたら悪いからって。」
「へえ……、ずいぶん控えめなヤツなんだなあ。」
「そうなんだよ。まあ、それは考え直してくれたけどね。」
何度考えても、あれはどんぐりが遠慮し過ぎだと思う。そもそも今は向こうからメールしてくることはほとんど無くて、俺の方がどんぐりの邪魔になっているんじゃないかと思った方がいいくらいなのに。
「で、今朝は?」
「え?」
「今朝、山根が機嫌が悪かったのは何が原因なんだよ? また『やめる』って言われたのか?」
「ああ、そうじゃなくて……。」
よく考えたら、肝心なところは言いづらい。
「それが……、久野樹のことで……。」
横谷が話を待って俺を見つめる。
「ええと……、まあ、俺の気持ちをメールで話したんだよ。」
「ことりちゃんが好きだって?」
「え? あ、いや、まあ……、うん。」
はっきり言わないでほしい。また顔が熱くなってきたじゃないか。
「そしたらさ、『似合わないからよく考えろ』って……。」
「『似合わない』って、山根とことりちゃんのことを?」
「そう。どんぐりは久野樹のことも知ってるんだよ。中2のとき、同じクラスだったから。」
「ああ、そうなのか。」
「だから、そのときの印象で、久野樹と俺は似合わないって言ってるみたいなんだけど……。」
「何か気になるんだな?」
気になる。そのとおり。
「うん、そうなんだ。今までもそうだったんだけど、どんぐりはいつも、久野樹のことには反応が変なんだよ。」
「変?」
「なんか、こう……冷たいって言うか、興味が無いって言うか、厳しいって言うか……、とにかく、どんぐりらしくないんだよ。今回だって、久野樹に何か悪いところがあるみたいな言い方なんだ。普段は誰かを悪く言うようなことはしないのに――え?」
気が付くと、横谷が問いかけるような、呆れたような、困ったような、微妙な表情で俺を見ていた。
「何……?」
そんな顔をされたら何を言われるのか不安になってくるんだけど……。
「山根、お前……。」
俺を見つめた横谷が真剣な表情で言いよどむ。
「うん……?」
誰もいない北棟の廊下は静かで、否が応でも俺の緊張感も高まる。
「それ、女子だろ。」
「え? いや、男だよ。」
「だってさ、『山根の邪魔になるから』ってメールをやめようとしたり、そうかと思うと、ことりちゃんのことを悪く言ったり、そういうのって、女子っぽくないか?」
「そうか?」
「そうだよ。気付かなかったのか?」
横谷が真剣な顔で食い下がる。
「うーん、でも男で間違いないよ。今は誰だかわかってるんだ。男子校に行ってるよ。」
「本当に? 本人が名乗ったのか?」
「え、いや……。」
「じゃあ、もしかしたら――」
「いや、でも、間違いないんだよ。そいつ以外に当てはまるヤツがいないんだから。」
疑わしい表情が消えない横谷に、少し困惑しながら説明をする。
「初めてメールが来たときは、俺だって、女子だったら嬉しいと思ったよ。でも、その時点で、女子で俺のアドレスを知ってるのは、クラスに3人しかいなかったんだ。遠足で同じグループになったメンバーだけ。」
「でも――」
「でも、その3人はそういうことをするようなタイプじゃなかったんだ。」
どっちかと言えば、一緒に俺をからかう方だった……。
「だけど、ほかの女子が誰かから聞いたりとか。」
「それは可能性としてはあるけど、俺がいじめらるようになってから誰かに連絡先を訊くなんて、できると思うか?」
「ああ……、そうか。」
「だろ? こっそりとメールを送ってくるような子が、そんな行動に出るはずがないんだよ。」
いじめのターゲットになっているヤツの連絡先を調べるなんて、危険な行為だ。余計なうわさを立てられたり、自分もターゲットにされたりする可能性だってあるのだから。
「同じクラスのヤツってことは間違いなかったんだ。教室で起こったことに対する内容だったから。」
そう。同じクラスでなければ、あのくらいの頻度では無理だったはずだ。
「そうやっていろんな可能性を考えて、その結果として残ったのが今の一人なんだよ。」
「まあ……そりゃあ考えたんだろうけど。」
横谷はまだ納得できないらしい。
「だって、なんだかやきもちっぽいし。」
「や、やきもち?」
「そう。ことりちゃんの話には反応が違うんだろ? そのどんぐりは、お前のことが好きなんじゃないのか?」
「ええぇ!? まさか!」
いったい何を言いだすのか!
「でも、男だぞ?」
そう。いろいろな可能性と事実を総合的に吟味して出した<栗木怜志>という結論。それは絶対に間違いない。
「うーん……。」
あごに軽く握った手をあてる横谷。まだ疑ってるのか。
「そうか!」
突然、すっきりした顔で俺を見た。
「だとしても、山根を好きかも知れないよな?」
「な!?」
「だって、男が男を好きになることもあるだろう?」
「まあ、それは否定できないけど……。」
絶対的な否定はできない。できないけれど。
「一年半もメールしてて、そういう話は一切出なかったけど……。」
「そりゃあ、簡単には言えないだろ? 男同士なんだから。」
「う、まあ、それは……そうかも……?」
横谷は自分の結論に満足そうにうなずいている。でも、今度は俺が簡単には納得できない。
考え込んでいたら、横谷が「あ!」と声を上げた。
「もう一つ、可能性があるな。」
そう言って、俺に人差し指を突き付ける。その表情からすると、かなり自信があるらしい。
「そいつはことりちゃんが好きなんだ。」
(あ……。)
急に腑に落ちた。
無言で見つめる俺に、横谷が滔々と説明を続ける。
「そいつはことりちゃんのことも知ってるんだろう? 中学のころは、山根はことりちゃんと仲良かったのか?」
「いや、ほとんど話したことが無かったよ。」
「じゃあ、山根のこととは関係なく、そいつがことりちゃんに想いを寄せていたって可能性はあるよな?」
「うん。」
可能性はもちろん、ある。
(そうだ……。)
「ある」どころか、栗木のイメージだと、久野樹を好きになることは「おおいにある」と言っていいと思う。おとなしい栗木が好きになるとしたら、派手で賑やかな女子よりも、落ち着いてしっかりした久野樹の方が現実味がある。
「そうだな……。」
今まで、そんなことは考えたことが無かった。自分の話題を持ち出さないどんぐりの私生活については、想像のしようがなかったから。
でも、栗木だって青春まっただ中の男だ。恋をしたって当然。そのうえ、今は男子校。ということは、中学の同級生を想いつづけていたって何も不思議はない。
そこに俺が割り込みそうになった。で、俺を傷付けずに追い払うために、あんなことを――。
「でも、やっぱり山根のことが好きなのかもな。」
横谷の声に我に返る。
「それだって簡単には否定できないぞ?」
返事ができない俺の胸を横谷がつつく。
「そうかも知れないけど……。」
だとしたら、俺はどうしたらいいんだろう。
それに、どんぐりが久野樹を好きだったら……?