第九話 不安解消。そして……。
(来た!)
どんぐりからのメールに気付いたのは翌朝だった。
送られてきた時間は今日の午前1時過ぎ。
ほっとすると同時に、こんな時間に書いてくれたのかと思うと嬉しかった。
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5月10日(火) From どんぐり
間が空いてしまって、心配かけてしまったね。ごめん。そして、ありがとう。
僕のことを親友だなんて思ってくれているとは思わなかった。
だって、僕は正体も明かさないまま勝手なことを言っているだけの存在なのに。
どうしようかと迷ったけれど、心配してくれた山根には正直に言うことにする。
僕は、このメールを終わりにした方がいいんじゃないかと思っていたんだ。
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「え!?」
思わず声が出た。
(待て。落ち着け。まだ先がある。)
胸のドキドキを静めようとしながら、意識を画面に集中させる。早く朝食を食べなくちゃならないけど、こっちの方が重要だ。
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山根の新しい学校生活が順調だってわかったから。
僕みたいな存在が背後霊のようにくっついていたら、邪魔になるんじゃないかと思って。
だから、僕からメールを送るのをやめようと思った。
そうすれば、山根は僕のことを忘れてしまうと思ったから。
でも、違ったね。
逆に心配させてしまった。
僕のことをそれほど思ってくれているとは思わなかった。
それに、何も言わずにメールを止めたりしたら、山根を傷付けることになるってことに気付いた。
僕は中学時代の同級生たちと同じことを、きみにやろうとしていたんだね。
理由は違っても、やっていることは同じだ。
山根がどう感じるかってことを、僕はちゃんと考えていなかった。
本当にごめん。
僕の学校生活には何も問題は無いんだ。
僕も元気でやっているよ。
クラスにも部活にも、新しい仲間ができた。
新しい友人や環境の中で自分の意外な一面に気付いて、驚いたりもしている。
山根からのメールはいつも楽しくて、入学したころはずいぶん励まされた。
読んでいると、山根の学校生活が目に浮かんでくる。
思わず笑ってしまったことが何度もあった。
たぶん、山根には文才があるんじゃないかな。
これからも楽しみにしている。
でも、無理はしないでほしい。
もう終わりにしたいと思ったときにはそう言ってほしい。
僕も、そのときにはそうするから。
じゃあ、また。
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(『じゃあ、また。』……だ。)
ほっと息を吐いた。
(俺の邪魔になるなんて……。)
どうしてそんなことを思い付いたんだろう? もう一年半もメールをやり取りしているのに。
親友だと思われているとは思わなかったっていうのはわかる。わざわざ言葉で伝えたことは無かったから。
だとしたら、この機会にそれを伝えることができて良かったかも知れない。
(そうだ。一言、返信しておこう。)
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5月10日(火)
どんぐりへ
新しい友だちができたからって、もとの友だちが邪魔になったりするわけないだろう?
しかも、どんぐりは俺の恩人でもあるんだから。
俺のメールが少しでもどんぐりの役に立ったのなら良かった。
これからもよろしくな!
山根貴斗
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(そうだ! 朝めし!)
いつもよりも10分近く遅くなっている。急がなくちゃ!
(うわ、どうしよう?)
改札口を通るときにホームに入って来たいつもの電車。間に合ったことにほっとしながら階段を駆けおりたけれど、目の前のドアはいつかと同じように乗客がぎゅう詰めだ。
(次に乗るか?)
でも、もう乗客の列に並んでしまった。列はどんどん車両の中に吸い込まれていく。ホームには、この電車を見送ろうとする人はいない。
(仕方ない!)
今日から上着がいらなくなっているから、混んでいてもそれほど辛くはないだろう。
左腕にバッグを抱え、すでに人が壁のようになっているドア口にローファーのつま先を入れる。いち、にの、さん! の勢いで右手をドア枠の上にかけて反転しながら、腰と背中で乗客を押しつつ体を押し込む……と。
(ん?)
目の前に、階段を駆けおりてきた久野樹が現れた。夏用の、襟とスカーフが濃紺の白いセーラー服姿で、髪をポニーテールにしている。
出発のアナウンスが流れる中、左右を見ながら迷っている。彼女のあとからホームに降りた女性は隣のドアに走って行く。
目が合った瞬間に、俺は「早く!」と口だけ動かして言い、体をぐっと押し込んだ。それに反応した久野樹が、リュックを抱いて飛び込んでくる。
(え!? こっち向きかよ!?)
俺のワイシャツの胸元で体を縮める久野樹。「恥ずかしいだろ!」 と心の中で叫んでいるあいだに、シュー……と音がして、ゴトン、とドアが閉まった。
「は……。」
「ふぅ。」
思わず一息。
すぐそばで目が合った。
「おはよう。」
「うん。おはよう。」
照れくささを隠してニヤリと笑ってみせる。久野樹も同じような表情で肩をすくめて言い訳をした。
「今朝になってから、夏服を着てもいいんだって気が付いて。」
周囲では乗客がそれぞれに姿勢を調整しはじめている。久野樹は力を抜いてドアに背中をあずけ、俺はドア枠から手を引っ込めて、少しでも楽な姿勢に――。
(え?)
後ろから誰かが押してくる。そんなに無理に体を動かすのは反則だと思うけど!
(うわ、わ、わ。)
電車の加速の勢いも加わってバランスが崩れる。まだ足場を確保しきれていない。ドアに手をつくのが一瞬遅れて、腕を伸ばせなかった。
ハッと顔を上げた久野樹。相変わらず押される背中。曲がった肘を伸ばせない。これでは久野樹に “壁ドン” どころか……。
(う、わ。)
間近で目が合った。
一瞬の揺れに合わせて、久野樹が鼻のあたりまでリュックを引っ張り上げた。その直後、体がぎゅーっと――。
「ぐっ―――」
「ん……。」
(苦しい……けど、久野樹、ナイス!)
彼女のリュックをクッションにして、体の位置をかろうじてずらした。耳の下を彼女の頭がかする。
(危なかった!)
あいだに挟まったリュックが心底ありがたい。それが無かったら恥ずかしすぎる! ……とは言え、向かい合わせでこの距離はやっぱり気まずい。
「ご、ごめん。」
念のため、下心などないという言い訳を込めて彼女の耳に謝っておく。
「うん。だいじょぶ。」
あごの横で彼女の頭が小さくうなずいた。その耳が赤くなっているような気がするけれど、今はどうしようもない。
1、2分すると車内の動きがやっと落ち着き、俺も少しだけ体を引くことができた。そっと息を吐きながら周囲の様子を見る……と。
(あ。)
リュックの上からのぞいていた久野樹と目が合ってしまった。驚いて、思わずお互いに顔をそむけて――。
(うわ、間違えた!)
また、気まずい感におそわれる。何でもないふりをして、何か言えば良かった。
(ああ……。)
ドキドキしてきたし、やたらと暑い。車内にはこんなに人がいるのに、シーンと静まり返っているのも気づまりだ。
(うーん……。)
この沈黙をなんとかしたい。
(でも、なんだか……。)
リュックに顔をうずめるようにうつむく久野樹を盗み見る。やっぱり耳が赤い。いたずらして引っ張ってみたくなる。
(こういうの、嫌いじゃないかも。)
いつも俺には強気な態度を見せている久野樹のこんな姿って――。
(ちょっと萌える。)
こんなこと、どんぐりにも話せないけど。