第四話 微かな違和感
4月12日(火) From どんぐり
合唱部?
本気?
------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------
4月13日(水)
どんぐりへ
合唱部のこと、本気だよ。
きのう、二度目の見学に行って決心した。
今日は入部届を出してきた。
理由の一部はおとといのメールのとおり。
でも、今はあれよりも大きな理由がある。
それは、合唱部の雰囲気。
すごく自由で気持ちがいいんだ。
「自由」って言っても、自分勝手とか、礼儀が不要とか、そういう意味じゃないよ。
何て言うか、みんなが歌うことが好きで、でも、違う好みや個性を持っていて、それを口に出して言うことができる雰囲気、かな。
で、それを聞いたみんながそれぞれいろんなことを言うんだけど、否定したり反対したりするときも、馬鹿にするとか、攻撃的だとか、そういう態度じゃないんだよ。
そこにいる全員でああだこうだと言い合って、最後には「じゃあ、そうしよう」ってなるんだ。
誰かが折れてまとまったときは、ほかの誰かがフォローしてあげたり。
要するに、すごく仲がいいのかな。
もちろん、今日もきのうも、そんなに重大な決定事項があったわけじゃないけどね。
「次は何を歌う?」とか、歌い方のこととかくらいで。
中学のサッカー部では上下関係もあったし、発言の重さもメンバーによって違ってた。
上手いヤツとか、声が大きいヤツとかは意見が通りやすかったり。
この違いは、やっぱり合唱がスポーツじゃないからなのかな。
それとも、コンクールが近付いたりすると、合唱部でも同じようなことになるんだろうか。
でも、俺は、ここは居心地が良くて好きだな、と思った。
先輩たちもいいひとだ。
俺の発声練習が変だって爆笑されても。
ただ、久野樹だけは笑わない。
きのうも今日も、俺の顔を見て、引きつった顔をした。
あれはびっくりした顔じゃない。
たぶん、俺のことがいやなんだと思う。
それも仕方ないんだよな。
俺、小学校のとき、あいつをいじめて、上履き投げつけられたことがあるんだ。
中学のときの久野樹しか知らないと、信じられないかも知れないな。
だけど、あいつは小学校のころは、すげえ元気な女子だったんだよ。
勉強もできたし、しっかり者でさ。
いつの間にか、あんな風に無口で目立たなくなっちゃったけど。
山根貴斗
------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------
4月15日(金) From どんぐり
本当に入部したんだな。
意外だったけど、居心地がいいなら良かった。
クラスはどう?
------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------
4月16日(土)
どんぐりへ
部活に入ってるのに土日が休みって、すごく嬉しくないか!?
運動部では考えられないよ!
それに、通学の荷物が少ないのもいい。
母さんは泥汚れのものがなくなったって喜んでる。
だけど、やっぱり俺は体を動かしたいな。
体育の授業だけじゃ足りない。
受験勉強中にときどきやっていたランニングを、土日は続けようかと思っている。
意外なことに、合唱部でも運動の日がある。
しっかり歌うためには、それなりに体力も必要らしい。
火曜と木曜は、各自で運動をしてから集合ってことになっている。
まあ、みんなはあんまり熱心じゃないみたいだけど。
外周を走る部員がほとんどなんだけど(って言っても、みんな一周で終わりらしい)、唐渡先輩は筋トレが好きなんだ。
体育館の地下にあるトレーニング室で筋トレに励んでいる。
トレーニング室って言っても、スポーツクラブみたいに筋トレマシンが充実してるわけじゃなけどね。
木曜日に俺も唐渡先輩と一緒に行ったけど、先輩は、思った通り、腕も肩も胸も腹もすごい筋肉なんだよ。
柔道部に混じってもまったく違和感が無い。
でも、中学ではバドミントン部で、そのころは痩せていたそうだ。
この話を聞いて、俺は筋トレはそこそこにしようと思った。
クラスはだんだんにぎやかになってきた。
やっぱり、最初はみんな、様子を見ていたみたいだ。
俺は窓際の真ん中あたりの席からクラスの様子を観察してる。
端の席だと気が楽だよ。
名字が「山根」でラッキーだったな。
今のところ、席が近い生徒としか話していない。
あの経験で、少し警戒心が強くなってるんだよな。
それでも少しずつ、話したり笑ったりする回数が増えてきた。
一回笑うたびに、緊張が解けて行くような気がする。
どんぐりはもう新しい環境に慣れた?
ちゃんと笑えてる?
そう言えば、きのうまでの5日間、久野樹は一度も俺には話しかけてこなかったし、笑顔も見せなかった。
やっぱり、小学校のときのことを怒っているのかも知れないな。
山根貴斗
------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------
4月17日(日) From どんぐり
学校にはもう慣れたよ。
男ばっかりだから、気兼ねがいらなくて楽だ。
考えなくちゃいけないことが少なくて済んでいるような気がする。
久野樹のことは気にしなくていいんじゃないか?
中学のころから無口だったんだろう?
それなら同じじゃないか。
放っておけばいいよ。
------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------ * ------
「え……?」
思わず声に出してつぶやいていた。
だって、あまりにも意外だという気がする。どんぐりがこんな言い方をするなんて。
『放っておけばいいよ』なんて、あまりにもあっさりし過ぎている。
(俺が淋しかったときは助けてくれたのに……。)
孤立した俺に、味方がいると示してくれた。しかも、疑いを抱いて返信しなかった俺に、何度も何度もメールをくれた。そんな温かい気持ちがあるのに、どうして久野樹のことは『放っておけばいい』なんて言うんだろう。
そりゃあ、久野樹は誰かにいじめられているわけじゃない。合唱部では、俺以外の部員とは普通に話している。仲の良い部員もいる。だから、放っておいても問題は無い。
俺の方も、久野樹としゃべらなくても特に問題は無い。
だけど。
納得しきれない何かが残る。
(何だろう? この言葉が……。)
そう。この『放っておけばいいよ』という言葉が気になる。どんぐりらしくない感じがする。
いつもの彼なら……、たとえば『そっとしておく方がいいよ』とか、もう少しやわらかい言葉を使うような気がする。『放っておけば』は、まるで一刀両断に切り捨てるみたいだ。
まあ、単に思い付いた言葉がそれだっただのかも知れないけど。
(うん。きっとそうなのかも。)
それにしても、女子がいないことを『考えることが少なくて済んでいる』なんて、ずいぶん余裕だな。誘惑がないから勉強に身が入るってことなのか? それとも、女子にちょっかい出されないから助かってるってことだろうか。
(栗木ってモテてたのかなあ……。)
中2のころはうつむきがちの、自信が無さそうな生徒だった。でも、卒業するころにはすらりと背が高くて、中学生にしては落ち着いた雰囲気になっていた。成績も良かったはずだから、注目されていたかも知れないな。
家はこっちの方じゃなかったから、最寄り駅が違うはずだ。学校の場所によっては、もう一つの路線に出る方法もある。偶然に会う可能性はほとんど無さそうだ。
(会ってもどうしたらいいのか分からないな。)
向こうは、俺がどんぐりの正体を知らないと思っているのだ。だとしたら、中学時代と同じように接するべきだろう。それはつまり、ほとんど無視、ということだ。
(なんか、それはなあ……。)
知っているのに無視だなんて、なんだか落ち着かない。
(うーん……。)
こんなことなら、知らない方が気楽だったな。
そうは言っても、そんなに会うことも無いだろうから、心配する必要はないのかな。