第三話 部活
4月8日(金)
どんぐりへ
きのうから、朝の電車は乗る車両を変えた。
2両分くらい後ろに行くと、もう少しすいていることが分かったから。
久野樹は俺よりも後ろの女性専用車両の場所に並んでいた。
少しくらい不便でも快適な方がいいって思うのは、みんな同じなんだな。
きのうの午後に部活紹介があった。
さすがに高校だけあって、いろんな部や同好会がある。
それに感心しながら、「高校生なんだなあ」なんて実感がわいてきた。
俺は、今までと同じくサッカー部に入る気がしていた。
<気がしていた>って変な言い方だよな。
でも、俺の中にあった「まあ、ずっとやってきたし、ほかにやりたいこともないし」っていう思いは、まさにそういう感じなんだ。
サッカー関係の知り合いと廊下でばったり会って、「やっぱりサッカー?」と訊かれたときに、「たぶん」なんて曖昧な返事しかできない程度の。
そんな調子だったから決心がつかなくて、きのうはそそくさと帰ってきてしまった。
今日になったら、もう大半の生徒が部活を決めていて、まだ仮入部の期間中だけど、放課後になるとあっという間に教室には人がいなくなってしまった。
俺は取り残された形になって、一人で気まずいような気持ちになった。
廊下に出ると下に校庭が見えて(うちの学校は「凹」という形の7階建て校舎で、開いている北側に体育館、西側に校庭がある。俺の教室は西棟の7階)、運動部が準備を始めていた。
そのままぼんやりと見ているうちに、どの部も練習が始まった。
ストレッチやランニング、筋トレに素振り、部活ごとのジャージの中に混じっている学校ジャージが一年生の存在を示していた。
運動部をそんなふうに外から眺めるのは初めてだった。
校庭を走り回る生徒を見ながら、中学のサッカー部のときのことを思い起こしていた。
毎日毎日、ボールを追って、蹴って、走って。
まわりに無視されてからも、とにかく一生懸命やっていたことは間違いない。
それを思い出したらさあ、いきなり、「俺はもういいや」っていう気分になったんだ。
「もう十分にやった」って。
スポーツのすばらしさって、よく言われるだろう?
身体面と精神面の両方に良い効果がある、って。
俺もそう思う。
中2の秋までは仲間もいたし、孤立していても、上達することは楽しかった。
だけど、それだけじゃ済まないんだ。
何かを切り捨てなくちゃいけないこともある。
レギュラーに選ばれなければ悲しい。
努力をしても、才能のあるヤツにはかなわないこともある。
選手に選ばれるためには手段を選ばないヤツもいる。
そういうことをくぐり抜けてこそ、優秀な選手になれるのかも知れない。
でも、俺はもう、誰かを押し退けて目立とうとすることがいやだ。
<チームメイトを妬む>という気持ちを味わうのも、見るのもいやだ。
そう思った。
だから、サッカー部には入らないことにする。
山根貴斗
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4月10日(日) From どんぐり
もうサッカーはやらないのか?
本当に悔いはないのか?
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4月11日(月)
どんぐりへ
部活のこと、心配してくれてありがとう。
俺も土日でゆっくり考えてみたよ。
最後にもう一度、今日の放課後に校庭をながめながら考えた。
でも、「やらない」という結論は変わらなかったよ。
未練もまったく無いんだ。
中学のときはあんなに意地になって続けてきたのに、不思議だよな。
じゃあ、何をやりたいのかって、それも土日から考え続けていた。
そうしたら、何も浮かんでこないんだよ。
俺はやっぱり体を動かすことが好きだから、運動部がいいな、とは思った。
でも、よく考えると、どの運動部も多かれ少なかれ、部員同士の競争はあるんだよな。
種目別の陸上部も考えてみたけれど、どうもピンと来なかった。
そうやってぼんやり考えながら、そのまま校庭を見ていたんだ。
そのうちに頭に浮かんできたのは、「みんなで一つのものをつくりあげるようなものがいいなあ」ってことだった。
でも、具体的には何も思い付かない。
今日もそのまま帰ってきてしまった。
もしかしたら、このまま帰宅部になっちゃうかも知れない。
それは嫌なんだけど……。
山根貴斗
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4月12日(火)
どんぐりへ
今日はものすごく驚いた!
放課後、また今日もぼんやり窓から校庭を見ていたら、急に後ろから声がかかった。
振り向いたらものすごくガタイのいい男子生徒が怖い顔をして立っていた。
背の高さは俺と同じくらい(俺は178センチ)だけど、肩とか体の厚みとかがすごいんだ。
体重が俺の倍くらいあるんじゃないかって感じで。
絶対に、柔道とかラグビーとか、とにかく格闘技系をやっているひとだって確信した。(ラグビーは球技だけど格闘技系だよ!)
学年章で3年生だということも分かった。
もう、ビビったよ!
絶対に部活の勧誘だって思ったし、断れる気がしないし!
その先輩が太い声で「もう部活決まったか?」って言うのを聞きながら、「これはもうダメだ」って思った。
だって、そんな場所でぼんやりしていたのに「もう決めました」とは言えないだろう?
ウソをついたら、ばれたときのことが怖いし。
仕方なく、「まだです」って答えながら、なんとか逃げ道が無いかと必死で考えた。
俺だってずっとスポーツをやっては来たけれど、どんぐりも覚えているとおり、俺はわりと細身な方だ。
格闘技系は――しかも、その先輩みたいなひとたちと戦うなんて、どれだけ骨折することになるのかと思うと、ものすごく怖かった。
だいたい、どうしてその先輩がこんな体型の俺なんかに声をかけたのか、まったく意味不明だと思った。
でも、それくらい切羽詰まって新入部員がほしいのかも、とも思った。
だとしたら、何を言っても逃げられない……なんて、そんな絶望的な観測が超速で頭の中を駆け巡っていた。
けれど、「よし。じゃあ、うちの見学に来い」って言われたら、「はい」って答えるしかなかった。
別に、その先輩は俺を無理やり引っ張って連れて行ったわけじゃない。
無言でどんどん歩いて行く先輩に、俺がとぼとぼとついて行っただけ。
7階の廊下から階段を二つ下りて、先輩は南棟に曲がった。
そこで「あれ?」と思った。
柔道部や空手部なら、北側にある体育館の一階の格技場のはずだ。
ラグビー部なら、昇降口から外に出るはず。
それとも部室だけは校舎内のどこかにあるのか……?
先輩は南棟の廊下をどんどん歩いて行く。
気付いたら、ラッパやシンバルの音が聞こえてきていた。
そのまま南棟の端まで行ってさらに東棟へと曲がると、楽器の音が大きくなって、廊下に椅子を出して練習している生徒がいた。
先輩はその中を抜けて行く。
そのときの俺の気持ち、分かる?
「まさか!?」っていうのと、「いや、そんなはずは!」っていうのと、「マジかよ!?」っていうのと、まあ、とにかくほとんどパニックだ。
叫び出さなかったのは、きっと、中学の後半をあまりしゃべらずに過ごしてきたせいだと思う。
とっさに声を出すっていう習慣が消えていたんだ。
とにかく、「これはヤバい」と思った。
どう考えても、俺に楽器ができるとは思えない。
格闘技よりも無理だ。
ドキドキして、冷や汗が出た。
前を歩いていた先輩が、奥にある<第二音楽室>の戸に手をかけたとき、やっと、必死の思いで「あの」と声をかけた。
でも、先輩はちらっと俺を見ただけで、そのまま戸を開けてしまった。
そして「男の新入部員、見付けてきたぜ〜!」と太い声で言うのが聞こえた。
その一言で、自分がいろいろな楽器に悪戦苦闘する姿が次々に浮かんで、絶望的な気分になった。
音楽室からは「きゃ〜♪」という女子の喜びの悲鳴が聞こえてきた。
でも、ゆくゆくはその声がキンキンとがって叱られるのかと思うと気持ちが沈んだ。
促されてのそのそと入ると、想像していたよりも部屋の中がすっきりしていた。
机代わりのオルガンと椅子が整然と並んでいる音楽室。
そして、ピアノのまわりに集まっている生徒十五、六人。
俺を連れてきた先輩が戸を閉めると、楽器の音が遠くなった。
なんとなく違和感を抱きながら、そこにいる先輩たちにおどおどと頭を下げた。
すると、ピアノの音が一つ、ポーンと聞こえた。
次の瞬間、隣で「よ〜〜〜〜〜〜」と低い声が聞こえた。
思わずビクッとして隣を見ると、俺を連れてきた先輩の声だった。
恐れおののく俺の前で、ピアノのまわりの先輩たちが次々に声を重ねて行った。
「う〜〜〜〜〜〜」
「こ〜〜〜〜〜〜」
「そ〜〜〜〜〜〜」
と、そこで一旦声を切った。それから全員で
「がっしょうぶへ〜〜〜〜〜〜!!」
って歌ったんだ!
もう、びっくりしたのなんのって!
人間ってこんなに驚けるんだ! って思うほど驚いた。
今、思い出すと、自分でも笑っちゃうほど。
それからあとは、俺は何もできなかった。
<呆然自失>というのは、まさにああいう状態のことを言うんだと思う。
思考が止まったっていうか。
そのままぼんやりとそこで時間を過ごして、同じ方向だという俺を誘った唐渡先輩と一緒に帰って来た。
その間、ほとんど「はい」と「ええ、まあ」と「そうですね」しか言わなかった。
念のため言っておくけど、唐渡先輩はちっとも怖くなかったよ。
豪快で、気さくで、面白い先輩なのは間違いない。
家に帰ってもしばらくぼんやりしていたよ。
でも、さっき、急に思ったんだ。
合唱部も悪くないなって。
中学のとき、合唱大会はそれほど嫌いじゃなかったし。
俺が思っていた<みんなで一つのものをつくる>っていうことにも当てはまるし。
歌に自信はないけど、吹奏楽部に比べたら、俺でもどうにかなりそうな気がするし。
それに、久野樹がいた。
俺を見て俺と同じくらいびっくりしてた(っていうか、ものすごい驚き方だった)し、今日は一言もしゃべらなかったけど。
とりあえず知り合いがいて、ほっとしてる。
だから、明日も行ってみることにする。
長いメールでごめん!
山根貴斗