第一話 俺の親友
新しいおはなし、『どんぐりへ』です。
どうぞお楽しみください。
俺には親友がいる。中学の同級生だ。
親友と言っても、ちょっと特別な親友。どんな<特別>かと言うと……話をしたことがないってこと。
話したことがないだけじゃない。目を合わせたのもほんの数えるほど。学校ではお互いにほとんど無視だった。
別に、俺が頭の中で勝手に友だちあつかいしているわけじゃない。
テレパシーで会話しているわけでもない。
俺たちをつなぐのはメールだ。
実を言えば、向こうは俺があいつが誰だか知らないと思っている。
『絶対に、僕が誰なのかを探らないでほしい。メールの中で鎌を掛けたりもしないでほしい。』
これが、俺たちがメールを交わすことになったときに、あいつが出した条件だった。
理由は分かっている。
それは、俺がいじめのターゲットになっていたことだ。
それでも親友なのかって思われるかも知れない。
でも、答えはイエス。親友だ。
だって、苦しいときに気持ちに寄り添ってくれて、俺を見捨てなかった。日ごろの思ったことを何でも言える。少し厳しい忠告をくれることもある。
そんな相手が親友じゃなくて何なんだ?
初めてメールが送られてきたのは、中学2年生の11月。俺が所属していたサッカー部で無視され始めてひと月くらいたったころだった。
無視された原因はよく分からない。口のきき方が生意気だとか、いい気になっているとか、格好つけてるとか、そんなことじゃないかと思う。大所帯でレギュラー争いが激しい部だったし、俺の学年には特に目立ちたがり屋も多かった。俺の前にも妬みから嫌がらせを受けて、やめた生徒が三人いた。
無視というのは、どうにも対処のしようが無い。誰も相手にしてくれないから、何が原因なのか分からないからだ。改めることも、話し合うこともできない。イライラして腹が立ったし、仲間に裏切られたことに落ち込んだ。でも、そんな感情を悟られるのは悔しいから、俺は気にしていないふりをした。
すると、それが気に食わなかったらしく、俺への嫌がらせは、同じクラスのサッカー部員を通してクラスにも広がった。もともとつるんでいたメンバーはサッカー部員が多かったから、すぐに俺ははじき出されて孤立した。
俺が何か言うと、必ず冷やかしや揚げ足を取る言葉が飛んだ。言い返したり睨んだりすると、馬鹿にしたように笑いものにされた。それまではよく話しかけてきた女子たちも、遠巻きに見ているか目をそらすかだった。
大人に助けを求めるのは嫌だった。仲直りのセレモニーみたいなことをさせられて、表面だけ元通りなんてまっぴらだ。
だから、一人でいることを選んだ。
悔しいから、部活は意地でもやめなかった。パスを回してもらえないとか、ラフプレーの標的にされるとか、持ち物を汚されるとか、嫌がらせも止まなかったけれど。
そんなある夜、俺のスマホにメールが届いた。
『何もしてあげられなくて、ごめん』
その日は英語の授業で指されて、おかしな読み間違いをしてしまった。それを一日中、何度も口真似されて、笑いものにされていたのだ。そのことについての謝罪のようだった。
内容はこの一言だけ。メールアドレスは知らないものだったし、推測できるような手掛かりも無かった。
ぐっと胸に来たけれど、すぐに疑いの気持ちが湧いた。敵――当時はそう思っていた――の誰かが面白半分に送って、俺が嬉しがって返信したら笑いものにする。そういう計画だと思った。だから無視した。
何日か過ぎて、またメールが来た。英単語テストで満点だったことに、当てこすりを言われ続けた日だ。
『気にするなよ。がんばれ。』
またかよ――と腹が立った。
でも、安全な自分の部屋でその言葉を読むうちに、少しだけ慰められた。そうして、これがもし罠だったとしても、言葉の意味が変わるわけじゃないと思った。文字に表わされた言葉は、自分で胸の中で唱える言葉とは違う力を持っているようだった。
それからも週に一、二回の頻度でメールが送られてきた。それはたいてい、教室で攻撃がきつかった日の夜だった。
メールが来るたびに、俺は送り主を推理した。
サッカー部員。小学校からの知り合い。俺の前に嫌がらせを受けていた男子。誰ともつるまない優等生。密かに俺に想いを寄せる女子……?
女子かも、というロマンティックな推測はすぐに捨てた。
俺のアドレスを知っている女子は遠足で同じ班になった数人で、彼女たちはこんなことをするタイプではなかった。俺が孤立したあとに誰かにアドレスを尋ねるなんていう危険をおかす女子がいるとは、さらに思えない。
ドメインを見れば電話会社から少しは絞れるかと思ったが、分かったのはパソコンから送られたらしいということだけ。やっぱり手がかりは無かった。
俺はだんだんとそのメールを願掛けのように待つようになり、来た言葉を心の支えにして12月を乗り切った。
『誰?』
そう送ったのは大晦日。正月を控えたその日なら、もしも悪戯だったとしても、しばらく誰にも会わなくて済むと思ったから。
そのころには、メールの送り主の気持ちを信じたくなっていた。
候補者は頭の中で何人かに絞られていた。彼らとはそれまでほとんど接点がなかったけれど、メールの来るタイミングとシンプルな言葉に、気持ちに寄り添ってくれるやさしさが感じられた。そんな相手なら信じられる気がした。
俺はそわそわしながら、片時もスマホを手放さなかった。けれど、年が明けても返事は来なかった。
やっぱり悪戯だったのか。それとも、学校で俺に話しかけられたら困ると思っているのか。
覚悟はしていたのに、ひどく落ち込んだ。
もしかしたら、あの質問をしたせいで、関係を断ち切られてしまったのかも知れない、とも思った。後悔して、ひどく淋しい気分になった。強がっていたけれど、本心ではやっぱり、誰かとの交流がほしかったのだ。
冬休み中に返事は来ず、俺はあきらめて、冬休み最終日に最後のあいさつのつもりでメールを送った。
『答えたくない質問して、ごめん。今までありがとう。明日からもがんばるよ。』
すると、翌日の新学期の夜に返事が来た。
『僕は見ていることしかできないから、お礼なんて言わなくていい。』
どんなにほっとして、嬉しかったことか!
自分の言葉に誰かが応えてくれる。それがどれほど幸せなことか知ったのはそのときだ。
その返事に力を得て、これからは自分からもメールしても良いかと尋ねた。そのときの返事に、あの条件が書いてあった。
『絶対に、僕が誰なのかを探らないでほしい。メールの中で鎌を掛けたりもしないでほしい。』
それは当然だろう。俺とつながりがあるとクラスに知られたら、彼まで嫌がらせに巻き込まれてしまう可能性が高いのだから。
俺にとっては、相手は誰であっても嬉しいことに変わりはない。大切なのは彼の心なんだから。
それから、俺たちは何通ものメールを交わした。
<交わした>と言っても、メールの中身は俺の方が圧倒的に多い。彼からのメールは相変わらず二言三言、多くても十行以下。
メールを書くのに不便だから何かニックネームを指定してほしいと言ったら、『じゃあ、どんぐり。』と送って来た。それから俺は彼を『どんぐり』と呼んでいる。
彼の正体の隠し方は徹底していた。進級時のクラス替えがあったときも、彼は俺とクラスが一緒かどうかについても何も言わなかった。
嫌がらせは、進級してからも続いた。激しさが少しはましになったけれど。
俺は相変わらず意地で部活に出続けて、クラスではおとなしくしていた。そのうち、ちょっと大人びたクラスメイトから話しかけられるようになり、そのお陰か、落ち着いた、穏やかな気持ちで過ごせるようになっていった。
一方、どんぐりから励ましのメールが来ることは減った。その代わり、俺から送ることが増えた。内容はその日の出来事や気持ちなど。まるで日記かブログのように。
彼からの返信はその日のうちにくることもあったけれど、たいていは翌日以降だった。そして、やっぱり二言三言。
そんなやり取りの中で、俺は、どんぐりは違うクラスの生徒なのだと感じていた。
卒業式の日の夜、どんぐりは男子校に進学することを教えてくれた。自分のことを話題にしたのはこれが最初だった。そして俺は、そのメールで彼が誰なのか分かった。候補者のうち、男子校に進学したのは一人だけだったから。
栗木怜志。
ひょろりと細身の物静かなヤツだった。2年のあのクラスではいつも下を向いていて、存在感のまるで無い生徒だった。でも、本当は温かい心の持ち主だったのだ。
いつか顔を見てお礼を言いたい。
でも、まだしばらくは今までと同じように、メールだけの親友でいることになりそうだ。