14 リアル3! & Happy mail : 20XX / 07 / 02
瑞穂があらわれないことを、暢志は覚悟していたはずだった。
けれど、それが事実となってみると、予想以上にショックが大きかった。
<胸に穴が空いたような>という表現は、こういうときに使うのだと知った。
丸宮台からあとのことは、あまり記憶がない。
いつも通りに参考書を開いていたけれど、文字をたどっても何も頭に入って来なかった。
気付いたら終点の横崎駅で、降りて行くほかの乗客の流れに乗ってぼんやりと歩いた。
歩きながらふと、自分が瑞穂のことを気にしながら歩く癖がついていたことに気付いた。
でも今朝は、ちらりと斜め後ろに視線を向けても、恥ずかしそうに自分を見返す瞳は無い。
(仕方ないよな。何も好きこのんで情けない男と仲良くしたいなんて、普通は思わないよな…。)
そんなことは分かっている。
でも、そうやって何度も自分に言い聞かせなければ、きちんと受け入れられないのだ。
前を行くサラリーマンのベルトのあたりを見ながら、半ば無意識に自動改札機を抜ける。
乗り換えの路線はここから左前方の階段を降りた先だ。
「あの。」
小さな声と同時に、右腕に誰かが触れた。
「?!!」
暢志は思わず身をすくめて、半歩ばかり飛びのきながら振り向いた。
するとその視線の先には――。
(え? なんで……?)
無関心に歩み去る人々を背景に、瑞穂が遠慮がちに微笑んでいた。
そのまま周りを気遣って柱の近くに暢志を誘導しながら二人の距離をつめる。
「おはよう。」
うかがうように暢志を見上げながら、瑞穂が言った。
「うん…、おは、よう。」
驚きと瑞穂への想いで、暢志の鼓動はさっきからスピードを上げている。
混乱した表情の暢志の前で、瑞穂はやっぱり遠慮がちな微笑みをうかべて尋ねた。
「いつもの電車で、来たの?」
ドッドッドッドッ…という心臓の響きを感じながら、暢志は慌ててコクコクとうなずいた。
「いつもの…場所?」
これにもうなずくだけの暢志。
そんな暢志に、瑞穂は心から嬉しそうな微笑みを向けた。
「あるじゃない、勇気。ちゃんと。」
「あ……。」
暢志の混乱した意識が、瑞穂の言葉にすうっと焦点を合わせるように落ち着いてきた。
「逃げられたら困ると思って、3本も早い電車で来たのに。」
そう言って、少しからかうようなまなざしを向ける瑞穂。
彼女の言葉が、暢志の心の中で池にさざ波が立つように広がって行く。
(勇気…が、ある…のか? 俺…に……?)
この程度のことで、「ある」と言ってもいいのかどうか疑問だ。
けれど、瑞穂にそう言われると、そうなのかも知れないとも思う。
ぼんやりと見返すだけの暢志の前で、瑞穂はまっすぐに顔を上げてあらたまった様子をした。
それから。
「え、と、七星学園3年C組、熊咲瑞穂です。あのね……。」
そこで慌てた様子でスクールバッグのポケットを探る。
出て来たのはいつもの文庫本ではなく、淡いグリーンの封筒。
それを暢志の胸元に差し出すと、ちょっと身を乗り出して早口で、小さく一言。
「これ読んでね。」
暢志は相変わらずぼんやりと瑞穂の顔を見つめながら、半ば手探りでその封筒を受け取った。
それを確認した瑞穂は、「じゃあね。」ともう一度笑顔になり、いつもの方角へ去って行った。
瑞穂の姿が見えなくなって我に返り、暢志は慌てて周囲を見回した。
立ち止まっていたのは、たぶん1分にも満たない時間だろう。
まだ思考が落ち着かないまま、足を速めて流れて行く人の波に乗る。
受け取った封筒は、一人のときに開きたいと思って、バッグの内ポケットに入れた。
歩きながら、瑞穂とのやり取りを思い出す。
暢志がいつもの電車に乗って来たことを、「勇気がある」と言ってくれた。
必ず会えるようにと、3本も早い電車で来て待っていてくれた。
暢志が尋ねられないでいた学校名と学年を名乗ってくれた。
そして、この手紙――。
(いいのかな、俺で。)
瑞穂の行動の意味を考えながら、その言葉が何度も浮かぶ。
けれどそれを簡単には信じられなくて、電車の中でこっそりと、きのうの夜に送ったメールを読み返してみた。
(あ、あれ? いや、これは……。)
思わず目を剥いた。
あのとき、送る前にちゃんと読み返したはずだったけれど…。
(「好き」だって言っちゃってるし。)
慌てて画面を消す。
今見ると、ものすごく恥ずかしい。
(何だろ? どっぷり浸ってたのか?)
確かに、書いているうちに気分が盛り上がっていたような気がする。
全体的に気障な感じもするし。
もちろん本心ではあるけれど。
(だけど……。)
吊り革につかまりながら、ぼんやりと考えた。
瑞穂はこれを読んで、待っていてくれたのだ。
暢志が訊けないでいたことを伝えるために。
…というよりも、暢志のメールに対する答えとして。
(やっぱり、いいの…かな……。)
笑顔だった瑞穂。
「逃げられたら困る」と言った。
暢志の行動を「勇気がある」と肯定してくれた。
(いいのかもしれない。)
暢志の心の針が、少しだけプラスの方向に動いた。
すると、今まで否定的にとらえていた自分の行動が急に違って見えて来た。
(そうか…。)
もしかしたら、「できた」って思えばいいのかも知れない。
今日、いつもの電車に乗ったこと。
あいさつをしようと決めた日に、あの場所に乗ったこと。
傘のことを謝れたこと。
去年、依田のトレーニングに付き合おうと決めたことだって、本当は自分の中でいろいろな葛藤があった。
どれも小さなことだけど、何もしなかったわけじゃない。
(ちょっとはあるんだ、勇気が。俺にも。)
そう考えたら、急に自信が湧いてきた。
何もできないわけじゃない、できたこともある…と。
すると今度は、瑞穂の手紙をすぐに見たくなった。
学校の最寄駅で降りたとき、会った友人には「用事があるから」と言い訳をして、改札口前のコインロッカーの陰のベンチへと急ぐ。
バッグをベンチに乗せてファスナーを開け、立ったまま中を覗き込む。
期待と不安で指がふるえて、封をしてあったシールを上手く剥がせず、もどかしい思いをしながら破いてしまった。
誰にも声をかけられませんようにと祈りつつ、ドキドキしながら封筒を開けると…。
(…え?)
何度も見た。
手で触っても見た。
けれど。
(からっぽ……?)
封筒の中に、便せんもカードも入っていない。
何か意味ありげなものも、無い。
顔を近付けて覗き込んでも、やっぱり無い。
「ふ……ふふ…。」
緊張していた分、力が抜けたら笑いがこみ上げてきた。
彼女はこんな空っぽの封筒を渡すために3本も早い電車に乗ったわけではなかっただろうに、と思うと。
「可愛いなあ…。」
思わずつぶやいていた。
この手紙は二人の関係にはかなり重要なアイテムだと思うのに、それを入れ忘れるなんて。
そそっかしい瑞穂。
今までも小さな失敗をしてはあたふたしている姿を見るたびに、「可愛いなあ」と思っていた。
暢志が彼女を「瑞穂さん」と考えようとすると、その姿とはあまりにも不釣り合いな呼び名に思えて、今まで口に出せずにいた。
(「しいちゃん」、かな。)
“そそっかしい” の「しい」。
慌てている姿にピッタリの気がする。
それにしても、いったい何が書いてあったのだろう。
きっと、あれこれ考えて書いてくれたに違いない。
それを入れ忘れるなんて、瑞穂も相当緊張していたのだろうか。
(これからも一緒にいたい。)
暢志の心の中で、素直な気持ちがふくらんだ。
きのうの夜は、こんな自分では瑞穂と一緒にいられないと思った。
けれど、瑞穂は構わないと思ってくれている。
それを行動で示してくれた。
(そうだ。いいんだ。)
暢志が一緒にいたいと思い、瑞穂もいいと思ってくれるなら。
どこに障害があると言うのだろう。
暢志は急いでスマホを取り出し、瑞穂に短いメールを送った。
のびのびした気分で歩きだした暢志に、友人たちが声をかけて来る。
それに答える声は、今までよりも少しだけ強く響いた。
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20XX/07/02 08:09
Subject: ありがとう。
今日、一緒に帰ろう。
横崎の改札前で待ってる。
辻浦暢志
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瑞穂がメールを読んだのは、学校手前で信号待ちをしているときだった。
思わず頬を染めた瑞穂を、目ざとい友人たちは見逃さなかった。
問い詰められて「待ち合わせ」と小さな声で答えた瑞穂は、帰りに驚くのは自分の方だとは、まったく思っていなかった。
友人たちに冷やかされながら、暢志が瑞穂のカードを見てどんな反応をしたのかと考えるとどうしてもニヤニヤしてしまい、ますます冷やかされる羽目に陥った。
けれど、暢志の照れた顔を想像するたびに胸がキュンとして、友人たちのからかいなどは頭から押し出されてしまうのだった。
丸宮台の瑞穂の部屋には、机の上に四つ葉のクローバーのイラストが付いたカードが静かに置き去りにされていた。
そこにはペン書きの女の子らしい文字の最後に、ピンク色のハートマークが描かれていた。
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どんなに勇気がある人だとしても、私は知らない人に名前を訊かれても教えたくありません。だから、できない人でいいです。
それとも暢くんは、ほかにも名前をききたい女の子がいるの?
これからもよろしくね。
瑞穂
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・・・・・・ おしまい ・・・・・・・・・・・・・
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
楽しんでいただけていたら嬉しいです。
2つ目のおはなしは、お手紙だけでつづるには自分の力量が足りませんでした。独立させた方が良いのかと思いつつ、書き始めてしまったのでこのままここに収めることにしました。
でも、ラストは自分では気に入ったものになったのでいいかな、と自己満足に浸っています。
今回は初めて三人称の文章を使ってみました♪
主語の使い方と気持ちの表現が勝手が違って難しかったのですが、複数の場所や人を切り替えるのには便利だと分かりました。
でも、なりきって書くことができる一人称の方が勢いに乗れる気がします。
読みに来てくださった方、評価やブックマークを付けてくださった方、ありがとうございました。みなさまに励まされて、今回も書き上げることができました。心からお礼申し上げます。
次のおはなしは『どんぐりへ』。親友<どんぐり>とのメールを使ってストーリーが進みます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。