13 覚悟を決めたメール : 20XX / 07 / 01
20XX/07/01 23:35
Subject: 今までありがとう
熊咲瑞穂さま
メール、ありがとう。
僕は別にお礼を言われるようなことをしたわけじゃないよ。あれは偶然だ。
それに、あの話を聞いてくれたことにお礼を言うのは僕の方だ。今日、会えて良かった。ありがとう。
今、僕はきみに話さなくちゃいけないことがある。
本当は、きちんと顔を合わせて話すべきなのだろうけれど、いろいろ考えた結果、メールにしました。
ちょっと長くなってしまうと思う。それに暗い話だ。
一日の終わりに、ごめん。
どう話せばいいのか迷ってしまうのだけど、たぶん、きみは僕のことを誤解していると思う。本来の姿よりもかなり高い水準に。
特に今日みたいなことがあると、僕はきっぱりした性格の頼もしい男に見えるかもしれない。
それは僕にとっては有り難いことだ。でも、本当はそうじゃない。
誤解されていることを分かったまま黙っていることは、フェアじゃないと思う。それではきみに申し訳ない。
だから、今、本当の僕のことを話します。
今日、後輩の話をしながら、僕はスポーツが得意じゃないという話をしたよね? あまり会話が上手くなくて、交友関係が狭いということも、なんとなく気付いたと思う。
でも、それだけじゃない。僕は意気地無しで、情けない男なんだ。
今日、きみを追って来たあの二人。きみは彼等に驚いたようだったけれど、僕と比べれば彼等の方がずっと正々堂々としている。だって、僕には電車で乗り合わせるだけのきみに話しかける勇気が無かったのだから。
きみと話をしたのは先月の半ばだったよね。でも僕は、きみのことは4月から知っていたんだ。
初めて気付いたのは、隣に立っていた朝だった。そのときはもちろん偶然に。読んでいた本が面白かったらしくて、笑いをこらえているきみの姿が印象に残ったんだ。
どうしてなのか分からないけど、その場で話しかけたいような気がした。そんなことは初めてだったから自分でも驚いたよ。
それから何度も電車で見かけているうちに、きみのことを忘れられなくなってしまった。毎日、丸宮台で乗って来るきみを確認するのが日課のようになった。きみの姿を見られるだけで気持ちが明るくなって、一日が上手く行きそうな気がした。
ごめんね。こんなの気持ちが悪いよね。知らない間に見られていたなんて。
話しかけてみたいと、何度も思った。でも、僕にはできなかった。話し上手じゃない僕では会話が続かないのは明らかだったし、そんな僕が相手ではきみに申し訳ないと思ったから。…というよりも、僕は最初からあきらめていて、何か努力をしようとは考えなかったんだ。ただ自分はダメだと思うだけで。
そんな日々が過ぎて行くある日、僕はきみの傘につまずいた。
あのときすぐに、傘を壊してしまったかも知れない、と思った。でも、自分が転んだ姿をきみに見られたことが恥ずかしくて、逃げ出してしまった。傘が壊れていたらきみが困るだろうと分かっていたのに。
そうやって逃げたことを、僕は恥ずかしく思った。結果的に傘は壊れていなかったけれど、それは別の話だ。みっともなくて、格好悪くて、もう顔を合わせられないと思った。それで次の日は違う電車に乗ったんだ。
そうだよ。こうやって、僕は次の日も逃げたんだ。
その朝に熊咲先輩からメールが来て、僕は妹さんと待ち合わせをすることになった。そのときは、先輩の家が丸宮台ではなかったことを思い出して、待ち合わせの相手がきみではないことにホッとした。だから、待ち合わせ場所にきみが現れたときは本当に驚いた。
あのとき僕は、最初に「きみに会いたくない」と思った。不様に転んだ姿や、傘のことを知らんふりして逃げた自分を、きみに覚えていられることも恥ずかしいと思った。その日の朝に電車を変えた理由も、みっともなくて嫌だった。
そしてもう一つ、これはまったく自分勝手で恥ずかしいのだけれど、ほかの女の子と話している姿をきみに見られたくないと思ったんだ。僕に誰か……親しい女の子がいると、きみに誤解されるかも知れない、なんて思って。
だからきみが近付いて来たときに、先輩の妹さんがあらわれる前にきみに立ち去ってもらわなくちゃ、と焦った。それで急いで謝って、早く用事を済ませてしまおうと思ったんだ。
傘のことをきっぱりと謝った僕の姿は、潔く見えたかも知れない。でも違うんだ。あれは、ただその場を無事に切り抜けたくて、成り行きで出た行動なんだよ。
今日だって同じだよ。
あの二人に強気な態度を見せたのは、思わずカッとなった気持ちが出てしまっただけ。
後輩の話も、きみに話したいと思っていたけれど、あそこで会わなければ、いつまでも話さずに終わっていたはずだ。話したいと思うなら、朝でも、こうやってメールででも、いくらでもチャンスはあるのに。それを実行する勇気は僕には無かった。
朝の電車だって、あいさつできるようになったのは、きみが隣に来てくれたからだ。
生徒手帳を返してもらった次の朝、僕はきみにあいさつをしようと思って電車に乗っていた。でも、頭の中で何度も練習していたにもかかわらず、きみと目が合った途端に声が出なくなってしまった。
生徒手帳を手渡そうと思ってくれたことも、朝の電車で隣に来てくれたことも、きみの意思だ。僕はそれに乗っかっただけ。何の努力もしなかった。きみと友達になりたいと思っていたのに。話したいことがあっても勇気が出なかった。
僕はきみの学校も学年も知らない。
ずっと尋ねたいと思っていたのに、たったそれだけのことも口に出せなかったんだ。本当に情けない。情けなくて、意気地無し。それが本当の僕だよ。
きみが助けてもらったと思っている僕はこんな男だ。
こうやってわざわざ説明しなくても、きみもいつかは気付いただろう。でも、それまで黙って誤解させたままにするのは申し訳ない。それに、僕に失望したときに、そのことをきみは言えないのではないかと思うから、今のうちにきみに伝えるべきだと思ったんだ。
書いている間にずいぶん時間が経ってしまった。遅くなってごめん。
きみはこれを今夜見るのだろうか。それとも明日の朝?
もう会えなくても仕方が無いと思っている。きみが嫌ならもう会わないようにする。無理に追いかけたりしないから、心配しないで。
今までありがとう。電車で並んで立っているだけでも、僕は楽しかった。小さな失敗をして慌てているきみを、助けてあげたいと思った。見ていただけのころより、今の方がきみのことをずっと好きなんだ。
でも、きみにとって嫌な思い出になってしまったらごめんね。
じゃあ
さよなら
辻浦暢志
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出来上がったメールを暢志は読み返した。
明日の朝のことを書くべきかと思ったけれど、自分でもまだ迷いがあって書けなかった。
小さくため息をつき、1、2秒ためらったあと、送信。
瑞穂から何か言ってくる可能性を考えないために、机に置いたスマートフォンの上にタオルを乗せて、急いでベッドに入った。
翌朝、家を出るときに恐る恐る手に取って確認したとき、着信がなかったことになんとなくほっとした。
気持ちはずっと揺れていたけれど、暢志はいつもの電車のいつもの場所に乗った。
丸宮台までの4駅をこれほど長く感じたのは久しぶりだった。
ホームに入りながらスピードを落とした電車の窓から、暢志は審判を待つような気持ちでホームに並ぶ人々を見た。
そして―――。
開いたドアから乗って来る乗客の中に、瑞穂の姿はなかった。
次回、最終話です。