11 とうとう? : 20XX / 07 / 01
丸宮台で電車を降りた瑞穂はそっと振り向いた。
閉まってゆくドア越しに、こちら向きに座った暢志が遠慮がちに微笑んだのが見えた。
「嬉しい!」と思った瞬間、気付いたら笑顔で手を振っていた。
そんな自分の行動に驚いて、走り出した電車を見送りながら呆然としてしまった。
駅の時計はもうすぐ5時。
電車を降りた人々が、無表情に改札口へと向かっている。
その一番後ろについて歩き出しながら、自分の行動が周囲にはどう見えたのかと思うと頬が熱くなった。
けれど、さっきまでのことを思い出すと、思わずくすくすと笑いだしてしまうのだった。
(なんか…可愛いんだもん。)
改札口へ向かうエスカレーターの上で、思い出し笑いを我慢する。
頭の中に浮かぶのは、車内で暢志が言った言葉。
「ごめん。あんまりその…上手く話せなくて。うち男子校だし…。」
少し困った顔で、瑞穂の方を見ようとしながらまっすぐに見ることができずに。
そんな暢志を見るのは初めてだった。
そのときまで、暢志が口数が少ないのはもの静かな性格のせいだと思っていたのだ。
もちろん、おしゃべりで賑やかなひとではないだろう。
でも、今まであまり会話がなかったのは、暢志が照れていたからだとしたら。
本当は話したいと思ってくれていたのだとしたら……。
そんなことが瑞穂の頭をかすめているうちに、暢志が言ったのだ。
「今日、会えて良かった。」
と。
照れくさそうな笑顔で。
(可愛い!)と思ってしまった。
それまで何とも思っていなくても、あの顔を見たら、女の子なら誰でも恋に落ちてしまうだろう。
あんな笑顔で、「会えて良かった」なんて言われたら。
(いやーん、だめ! 思い出すと落ち着かない。)
彼のことを考えずにいられない。
横崎駅で偶然会って、一緒に帰って来た20分ちょっとの時間。
そして、今は一人で電車に揺られている暢志の姿を……。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
ねえ。
もしかしたら……、もしかしたら、ちょっとだけ進んだのかな?
今までよりも、もうちょっと仲良し?
あんなところで会うなんて。
しかも、並んで座って、話しながら帰って来られるなんて!
ドキドキしっぱなしだったけど、今日はお客さんも少なかったし、座っていられた分、少しは落ち着けてたと思うんだけどな。
変なことを言ったりしたりしなかった…よね?
でもね、座るときに、どのくらい近くに座ったらいいのか分からなくて困っちゃった。
あのときは、本当にありがとう。
知らない人から急に名前を訊かれたから、びっくりしちゃってて。
しかも、向こうは二人だったから。
知らない人に名前なんか教えたくないし、おろおろしてるうちに隣に座られたら困ると思って慌てて車両を移ったら、ちょうど辻浦くんが乗ってきたところで。
辻浦くんも驚いた顔をしてたよね。
でも、思わず駆け寄ったあたしと後ろから来た男の子たちを見て、すぐに事情を察してくれて。
「このひとに、何か用ですか?」
って。
たった一言だったけど、毅然としてて格好良かった…。
あの人たち、何かブツブツ言ってたけど、すぐに行っちゃったもんね?
きっと、辻浦くんには因縁つけたりできないって思ったんだよ。
辻浦くんは謙遜して「制服のせいだよ」なんて笑ってたけど、そんなことないと思う。
姿勢の良さとか、落ち着いた態度とか、言葉遣いとか…とにかく全部があの二人に勝っていたよ。
それから振り向いて「大丈夫?」って。
お礼を言ったら、照れた顔をして……ああ、もう!
今思い出しても、きゅーんとしちゃうよ〜!
ああ……。
それから並んで座って……。
嬉しくて、ちょっとはしゃいでしまいました。
いつもよりもくすくす笑っているのはハイになってるからだって分かっていたけど、止められなかったの。
でも、失礼なほどではなかったでしょう?
あのね、後輩のこと、話してくれてありがとう。
すごく嬉しい。
あたしが辻浦くんの気持ちを理解できると思って話してくれた…んだよね?
嬉しい気持ちを分けてくれたって言う方が近いのかな。
そういうことが、とても嬉しいの。
本当はね、ちょっと自信を失くしてたんだ。
話したいと思っているのはあたしだけじゃないかって。
毎朝あいさつしてるけど、最近はそれだけじゃ、ちょっと物足りないなって思っていたから。
いつも辻浦くんは、隣で当たり前みたいに参考書を見ているだけで。
そりゃあ、毎朝笑顔で「おはよう」って言ってくれるけど。
改札口まで一緒に歩くし、最後に「じゃあね」の合図もするけれど。
自分から話しかければいいってわかってはいるけど、その場になると、恥ずかしくて何も言えないんだよね…。
だって、周りの人たちに見られているような気がするんだもん。
いつも辻浦くんの隣が空いてるのも、周りの人たちがあたしの…指定席みたいに思って空けてくれてるんじゃないかって思っちゃったりして。
だから、今日はゆっくり話せてすごく嬉しかった!
話してくれたのが、辻浦くんが嬉しかった話だったってことも。
本当にありがとう!
辻浦くんが「なんだかやたらと嬉しくてさ。」って言ったとき、あたしまで感動して、ちょっと泣きそうになっちゃった。
本当に良かったね。
全然つまらないことなんかじゃないよ。
辻浦くんの優しさが後輩に通じて、ちゃんと受け取られていたんだよ。
生意気な態度でいたのは、たぶん照れ隠しだったんじゃないかな。
それよりも、あたしは辻浦くんが、自分のことを「俺なんか」って何度も言ったのが気になったよ。
どうしてそんなふうに思うの?
なんでそんなに自信がないのか全然分からない。
バレーボールは上手じゃないかも知れない。
でも、それは技術の話で、辻浦くんそのものの価値を決めるものじゃないよ。
それに、性格が明るくて目立てばいいのかって言ったら……、それはあたしも羨ましいと思うけど、そうじゃない人がダメだということにはならないよ。
あたしは辻浦くんの、何て言うか……率直なところがいいな、と思う。
自分を良く見せようとしないところが、一緒にいるときに楽なの。
格好つけてる人って、一緒にいるときになんとなく違和感を感じるよ。
こっちもその人に合わせてあげなくちゃ、みたいな気がして落ち着かないの。
でなければ、「合わせられなくてごめんなさい」って思って落ち込んだり。
だから辻浦くんの自然体なところが……いいな、って思います。
それに、やっぱり辻浦くんは優しいよ。
朝、隣にいるとき、いつも思う。
改札口まで歩くときも。
さり気なく気にかけてくれているよね?
あたしに手助けが必要かどうか、様子を見ていてくれてるでしょう?
それこそ “あたしなんか” のことを。
うっかりすると、甘えそうになっちゃうよ……。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
傘の下で、思わずため息が出てしまった。
(そうだよ。それこそ “あたしなんか” だよね……。)
失敗ばかりの自分。
今朝はぬれた傘を暢志の靴の上に立ててしまった……。
(本当にごめんなさい……。)
ぼんやりと歩きながら思う。
こうやって本人に話せたらいいのに、と。
(今ならいくらでも言葉が浮かんでくるのになぁ……。)
並んで座って帰ってきたけれど、話をしたのはほとんど暢志だった。
瑞穂は暢志がゆっくりと言葉を選びながら、でも嬉しそうに話す姿をそばで見ているだけで幸せだった。
自分の口から出る言葉は「良かったね」と「うん」くらいしかなくて、残念で悲しく思った。
そんな瑞穂に呆れることもなく、暢志は最後まで笑顔だった。
そして、「上手く話せなくて」と瑞穂に謝ったのだ。
(そんなことないよ。)
今ならちゃんと言葉にできる。
(辻浦くんの嬉しかったっていう気持ち、十分に伝わって来たよ。)
言葉からだけじゃない。
彼の表情や声の調子も、すべてが語っていた。
(そう言えば、あの声も好きなんだよね……。)
少し乾いた感じのテナーの声。
飾り気のない暢志の見た目ともマッチしている。
今までは気付かなかったけど……。
(そうだ!)
ふと思いついたことに、心臓がドキンと鳴った。
(今日ならメールを送っても大丈夫かも!)
いつもなら「でも、無理だよ」とブレーキがかかるけれど、今日はそんな声は聞こえない。
頭の中に湧いてくるのは、送ってもいい理由ばかり。
(助けてもらったし、あんまりお礼言えなかったし、それに……。)
暢志の言葉を思い浮かべる。
「うち男子校だし……。」と、間違いなく言った。
もちろん、一葉高校が男子校だということは知っている。
けれど、あのタイミングで口にされた意味はそれだけではないはずだ。
(そうだよね? 要するに、女子とはあんまり話したことがないってことだよね?)
うんうんと、一人でうなずく。
間違いなく暢志はそういう意味で言ったのだと思う。
(つまり、彼女とか、仲良くしてる女の子はいないってこと。それはつまり…あたしにも可能性があるってこと。)
“可能性” などと考えると、逆に一気に自信は無くなってしまう。
でも、とにかく普通の友達になることは構わないのであり、友達同士なら、メールのやり取りをしても構わないということだ。
(うん、そうだよ。)
もう一度、力を込めてうなずく。
すると今度は、自分のメールを受け取って驚く暢志の姿が脳裏に浮かんできた。
驚いて慌てている暢志は、想像上でもやっぱり可愛い。
(ふふ、何て書こう?)
思わず浮かんだ微笑みを、そっと傘をかしげて隠す。
さっきの余韻が残っているうちに……家に着いたらすぐに書こうと決めたら、瑞穂の足取りは自然と軽くなった。