届いた手紙 (1)
5月の夜。
同僚との気兼ねのない宴会のあと、健太郎がアパートに帰ると手紙が届いていた。
真っ白な封筒に角のきちんとした丁寧な文字。宛名は「近藤健太郎様」、差出人は「窪田奈々」。
差し出し人を見る前に、手紙の理由に心当たりがあってドキンとした。
すぐに封を切りたいけれど、読むのが怖い。
狭い部屋の座卓の前に胡坐をかいて呼吸を整えてから、ようやく決心して取り出した白い便せんには、宛名と同じように丁寧な文字が並んでいた。
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健ちゃんへ
いきなり手紙なんか来たから、きっとびっくりしてるよね? びっくりして、緊張して、真剣な顔をしている健ちゃんの様子が目に浮かびます。
メールも電話番号も知っているけれど、私の気持ちをきちんと伝えたくて、今回は手紙を書くことにしました。驚かせちゃってごめんなさい。
まずは、プロポーズ、ありがとう。
正直言って、とても驚きました。健ちゃんが私にそんなことを考えるとは、まったく思ってもみなかったんだもの。
高校生のときから、健ちゃんと私は口喧嘩ばっかりだったでしょう? 2年前に(もう2年なんだね。)再会してからも、昔ほどじゃないけれど、お互いにからかったり、当てこすりを言ったりしてばかりで。
言い合いになると私の方が強くて、健ちゃんは、「そんな性格じゃ、一生結婚できないな!」って何度も言ってたよね。「黙ってニコニコしてれば、モテるのにな…」なんて、わざとらしくため息ついたり。
それに、健ちゃんは惚れっぽくて、しょっちゅう憧れの女の子の話をしていたじゃない? 職場の人とか、お得意先の人とか。 (そういうことを黙っていられないところも昔と変わってないなって、懐かしく思っていました。) その人たちはたいてい素直で優しくて…、まあ要するに、私みたいに気が強いタイプではなかったでしょう? 高校生のときのことを思い出してみても分かります。吉野先輩とか、チア部の1年生とか、調理実習で絆創膏をくれた子とか。
だから本当に驚きました。この2年の間に何度も一緒に出かけてはいたけれど、それは、昔からのお友達だからだと思っていたから。
でもね、同時にとても感謝しています。心から、たくさん。言葉では言い尽くせないくらい。
プロポーズのお返事をその場でできなかったのは、驚いたせいでもあるけれど、私の気持ちを上手く伝えられないと思ったからです。だって私、健ちゃんに向かって真面目な話をしたことがないんだもの! 昔も今も、ふざけて、からかって、笑って…。頑張って伝えようと思っても、健ちゃんと顔を合わせたら、きっと憎まれ口をたたいてしまう。言わなくてもいいことは言えるのに、大事なことはちっともちゃんと言えなくて。しかも偉そうな態度でね。
だから、落ち着いて言葉を選ぼうと思って、こうやって書いています。性格がひねくれていて、ごめんね。
プロポーズしてくれたとき、健ちゃんは、本当の私をちゃんと分かってるって言ってくれたね。
本当の私…。
こんな言葉を使うと、いろいろなことを思い出します。誰かにポロポーズされる日が来るなんて考えられなかった日々のことも…。
2年前に健ちゃんと再会した日のことは、今でもはっきりと覚えています。あれは、私がここの祖父母の家に来てから2か月目のことでした。とてもお天気が良い日で、古びたうちのお店の中から外の方に目を向けると、逆光で、棚に並んだビンが一層黒く見えていました。
膝が痛いと言う祖母の代わりに、私が初めて店番をした日でした。祖父は店内の丸椅子でラジオを聞きながらお茶を飲んでいました。
田舎の昔ながらの酒屋にはお客さんなんか滅多に来なくて…、だから私は店番を引き受ける気になったのだけど、頭の後ろを通って行くラジオの音をぼんやりと意識しながら、レジカウンターの中にただ座っていたの。目の前に並ぶ日本酒や焼酎のビンのラベルをなんとなく読んでみたりして。
そこに入って来たのが健ちゃんでした。「こんちは!」って大きな声で元気良く。お客さんかと思って私が姿勢を正している間に、健ちゃんは祖父に「そろそろ夏ですねぇ。」ってあいさつをしてた。ビールの売れ行きの話を始めたからビール会社のセールスマンだと分かって、自分には関係ないやってホッとして、また力をぬいたところで健ちゃんがこっちを向いたの。健ちゃんは座っていたのが祖母ではなかったことに驚いて、開きかけた口を閉じて、私の顔をまじまじと見たよね、覚えてる? 私はそんなにじーっと見られたことに驚いたのと、なんとなく見覚えがあるような気がしたので、やっぱりじーっと見返して。
で、健ちゃんが、「セブンか?」って言ったの。
あのときの気持ちは、どう表したらいいのか分かりません。まるで健ちゃんの言葉が、私を現実に引き戻してくれたみたいだった。それまでの約一年、私の体はこの世界にあったけれど、心はどこかをさまよっているような状態だったから。
あの一瞬で急に視界がはっきりして、身体中の感覚が一つになったような気がしたの。そして、高校のころの景色や気持ちが一気によみがえって来て。
たぶん、「セブン」って呼ばれたことが、一番効果が大きかったのだと思います。でも変だよね。昔はそう呼ばれると腹を立てていたのに。あれは健ちゃんが私を馬鹿にするときの呼び方だったのに。それに健ちゃんだって、私を苗字で呼ぶことの方が多かったのに、あの瞬間に「セブン」が出てきたなんて、今になっても不思議です。
次の健ちゃんの言葉は「全然変わってないなあ。」でした。元気一杯の笑顔で。それを聞いて、私が笑っちゃったのを覚えてる?
健ちゃんは、私が懐かしくて笑っていると思ったようだけど、本当は違います。あのときの私を「変わってない」って思った、健ちゃんの記憶のいい加減さが可笑しかったのです。だって、あのころの私は、昔とは全然違っていたんだもの。ふっくらしていた頬はこけて、ボサボサの髪を無造作に束ねて、着ているものはヨレヨレで。高校生のころの元気一杯の私とは大違い。なのに!
あの一年前に彼氏が急な病気で亡くなって、食事や人付き合いができなくなっていて。仕事を辞めて、誰とも連絡を取らなくなって、家の中だけで暮らしてた。お洒落が好きだった私が、げっそり痩せて身だしなみにも気を使わなくなったのを両親が心配して、田舎の祖父母のところに行ったらどうかと言ったのがあの2か月前のこと。それに逆らう気力がなくてこっちに来たけれど、生活も気分も変わらなかった。あの日だって、お世話になっている祖母の頼みで仕方なくお店に出ただけだった。なのに「変わってない」なんて言うんだもの。そんな健ちゃんのいい加減さが懐かしくて、可笑しくて、笑ったのです。
あんなふうに笑ったのも一年ぶりでした。 “笑えるんだ” って自分でびっくりして、今度は泣きそうになってしまったけれど。
それにしても、同じような時期に健ちゃんがこちらに転勤して来ていたなんて、なんていう偶然でしょうね!
それからのことは…なんだか不思議です。あっという間だったという気もするし。
知り合いに会うことが嫌だったのに…、ここなら誰にも会わずに過ごせると思って来たのに、健ちゃんが仕事で立ち寄ってくれるのは全然嫌じゃありませんでした。
昔と同じようにお互いにくだらない言い合いをするのは、とても楽しかった。健ちゃんは気になってる女の子のことや、入っている草野球チームのことを話してくれて、私がそれに茶々を入れて健ちゃんを怒らせて。そのやりとりを、あとで一人になってから思い出したり、別な言葉を考えたりして楽しんでいたの。
それから、鏡に映る自分を点検するようになったりもしました。センスの悪い格好で健ちゃんに馬鹿にされたら悔しいって思って。おかしな対抗意識でしょう?
一緒に出かけた最初は、高校野球の試合だったよね。母校ではなくここの地区大会、しかも決勝でもない試合を見に行くと聞いたときの驚きを、今でも思い出します。渋る私に高校野球の素晴らしさを力説した健ちゃんのことも。
正直言って、楽しめるはずがないと思っていました。彼を亡くした私に、何かを楽しむことなんてできないと思っていたから。そんなことをしてはいけないと思っていたから。OKしたのは健ちゃんが一人で行くのはつまらないだろうと思って……、健ちゃんは淋しがり屋のところがあるから、慣れない土地で私を頼りたいんだと思ったからです。
でも、その一方でその日が来ることを、ちょっとだけ楽しみにしてもいたのです。服を選んだり、足りないメイク用品を買ったりしながら、「馬鹿にされたら嫌だもの」と心の中で言い訳をして。当日になって会ったとき、健ちゃんが驚いた顔をして「お前、化粧すると美人だな」って感心してくれたことが嬉しかったのに、それを隠して偉そうな態度をとったりしたの。
野球の試合のことは、よく覚えていません。でも、隣で楽しそうに応援したり、熱心に私に解説してくれている健ちゃんのことははっきりと覚えています。相変わらずおしゃべりだなあ、なんて思いながら、そんな健ちゃんがとてもまぶしくて、太陽の下が似合うと思いました。そして、友達だったんだから、高校のときに1回くらいは健ちゃんの試合を見に行けば良かったな、って。