震電復活
「震電に乗る気はあるか、シノブ?」
そう言ってエディに誘われたあの日から、丸一年。
プロジェクトは数々の障害を乗り越え、ついにこの日を迎えた。
駆動音を立て、ゆっくりと巻き上げられていくシャッタ。
差し込む朝日が、格納庫の中を照らしていく。
エディの愛機、F8Fベアキャット「Naughty Cat」の隣に、そいつはいた。
形式番号J7W1「震電」が、五十年の時を超えてその姿を現す。
未塗装の機体は、太陽光を照り返して銀色に輝く。
その最大の特徴たるノーズの先尾翼が、尾部を省いてコクピットのすぐ後ろにエンジンを配したコンパクトな機体形状と相まって、見る者にシャープな印象を与える。
オリジナルに用いられたハ43エンジンの入手は適わないため、かのスピットファイアにも搭載されたロールスロイス製グリフォンエンジンを搭載。その他電装部品も最新のものを使用し、原型機からの性能向上が図られている。そしてオリジナルとの最大の違いは、機体最後部の二重反転プロペラだ。これの採用により、大直径プロペラが離陸時に地面を叩きやすいという震電最大の欠点も解消された。
これらの変更は、当時の再現にこだわらずエアロバティックスやエアレース向けに一般販売を行うことでプロジェクトにかけられた資金を回収するというエディ・シニアの意向が反映された結果だ。同時に、飛行できない1/1もしくは1/6スケールモデルも発売される。プロジェクトは金に糸目を付けないが、必ずそれ以上に儲けを上げる。それこそが、シニアの最もすごいところだと忍は思う。
隣に立つエディと顔を見合わせる。
喜びに口元を緩め切っただらしない顔。
きっと、忍の顔も似たり寄ったりに違いない。
黙って二人で拳を打ち合わせ、あえてゆっくりと機体の側へ歩を進める。
「大戦機としてはベアキャットも小型だが、それ以上だな」
感心したような声を上げるエディ。
忍も黙ってうなずいて返す。全くの同感だった。
設計図で見て、頭では分かっていても、実物を目にするのとはやはり違う。
「尾部がないからな。プロペラがないから前方視界も良さそうだ」
機体が小型な分、相対的にエンジンが大きく見える。
こいつは速そうだと見る者に確信を与える、そんな機体だ。
「試作一号機であるこいつにはひとまずエアレース仕様のキャノピを付けてあるが、エアロバティックスモデルはより視界を広く取れるキャノピにするそうだ」
「いい機体だ……なあ、エディ、早速飛ばしてみないか?」
「もちろんだシノブ。何しろこいつはお前の機体なんだからな!」
「気に入ったか?」
不意に、背後から威厳溢れる声が投げかけられた。
いい大人が二人して飛行機を目の前にはしゃいでいたバツの悪さに急いで振り返ると、そこには車椅子にかけたエディ・シニアと、車椅子を押す黒髪の女性の姿があった。
「マコト! それにシニアじゃないか! どうしたんだ?」
両手を広げて二人へ歩み寄るエディ。それに対してシニアは皮肉気な笑みを浮かべてみせる。
「私はおまけか、ジュニア? 完成した機体を見にきたに決まっているだろう」
「ハイ、エディ。それに忍も」
ひらひらと手を振るマコト。
三十代前半、下手をすると二十代後半にも見えるその容姿だが、実際にはエディと同じく四十路に近いことを忍は知っている。ちなみに彼女はシニアの現在の伴侶でもある。シニアは今年で御年85歳だから、驚異の四十五歳差である。第二次世界大戦のエースでありテストパイロットであった『少佐』の名は、あらゆる意味で伊達ではないのだ。
「シノブ」
「はい!」
ぎょろりとした目でにらまれ、思わず背筋が伸びる。
「飛ばして見せろ。お前の機体だ」
「……はい! ありがとうございます!」
震電の、初飛行だ。
一度奥に引っ込んで、手早く飛行服を身につけて戻る。
メカニックとしても一流であるエディの助けを借りて、手際よく離陸の準備を進める。
「エンジン起動!」
セルモータの助けを借りてプロペラが回りだし、すぐに回転を上げていく。
エンジンの吹き上がりは上々で、エディがチョークを外すと機体は軽やかに滑り出した。
格納庫の前にはエドワーズ家の私設滑走路が伸びている。
晴れた空に千切れ雲、風はわずかに向かい風。
初飛行にはもってこいの空。
ラダーを操作、滑走路に引かれた白線へ機首を合わせる。二重反転プロペラなのでトルクは互いに打ち消され、普段のようにラダーで当て舵してやる必要もないから、かえって拍子抜けしてしまうくらいに地上での操作は楽だった。
打てば響くような敏感な反応、そして驚くほどに素直な操縦性。
それだけで、この震電という機体が愛おしくなってくる。
滑走路脇に出てきていたエディ、エディ・シニア、マコトの三人へ、軽い敬礼を送る。
エディのフランクな敬礼、シニアの一部の隙もない敬礼、そして無邪気に手を振るマコト。
三者三様の見送り方に微笑を誘われつつ、キャノピを閉じた。
前を見据え、スロットルを徐々に押し上げる。
翼が空気を掴む。操縦桿を握る手に力を込める。
ふわりと浮いた機体は、真っ直ぐに空へと駆け上っていった。
どこまでも軽やかに、高く、速く。
「……乗らせろ!」
地上へ戻った忍を迎えたエディの、第一声がそれだった。
「エディ……聞いてくれ」
「何だシノブ。ああ、早くそこをどくんだ!」
「おい、こいつは最高の機体だぞ!」
「知ってる! 見てたよ、地べたからな! くそ、気持ちよさそうに飛びやがって!」
「あはは!」
心の底から笑う。
とにかく、いい機体だ。
それ以外の感想が見当たらない。
「全く、いい歳をしてはしゃぎおって……」
嘆息するシニアだが、その口の端にはかすかな笑みが浮かんでいる。
軍のテストパイロットとして、そして大戦機復元プロジェクトのスポンサーとして数々の機体を世に送り出してきた彼のことだ。この震電の出来上がりを見て満足すると同時に、しかし自らはもう操縦できないことへのかすかな嫉妬を感じているに違いなかった。
そう思うと、居ても立っても居られなくなる。
身体を締め付けるハーネスを手早く外し、機体を降りた。
シニアの車椅子の前で片膝をつき、その手を両手で握る。
「ありがとう、シニア。この機体を甦らせてくれたことに、僕は日本人として、そして一人のパイロットして貴方に感謝と賛辞を捧げたい。僕をこの機体に乗らせてくれて、本当にありがとう」
目を丸くするシニア。
珍しいものを見た。そう思った瞬間には、手を振り払われていた。
自分で車椅子の方向を変え、顔をそらされてしまう。
「全く、どっちが子供なんだか……」
エディの嘆息。そちらを見なくても、彼が両の手のひらを天に向けたポーズを取っているだろうと分かる。
それだからこそ。
「……お前にふさわしい機体になった。存分に乗りこなせ」
忍とマコトにしか聞こえないだろう小さな声で呟かれた言葉が、何よりも嬉しかった。
万感の思いを込めて、忍もそれに応える。
「……はい!」




