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Last day

 リノ・エアレース最終日、アンリミテッド・ゴールドレース。


 何日目のアンリミテッドルール・ゴールドクラスという形で呼ばれるそれまでのレースとは異なり、単に『ゴールドレース』とだけ呼ぶ場合は最終日のゴールドクラスを指すのが通例とされる。また、ゴールドクラスから順に行われるそれまでのレースとは違い、最終日に限ってはブロンズから始まりシルバー、ゴールドの順番で行われる。

 合間には軍用機によるド派手なパフォーマンスや民間エアロバティックスチームの演技も行われて会場は徐々に盛り上がり、、最後はメインイベントたるアンリミテッド・ゴールドレースで幕を閉じる。これが、リノ・エアレースの伝統だ。


 忍は、愛機震電の側で、一人出番を待っていた。

 さすがに、のんきに出歩く気にはなれなかったからだ。

 昨日のことがあったのでチームテントでマコトと鉢合わせすることを恐れていたが、彼女はその日一度も姿を現さなかった。そのことに、少しだけほっとする。

 今ごろ、シニア共々レーナのチームを救うために動いているのかも知れない。

 それを思うと心がわずかに波立つのを感じるが、あえてそれを切り捨てる。

 考えても、いま忍にできることはなにもない。

 強いて言えば、本来ならばこの場に立つべきであったレーナの代わりに飛ぶこと。

 情けない飛行をしたら、それこそ彼女に合わせる顔がないではないか。


 だから、テントの入り口にかけられた布をくぐって姿を現した彼女を見て、頭が真っ白になった。無造作にまとめた金色の髪、そして溌剌とした生気を湛える碧の瞳。見間違えようもない。

 レーナ。

 チーム存亡の危地に立たされている彼女が、なぜ。

 とっさに声をかけられなかった忍の代わりに、入り口近くにいた整備士が彼女に対応する。

「ん? あんたイギリスチームの? うちに何か用かい?」

「レース前の大事な時に申し訳ありません。ですが、一言だけお礼が言いたくて……シノブはここにいらっしゃるのかしら?」

「ああ、いるが……」

 整備士がこちらをちらりと見る。

 その視線を追ったレーナが、忍に気付いてぱっと顔を輝かせる。

 ようやく片手を上げて応えはしたが、しかしなぜ彼女がここにきたのか分からない。

 だが混乱する忍をよそに、つかつかと歩み寄ってきたレーナは忍の手を両手でぎゅっと握る。

 そして、わずかに潤んだ目で忍の顔をじっと見つめてくる。

「シノブ。マコトから話は聞いたわ。ありがとう、私のために……」

「え、えっと? 話が掴めないんだけど……」

 忍がそう言うと、レーナははっとした様子で周囲に目をやる。

「こんなところでする話でもないわね。レースが終わった後にお会いできるかしら?」

「いや、今からでいいよ。少し外を歩こうか」

「ええ、いいわ」

 立ち上がってテントの入口へ向かうと、整備士連中が口笛を吹いて囃し立てる。

 うるさいなもう。


 外に出ると、気持ちのいい乾いた風が髪を撫でていく。

 晴れ上がった空の下、意識して深く呼吸をすると、肩の力が抜けていくのが分かる。

 頭では緊張していないつもりでも、やはり身体には力が入っていたようだ。

「それで、話って?」

「マコトから話を聞いて……それで、一言お礼を言いたかったの」

「…………?」

 言葉に詰まる、とはこういうことを言うのだろう。

 レーナが何に対して感謝しているのか、本気で分からなかった。

 しかしレーナはその沈黙をどう取ったのか、そのまま言葉を継ぐ。

「シノブはマコトに、私はライトニングフライヤに拾われることをよしとしないだろう、って言ってくれたんでしょう? ……うん、その通りよ。私は私のチームを大事に思ってるし、彼らとでなければ飛べないって思ってる。……けどね?」

 黙ってうなずいて、先を促す。

「チームの皆にも、生活がある。私みたいに、親の遺産で食べていける人ばかりじゃない。その人たちのために、私はすぐにでもあの子を修理して、また空へ帰してあげないといけない。……でも全てを自力でやろうとしたら、おそらくあの子の修理には一年以上の時間がかかってしまう。それじゃ遅い。その間にチームはバラバラになってしまう。……私は、チームの伝統以上に、仲間たちのことが好きなの。彼らに、一年も待ってなんて、とてもじゃないけど言えない」

 独白のようなレーナの言葉。

 彼女は、最後にこう付け加える。

「……だから。私はエディ・シニアのお話を受けることに決めたの」

「じゃあ、君のチームは」

「ライトニングフライヤの傘下に入る」

 決然とした口調に、レーナの意志の固さが表れていた。

「…………」

 何と言うべきか、少し迷う。

 確かに、それで『R.S.S』の名前は残ることになる。

 ヨーロッパでは『ライトニングフライヤ』よりも『R.S.S』の方が有名だから、シニアは宣伝効果を見越して名前をそのまま残すはずだ。しかし、そのことにより、『R.S.S』は「彼女の」チームではなくなる。これまでと違い、窮屈な思いをすることも増えるはずだった。

「だから」

 忍が黙っていると、レーナが切り出す。

「だからこそ、貴方の言葉が嬉しかったの」

「え?」

「マコトが、貴方の言葉を伝えてくれた。それはまるで私自身の言葉であるように、私の気持ちと一致していた。……それでね? その上でマコトはこう言ってくれた。『それでも貴方たちを助けたい、手を差し伸べられる友達が側にいるのなら、それが自分のエゴであっても助けたいの』って」

「…………」

 それは、いかにもマコトらしいセリフだった。

 いつまで経っても彼女は変わらない。

 シニアのこともそう。

 エアロバティックスのスターから一転、自らの操縦する飛行機の事故でパイロット生命を絶たれ、配偶者の命をも奪って一人生き残ってしまったシニア。罪の意識に苛まれ、酒に溺れる彼から、人も物も金も、全てが離れていった。そんな中、黙って寄り添い続けた彼女――彼自身は金だけの繋がりと思っていた日本人の女性――の存在だけが救いとなったのだろうことは想像がつく。

 情に厚く、危なっかしい、正義感の強い子供。

 マコトの本質はそこにある。

 そして、そんな彼女とレーナは、どこか似ている。

 自分を犠牲にしてでも、周りの人間を思いやり、助けの手を伸べる。

 彼女たちがそういう人間だからこそ、周りの人間も彼女たちを放っては置かない。

 ちっぽけな自分を守るのに汲々とする忍とは、人としての在り様が根底から違うのだ。

 そんな思いが、忍に投げやりな言葉を吐き出させる。

「なら、感謝すべきはマコトとシニアに対してだろう? ……僕はただ、身内が厄介ごとに巻き込まれるのを嫌って言葉を弄しただけだ」

 半ば拗ねたような忍の言葉に、レーナは何を思うだろうか?

 そう考えると、彼女の顔を見ていられなくなり、思わず顔をそむけてしまう。


「……それは違うのではないかしら?」

 だから、一瞬の間を置いて発されたレーナの言葉は、忍にとって意外なものだった。

「……何が違うって? 僕が言ったのは、言い換えれば君たちを見捨てろってことだ。単なる保身以外のものはそこにはないよ」

 それを聞いたレーナは、今度こそ非難する調子を帯びた声音で叫んだ。

「いいえ、違うわ!」

「だから、何が!」

 つられてこちらも叫び返す。

 折よく飛び立っていった旅客機の轟音が声を打ち消してくれたのは幸いだった。

「違うわ。……だって、一つのチームを丸ごと救うって、並大抵のことではないもの」

「……そうだ。シニアにはできても、僕にはできない。だから僕は……」

 言いかけた言葉は、被せるようなレーナの叫びに遮られる。

「だからよ! それを個人の責任で全部負おうとするマコトを、家族である貴方が心配するのは当たり前のことでしょう! それを、その肉親を想う気持ちを、保身だなんて言わないで! それじゃ、マコトも貴方も可哀想でしょう……?」

 瞳を潤ませ、うつむくレーナ。

 その姿を見て、何も言えなくなる。

 長いようで短い、おそらくは数秒に満たない時間。

 毅然とした表情で顔を上げるレーナの目尻には、光るものがあったような気がした。


「そんな貴方だからこそ、私はお礼を言いたかった。貴方とマコト、二人の言葉があったからこそ、私はエディ・シニアの提案を受け入れることができたと思うから。そうでなかったから、きっと頭では正しいと分かっていても反発してしまっていたはず。……だから、ありがとう。それだけ言いたかったの」

 それだけ言うと、レーナはその整ったかんばせに清冽な笑みを浮かべる。

 彼女は美しい。

 場違いにも、そんな感想しか抱けない自分が恨めしかった。

 そして、なぜか救われた気分になっている自分に気付く。

 その想いが、自然と忍の口を開かせていた。

「ごめん。それと……僕の方こそ、ありがとう。今日、君と逢えてよかった」

「……私の方こそ、ごめんなさい。……それと、こんなときに何だけど、そろそろレースの時間じゃないかしら?」

 レーナの言葉にはっとして腕時計を見ると、確かにそれほど余裕のある時間ではなかった。

 ぱっと後ろを振り返ると、遠目からやきもきしたような様子でこちらを見やるおやっさんの姿も見える。

「応援してる。頑張って、シノブ!」

「ありがとう。行ってくる!」

 感謝を込めて軽い敬礼を送り、そのまま愛機の待つテントへと走り出す。

 大会のクライマックス、アンリミテッド・ゴールドレース。

 ただ悔いのない飛行。一点の曇りもない飛行を。

 それだけを胸に、それだけを望み。

 どうしようもなく抱いてしまった恋心に、今この時だけは背を向けた。

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