8.獣道にて
聞き返すと、フランは当り前だという顔をする。
初めて見た巨大な生物と、いきなり一人で戦えだなんてそんな無茶な。
「今、一匹しかいないでしょ? 何匹もいたらツバキだけって訳にはいかないけど、一対一の内に練習しておいた方が良いと思うよ」
「危なくなったら勿論俺が行くから、心配すんな」
ロルが頼もしげに笑って肩を叩いてくれる。
そうか、考え方を変えれば最初の相手が一匹なのは幸運な方か。しかも、相手は食事中。場所は斜面ではなく平らになっているし。
紅炎刀もしっかり携えている。
「分かりました。初戦、勝ってきます」
「おう」
静かに相手に歩み寄って行きながら、刀を鞘から引き抜いた。
刃は木漏れ日を受けて鋭く光り、刀自体に戦う意志があるかの様に、熱を帯びて炎をちらつかせている。この前の様に一気に炎を噴き出したりはしないが、まだ私が使いこなせている訳ではない。
試されているかの様だ。私がまともに戦えるのかどうかを。
リスだってそんな呑気に食事をしている訳ではない。
私が刀を抜くと同時に、こちらを向いて警戒する姿勢をとった。愛くるしい顔つきだが、明確な敵意が感じ取れる。
「お願いします」
立礼。リスを相手に、浅い礼をして向き合う。この際、礼儀がどうとかは関係ないのは分かっているが、緊張を解く為に違う事をしたい衝動に駆られたのが理由だ。
一礼されてリスも面食らった様だが、私はそこへ斬りかかる。可愛くても、仕事だから。
柄を強く握って振り上げ、真正面から振り下ろす。リスは見た目以上に俊敏に横跳びで避けた。落ち葉を大量に燃やしてしまう。
「うわっ、山火事になったらどうしよう……っと」
リスが頭からの体当たりで挑んできた。私も軽いステップで後ろに後退する。
リスは続けざまに体当たりを繰り出してくる。というか、それ以外に攻撃パターンを持たない様だ。だが当ったらひとたまりもないのは分かる。狙うのは、体当たりの後の方向転換時に生まれる隙。
走り回るリスの胴体を斬りつけてもみるが、毛が少し舞うだけで一向にダメージを与えられない。
狙っていたタイミングが来た。方向転換をする時に、一気に間合いを詰める。
刀を振り上げた。その先は、リスの眉間の辺りだと思う。真っ直ぐに、相手に防御の暇を与える事なく、を目標に斬りかかる。
『これが決まるかどうかが勝負の分かれ目かしら。なかなかどうして、いい太刀筋ね』
「?」
一瞬、脳内に声が響いた。
ロルでもフランでもない、凛とした大人の女性の声。それでいて、少し勝気な印象の。
誰だ? 刀を振り下ろすほんの刹那の間に、そんな疑問が溢れる。誰かが私に話しかけるにしても、どこから声が聞こえているのだ。戦闘の内に、私にはそんな事を考える余裕があったのだ。
『一撃必殺が肝心なのよ』
「え?」
急激に刀の温度が上昇し、視界が炎に包まれる。このままだと自分が焼かれるという恐怖感があったが、その炎は私を避ける様にして広がっていった。
右も左も分からなくなったが、刃に何かが当たる確かな感覚を得た。力を込めると、斬り裂いていくという行為がいとも簡単に成功した。力を入れ過ぎた事で、刃先は地面へと食い込む。
火炎の渦が、消えた。冷たい風が肌を冷やした時、どこか不確かだった意識が冷める。
「あれ……?」
至近距離で、巨体が倒れ込む轟音を聞いた。
見上げると、途方もない火力で焼き尽くされた黒い塊があるだけ。中心が縦に割られているのは、私が斬ったからで。焼けているのは、紅炎刀の火炎の力で。
リスを一匹退治したのは、私か? 戦闘中は無我夢中で、体だけが勝手に動いている様なものだったのだが。
『殆ど私の手柄ではあるんだけどねぇ。鼠一匹くらい、どうでもいいわ。最初くらい、持ち主に花を持たせてあげようじゃないの』
「持ち主?」
思わず、喋っているこの人物を探す。だが、どこにも私達以外の人物はいない。
ロルが呆気にとられた表情で、フランが嬉しそうな表情で、私を見ているだけだ。
「……えっと、終わりました」
* * *
ロルは、いつでも加勢出来る様にして見守っていたのだ。最初にお辞儀をした時など、あの大きさに怯えて、降伏したいという意味かと思った。
先入観があった。相手がリスといえど、最初からツバキの様な少女が、敵を倒す事など出来ない。まさか一刀両断して更に黒焦げ焼き尽くすなど、出来る筈がないと。
ツバキは、予想以上の活躍を見せつけた。いや、想像を絶する。敵の行動パターンを読み、攻撃できる隙を的確について、一撃で仕留めた。余裕のある表情で、呼吸は一切乱れずに。
火炎がリスを覆って渦巻いた時、辺りに非常に強い熱波が届いた。強烈な魔力、これは紅炎刀の威力なのだろうが。
「ツバキ……マジか、予想以上どころじゃねぇぞ」
驚きと共に、抑えられない興奮と期待感が湧き上がる。
ツバキが本気で剣術を学び経験を重ねれば、すぐにA級にランクが上がるだろう。S級だって夢じゃないのだ。
天才剣士の逸材あらわる、かも知れない。
フランが隣で、嬉しそうに笑みを浮かべて呟く。
「ツバキは強いんだね、やっぱり。でも、あの紅炎刀の方が……」