11.逃走中にて
柔らかい緑の光が漏れる。その魔力が、私の体の奥まで沁み渡る様に広がっていくのと同時に、疲労感はふわりと消え失せていく。治癒魔法には、フランはとても長けている様だ。
魔法が消えると、体のどこにもさっきの様な気だるさがない。この斜面を走って下りていっても良い程、体力も回復していた。
「凄い……とても、楽になりました。ありがとうございます、フラン」
「どういたしまして。エルフ族はね、戦闘魔法より、治癒や補助の魔法の方が不思議と得意なんだよ」
誇らしげにフランは、自分の耳を見せる。エルフの血の証。
美しい容姿と長い耳、人より長く生きる。魔法と弓に長けている。エルフの特徴といえば、こんな感じだったか。フランに弓が使えるとは思ってないけれど。
「フランは、何歳なんですか?」
「あ、それ俺も聞いてなかったな。お前何歳だ?」
ちょっと湧いた疑問を、そのまま口に出してみただけだ。
百歳とか二百歳とか途方もない事を言われても、別にそんなに驚かない。百年も生きてその精神年齢なのかとは言いたくなるとは思うが。
フランは、何だ言ってなかったっけと、その謎に包まれていた実年齢を明かした。
「四十二歳だよ」
「……」
ロルと顔を見合わせて、沈黙する。
その返答に対する心の準備は、していなかった。
* * *
今度は、元気のあり余るフランを先頭に道を下りていく。
やはり、女性の年齢なんて聞かなかった方が良かった。いやに妙齢というか、無邪気に木の根を渡っていくその姿を素直に可愛らしいと感じる事が出来なくなった。
早々に忘れたいが、困った事にしっかりと脳に刻み込まれてしまった。ロルも同じような心境なのか、微妙な表情を浮かべている。
「……まぁ、エルフだったらまだまだ子供の年だよな。人間の倍は普通に生きるんだからな」
「そうですよね。見た目通り子供ですよね、子供でいいんですよね」
獣を斬った事より引き摺りそうだ。これからはうっかりこんな質問はしない様にしよう。
ともあれ、村に帰って村長さんに報告すれば仕事は終わりだ。その後は宿で寝るのもいいし、ちょっと風景を見に散歩するのでも良い。
そんな事を考えていた時、フランが急に立ち止まった。険しい眼差しで、遠くの木の影を見つめている。
私もロルも、フランの真剣な視線の先を辿る。
「……静かに。音を立てないで、速く、出来るだけ遠くまで逃げよう」
怯えているような響きのある言葉。私達がフランの横に立つと、ようやく、私達は今危ない状況に置かれているという事を認識した。
遠くに見えるのは、巨大な影。頑強な分厚い鱗が鈍く光を照り返している。太い四肢もさることながら、一番目を引いたのは、背中から大きく広がる二枚の翼。時々小さく揺らいでは、周囲に小さな風を巻き起こしている。
肌がピリピリと痛む。それは威圧感の所為なのか、あいつが吐く息の所為なのか。
「クエレブレ」
「え、それって……竜……」
吐く息に毒の混じる竜。想像上の生物だと思っていた、一線を画すその迫力ある姿があった。
息が詰まる様な恐怖感。私達は今、命の危機に晒されているという事だ。
「逃げるぞ、ツバキ!」
「はい」
この距離があってもロルは声を潜める。フランを小脇に抱きかかえ、出来る限りの速度で走っていく。迅速にあの竜からの距離をとり、早く村へ帰る事だけを念頭において。
私も遅れずにロルと共に走っていく。跳ねた石がぶつかっても、気にしている余裕はない。
あのクエレブレがこちらに気付いていない事が救いだ。
「ロル、この山にクエレブレっているものなんですか?」
「普通いねぇ! どういう事かなんて俺にも分かんねぇよ!」
「村には知らせた方が良いんでしょうか?」
「あぁ、早くな!」
遠ざかっていくその竜の姿。こんな辺境の山で、こんなに人の村に近い所にいる魔物としては、違和感があり過ぎる。見るからに肉食という印象を受ける。スモルトの村を見つけたら、村人を捕食してしまうんじゃないだろうか。
か細い怯えた声が言う。
「クエレブレ……見てる!」
「っ!」
背筋を電光の様に冷たい物が走り抜けた。恐怖はあるが、状況を確認せずにはいられず、振り向いた。
紫に変色した双眸。遠くからでもその鋭さが分かる。そして、こちらの方を見ているのだ。
大きな両の翼が力強くはためく。周りの小さな屑を巻き上げて。
「こっちに飛んでくるんじゃないですか!」
「クソッ、逃げ場なんてもうねぇよ!」
自暴自棄になったのかロルが叫ぶ。
背後から吹き付ける暴風に飛ばされるように、足元の木の根で足がもつれ、当然のように前に転げる。石の転がる土の顔から倒れ込み、打撲や擦り傷が増える。
ロルとフランも、前方で同じ様に倒れていた。咄嗟にフランを庇い、ロルが覆い被さる。
クエレブレの怒号が響き、頭上を飛び去っていく。その風圧で、私達はまた地面からすくい上げられ、下の地面へ打ち付けられる。
(初仕事……だったのに)
大きな石に頭がぶつかり、鈍痛と共に意識が薄れる。
背中に焼けつくような痛み。
手足が、酷く痺れていた。




