弐
藤崎小太郎。
清水吉野。
――黄金。まさしく彼の色はソレだった。
「―吉野…!お前っ!!」
小太郎の伸ばした手の前を黄金の風が横切り、そこには吉野が立っていた。
「獣人類だったのか…!」
凛とした金色の毛並みをした耳と尾、そして翡翠色に輝く瞳がそれを物語っていた。
「…いや、俺は完全じゃない。人に近い獣人類、半クリーチだ。」
「…半、クリーチ…」
半クリーチ。本当の名を四分。もともと獣と人の間の獣人類が人間と獣人類、獣と獣人類、その二通りで子を成したとき、子はそう呼ばれる。
人間とならば子は獣、半、人と呼ばれる獣人類特有の姿の〔獣〕をなくし、獣とならば〔人〕をなくすこととなる。
「その黄金の毛、耳と尾。…三狼の金狼だな。」
吉野は軽く頷くと、鋭い視線に変えて小太郎を見る。
「お前に、殺しは似合わない。…どうしてもっていうならこんな奴でも俺が守る。…なあ、黒狐さん。」
「…やっぱり、バレていたか…」
ふふ、と優しく笑い、小太郎は重苦しい空気を取り払った。
「別に、殺す気はないさ」
何事もなかったかのように笑うが、吉野にはそれが嘘だと分かった。
「……悪い、騙すのが下手な狐だな。…大丈夫、もう馬鹿な気は起こさない。」
自虐的に笑う小太郎は嘘を止めた。
「…そうか。ならいいんだ。」
吉野も小太郎に笑みを返し、人の姿に戻った。
「ところでこのオッサンどうするんだ?今見たらのびてるみたいだけど…」
「大丈夫だ。すぐ戻せる。小生の部屋に運んでくれないか?」
吉野は小太郎の言葉に従い、男を小太郎の部屋に運んだ。
「完全にのびてるけどどうするんだ?」
小太郎は男を床に寝かせ、にっこりと笑う。
「簡単だ。寝ている男をどう起こすか考えてみろ」
「は?」
そう云うと小太郎は男の顔の両側に手を着き自らの顔を近づける。
「…えっ!お、おい…なにして…!」
吉野は小太郎の行動に慌て、顔を手で覆うと指の間だから少し目を出す。
「寝ている男を起こすにはこれしかないだろ…」
小太郎は男に顔をぐっと近づけ───思いっきり仰け反ると勢いよく頭突きをした。
「…え」
「…ぐっ!」
「おぉ、起きたようだな」
小太郎は嬉しそうにそう云うと男にたずねる。
「お前、受け身をとれるか?」
「…え?は?」
完全に混乱している男と吉野を無視して小太郎はもう一度たずねた。
「お前、受け身をとれるな?とれるだろう?…よし!」
頷いてさえいない男と勝手に会話を進め小太郎は男の襟首を掴み立ち上がると、窓から放り投げた。
「え?…えぇぇぇええ!?」
吉野と男の声が重なり男はどしゃりと音を立てて落ちた。
「ここはそんなに高くないし、大丈夫だろう」
自信満々に微笑む小太郎に吉野はさっきより恐怖を覚えた。
「そうか、じゃあ吉野は普通の人間の生活を送っているんだな」
吉野の生活を耳にした小太郎は心から安堵したように云う。
「俺のことは大丈夫だ。でも藤崎、お前は危ないだぞ。…黒狐の噂はすでに東京まできてる。もし明後日までに捕まればすぐさま売られるぞ」
黒狐。それはレアクリーチである三狐の一種。
「大丈夫だ。小生はそんな簡単に捕まったりしない。」
あまり気にしていない物云いに吉野は少しむっとするが先ほど小太郎が人間の姿のままで拳銃を消したことを思い出し、それはあながち間違いでないことを悟る。
「かなり妖術に自信があるみてぇだな」
獣人類のなかでも狐や狸、猫などは妖術を使える者もいる。
「あぁ。…」
小太郎の返事の後に少し不思議な間があったことを吉野は逃さない。
「まだなんか隠してんな?」
ぐいっと吉野が詰め寄ると小太郎は一瞬の躊躇いの後にため息をついた。
「いや、悪い。これを云うとさらに心配されそうな気がして…別に、隠そうと思った訳じゃなくて…」
「言い訳はいいから早く云えよ」
低く凄まれて肩を掴まれると小太郎は小さくなり目を逸らして云った。
「小生は…レアクリーチである三狐の黒狐なのと同時に、……九尾なんだ。」
とたんに吉野がわなわなと震えるのが小太郎に伝わる。
「あ、え、吉野…大丈夫か?」
小太郎のその言葉をきっかけに吉野が爆発した。
「馬鹿かお前は!レアクリーチの黒狐のうえに九尾だと!?しかも元来雌の多い黒狐の雄だと!?よくクリーチは売られやすいって分かってて東京なんて都会に来たな!馬鹿かお前は!」
「だ、だから云いたくなかったのに…」
「うるさい黙れ!そこに直れ藤崎!」
そして小太郎は予想通りに正座させられ小一時間年下の青年に説教をされるはめになった。
「……って事だ。分かったか?」
「うぅ、吉野が小姑くさいのは身に染みた…」
強烈な説教に目を回し気味な小太郎がそう答えると、吉野はしかたないな、というように息をついた。
「ま、俺が云いたいことはこんだけだ。」
吉野はその言葉通り、それ以上何か云うつもりはなかった。何故ならそれは小太郎自身が一番よく分かっているからだ。
獣人類は酷い扱いをされることを知っていて、自らは特に危ないと分かっていて、それでも東京まで来たのにはなにか強い意志があるからだろう。
「藤崎、お前はこれからどうするんだ?宿を転々とするつもりか?」
「んー。できれば、宿代をあんまりかけたくないから住み込みとかで働きたいと思うな。…そうだ吉野!お前、色々なところで働いたんだろう?良い所はないのか?」
「良い所…」
吉野は短く考えるとひとつの店が浮かんだ。
「あぁ、ぴったりなとこがあるぞ!」
吉野は何か含みきった笑みを浮かべ、小太郎に明日約束を取り付けると上機嫌に部屋を出て行った。
一方小太郎は困ったように一度眉をひそめると心の中で諦めがついたのか、ため息をついて就寝準備を始めた。
「こ、これは…!」
笑顔の吉野を横に小太郎の着物がずれる。
「あぁ、ここが俺の家兼仕事場の吉野家だ」
吉野が嬉しそうに指した。その指の先には、極々普通の一般民家があり、むしろ少し汚いぐらいだった。
「ここなら住み込みで働けるし、一階を貸しきりだ」
とにかく嬉しそうな吉野に小太郎は抵抗する気をなくし、逃げ道を探し始めた。
「………給料。給料は一月どのくらいなんだ…」
これであまりに低かったらやめよう。そう小太郎は思っていた。
「そうだな…じゃあ、八円とか?」
「そうか、八円…。…は、八円!?」
八円、それはかなりの良い値段だ。これはやらない訳はない。
「ほ、本当に!?その値段で良いのか!」
「もちろん。」
吉野の即答に小太郎は目を輝かせた。
「やる!雇ってくれるか?」
「もちろん!…ただ…」
「ただ?」
小太郎は吉野の語尾を復唱し、聞き返した。
「しっかり家賃も払ってもらうけどな」
小太郎は八円あれば家賃などすぐ払えると思いそれを了承した。
「ありがとう吉野!…で、家賃は幾らなんだ?」
東京に来てこんなにすぐ宿が見つかり、頼もしい友人もできて小太郎の心は明るくなっていた。
そして小太郎のその問いに吉野はにっこりとして答えた。
「家賃は、八円だ」
とたんに小太郎の顔から笑顔が消える。
「は、八円…じゃあ…小生は一銭も…」
「そうゆうことになるな。まぁ、いいじゃねぇか実質家賃は無料なんだし」
吉野は勝手に話を進めながら家に入っていく。
「大体、昨日の旅館勤めだって一月ぶりの仕事だったんだぜ?」
「…そうなのか…」
小太郎はこの際ただで宿に泊まれると思い、諦めることにした。
「うぅ、仕事は別に決めないと…って、う、うわぁ…」
小太郎は目の前のあまりの汚さに声をあげる。
何処かで買ったお団子の箱、脱ぎ散らかした着物に新聞の山。何処に足を置けば良いのかわからないくらい床も散らかっている。しかし、吉野は気にせず足で屑を端に寄せながら進んでいく。
「適当に座っ…藤崎?」
下を向いて立っている小太郎に気付き吉野は声をかける。すると小太郎が吹っ切れた笑いを浮かべて顔をあげた。
「宿の提供のお礼に…小生が部屋を掃除してやろう。」
「え…あ、藤崎!?」
吉野が制止するのより一歩早く小太郎が行動に移った。
素早く着物を集めると吉野に投げつけ、床に散らばっている屑はどこかに埋もれていた箒で掃き出していき吉野の家は微かに部屋の形を現し始めた。
小太郎がさらに敷きっぱなしの布団をあげると下から数枚紙が出てきた。
「んん?この紙は…」
小太郎が紙を拾い上げようとすると、着物を洗っていた吉野が凄い早さでとんできて紙を全て抱える。
「や、や、この辺は俺が自分でやるから藤崎は別のとこをやってくれ」
吉野は焦りを体現しながら顔をひくつかせ笑っている。
「吉野は気にせず洗濯をやっていてくれ。…あ、吉野一枚残って…、!」
「あ…」
ぺらりと小太郎が紙を拾うとその紙は浮世絵だった。ただしそれはただの浮世絵ではなく女性の淫らな姿がかかれている成人向けのものであった。
「…吉野…これは…」
「違っ、これは人にもらったのであって…!」
「吉野!!」
「はい!」
言い訳を並べる吉野に小太郎は業を煮やし、低く声をあげたので思わず吉野は返事をする。
「この浮世絵は…幾らだったのだ…?」
小太郎は形のよい眉をシワを寄せてつり上げ笑っていて背景は般若のようなものがどろりと浮かび上がっていた。
吉野は背筋に冷たい風を感じて抵抗や言い訳、嘘がなにも浮かばなくなってしまった。
「この絵の横にある名前には小生でも見覚えがあるが?」
「う…、さ、三円です…」
他の絵を抱き抱える吉野に一枚の浮世絵を掴んだ小太郎が詰め寄る。
「一枚でか?」
変わらぬ笑顔のまま小太郎が浮世絵を握り潰す。
「うわあっ、ごめんなさい一枚三円ですごめんなさい総額三十円です。……あああごめんなさい」
吉野が答えている途中で小太郎がさらに笑顔になったので吉野は恐怖に半泣きになりそうになる。
「で、吉野の月収は?」
「…多くて九円。」
小太郎の笑顔にぴしりと亀裂が走る。吉野はそれを感じ取ったのか、涙を浮かべながら自らもやんわりと笑顔になり云った。
「売ってきます。」
こうして小太郎の下宿先と吉野は仕事探しにかり出される日々が決定した。
──東京のどこか
少年がいた。
少年の髪は黒く、少し華奢であった。
少年が肩を落とすとはらりと着物がはだけて首筋が露になる。
あざ、漆黒に似た色をしているあざが少年の首筋に花の形をして咲いていた。しかしその花は右上の花弁から数枚欠けている。まるで時計が残り時間を表すように。
「残りの花弁は…」
彼は花に指を添わせながら呟いた。
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