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痛みを喰らうことで、彼女は本当に定められた神になれるのか?  作者: 野間羊
長夜将明

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第七十一章

「婚約?そういえば、そんなものもあったな」


 王座の上の女が微かに手を上げる。その動作は、まるで蝿を追い払うかのように投げ遣りだ。


「私の子はまだ生きている。当然、婚約は依然として有効だ。出てきて自分の婚約者を見てごらん、エイロス。そんなに恥ずかしがるな」


 彼女は影の中の若者を手招きした。


 小さな王子が歩み出た。


 彼はまっすぐスタシスを見た——その目はとても平静で、まるで死んだ水のように平静だ。


「母さん、こちらがスタシスです」


 アイランサーがすぐに追従する。


「私の、神に選ばれた完璧な長女です。きっと小さな王子にふさわしいはずです」


「スタシス?」


 女の眉が上がった。


「かつて婚約から逃げた子だな?まったくわがままな子だ」


 彼女は一瞬間を置き、口元に遊び心のある笑みを浮かべる。


「だが今は分かったか——いつまでも逃げ切れると思うなよ?」


「いいえ」


 スタシスは彼女の視線を受け止める。


「逃げるのは役に立ちました。少なくとも私は、会ったこともない男と同じベッドで寝なくて済んだので」


 空気が一瞬、静まった。


 女は笑った。


 その笑みはとても軽いが、目の奥に笑みはない。


「ふっ、私にそんな口をきく子は、久しく見ていなかったな」


「Stassë!(スタシス!)」


 アイランサーがエルフ語で低く叱る。声は極めて低く抑えられている。


「Ú·, eth·. Latha, muinthel nín i·, eth·.(そんな無礼はやめなさい。代わりに私が話させてくれ)」


 スタシスは彼女を見ない。ただ王座に座るあの女を見つめている——あのアイランサーと同い年のように見える顔、あの何かが沈殿した目を。


 彼女もエルフ語で返した。


「Mal i·, eth·, naneth. I·, eth·, eth·, ú-farangathon le.(でもあなたはもう結婚させないと言ったはずです)」


「何を呟いている?」


 女の声が急に冷たくなる。


「アイランサー、私はお前に殿堂でこそこそ話すよう教えた覚えはないぞ」


 アイランサーの肩が縮み上がった。


「申し訳ありません、母さん」


 彼女は頭を下げ、声は再びあの慎重な追従に戻る。


「婚約が依然として有効なら、時期を選んで、直接流雲城で婚宴を開いていただけますか?」


「もちろん」


 女の顔色が和らいだ。


「以前はこの若者に逃げる機会を与えてしまったが、今回は直接ここで結婚式を挙げよう」


 彼女たちはこうして決めた。


 軽々しく、断固として。


 明日の食事の話をするかのように。二人の一生ではなく。


 スタシスは拳を握りしめた。


 いや。もう母の言うことは聞かない。


 彼女は口を開き、拒絶しようとした——


 その時、彼女は見た。


 小さな王子の目を。


 あの平静な死んだ水のような目が、この瞬間に変わった——瞳孔が円形から、突然逆三角形ぎゃくさんかくけいになり、またすぐに円形に戻った。


 ほんの一瞬だ。錯覚のように速い。


 しかしスタシスは捉えた。


 やはりおかしいと思った。


 この小さな王子は、本当に彼なのか?


 彼女はもう出かかっていた言葉を飲み込んだ。


「では明日にしましょう、母さん」


 スタシスは腰を折り、背後で乱れた黒い翼をたたむ。


「そして尊い領主夫人、そして領主様も」


 アイランサーは呆けた。


 突然呼ばれた「母さん」という言葉、話す習慣に反する敬称、その服従の姿勢——これは彼女の知るスタシスではない。


「Ú·, eth·, Stassë.(小賢しい真似はやめなさい、スタシス)」


 アイランサーがエルフ語で低く警告する。一言一言が歯の間から絞り出されている。


「Manen i·, eth·?(一体何をしようとしている?)」


「I·, eth·, naneth.(あなたの言うことを聞くだけです、母さん)」


 スタシスの口元がわずかに歪む。その弧はあまりに軽く、ほとんど見えない。


「I·, eth· le.(この二日間、あなたを監視しているからな)」


「いいだろう」


 王座の女が満足げにうなずき、スタシスと小さな王子の間を一瞥する。


「どうやら子は考え直したようだ。それとも——婚約者の素顔を見て、心が動いたか?」


「両方です、母さん」


 スタシスは頭を下げる。その声はまるで別人のように従順だ。


「それに、あなたの言葉で、いくつかの道理が分かりました」


「ははは」


 女は笑った。今度は、その笑みにようやくいくらかの本物の愉悦が宿った。


「良いだろう。今すぐ改めることを覚えたか。ならば明日、明日に結婚式を挙げよう」


「母さんがそうおっしゃるなら……」


 傍らでずっと沈黙していた領主がようやく口を開いた。


 彼の声はとても軽く、ただの通り一遍の手続きのように。


「私も同意する」


 スタシスは顔を上げる。


「ただし、一つ条件があります」


 女の笑みが少し引っ込んだ。


「言ってみよ」


「あなたは必ず出兵すると約束しなければなりません。アイセロンを助けるために」


「やはりお前たちがここへ来た目的が婚約だけではないと分かっていたぞ」


 女は後ろにもたれかかり、指で軽く肘掛けを叩く。


「もちろん駄目だ。若い黒い小ネズミが手紙を届けに来たが、我々はもう断った」


「では、この婚約には同意できません」


「流雲城で……」


 女は手を上げる。


 ただ軽く合図するだけで。


 衛兵が四方から囲み上がる。


「私が実現できないことなどあるのか?」


 アイランサーが最初に捕まった。


 彼女の目は瞬時に涙で溢れ、体は風に揺れる木の葉のように震えている。しかし抵抗すらできない。


「婚約に同意しなさい」


 女の声は軽く漂う。


「そうすれば、お前の母親を見逃してやってもいい。同意しなければ——」


 彼女は一瞬間を置く。


「お前たち二人とも、エルフとしての権利を剥奪されることになる。あの黒い翼が惜しいがな」


 スタシスはアイランサーを見る。


 かつては高みにあったあの女が、今はまるで首を掴まれた鳥のように、叫ぶことすらできない。


 彼女は数秒間沈黙した。


「では、私の条件を二つの質問に替えてもいいですか?」


「ほう?」


「あなたは答えなくても構いません。利益には関係なく、ただ尋ねるだけです」


 女は少し考え、また手を振った。


 衛兵は攻撃態勢を収めた。


「言え」


「一つ目の質問です」


 スタシスは彼女をじっと見つめる。


「あなたはなぜ私の黒い翼をそれほど気にするのですか?」


「ん?」


 女は眉を上げる。


「アイランサーがお前に教えなかったのか?」


「私はこの翼を初めて出しました」


 女は一瞬間沈黙した。


 そして彼女は笑った。


 今度の笑みには、スタシスには読み取れない何かが加わっていた——懐かしさのようにも、残念さのようにも。


「黒い翼か……」


 彼女は一瞬間を置く。


「それは空のエルフの血脈の中で最も古い印だ。伝説では、神に直接見守られた子だけが、こんな翼を生やすとされる。全ての空のエルフが黒い翼を生やせるわけではない。生やせる者は、選ばれた者なのだ」


 彼女の視線はスタシスの翼に注がれ、長く留まる。


「お前は選ばれたのだ、スタシス。ただ、お前自身が知らなかっただけだ」


 スタシスは何も言わない。


 ただこの言葉を心の中に収めた。


「二つ目の質問です」


 彼女は顔を上げる。


「あなたはなぜ出兵したがらないのです?墓守などの言い訳は、ただ婉曲に断るためでしょう?」


 女の笑みが消えた。


「ノーコメントだ、子よ」


 彼女の声はあの投げ遣りで、断固とした口調に戻る。


「この質問には答えられない」


 スタシスは彼女を見、またあのずっと沈黙している領主を見、最後に隅でずっと静かに立っている小さな王子に視線を落とす。


「分かりました。婚約に同意します」


 ---


 衛兵が去った。


 アイランサーが解放された時、彼女はもう少しで床に崩れ落ちそうになった。


 彼女は壁に手を付き、大きく息をし、その目は生き残った後の茫然自失だ。


 スタシスは彼女を見ない。


 彼女は自分の部屋に連れて行かれた。


 部屋はとても広く、窓はちょうど流雲城の外の空に面している。


 雲が窓の外をゆっくりと流れる。まるで音のない川のように。


 スタシスは窓辺に立ち、足音が完全に消えるのを待った。


 そして彼女は扉を押し、廊下の影の中に滑り込んだ。


 衛兵の巡回経路は、来る途中で既に覚えていた。


 左に曲がり、右に曲がり、また左に曲がる。


 小さな王子の部屋は廊下の突き当たりにある。


 扉は半開きだ。


 スタシスは横向きに滑り込んだ。


 部屋の中はとても静かだ。


 ただ浴室の方から水音がするだけ。


 スタシスは暗がりに立ち、部屋の隅々に視線を走らせる。


「誰だ?」


 浴室の方から声が聞こえる。


 その声は少し低く、少し掠れている——成人男性のあるべき声だ。


 しかしスタシスは小さな王子が話すのを聞いたことがない。これが本当に彼の声なのか確信はない。


「私だ」


 スタシスは隠れない。


 浴室の扉が少し開いた。


「ここへ何しに来た?」


 また問いかけだ。


 しかし今度は、声が変わった。


 少し鋭くなり、少し細くなった——さっきの低い声とは全く異なる。


 まるで別の人が話しているかのようだ。


 スタシスの眉が寄る。


 同じ人の声が、なぜ変わる?


「あなたは小さな王子ではないな?」


 彼女の声はとても軽いが、死んだ水に投げ込まれた石のようだ。


「あなたは彼の声色さえ知らない」


 推測だが、確かに問題を見つけた。


 浴室の中が数秒間静まった。


 ただ水滴の落ちる音だけが、一度、また一度。


 そして、扉が押し開かれた。


「小さな王子」が出てきた。


 ——しかしもう「小さな王子」ではない。


 スタシスの前に立っているのは、一人の女だ。


 見知らぬ。全く見知らぬ。


 その顔は彼女の知る誰のものでもない。五官はまるで別々の人の顔から借りてきたようで、合わせると奇妙に調和している。


 しかしスタシスの視線はその顔に留まらなかった。


 彼女の視線はその女の首に落ちた。


 そこに、一つのものがあった。


 何か精巧な発声装置のようなものが、首の前面全体を覆い、両側に少し伸びている。


 表面には細かな紋様があり、いくつかのつまみが埋め込まれている。


 それらの摘みが微かに回り、小さな針が目盛盤めもりばんの上で跳ねている。


 その目はカラフルだ。


 虹彩こうさいの色が光の下で絶えず変わる——今は琥珀色こはくいろ、次の瞬間には淡い紫に変わる。


 瞳孔も変わる。


 円。逆三角形ぎゃくさんかくけい菱形ひしがた正方形せいほうけい


 目まぐるしいほどの速さだ。


「やはり気づかれたか?」


 その女が口を開いた。


 今度の声は、さっきまでとは全く異なる——中性的で、何の感情も帯びない声だ。


 まるで何かの共鳴装置がようやく周波数を合わせたかのよう。


 彼女は手を上げ、存在しない髪を撫でる——その動作は習慣的な仕草のようだ。


 しかし次の瞬間、彼女の指はまた無意識に空気を叩き始める。まるで拍子を取るかのように。


 左足が外側に出て、また戻る。


 顎が上がり、また下がる。


 肩が上がり、またすぐに下がる。


 あまりに乱雑だ。


 これらの動作が多すぎる、速すぎる。まるで無数の人が同じ一つの体に押し込められ、皆が主導権を奪い合っているかのようだ。


 スタシスは彼女をじっと見つめる。


 その女もスタシスをじっと見つめる。


 カラフルな瞳孔はまだ形を変え続け、首の摘みはまだ微かに回っている。


 あの小さな動作は決して止まらない。


 しかしその目には、何もない。


 スタシスは何も言わない。


 ただ見つめている。


 この、彼女が一度も見たことのない女を。

エコーのこと、めちゃくちゃ好きです!彼女のあの不安定さがたまらないし、それにスタシスとの相性が抜群だと思いませんか?

(完全に同感です!)

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