表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
痛みを喰らうことで、彼女は本当に定められた神になれるのか?  作者: 野間羊
暗湧く白

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

68/91

幕間

「ヴィラニアが人を連れてきたのに、あの娘はなぜまだ入ってこないのかしら」


 カサンドラの声がひろ々とした庁堂ちょうどう反響はんきょうする。


 彼女は高背椅こうはいのいすすわり、両目をわずかにざしている。まるで彼女だけに聞こえる何かをいているかのようだ。


 緘黙侍女かんもくじじょが彼女の後ろに立っている。


 普段ふだんは、彼女は空気くうきであり、因子いんしであり、形容けいようできる形態けいたいなど何もない。


 しかしとき、カサンドラが彼女を必要ひつようとした時、彼女は虚無きょむからつどってかたちす——両手をそっとカサンドラの耳根じこんて、指先を微かに震わせながら、そのもとよりするど聴覚ちょうかく極限きょくげんまで拡大かくだいする。


 これが彼女の責務せきむだ。


 カサンドラの拡声器かくせいきとして、彼女の左膀右臂さほうゆうひとして、その三つの存在の中で唯一ゆいつつかえる」立場たちばにある者の緘黙者かんもくしゃとして。


「あ、あの、お、お、お、お、お元気げんきですか、とうといカサンドラさま


 どもる声がいりぐちから聞こえてくる。


「わ、わ、私がエレです」


 少女が敷居しきいに立っている。指は衣角いかくひねり、視線しせん躊躇ためらいと好奇心こうきしんぜながら庁堂を見回みまわす。


 もちろん、彼女にはカサンドラの背中の緘黙侍女は見えない——内部関係者ないぶかんけいしゃでなければ、永遠に見ることはできない。


 エレの目には、の前のカサンドラは、あの目隠めかくしをしたヴィラニアよりもずっとしたしみやすい。


 ヴィラニアがもたらす「圧力あつりょく」は重すぎる。重くていきまるほどだ。


 そしてカサンドラは……少なくとも彼女は目を閉じているし、少なくとも彼女の声はあんなに冷たくない。


「あなたは彼女にったのね?」


 カサンドラが尋ねる。


「は、はい……」


 エレの舌はからまったように回らない。


「まさか、あなたがたかえったばかりみたいですよね?あ、あのかたはまたすぐにってしまうんですか」


審判廷しんぱんてい一員いちいんとして、つねにそうよ、エレ」


 エレはヴィラニアの傀儡くぐつに「さそわれて」来た——その傀儡の「招き」はあまりに粗野そやで、彼女の腕をきずりながらずっとここまでれてきたので、今でも心臓がドキドキしている。


 緘黙侍女の手は、もう耳根からカサンドラの胸前むなまえうつっていた。


 遮蔽しゃへいのためでも、暗示あんじのためでもない。必要な支持しじだ——もしカサンドラが発話はつわする時に緘黙侍女にこうして彼女の呼吸こきゅう心拍しんぱく制御せいぎょさせなければ、危険きけんともなう。


「そんなに緊張きんちょうしないで、エレ」


 カサンドラの声は依然いぜんとして平穏へいおんだ。


「あなたは私たちをたすけたいとったわよね?」


「は、はい」


 エレは力強ちからづようなずく。


「わ、わ、わたし……もうわけありません……ちいさいころからど、ど、どもるんです。うれしいと、もっとひ、ひ、ひどくなって……」


「嬉しい?」


 カサンドラが微かにくびかしげる。


「なぜ?」


「私、実はきんちょうしてないんです」


 エレの顔に薄紅色うすべにいろす。


「私、本当にう、う、嬉しいんです。ずっとずっと審判廷にはいりたかった。あなた方がしてることって、ただしくて正義せいぎのことだと思うから」


「審判廷に?」


 カサンドラの口元にきわめてあわかぶ。


当然とうぜんよ、エレ。あなたは私たちにくわわることで能力のうりょくることになる。だから、あなたが拂拭之焔ふっしょくのほむらのぞむなら、レテがもどるまでたなければならないわ」


「あ、あ、あなたはわたし賜福しふく必要ひつようとしないって、ってるはずですよね」


 その言葉ことばともに、エレはなんと数歩すうほ前進ぜんしんした。


 カサンドラは後退こうたいしない。


 彼女はこの少女が何をするのか、てみたかった。


「あ、あなた、わ、私がさわってもいいですか?」


随意ずいいに」


 緘黙侍女の腕は、すでにエレのそばしずかに浮遊ふゆうし、いつでも手出てだしできる警戒態勢けいかいたいせいにある。


 しかしエレはづかない。


 彼女はただちかづき、指をばし、カサンドラの身体にかる数箇所すうかしょした。


 一度目いちどめは、鎖骨さこつくぼみに。


 二度目は、肋骨ろっこつの間。


 三度目は、手首てくび内側うちがわ


 四度目は、ひざの後ろ。


 ひとつ一つの落点らくてんおどろくほど正確せいかくだ。まるで彼女は既に人体じんたいの一つ一つの紋理もんり熟知じゅくちしているかのよう。


 その触感しょっかんは極めて軽く、羽毛うもうでるようであり、またあるしゅあたたかい能量のうりょうが指先から浸透しんとうするかのようだ。


 カサンドラの呼吸は、この瞬間、なめらかになった。


 あの長年ながねんむねわだかまっていたとどこおり、あの過度かど聴取ちょうしゅによって蓄積ちくせきされた疲れが、この数回の軽い押圧おうあつによって、ゆっくりとほぐれていく。


 彼女はエレがいつ自分の後ろにまわったのか、気づかなかった。


 われかえった時には、少女はもう彼女の背後に立ち、うで数個すうこ光球こうきゅうかかえていた——その光は淡紫色うすむらさきいろで、かすかに温かく、黄昏時たそがれどきそらての残照ざんしょうのように。


 エレはそれらの光球をひとつ一つ、カサンドラの耳殻じかくから押しんでいった。


 光球が耳道じどうもぐる時、おともなく、温度おんどもなく、ただひところの極めて軽い、ほとんど感知かんちできないほどのかすかなしびれだけがあった。


「あ、あなたのなやみは聴力ちょうりょくかんわることですよね?」


 エレの声が背後から聞こえる。


「そうだ」


「では、少、少、少しいいかんじになりましたか?カサンドラ様」


 カサンドラは数秒間、沈黙ちんもくした。


 あの長年彼女を悩ませていた雑音ざつおん——遠くの戦場の哀嚎あいごう、近くの庁堂の呼吸、自分の血液けつえきの流れる音——それらが此の時、やわらかくなった。


 消失しょうしつしたのではない。整理せいりされ、慰撫いぶされ、あるべき場所にかれたのだ。


「あなたのこの力は、なんぶの?」彼女は尋ねる。


「わ、私に助けられた人たちは、みんなこれを『治癒ちゆ』って呼びます」


 エレの声には一抹のじ羞じしさがふくまれている。


 最後の光球が耳道に没した時、エレの身体は軽く震えた。


 その光は彼女の体内たいないからされたもので、一つ一つが彼女の何かをっていく。


 しかし彼女はめなかった。


「治癒?」


 カサンドラはこの単語たんごかえし、まるでそのおもみをあじわっているかのようだ。


多分たぶん救済きゅうさい』と呼ぶべきでしょうね」


 彼女は一瞬間を置いた。


「ヴィラニアの秤量ひょうりょうの下で、彼女があなたをれてフィトゥーラに会いにった時、私はこれがまったく聞こえなかった」


 ---


「カサンドラおねえさま、ヴィラお姉様はもう外出がいしゅつされたんですよね?」


 息をらした声が入り口から聞こえる。


 レテだ。


 彼女は敷居に立ち、身体の上の火星かせいはまだ完全かんぜんにはえておらず、衣角には数箇所のげたくろあとがある。


 彼女は明らかに一路いちろ疾行しっこうして戻ってきたのだ。


「どうしてあなた、今頃ごろもどったの、レテ?」


「少し手間取てまどったんです」


 レテは早足はやあしで庁堂に入る。


「あなたには聞こえていたはずよね?あの女が、私に龍裔ドラゴニュートかたきまわさせたの。彼女も私たちが制御すべき欠片かけらだけど、予言よげんが近くにいるのをかんじたから、ながとどまらなかったわ」


「そう」


 カサンドラが微かに頷く。


「彼女はあいわらず狡猾こうかつすぎる。私たちは少し油断ゆだんしていた」


「今、彼女の位置いちはどこですか?」


 レテの目がかがやく。


「私がもういちつかまえに行きます」


不要ふようよ」


 カサンドラは手をげる。


「私たちはもう審判廷の騎士団きしだんをあそこにつかわして、彼女をさがさせている」


「じゃあ、お姉様もあそこに行かれるんですか?」


「いいえ」


 カサンドラは首をる。


「彼女がつぎに行くべきところは、あの挑発ちょうはつばかりしている女よりも、もっと重要じゅうようひとのもとよ」


 彼女は再び目を閉じ、遠くの、彼女だけに聞こえる声を聴く。


「まずは好好しっかり休息きゅうそくしなさい、レテ」


 彼女は言う。


定義ていぎされず、しかも誤謬ごびゅうのある存在そんざいは、あなたにはまだ終結しゅうけつさせられない。もしこの戦争が前例ぜんれいのない規模きぼにまで拡大かくだいしたら、私たちも『専門せんもん』の人に処理しょりたのまなければならない」


 レテはその時になってはじめて、庁堂にもう一人ひとりいることに気づいた。


 一人の少女が、カサンドラの数歩後ろに立ち、指はまだ微かに震え、顔には奇妙な、つかれと興奮こうふんが混ざりった表情ひょうじょうを浮かべている。


「彼女は誰ですか?」


 レテは目をほそめる。


「あ、あ、あなたがレテ様ですね?」


 少女の目が輝いた。さっきまでより、どんな時よりも輝いている。


「比、比べものにならないわ。彼等表現ひょうげんの中のあなたより、ずっとずっと神性しんせい的。わ、わ、私、ずっとずっとあなたをしたっていました」


 レテはぼう然とした。


紹介しょうかいしましょうか、レテ」


 カサンドラの声には、めずらしい、ほとんど温和おんわな意味が含まれている。


「彼女が、私とヴィラニアがはなしていた——予言をうごかせるよ」


「エレです」

この愛らしくて吃音のエレこそ、モーリガンが自らの“預言の子”という立場を案じる存在です!彼女の能力は“光”——癒やしの光、救済の光。むしろこっちの方が主人公っぽいですね?(冗談ですよ)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ