表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
痛みを喰らうことで、彼女は本当に定められた神になれるのか?  作者: 野間羊
雨街迷踪

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/51

第四十六章

 ヘマリスはカリオペに手を引かれ、次第に小降りになる雨の中を走っていた。


 紅色の雨の糸は、ただ彼女たちのためだけに降っているかのようだ。カリオペの歩む軌跡に沿って曲がりくねり、私的なとばりを形作り、外界をぼんやりとした背景に変えてしまう。


「どこに連れて行く気?」


 ヘマリスの声は雨音に洗われてかすかだ。だが足は、抗えずについて行く。


「君に、俺を信じられるようになる場所へ」


 カリオペは振り返らない。声は雨の幕を透かして届き、普段よりも幾分か落ち着いている。


「自分の感情が信じられなくてもいい——でも、俺の感情は信じていい」


 前方に見慣れた輪郭が次第に鮮明になる。


 飛竜門。


 あの孤高にそびえる石造りの門が、雨の幕の中に静かに立っている。門の上の風化した翼の紋様は古雅で荘厳だ。


 ヘマリスの足が微かに止まる。


 ——ここって、思い詰めた人が来る場所じゃなかったっけ?


 ……そうだな。今の自分もまさに、「思い詰めた」一人か。


 カリオペは既に彼女を促し、脇の金属製の籠型昇降機へと向かっている。昇降機は狭く、錆び跡が目立ち、ちょうど二人が肩を並べられる広さだ。


 扉が閉まった瞬間、空間は圧縮され、湿り気を帯びた私的な領域と化す。


 ヘマリスは自分の頬が抗えず熱を持つを感じた——彼女の視線は、カリオペの首筋に落ちていたのだ。


 竜の裔の長く伸びた首の線が襟元へと消え、雨水が鱗の隙間を伝って滑り落ち、薄明かりの中に暗金色の微かな輝きを放っている。


 彼女は、うっとりと見入ってしまっていた。


「すぐに、一番いい跳躍ポイントに着く」


 カリオペが突然振り返った。


 その異なる色の瞳が、狭い空間の中で驚くほど輝いている。左目の心の川の烙印の光暈が呼吸に合わせて明滅し、深い水底の光の輪のようだ。


 ヘマリスは慌てて視線を逸らす。


「で、でも……なぜここなの?」


「前に、飛竜門について話したのは、全部じゃなかったんだ」


 カリオペは顔を上げて上方を見やる。その声には、どこか懐かしさに近い遠い響きが混じる。


「ここはただ竜族の勇気と血脈の試練の場じゃない。もっと残酷な、信任を試す場でもある」


「信任?」


「古の竜族の成人の儀では、もし竜が飛び降りる瞬間に、まだ淡い期待を抱いている——親が自分を受け止めてくれる、仲間が手を差し伸べてくれる、と思っている——そんな竜は、最も純真で、そして最も致命的な過ちを犯していることになる」


 カリオペは軽く笑う。しかしその笑みに温もりはない。


「救う竜なんていない。飛べなければ、失敗作の雑種だ。たとえ死ななくても、生きる資格はない。成人した同類が、その竜を食い尽くす……これが竜族の掟だ。冷徹で、直接で、一切の妥協がない」


 ヘマリスの指先が冷たくなる。


「じゃあ、なおさら来るべきじゃなかった。私は竜じゃない」


「でも、落ちる瞬間は、人を覚醒させる」


 カリオペは体を横に向ける。竜の裔の大柄な体躯が、昇降機の中に圧迫感のある影を落とす。


 彼女は近づき、吐息がヘマリスの耳元を掠める。


「感情の邪魔も、疑念の纏わりつきもない——あの瞬間、君はどんな時よりもはっきりと、自分が本当に欲しいものが分かる」


 彼女の声は低くなり、ほとんど誘うように。


「それに君は信じるだろう——必ず、俺が君が落ちる前に受け止めると。一番柔らかな羽毛が下に敷かれていても、君に衝撃の痛みを少しでも味わわせるのは惜しいからな」


「でも、私が飛び降りる理由はない」


「なら、一緒に飛ぼう」


 カリオペの視線が柔らかくなる。その裡に渦巻くのは、ヘマリスには読めない、ほとんど懇願に近い期待だ。


「竜の裔として、俺はまだ、この門を本当に飛び越えたことはないんだ」


 ---


 昇降機が止まる。


 扉が開いた瞬間、高所からの風が雨水を巻き込んで吹きつけ、凛冽さにヘマリスは身震いした。


 彼女たちは飛竜門の頂上、狭い台座の縁に立っている。


 足元は数百メートルの高空。テミステラの街全体が雨の幕の中に広がり、ぼんやりとした、流動する色の塊と化している。


 行き交う人や車は蟻の群れのように小さく、音もなく遥か遠くの地面を動いている。


 ヘマリスは目眩を覚えた。無意識に後退すると、かかとが台座の縁に当たる——


 一つの手が、しっかりと彼女の腰を支えた。


「寒いか?」


 カリオペの声が間近に聞こえる。竜の裔の体温が湿った衣服越しに伝わり、高くて灼けるようだ。


「俺の吐息は氷のように冷たいが、躯の熱は……いつも四十五度以上ある。もっと抱きしめようか?」


「いい」


 ヘマリスは身を捩ったが、声に覇気はない。


 カリオペは無理強いせず、ただ彼女の手をさらに強く握った。


「飛ぶ前に、二つ、伝えたいことがある」


 ヘマリスは足元の、すべてを呑み込む虚空を見つめる。心臓は胸腔の中で固く縮こまり、その一拍ごとに重く、墜ちる石のようで、鼓膜が鳴る。


「……言って」


「一つ目は」カリオペの声が風に乗って届く。「君は俺をどう思う?竜の裔が血統と階級を極端に重んじるのは知ってるだろ?」


「……知ってる」ヘマリスはかすかに答えた。「あなたは……血統がとても純粋に見える」


「はっ」


 カリオペは短く笑った。その笑い声には、複雑な自嘲が混じる。


「竜族を知らない奴は皆そう言う。でも実際は、俺の地位は哀れなほど低い——この角を見てみろ」


 彼女は手を上げて、自分のこめかみの辺りのごつごつと曲がった尖った角に触れた。


「これは掟に背いた竜の裔が、低劣な異種族と交わった末に生まれる『雑種』の印だ。純血の竜の裔は、こんなものは生やさない」


 ヘマリスは言葉を失った。


「でもあなたは、この街の『女神』……」


「それは、この烙印のおかげだ」


 カリオペの指先が、左頰で脈動する心の川を撫でる。光の暈が流れ、彼女の半身の顔を、まるで幽かな藍色の星の海に浸したように映す。


「それが俺を選び、そして閉じ込めた。そして、それが蝕む跡は……君が消えてから、日増しに深くなっている」


「私が……消えた?」


「君は記憶を読める。だが竜の裔の骨の髄までの傲慢さは、俺自身でさえ完全には制御できない」


 カリオペは顔を向け、異なる色の瞳をヘマリスの目の奥深くに沈める。


「たとえ君にすべてをさらけ出そうと思っても、その傲慢が壁を築く。でも、落ちる瞬間だけは——意識が空っぽになり、その壁が緩むかもしれない。その時には……君にも見えるだろう」


 風が二人の衣服の裾を巻き上げる。雨の糸が斜めに通り過ぎ、彼女たちの間に細かな銀の糸を織る。


 ヘマリスは待った。


「それで……二つ目は?」


 カリオペは瞬きをした。口元が突然、狡猾な、ほとんど悪戯っぽい弧を描く。


「二つ目はな——」


 彼女は一瞬間を置き、笑みが目の奥に広がる。


「——準備はいいか?」


 言い終わらぬうちに。


「跳ぶぞ!」


 カリオペは身を躍らせ、虚空へと彼女を引き込んだ。


「きゃあ——!!」


 ヘマリスの悲鳴は烈風に引き裂かれた。


 無重力感が潮のようにすべての思考を呑み込む。


 風の音が耳元で轟音に変わり、雨滴は上向きの矢となる。


 世界は倒錯し回転する。ただ、しっかりと握られたその手の温もりだけが、現実のように熱く灼ける。


 ヘマリスは目を見開き、落下するカリオペが自分の方に向き直るのを見た——


 その目に恐怖はない。ただ一片の、ほとんど祈りに近い、灼熱の期待だけがある。


 そして意識が烈風に千切られる一瞬前、ヘマリスはようやく、雨音に埋もれたあの囁きを聞いた。


「今度こそ……もう、俺から離れないでくれ」


 そして彼女たちは下へ、下へと墜ちていく。あの、柔らかな嘘を敷き詰めた、紅色の深淵へ向かって。

この章を書きながら、思わず笑ってしまいました。だって、こんなカリオペ、本当に悪いですよね?皆さんもそう思いませんか?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ