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痛みを喰らうことで、彼女は本当に定められた神になれるのか?  作者: 野間羊
誕生と虫の羽

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第十五章

 モーリガンはすぐには動かなかった。


 彼女はただ、視線を伏せ、霧灰色の指輪を指先でそっと回した。戒面は冷たく、凝結した朝露のよう。


「あれはあなたを欺いていませんよ、モーリガン」


 ヘマリスの声が意識の中に、波紋のように柔らかく広がる。


「ただ……まさか、あれがここまで全てを厭っているとは」


「どうしてそう思う?」


「あの記憶を通して、他のどんな感情の色も見えないから。『歓喜』で漂白された荒涼だけが広がっている」


 ヘマリスは一息置く。


「それに、アマラート……本当に思い切ったことをしたわね。でも、彼女はまだ死んではいない」


 モーリガンの息が一瞬止まる。


「死んでない?本当に?」


「ええ。彼女の意識の深層に、瀕死の時に訪れる記憶の閃光の乱流がない」


「なら、まだ助けられる」


 その時、ルドスの影が閉ざされた幕を透かし、舞台の中央に再び現れた。


 純白のスーツ姿は変わらないが、腹を叩くリズムは少し緩み、三日月のような「目」はまっすぐモーリガンを見据えている。


「それで——」その声には、子供じみた期待が滲んでいた。「決めたのかい、モーリガン?どうすれば僕が……本当の『楽しさ』を手にできる?」


「あなたの『歓喜』は、私には理解できない」モーリガンが顔を上げ、静かな声で言う。「だから、あなたにとって本当の楽しさが何なのか、私にはわからない」


「はっはっはっは——!」ルドスは大笑いした。笑い声は空虚な劇場に反響する。「でも君は、『苦痛』という感情でそれを疑っただろう?素晴らしい始まりだ。君ならきっと方法を見つけられる、そうだろう?」


 モーリガンは理解した。この歓楽城カーニバル・シティを離れるには、ルドスが渇望するものを与えねばならない。


 さもなければ、奴は簡単に彼女たちを、この永遠の笑い声の中に閉じ込め続けられる。


「ヘマリス」彼女は意識の中でそっと尋ねた。「あいつに“忘れさせられる”?」


「私には無理よ」ヘマリスの返答は苦味を帯びる。「ハルの結果も見たでしょう——あいつは『なぜ』楽しいかを忘れるだけで、楽しさそのものは消えない」


「私が必要としているのは、まさにそれよ」


「……どういうこと?」


「なぜ楽しいかを忘れることは、楽しくもないのに笑い続けるよりは、まだましだ」モーリガンの指先が指輪の表面を撫でる。「そして、まず“忘れさせる”ことで初めて、奴は……私の話を聞く気になるかもしれない」


 短い沈黙。


「わかったわ」ヘマリスは小声で言った。「試してみる」


 ***


 霧灰色の光が指輪から流れ出し、空中で集い、形を成し、ついにヘマリスの半透明な姿となった。


 彼女はモーリガンの傍らに立ち、浅灰色の長髪が風もなく揺れ、瞳にはルドスの永遠の笑顔が映っている。


「この方は……?」ルドスは首をかしげ、好奇の目を向ける。「君の力の具現化か、モーリガン?」


「違う」ヘマリスが一歩前に出て、遠山の霞のような声で言う。「私はヘマリス。私は……あなたがこれら全てを忘れるのを助けに来た」


「忘れる?」


 ルドスの笑い声が一瞬途切れ、大笑いする顔に、「渇望」と呼べそうな表情が浮かんだ。


「本当か?それは……本当に素晴らしい。やっと解放される」


 ヘマリスが手を上げ、そっと一口の霧を吹く。


 灰白色の霧の流れが絹布のようにルドスへ湧き寄せ、通り過ぎる場所で、空気中に刺さる笑い声が飲み込まれ、薄れ、まるで消しゴムで拭い去られた汚れのようだった。


 しかし、霧がルドスの身の前三尺に迫った時、無形の壁に——笑い声で凝り固まった壁に、ぶつかった。


 霧は渦巻き、侵食し、浸透しようとするが、それ以上一歩も進めない。


 壁の向こうでは、飲み込まれたはずの笑い声が急速に再生し、断ち切れない水流のよう。


「忘れさせることはできない」


 ヘマリスが手を引き、霧は彼女の指先で消散し、その姿はいくらか薄れる。


「これが精一杯よ」


「待って——もう一度試して、もう一度!」


 ルドスは逆に興奮し、腹を叩く動作を速めた。


「もう樹木妖精ドライアドたちの姿を忘れ始めてる!これは良い知らせだよね?はっはっはっは!」


「もう一度試して、ヘマリス」モーリガンは目を閉じる。「全力を出して。私が助ける」


 彼女は意識を体内の暗い淵へ沈めた——そこには、アマラートの胸の烙印から湧き出た、滾るように熱く濃厚な苦痛が蓄積されていた。


 この苦痛はあまりにも焼けつくようで、彼女の理性を焚き尽くしそうだったが、それゆえにこそ……


 彼女はそれを動かせた。


 彼女の体から滲み出る黒い泡は、本来なら無意識に浮かび、はじけるだけ。


 今、モーリガンの意志の牽引により、それらはゆっくり、苦しそうにルドスの方向へ漂い始めた。


 一個の泡が動くたびに、粘り濃い蜜の中で掙扎するようだったが、彼女は歯を食いしばり、額から汗が伝った。


 ルドスはそれらの泡を見た。


 水を思い出した——樹木妖精の根が求めた甘露を、自分がすでに失った潤いの味を。


 だから逃げもせず、むしろ大笑いしながら両腕を広げ、黒い泡が自分に漂ってくるに任せた。


 最初の泡が、純白のスーツの袖口に落ちた。


 じゅ——っ。


 耳障りな腐食音が響く。


 スーツの生地は強酸に侵されたように急速に黒ずみ、炭化し、その下の鏡のように滑らかな「樹皮」が露わになった。


 泡ははじけず、生き物のように表面に吸い付き、内側へ浸透し続ける。


「天よ……」


 ルドスはうつむいて自分の腕を見つめ、声は驚きに震えていた。


「僕の体……はっはっはっは——痛い!これが痛みか?僕、もっと早くこんな感覚を持ってるべきだった!」


 さらに多くの泡が落ちる。


 胸、肩、頬……接触した場所全てから、鋭く、見知らぬ灼熱感が伝わってくる。


 永遠に大笑いする顔に、初めて裂け目が現れた——物理的なものではなく、何か内的な支えが緩んだのだ。


 その瞬間、ルドスを取り囲む、笑い声で凝り固まった無形の壁が、揺らぐ。


 ヘマリスはこの隙を捉えた。


 彼女は再び霧を吹いた——今度は、灰白の霧の流れがついに障壁を貫き、優しくルドスの頭を包み込み、千年の笑い声で満たされた記憶の海へ染み込んでいった。


「全て忘れなさい、ルドス」ヘマリスの声は鎮魂歌のようだった。「少なくともこの後では……あなたが再び笑顔を見せる時、本当の楽しさの味を味わえるように」


 ***


 腐食と忘却、二つの力が織りなす。


 ルドスは純白のスーツを片端から剥がれ落とし、その下の真実の姿——一本の細く、樹皮が滑らかな若木を露わにした。


 腹を叩く動作を止め、口元はまだ上がったままだが、笑い声は次第に柔らかく、自然なものへと変わっていった。


 ついには、笑い声も止んだ。


 うつむいて、新しく生まれた、翠の若芽のような「目」で、自分自身を困惑げに見つめる。


「私……誰?」


「あなたはルドスよ」モーリガンが優しく答える。


「ルドス……」若木が繰り返し、細長い枝を軽く揺らす。「ただ、すごくお腹が空いている……すごく空いている。どうして?」


「あなたには水が必要だから」モーリガンは舞台の端へ歩み寄る。「あそこに、あなたが必要とするものがある」


 ルドスはぴょんぴょん跳ねて後を追い、アマラートの胸の傷口を見た時、枝を興味深そうに伸ばす。


「ここに水があるの?」


「かつてはね。今、水が再び流れ始めるには、『核』が必要なの」モーリガンはしゃがみ込む。「あなたは、入れるのに適した形に変えられる?」


「入る?」ルドスは少しためらっているようだった。「中は……どんな感じ?」


「窮屈だろうけど、あなたにはちょうどいいサイズよ」


 若木はしばし沈黙し、本能からくる飢えがそれを駆り立てる。


 最終的、うなずいた。


「どんな形に変ればいい?」


 モーリガンは、かすかに脈打つ紫色の液体——かつて心臓の残滓だったものを見つめる。


「螺旋の形、蔓植物が絡み合うように、真ん中には水が流れる隙間を空けて」


「こんな感じ?」


 一本の細枝が器用にねじれ、絡まり、空中で螺旋状に絡み合う輪郭を描く。


「そう」


「わかった……」ルドスは縮み、変形し始める。「お腹が空かなくなるなら」


 木質の模様が緻密で滑らかになり、最終的に螺旋状に絡み合う「心臓」へと形を成した。


 空中で微かに鼓動し、中心の空洞には湿った樹液の光沢がうっすらと見える。


「僕、入るよ?」


 モーリガンが手を差し出して受け止める:「ええ」


 木の心臓は軽く一跳ねし、アマラートの胸の傷口へ落ちる。


 ***


 傷口の縁の肌が優しく包み込み、癒える。


 紫色の烙印が蔓のように絡み上がり、木質心臓の模様と組み合わさる。


 アマラートの体が、はっきりと震える。


 胸が上下し始めた。


 あの木質の心臓は働き始めた——規則的、安定的に、新しく生まれた不器用さと真剣さをもって。


 ルドスは渇望していた「水」を手にした。


 だが、すぐに気づいた。この安定した規則的な鼓動を保つことで初めて、水の流れが最もスムーズになるのだ。


 だから学び始めた——本当の心臓のように鼓動することを。


 この規則性は、本質的に静止を志向する一本の若木にとって、かつてない安らぎをもたらした。


 ***


 モーリガンはアマラートをそっと胸に抱き寄せる。


「そろそろ目を覚ます時間よ」彼女は声を潜めて言う。


 かすかな、ため息を伴った呼吸音。


 アマラートのまつげが数回微かに震え、ゆっくりと開く。


 紫色のアイメイクの下、その瞳は依然として澄んでいるが、疲労に満ちている。


「主君……」彼女の声はかすかで、息もれのようだ。「胸のここが……なんて奇妙な感じ」


「新しい住人ができたから」モーリガンは抱擁を解かない。「あなたの烙印を見て」


 アマラートはうつむいて、変化した胸の紫色の烙印を見つめる——蔓模様はさらに複雑に、蝶々の翅は大きく華麗になっていた。


 指先でそっと触れ、口元に弱々しい笑みを浮かべる。


 その時——


 劇場の壁が、ひび割れ始める。


 ***


 最初の裂け目は舞台後方の幕に現れ、鮮やかな色彩を切り裂く黒い稲妻のよう。


 すぐに、二つ目、三つ目……歓楽城全体が耐えきれない呻き声を上げ始める。


「どうしたの?」アマラートは起き上がろうとする。


「ルドスが去ったから……」モーリガンは周囲を見回す。「ここを支えていた核が、消えてしまった」


 歓楽城は崩れ落ちていた。


 ルドスの忘却と再生に伴い、この虚構の都を支える基盤が崩壊したのだ。


 歪んだ歓喜で築かれた建造物——キャンディーカラーの壁、笑い声で固められた天井が片端から剥がれ落ち始める。


 そしてより深い崩壊が、「住民」たちの身に起こっていた。


 永遠に大笑いしていた生物たちの顔に、笑みの最初のひび割れが生じる。


 ある内的な崩壊が起こっている——彼らは初めて、現実的で、鋭い苦痛を感じ始めたのだ。


「ぎゃあああ——!!!」


 悲痛な叫びが観客席から響く。


 礼装をまとった一つの生物が顔を覆い、指の隙間から粘稠な液体が滲み出る。


 口元はなおも強制的に上がっているが、目にはかつてない恐怖と苦痛が満ちている。


 次に二つ目、三つ目……


 歓喜の仮面が引き裂かれ、その下に押し込められていた数年来の真実の罪悪が露わになる。


 罪悪感から逃れるために歓楽城に潜んだこれらの魂は、ついに彼らがずっと逃げてきたすべてに直面しようとしていた。


 モーリガンが願った通り——彼らは苦痛の中で死んでいく。


 ***


「主君、行かなければ!」


 アマラートはもがいて立ち上がり、胸の烙印が突然深い紫色の光を放つ。


 一対の翅が彼女の背中から広がった——かつてないほど大きく、華麗で、その翼幅は舞台の半分を覆う。


 片手で衰弱したケーリスを抱き、もう片方の手でモーリガンを抱き寄せる。


「捕まって」


 翅が羽ばたき、狂風が驟る。


 彼女たちは崩れ落ちつつある劇場の天井を突き破り、高空へ飛び立つ。


 下方、歓楽城全体が砂の城のように傾いていく。


 建造物は彩色の粉塵に崩れ、悲鳴を上げる生物たちは瓦礫に埋もれ、彼らが命の最期に味わうものは、ついに虚偽の笑い声ではなく、真実の、贖罪のような苦痛となった。


 そして空中——


 モーリガンの視線が、一瞬固まる。


 彼女は見た。


 彼女たちの下方、一枚のコインが崩壊する廃墟から浮かび上がり、重力に逆らい上昇しているのを——縁は鋭く、紋様は硬質で、崩壊の混乱の中でも異様に目立つ。


 それは連れ去られもせず、破壊もされなかった。


 ただ……そこに浮かんでいる。


 まるで、待っているかのように。


 ***


 下方の大地で、人々が空を見上げる。


 彼らは無数の光の筋が天を横切るのを見た——歓楽城崩壊の破片が、現実世界へ落下する過程で大気と摩擦し、煌めく「白昼の流星群」と化していた。


「見て!流星だ!」


 子供たちが興奮して空を指さす。


 誰も知らない、一筋の光が消えるたびに、一つ歪んだ魂が終焉を迎えることを。


 誰も知らない、あの「流星群」の中心で、一枚のコインが常理に反して浮かんでいたことを。


 ***


 アマラートはモーリガンとケーリスをしっかりと地上へ降ろす。


 彼女たちは荒野に立ち、後ろには次第に鎮まる空、前には地平線へと延びる道が広がっている。


 歓楽城は消えた。


 モーリガンが振り返ってケーリスの様子を確かめようとした時、視界の隅に——


 砂の中、金属の一閃きが。


 彼女はしゃがみ込み、表層の土を払う。


 あのコインだ。


 縁は鋭く、紋様は硬質、さっき空中で見たものと全く同じ。


 こんな高所から落ちて、深く土に埋まるか、あるいはそもそも彼女たちの足元に正確に落ちるはずがない。


 だが、ここにある。


 モーリガンはそれを拾い上げる。


 コインは手に冷たく、通常の金属より重く、表面の硬質な紋様が夕陽の中で……ゆっくりと歪んでいるかのようだ。


「これは何?」アマラートが近づく。


「わからない」モーリガンはコインをひっくり返す。「でも、ついて来た」


 それも、意図的に。


 彼女はコインを握りしめ、遠くの道を見つめる。


 町の輪郭が地平線にかすかに見え、黄昏の光線が全てを暖かな金色に染める。


「主君?」アマラートは彼女を不思議そうに見る。


 モーリガンはコインを懐に収める。その冷たさが胸に密着し、まるで……鼓動のメトロノームのよう。


「出発する時だ」彼女は立ち上がり、視線を道の果てへ向ける。「これが、導きだ」


 ケーリスがアマラートの腕の中から顔を出し、弱々しい唸り声を上げる。


 影の身体はゆっくり回復し、胸の星渦が再びかすかな光を放ち始める。


 アマラートはモーリガンの背中を見つめ、そして自分自身の胸の、変化した紫色の烙印を見下ろす。


 蝶々の翅は夕陽の中で幽かな光沢を帯び、今にも羽ばたきそう。


 彼女はそっと口元を上げる。


「はい、主君」


 風が荒野を掠め、細砂を巻き上げる。


 後ろの空では、最後の一筋の光が消えつつある。


 前の道は、暮色の深みへと続いている。


 そして懐中のコインは、静かに冷たい温度を放っている。

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