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『腐った国』

重度のシリアス注意。倫理的に問題のある描写が含まれます。実在の人物、団体、出来事などには一切の関係がありません。

それからは特に何事もなく、穏やかな日々が過ぎていった。


ある日、ラセルが突然、荷袋を肩にかけ立ち上がった。既視感に、胸の奥がざわつく。


「ラセル?」


「…ごめんね、アキくん。今日は、ちょっと…用事があって」


その言葉に、察してしまった。彼はまた、街に行くつもりだ。


「……俺も、行っていい?」


断られると、わかっていての言葉だった。彼の瞳が戸惑いに揺れる。ラセルは少し間を置いてから、ゆっくりと首を横に振った。


「……ごめんね、アキくん。今日は、一人で行かないといけないんだ」


「…………わかった、留守番してる。」


その言葉を口にした瞬間、彼は小さく安堵したように目を細める。その表情を見て、胸の奥がきゅっと痛んだ。



ラセルの背中を見送り、俺は息を整えながら森を抜けた。舗装された石畳の道に出ると、街の建物や人の往来が目に入った。


「……やっぱり、人が少ないな」


年配の男女ばかりで、若者や子供の姿はほとんどない。街全体に沈んだ空気が漂い、日常の活気は感じられなかった。


街角に隠れるように立ち止まり、店先や人々の会話を注意深く観察する。


「税率がまた上がったんだって。もう生活が回らないよ…」


「徴兵もまだ続いてるらしい。戦争は終わったってのに」


「資源も人手も全然足りないって聞いたよ。街の仕事も減ってるし、物価だけ上がってる」


「国は何を考えているんだ!」


小声で交わされる会話から、少しずつ街の事情を理解していく。戦争は終わったのに、徴兵が続き、税も重く、人々は疲弊している。


「……やっぱり、まだ何かあるんだな」


視線を下げ、通りを歩く人々の表情を追った。暗く沈んだ顔の奥に、戦争の名残や国の不安定さが刻まれている。自分の知らない世界が、この街の片隅に確かに広がっていることを、肌で感じた。


人々の小声に耳を澄ますと、さらに具体的な話が聞こえてきた。


「近頃は、徴兵年齢が下げられたんだって。」


「物資も足りないのに、なぜか国の施設だけは潤ってるらしいし…」


どれも戦争の残滓を感じさせる現実の声だった。


「……どうして、徴兵をやめないんだろう?戦争は終わったのに……」


俺は視線を巡らせながら、街の建物や掲示板、役所の前に貼られた文書に目を向ける。そこには、徴兵の告示や税の改定、資源配分の報告などが書かれており、表向きは平和を装っているけれど、実際にはまだ国が統制と管理を緩めていないことが見て取れた。


俺は通りを歩きながら、声を潜めて交わされる小声だけでなく、目に見える動きにも注意を向けた。荷車を押す商人、荷物を運ぶ若者、店先でひそひそ話をする人々。


「すみません……最近の徴兵のこと、少し教えてもらえませんか?」


声をかけた瞬間、荷車を押していた商人が立ち止まり、眉をひそめてこちらを見た。


「なんだ坊主、迷子か?」


俺は慌てて首を振る。


「い、いえ、違います。ちょっと、街のことを知りたくて……」


商人は一瞬警戒したように目を細めたが、俺の様子を見て安心したのか、小さな声で話し始めた。


「徴兵はな……戦争が終わった今でも、まだ続いているんだ。若者の数が少ないから、国は補充しないと困るらしい」


「どうして国は、そんなことを…」


商人は少し困ったように肩をすくめ、声を潜めて答えた。


「それは……あんまりはっきりとは分からん。表向きは平和だって言うけど、国の上層部はまだ戦力を完全には減らしたくないんじゃないかって話だ」


「戦争は終わったのに……?」


「戦争は終わったが、まだ不安定な地域があるらしい。反乱や略奪の心配もあるし、国としては安心できないんだろうな」


それだけ言うと、商人は再び荷車を押し始める。


「……ありがとうございました」


俺の声に、商人はちらりと振り返り、軽く頷いた。


「税も重い、徴兵も続く……国は、平和を装っているだけなんだな」


俺はその後ろ姿を見送りながら考え込んだ。街の空気は静かで重く、人々の表情も曇っている。言葉には出さなくても、日々の疲労と不安が体の奥に染み込んでいるのが分かる。


石畳を進んでいたその時、不意にざわめきが耳に刺さった。声はひそやかなものではなく、怒気を含んだ叫びに近い。


「税を下げろ!」


「徴兵をやめろ!」


広場の方角から、群衆のどよめきが押し寄せてくる。俺は足を止め、思わず声のする方へ目を向けた。


「……デモ、か」


通りの先には人だかりができていた。手を振り上げ、声を張り上げる者。石を掲げて威嚇する者。反対に、青ざめた顔でただ立ち尽くす者。混じる声の熱が空気を揺らし、嫌な緊張を肌に纏わりつかせる。


「徴兵に取られた子供を返せ!」


「これ以上、税を取られてたまるか!」


押し寄せる怒声に、周囲の住民も立ち止まり、息をひそめて見守っている。俺はその端に身を寄せ、様子を窺った。


やがて、広場の反対側から黒い影が現れた。漆黒のマントを揃えて纏った彼らは整然と並び、群衆を押し返すように前へ出る。


「……っ!」


その列の中に、見覚えのある姿があった。柔らかい茶髪、赤い瞳。いつもと変わらぬ穏やかな表情のまま、黒マントに伴われて歩く、彼の姿。


「ラセル……!」


思わず声が漏れそうになるのを、俺は慌てて飲み込んだ。彼の手には、武器も、何もない。彼は群衆と黒マントの間に立ちふさがる。


「…っあれじゃまるで、」


群衆の一人が投げた石が、ラセルの肩を強かに打った。鈍い音が響く。だが彼は一歩も退かず、ただ静かにその場に立ち続ける。


「……やめろよ……ラセルは、そんな……!」


石が地面に転がり落ちる音がやけに耳に響く。ラセルは肩を押さえもしない。ただ群衆を見渡し、ゆっくりと首を振った。


「……どうか、落ち着いてください」


彼の声は、怒声にかき消されそうになるほど小さい。けれど不思議と、その場の空気をすうっと冷やす。


「……税も、徴兵も……皆さんが苦しんでいることは、わかっています」


群衆の視線が一斉に彼に集まった。怒りと不信が混ざり合い、今にも再び誰かが石を投げそうな熱を孕んでいる。


「ですが……ここで誰かを傷つけてしまえば、もっと……悲しいことが増えるだけです」


ラセルの頬に、ひとつの泥つぶが飛んだ。すぐ近くで誰かが地を蹴ったのだろう。彼は顔を拭いもせず、ただそのまま穏やかに群衆を見つめ続けた。


それでも、群衆の一部は怒りを抑えきれず、拳を振り上げる。


「お前に何がわかる!」


「国の犬め!」


叫びとともに、再び石が放たれる。

乾いた音がラセルの頬を掠め、赤い線が浮かぶ。だが彼は痛みに顔を歪めず、ただ真っ直ぐ群衆を見据えた。


その姿に、一瞬だけ沈黙が落ちる。

怒りに任せて投げた石を見下ろし、手を震わせる者もいた。


俺はその場に釘付けになり、奥歯を噛み締めた。


「……やめろよ……ラセルは……モノじゃないんだ……!」


声に出したいのに、喉が張り付いて動かない。黒マントの一人が低く命じる。


「ラセル、下がれ」


だが、ラセルは動かなかった。

黒マントの命令を聞き流すように、ほんのわずかに首を振る。


「……僕は、ここに立たなきゃいけない」


小さな声が、確かな意志を帯びて広場に響いた。群衆の怒声と黒マントの冷たい視線、その板挟みの中で、ただ一人彼だけが立ち続ける。


血の滲む頬も、泥に汚れた肩も気にせず、ラセルは前にいる人々を真っ直ぐに見た。


「誰も……傷ついてほしくないんです」


その言葉に、群衆のざわめきが一瞬だけ揺らぐ。石を握りしめた手が震え、誰かが思わず視線を逸らした。


だが黒マントの一人は低く舌打ちをし、鋭い声で命じる。


「………いい加減にしろ、6番。前線から退け」


ラセルは僅かに目を伏せ、一歩下がる。その動きだけで群衆のざわめきは一瞬止まり、石を握っていた手もゆっくり下がった。怒声も次第に小さくなる。


黒マントの男はラセルの後ろで腕を組み、低く冷たい声を響かせた。


「ここに集まった者たちよ。国の秩序に逆らう者は、二度とこの広場に足を踏み入れることを許さん……我らが力で、平和を守る」


群衆の怒声が次第に遠ざかり、黒マントたちが人々を押し戻す。広場には静寂が戻った。俺は息を整えながら、ラセルの姿を探す。


肩に泥がつき、少し赤く染まった頬。だが、彼はまるで何事もなかったかのように、静かに立ち尽くしていた。その背中に、無意識に駆け寄ろうとする自分を抑える。俺は歯を食いしばり、その場に踏み留まった。


黒マントたちは群衆を押し戻したのち、ラセルを囲むように路地へと歩き出した。


「……ラセル……」


俺は距離を取ったまま、彼らを尾行した。石畳から細い路地へ。人目が減るにつれ、黒マントたちの声は荒くなる。


「6番、勝手な行動をするなと何度言わせる」


「命令に従わない兵器など、ただの不良品だ」


ラセルは反論しない。ただ俯き、小さく首を振ったように見えた。


「……僕は…」


「黙れ」


怒声が路地に響いた。次の瞬間、地面に赤黒い光が走る。複雑な紋様が浮かび上がり、魔法陣が形を成す。


「強制転送だ。役立たずめ……余計な感情ばかり芽生えおって」


赤黒い光がラセルの足元を覆う。路地全体が熱を帯びたように震え、空気がひりついた。


ラセルがか細い声で繰り返した。


「……僕は、どこへ……」


「それを知る必要はない」


ラセルの問いかけに、黒マントの男が冷ややかに答えた。もう一人が鼻で笑う。


「森で自由にさせてやったら、このざまだ。次はもっと厳しく監視されることになる」


ラセルは僅かに唇を噛み、視線を落とした。その瞬間、赤黒い魔法陣の光が一気に膨れ上がり、路地全体を飲み込む。


「……っラセル!」


俺が思わず声を上げた時には、もう彼らの姿は光に溶け、跡形もなく掻き消えていた。


俺は震える手を胸に押し当て、必死に呼吸を整える。


「っどうして…」


彼が役立たずと言われている理由は、わかった。感情があるから、命令に従わない。感情があるから、群衆の前で立ち止まる。


でも、それだけじゃ足りない。

それだけじゃ、どうして彼を森に放ち、自由を与えたのか、その意味は説明できない。それに、もっと根本的な疑問も浮かぶ。


「……どうして、どうしてラセルに、感情を持たせたんだ?」


感情があるからこそ、命令に背く。

感情があるからこそ、群衆を前にして立ち尽くす。

感情があるからこそ、彼は「人」みたいに苦しむ。


ならば、最初から感情を奪ってしまえばよかったはずだ。


感情があることで、彼は人間らしく在る。人間以上に「人」を映し出す存在になる。その矛盾に、胸がざわつく。


「……どうして……どうして、そんな……ことを」


理屈だけでは理解できない問いが、頭の中でぐるぐると回る。感情を持たせた理由、自由を与えた理由、点と点は少しずつ繋がるのに、核心だけは濃い霧に覆われたままだ。



…しかし、そこで、ふと思い出してしまった。


ラセルが群衆を前にして立ち尽くしたあのとき。街の人々が一瞬だけ立ち止まり、視線を揺らし、彼の言葉に耳を傾け、拳を下ろした。


頭の中で、恐ろしい考えがよぎった。

人の姿をした存在が、誰よりも優しく、誰よりも美しい顔で話す。そんな存在を前にしたら、普通の人間なら動揺するだろう。


戦場で出会った敵兵の心を想像する。武器をとり、戦場を走る彼らが、…ラセルに出会ったら?一瞬とはいえ、その殺意が鈍るのは間違いない。


そして、その僅かな隙を、国が見逃すはずがない。美しい顔も、優しい声も、敵の心を揺さぶるための武器にされる。そして戦争が終わった今でも、国はその兵器を必要とあらば送り出す。


胸の奥で、言葉にならない怒りと恐怖が渦巻いた。

アキくんには是非とも頑張ってほしい

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