『もしも、彼が』
布団から起き上がり、朝に彼が用意してくれた食事を口に運ぶ。すっかり冷めてはいたが、それでも思考を整理するには十分だった。
声の主の言葉が頭をよぎる。兵器、それに戦争、その言葉だけで、想像が膨らんでしまう。戦争で、兵器と呼ばれる存在が、どんな目的で使用されているか。考えるまでもない。
……ラセルは、誰かを傷つけたのだろうか。奪ったのだろうか。あの、優しい手で。
そう考えていると、玄関から足音がした。
「……ただいま」
聞き慣れた声に反射的に顔を上げる。けれど、一体どんな顔をして迎えればいいのかわからなかった。
「ごめんね、遅れちゃって……」
「あれ?いま、ご飯食べてるの?」
机の上には、彼が作ってくれた朝用と昼用の食事が並んでいる。流石におかしいと感じたのだろう。訝しむような目で、俺を見つめている。
「あ、その…寝ちゃって、食べてなかった」
俺の言葉に彼は少し困ったように眉を下げたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「そう……それなら、温めるから、渡してくれる?」
「あ……わかった。お願い」
食事を渡すと、彼は調理台へ向かった。どうやら、温め直すだけではなく、朝と昼の食事を新しく調理し直しているようだ。
「(そんなことしなくてもいいのに…)」
俺は椅子に腰かけ、その様子をぼんやりと見つめていた。
「(どう見ても、人間だよな…)」
出会ったときと同じ長さの髪を、蔓で一つに纏めている。森の中で生活しているのに、枝や葉が絡まっていたり、乱れた様子はまったくない。肌はほんのり血色があって、触れたら温かいだろうなと思わせる。
指先を見ると、爪は短く切られ、薄い光を反射している。布に包まれた肩や背中のラインも、人間の体の自然な柔らかさを保っている。
…それなのに
「(あの声の主の言い方は……どう考えても"物"だ。)」
役立たずの兵器。
人を、人としてじゃなく、戦場で使い捨てるための道具。まるで壊れた剣や欠けた盾に向けるような、そんな響きだった。
「(……本当は、聞きたい。教えてほしい。)」
けれど、声にならなかった。
もし、それを聞いてしまって、望まない答えが返ってきたら……そう思うと舌が固まってしまった。
そんな俺の思考をよそに、ラセルは作業を終え、器を運んできた。
「はい。お待たせ。できたよ」
「…ありがとう」
覗き込むと、朝の根菜スープと昼の豆の煮込みが一緒に煮直され、硬い黒パンまでちぎって入れてあった。見慣れない、温かそうなパン粥だ。
「ちょっと味を整えてみたんだ。アキくんのお口に合うといいんだけど、」
俺は木匙を取って、口に運んだ。
煮込まれた根菜の甘みと、豆のほくほくした食感、そこにパンがとろけて混じる。ひどく、優しい味だった。
「……うまい」
思わず声が漏れると、ラセルは嬉しそうに目を細めた。
「(……ラセル)」
もしも、もしも本当に、彼が兵器だったとして。それを、俺はどう思う?
……もしも彼が、人を殺していたとしたら?
「……っ、ぃ゛…」
考えが絡まりすぎて、口に運んだ匙の動きが乱れた。舌を強く噛んでしまい、鋭い痛みに思わず声を漏らす。
「アキくんっ、?!…大丈夫…?」
悲痛な叫びに、胸の奥まで揺さぶられる。彼は慌てて駆け寄ってくると、俺の顔を覗き込んだ。赤い瞳が、震えていた。
「……へいき。ただ、噛んだだけ」
苦笑混じりにそう言うと、彼はまだ俺の口元を心配そうに見ていた。そんなふうに覗き込まれると、痛みよりも、胸の奥が締め付けられる。
「……ほんとに、平気だから」
そう告げて笑ってみせると、彼はようやく肩を落とし、少しだけ息をついた。
「なら、いいんだけど……気をつけてね」
ラセルの言葉を聞きながら、俺はもう一度、スープをすくって口に運ぶ。柔らかな味が舌の上に広がり、胸の奥の凍えまで解してくれるようだった。
「……なぁ、ラセル」
自分でも驚くほど小さな声が漏れた。
彼がゆっくりこちらに顔を向ける。
「……ありがとう。……いつも」
言葉を選ぶ余裕なんてなかった。けれど、それだけは伝えたかった。ラセルは一瞬だけ目を瞬かせ、そして穏やかに笑った。
「……どういたしまして」
その笑顔を見て、胸の奥に残っていた氷が音もなく砕ける。
もしも彼が兵器だったとしても。
戦争で血に塗れた過去があったとしても。
今、こうして俺の隣で笑っているのは、間違いなくラセルなんだ。
日の光は徐々に沈み、窓の外は茜色から藍色へと変わっていった。穏やかな時間がゆっくりと流れていく。俺はベッドの上で何もせず、ただラセルの横顔を見つめていた。彼は読書をしたり、簡単な整理をしたり、慌ただしく動いていた。
窓の外が完全に暗くなると、彼はようやく手を止めて、毛布を整えると俺の隣で横になった。やがて瞼が閉じられると、隣からは穏やかな寝息が聞こえてきた。
今日一日で、色々なことがあった。胸の奥に渦巻く疑問や、不安…すべてを抱えたまま、俺はそっと布団に横になる。
隣で眠るラセルの寝顔を見つめる。長い睫毛に影が落ち、呼吸とともに胸が僅かに上下する。
「…ラセル」
俺は息を殺して、そっと頬に口を寄せる。温かい。
昼の間、俺はずっと考えていた。
もしも、彼が人ではなかったとしても。それでも、俺はラセルが好きだ。間違いなく、好きだ。
だけど、ここで一つの疑問が胸に浮かんだ。
声の主は、ラセルを「役立たずの兵器だ」と言った。ラセルはその言葉に、反論もせず、ただ静かに受け流していた。
でも、それならおかしいじゃないか。
もし本当に役立たずなら、なぜ彼は生かされている?なぜ、こんな森で、自由に暮らしていられる?
知りたい。
ラセルのことを、すべて。
でも、問いを口に出す勇気はまだ、俺にはなかった。胸の奥で燻る疑問を抱えたまま、そっと布団に横になり、隣で眠るラセルの寝顔を見つめる。温かくて、生きていて、確かに、そこにいる。
唇にそっと口付けを落とす。
その温もりだけで、今は、十分だった。
Qこの2人は付き合っていますか?
Aわかりません。