『弟なんかじゃ、いたくない』
※注意※
主人公攻めです。
あの時、助けられなかった命は数えきれない。だからせめて次は、誰かを救える人間になりたいと思っていた。
*
目を開けたら見知らぬ森で、剣を持った獣のような生き物に追われて、死にかけた。
転生だとか、異世界だとか、そんなことを考える余裕もなくて。
そして俺は、彼に助けられた。
「目、覚めた?よかったぁ……、びっくりしたでしょ。もう大丈夫だよ」
声が、優しい。
ほんのりとした甘さを含んだ声。
視界に映ったのは、長い茶髪を蔓でゆるく結んだ青年だった。目に鮮やかな赤い瞳は驚くほど優しげで、タレ目気味の目元と相まって、どこか女の人のような柔らかさがある。けれど声はちゃんと男のものだ。
「しばらく倒れてたからね〜、まだ起き上がらなくていいよ。ほら、お水。少しずつね?」
言われるままに口にした水は、ほんのり甘い、花の香りがしていた。
「名前、教えてくれる? ……あ、言いたくなかったらいいんだよ」
「……アキ」
「アキくん、か。いい名前だね。僕はラセル。よろしくねぇ」
柔らかく微笑んだ彼は、俺の名前を何度も口の中で繰り返していた。愛しくて愛しくてたまらない、そんな感じの声だった。
その夜は森の外れの小さな小屋で過ごした。焚き火の前でラセルは、体を冷やさないようにと何度も毛布をかけなおしてくれた。
「アキくんは、この森に迷い込んじゃったのかな。見たことない服だったし」
「……まあ、そんなとこ」
「ふふ、もしかしたら、旅の途中だったのかもって思ったけど、そんな顔じゃなさそうだ」
俺が元いた世界のことを話す気にはならなかった。現実味がないし、信じてほしいとも思えなかったから。
それから数ヶ月ほど、俺はラセルの家に世話になっていた。森の奥にひっそりとあるその家は、草花と本と、香の匂いに溢れていた。
「……ラセルって、なんで俺を助けたんだ?」
ふと、聞いてみたくなった。
彼は一瞬、目を伏せて、それからゆっくりと笑った。
「ん〜……可愛かったから?」
「は?」
「冗談だよぉ。でも、本当の理由は……そうだなぁ、助けを求める声がしたから、かな」
「声?」
「うん。アキくん、すごく怖かったでしょ?誰か助けて、って」
その言葉を聞いた瞬間、張りつめていたものがほどけて、俺はラセルに抱きついていた。ほんの少し、涙が溢れた。
「……ばか、そんなの……」
「…よしよし、怖かったねぇ。大丈夫、大丈夫だよ……」
ラセルは俺を抱き締め返しながら、まるで小さな子どもをあやすみたいに優しく頭を撫でてくれた。
*
「……絶対俺のこと好きだろ」
そう思ったのは、その翌日だった。
朝起きたら髪をとかされて、朝食には花で飾られたパンケーキが出てきて、気付けば手を繋がれて森を歩いていた。
森の空気は柔らかく、陽の光が葉の隙間から溢れている。光の中を手を繋いだまま歩く。彼の指先は温かく、心のどこかがふわりとほどけた。
「アキくん、今日はどこか行きたい場所はある?」
ふと聞かれ、俺は少し考えた。
「うーん……特にないけど、ラセルと一緒なら、どこでもいい」
俺の曖昧な答えにも、彼は満足そうに微笑でくれた。
「そっか、それなら今日は、森の奥にある泉まで行ってみよう?とっても綺麗な場所だから、楽しみにしててね」
歩きながら、ラセルは時折俺の髪をそっと撫で、疲れていないか気遣ってくれた。彼のその優しい仕草に、胸が締め付けられるように痛んだ。
泉へ続く小道は、柔らかな苔に覆われていて、足音を吸い込むように静かだった。辺りには、まだ開花していない薄紫や水色の蕾が至る所にあり、ほんのり甘い香りが漂っていた。
「この辺りの花は、夜にだけ咲くんだよ。昼間は眠ってて、星の光で目覚めるんだ」
彼が嬉しそうに話す声が、静かな森に溶けていく。
「へぇ……幻想的だな」
こんな世界があるなんて、まだ信じられない気持ちもあったけど、彼の側にいると少しずつそれが日常になっていくのを感じていた。
やがて、小道の先に青白く輝く泉が現れた。水面はまるで鏡のように空を映し出している。
「ここだよ。ね、綺麗でしょ?」
彼は手を差し出して、俺の手を優しく握った。
「うん……本当に、すごく綺麗だ」
「泉の水はね、特別なんだ。傷を癒やす力があるって言われてて、疲れた心も洗い流してくれるんだよ」
「……へぇ」
泉の水面に映る自分の顔を見つめる。何かが少しずつ変わっていくような気がした。
「ねえ、アキくん。疲れたら、いつでもここに来ていいんだよ」
彼は柔らかく微笑んで、俺の頬にそっと手を置いた。
「…ラセル」
「なぁに?アキくん、」
名前を呼ばれた彼は、相変わらず穏やかに微笑んで、俺を見つめていた。
「俺……お前のことが、好きだ」
その言葉が、泉の静けさの中に落ちた。水音すら消えるような、静寂。
自分でも驚くほど、落ち着いた声だった。
男同士だとか、そんなことはもうどうでもよかった。この世界に来て、命を救われて、こんなにも温かく受け入れられて。心が誰かに向かうことに、理由なんていらなかった。
ラセルは目を見開き、少しの間だけ、何も言わなかった。
そしてふっと、微笑んだ。
「……ありがとう、アキくん。うれしいなぁ、そう言ってもらえるのって」
その言い方で、わかってしまった。
「でもね、僕にとってアキくんは……そうだなぁ、可愛い弟みたいな存在なんだ」
ラセルの声には、どこまでも嘘がなかった。優しくて、真っ直ぐで、どこか寂しささえ滲んでいるようで。
「……」
言葉に、詰まった。
「もちろん、大切だよ?すっごく。誰よりも大切で、守りたいって思ってる。でも、それって……恋とはちょっと違うんだ」
「……そっか」
「うん……ごめんね、こんな風にしか返せなくて。でも、アキくんが気持ちを伝えてくれたこと、本当に嬉しかったよ」
視線を落とすと、泉の水面に揺れる自分の顔が映っていた。
少しだけ泣きそうな、自分の目。
だけどその隣には、変わらず微笑むラセルの姿もある。
「……バカみたいだな、俺」
「そんなことないよ。アキくんは、まっすぐで、素敵な子だよ」
そっと、ラセルが俺の頭を撫でてくれた。あの日と同じように、優しく、丁寧に。胸の奥が、じわりと熱くなった。
帰り道、ラセルはいつも通り話しかけてくれた。
森の中で見つけた花のこと。
夜には星がよく見えること。
この世界には、いろんな不思議があること。
その一つ一つに相づちを打ちながら、俺はただ、その声を聞いていた。
横顔を見つめることは、できなかった。でも、手はまだ、繋がれていた。
「ラセル」
帰り道の途中、ふと名前を呼ぶと、彼は俺の方を向いて、またいつものように笑った。
「なぁに?」
「俺、もうちょっとだけ、ここにいていい?」
「うん。好きなだけいていいんだよ」
ラセルは、何も変わらない優しさでそう言ってくれた。やっぱり俺はこの人のことが、好きだ。そしてきっと、それはこれからも変わらない。
俺は、ラセルを振り向かせてみせる。
"弟"なんて言葉で諦められるほど、軽い気持ちじゃない。この想いは、俺の全部だ。
たとえ何年かかったって、
何度フラれたって、
それでも俺は、あんたの隣を諦めない。諦めたくない。
……だから今は、もう少しだけこの手を離さずにいてもいいだろ?
性癖に走りました。