巫女、特命秘書になるってよ
高層ビル群の中にそびえる、ガラス張りの塔。
その中央に、金属光沢の「∞」マークが浮かび上がる。未来的で、どこか無機質な雰囲気が瑞稀の心をざわつかせた。
「これが……G∞社……」
「……神を信じない者たちの本拠地……!」
千景神社を出て車に揺られることおよそ一時間。
都心の中心、まるで神とは無縁のような場所に、神を信じない企業の象徴があった。
瑞稀「でっか……。っていうか、なんかビルが“こっち見てる”気がする……」
我王「気のせいだ。あれは全方位型セキュリティカメラだ。最新型だぞ」
瑞稀「そういうのが余計怖いのよ!」
我王に続いて自動ドアをくぐると、まるで別世界だった。
白とガラスを基調としたロビーに、人工滝の音が静かに響く。周囲には、端正な顔立ちの社員たちが颯爽と歩き、受付にはモデルのような女性社員が控えていた。
彼女は無駄のない微笑を浮かべて、すぐに我王を認識する。
受付「お帰りなさいませ、我王社長。ご同伴の方のご登録は?」
我王「秘書の神宮寺はまだいるか?」
受付「神宮寺は一時間前に退勤しております。急ぎの用でしたら携帯におつなぎしますが」
我王「いや、いい。この子は今日から俺の秘書として同行する」
瑞稀「え、あ、よろしくお願いします」
受付の女性は一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに微笑を整えた。
受付「承知いたしました。では、IDと端末の準備を秘書課に伝えておきますね」
我王「あぁ、頼む」
ビルのエレベーターに乗り、我王が静かに言う。
我王「よく見ておけ。ここが、お前が“付き添うことになる世界”だ」
瑞稀「……場違いすぎて、胃がいたい……」
社長室。
瑞稀はソファに座り、膝の上で丸くなったムゲン君を撫でていた。
ふわふわした毛並みに手を伸ばすと、神様はうっとりと目を細める。
ムゲン君「むにゃ……やめるなムゲ……そこがちょうど……ムゲ……」
瑞稀「……寝た」
瑞稀「アタシ、ついて来たのはいいけど、何すればいいの?祈ればいいの?」
我王「俺とムゲンが離れられない以上、お前は“特命秘書”として動いてもらう」
瑞稀「特命秘書!? なにそれ」
我王「基本は秘書業務だ。ただ、普通の秘書では同行に制限があるからな」
瑞稀「つまり、常に一緒にいろってこと……?」
我王「ああ。そういうことだ」
瑞稀「え、ちょっと待って。お風呂は? トイレは!?」
我王「む……確かに」
瑞稀「ちょっと! どうすんのよ!? 無理よ!一緒に入るとか 無理無理!」
我王「……試してみるしかないな」
瑞稀「えっ、試すの!?」
瑞稀の顔が赤くなる。
我王「どこまで離れて平気か、やってみないと分からん。いまも密着しているわけではないし、ある程度の距離は許容されるはずだ」
瑞稀「……あ、そう! そうね、それなら!」
我王「よし、俺は窓の前に行く。お前はそのドアのところに立て」
瑞稀と我王、それぞれ部屋の端に立つ。
我王「……この距離なら問題ないな。ざっと20メートルといったところか」
瑞稀「ど、どう!? 爆発しそう?」
我王「いや。特に何も」
瑞稀「え、そうなの?
爆発はムゲン君のハッタリかな?……おーい、ムゲン君~」
瑞稀はムゲン君の頬をぺちぺち叩く。
ムゲン君「……痛いムゲ……」
その瞬間、我王が膝をつく。
我王「ぐっ……!?」
瑞稀「ちょ、なに!? え!? 爆発するの!?爆発しちゃうの!?」
ムゲン君「離れすぎだムゲ。
さっきまでは我が眠っていたから、エネルギーの供給止まってても平気だっただけムゲ」
瑞稀「もっと早く言ってよ!!」
瑞稀がムゲン君を抱いたまま、我王の場所へ駆け寄る。
瑞稀「大丈夫?」
我王「はぁ、はぁ…身体が急に重く…」
ムゲン君「我が起きてる時は、瑞稀と我王は一定距離以内にいないとだめムゲ。離れすぎると、我王が苦しみ出して、最後はドカンだムゲ、ついでに貧相な巫女の服も勢いよく四散ムゲ」
瑞稀「なんで、アタシの方が被害デカいのよ!」
我王「俺の方が被害デカいだろ!」
ムゲン君「信仰とは、かくも重いものムゲ、あと爆発力も比例するムゲ」
その言葉に肩をすくめながら、我王は大きく息を吐き、椅子に腰を下ろした。
我王「……ふう」
その瞬間、瑞稀の腕の中にいたムゲン君がぴょんっと飛び降りる。
床をトコトコと歩き、我王の足元まで来ると、
ひょいっと膝に飛び乗って、くるんと丸くなった。
我王「……まるで猫だな、こいつ」
瑞稀「何その帰巣本能……アタシじゃダメだったわけ?」
ムゲン君「……うるさいムゲ……寝るムゲ……ムゲ」
瑞稀「あ、寝た……」
我王は静かに息を吐いて椅子にもたれかかった。
我王「これでようやく、少しは離れても大丈夫だろう」
瑞稀「え、ちょっと。今夜は……どうするのよ? 帰れないの?」
我王「ここからじゃ遠すぎる。今日はこのビルで寝てもらう」
そう言うとタブレットを操作しながら答えた
「ゲストルームを一部屋開けた。廊下の明かりをたどれば着くようになってる。
顔認証で鍵も開くし、中の設備はホテルと変わらない。快適に過ごせるはずだ」
瑞稀「……もう、なんかこわい、この会社のシステム」
我王「俺も今日は疲れた。ムゲンも寝てる今のうちに、休んでおけ」
瑞稀「はいはい、おやすみ」
我王「明日からは正式に働いてもらうからな」
瑞稀「……了解です、社長」
瑞稀は重たい足取りで立ち上がり、部屋を後にした。
自動ドアが静かに閉まり、廊下のライトが彼女の足元を優しく照らす。
瑞稀「はぁー……長い一日だったな……」
残された社長室では、我王が椅子にもたれ、
膝の上で静かに寝息を立てるムゲン君を見下ろしている。
やがて彼も静かに目を閉じた。
その表情は、どこかほんの少しだけ、やわらかかった。