マリーアントワネットと側近高橋
石畳を打つヒールの音が、ヴェルサイユ宮殿の廊下に軽快に響いていた。
「ママ〜! 大変大変〜!」
勢いよく扉を開け放ち、部屋へ飛び込んできたギャル娘は、そのままソファへダイブした。
高級クッションが「ボフッ」と情けない音を立てる。
マリー・アントワネットは優雅に紅茶を飲みながら、迷惑そうに眉をひそめた。
「ノックをなさいと何度言えば分かるの」
「それどころじゃないって〜!」
娘は机の上に新聞を叩きつける。
そこには大きくこう書かれていた。
『パン不足!! 民衆ブチギレ寸前!!』
アントワネットは小首を傾げた。
「パンが無いなら、お菓子を食べればよろしくてよ?」
娘は真顔になった。
「ママ、それ多分歴史に残るレベルで炎上するやつ」
「えっ」
空気が止まった。
遠くで鳥が鳴いた。
アントワネットはそっとティーカップを置く。
「……高橋を呼びなさい」
娘がニヤッと笑う。
「出た。“困った時の高橋”」
数分後。
静かに扉が開いた。
現れたのは、黒髪オールバックに無表情という、“絶対にこの時代の人間じゃない感”を漂わせた側近──高橋だった。
「お呼びでしょうか」
アントワネットは椅子にもたれながら言う。
「民衆にパンを届けなさい」
「財源は?」
「無いわ」
「輸送網は?」
「終わってるわ」
「農民の感情は?」
「最悪ね」
「……」
高橋は天井を見上げた。
娘が横から覗き込む。
「高橋、今“帰りてぇ〜”って顔してる」
「しております」
即答だった。
だが断れるわけがない。
翌日から、高橋はフランス全土を走り回ることになる。
「なんで貴族ごとに別々の馬車出してるんですか!!」
会議室に高橋の怒声が響く。
太った貴族が鼻を鳴らした。
「当然だ。我が小麦は高貴だからな」
高橋は無言で帳簿を机に叩きつけた。
「赤字です」
「ぐはっ」
まるで物理攻撃を受けたみたいに貴族がのけぞった。
娘が小声で笑う。
「高橋の“赤字です”って、ほぼ必殺技じゃん」
その頃、高橋はほとんど寝ていなかった。
大量の帳簿に囲まれ、ボサボサ頭のまま数字を書き続ける。
「地域別消費量……馬車到着時間……暴動発生率……」
娘が後ろからひょこっと覗き込む。
「何それ?」
「パン需要予測です」
「えっ、怖。仕事できる人の顔してる」
「仕事はできます」
「うざ〜」
だが、その効果は出始めていた。
「最近パン届くの早くね?」
「革命するほどでもなくね?」
街の空気が少しずつ落ち着いていく。
高橋は珍しく安堵の息を吐いた。
──その日の夕方までは。
「高橋〜〜〜〜〜!!!」
嫌な予感しかしない声だった。
振り返ると、娘が目を輝かせている。
「ヴェルサイユ宮殿、映え改装しよ!」
三日後。
宮殿には巨大シャンパンタワーが完成していた。
噴水からワイン。
廊下には金ピカのラメ。
意味不明な巨大天使像。
高橋はその光景を見ながら、無言で胃薬を飲んだ。
娘が笑顔で聞く。
「どう!? インスタ映えしない!?」
「民衆のヘイトも映えております」
外では怒号が響いていた。
「ふざけるな!!」
「税金返せ!!」
「革命だーーーー!!」
窓ガラスが震える。
アントワネットが青ざめた顔で振り返る。
「高橋、どうにかしなさい!!」
高橋は静かに答えた。
「無理です」
「えっ」
「これは物流ではなく、“感情”の問題です」
娘が真顔になる。
「つまり?」
高橋は遠い目をした。
「詰みです」
その瞬間。
遠くでバスティーユ襲撃の鐘が鳴った。
フランス革命の始まりである。
高橋はそっと空を見上げた。
「……転職したい」




