琴子さんの性癖 ~校内一の美少女とモブな俺が両想いな理由~
「ねえタカシくん。私達って両想いでしょう?」
二人きりの放課後教室。俺の机を挟んで対面に座ったとびきりの美少女が、制服姿でそう問いかける。
「琴子さんがそう言うなら、そうかも知れない」
他に答えようがない。
中学校の入学式で稲妻に打たれるように一目惚れしてから、高校二年の夏が終わりかけた今日までずっと、俺は彼女に片想いしてるつもりで生きてきたから。
──鐙谷 琴子。
すらり細身のスタイルに、白い額の眩い前髪なしの黒髪ポニーテール。きりり弧を描く眉の下、涼しげな目元から真っすぐ通った鼻梁の先には、薄い唇が仄かに色づく。いつ誰がどの角度から見ても美少女としか言いようがない完璧な美少女だ。
しかも成績は常に学年トップで、休み時間は中庭の木陰で純文学と思しき文庫本を読みふける物静かな文学少女。けどもし誰かが勉強でわからないところがあると声をかけたなら、どんな相手でも優しい微笑みと丁寧な言葉でわかりやすく教えてくれる。
身も心も「校内一の美少女」の称号に相応しい女の子だ。
対して俺こと辺口 高志は、自己評価開示するなら全パラメータが平均値ちょい下らへんに固まる生粋の一般人だ。休み時間は自分の机でもっぱらWEB小説投稿サイトのラノベを読んでる。
人に負けないことがあるとすれば、それこそ五年間に渡って熟成された琴子さんへの一方的愛情ぐらいだ。おそらくクラスの全員から「なんか暗いやつ」としか思われてないだろう。
そんなモブい俺は、放課後にひとり教室に残ってボーッとする時間が好きだった。
もともと独りが好きなので、集団行動からの解放感が心地よいのだ。
──で、今日もきょうとて教室にひとり静寂を浴びていると、琴子さんがとつぜん教室に戻ってきた。
そして呆然とする俺のひとつ前の席までポニテなびかせ歩み寄り、椅子を逆向きにして腰掛けるや、美しく澄んだ声で冒頭のセリフを言い放ったのである。
「ソレを踏まえて提案があるのだけれど、疑問や質問はある?」
問いかける彼女の手には、今日も文庫本が携えられていた。
至近距離すぎてまともに顔が見れず、俺は視線を泳がせながら「じゃあ質問が」と口にする。
出会って五年目、これがはじめて交わした会話だ。
「どうぞ。両想いなんだから、遠慮しないで」
「……その、両想いと断定するに至った根拠をはっきりさせておきたいです」
そびえる疑問の山札から、一番上の一枚を選ぶ。
両想い。額面通りに受け取れば彼女が俺を異性として好きだということになってしまうが、そこに認識のズレはないのか。そして、天地がひっくり返っても叶わないと奥底に秘めてきた俺の想いに、いったいどこで気付いたのか。会話もしたことないのに。
「そうね。だってタカシくんは、好きじゃない女の子の縦笛を舐め回したりしないでしょう?」
──!?
詠うような彼女の言葉に、俺は硬直した。──心当たりがあったから。
「中学のころから、私をチラチラ見てくる男子はたくさんいた。けれどタカシくんの瞳には、他の誰とも違う深さがあったの」
「……ふかさ……?」
早まる鼓動をなだめつつ聞く。褒められてるのだろうか?
「そう。今も変わらず、誰より深くて昏い、沼底に沈殿する泥濘のような」
うん褒められてはいないかも。それはそうと、文芸部の語彙力でディスるのは心がえぐれるからやめてほし……いや……でも、これはこれでゾクゾクして……アリか……。
「だから試したの。ほら、きみはあのころもよく一人で教室に残っていたから、私の縦笛を出しっぱなしにして、隠し撮りしておいたの」
……え? ────ええぇええ!?
「忘れられない、はじめて奪われた唇。あんなにじっくりねっとり、ねぶりまわされて……」
彼女は目を閉じて唇に指先を添え、恍惚と口にした。チラ見のつもりが、そのあまりの美しさに、語られた事実の衝撃を忘れて見入ってしまう。
「そのあと念入りに除菌シートで清めてくれた優しさにもキュンとした」
……ええまあ、万が一もあるし感染症対策はしっかりしないとね……。
「他の子にもお願いして出しっぱなしにしてもらったけど、きみは他の誰のにも手を出さなかった。あの、いまや国民的アイドルな小鳥遊さんの縦笛さえスルーした……」
言われれば確かに、何度かそんなことがあった。笛の日干しが女子の間で流行っているのかと思ってた。
けど俺にとって、琴子さんの縦笛以外はただの楽器でしかない。小鳥遊さんのだって、心が動いたのはほんの一瞬だけだ。
「そういう一途なところも、すてき」
ふわりと微笑む彼女。少しだけ「一途」の使い方が合っているか気になったけど、やっぱり見惚れてしまう俺。
「他にもいろいろ試してきたけど、きみだけがいつも期待以上の結果を出してくれた。誰よりも深くて重くて昏い感情を、まっすぐ私だけに向けてくれた」
他にもいろいろ……? 言われてみると、いくつか心当たりがあるような、ないような。ちょっと思い出すのがこわくなる。というか「きみだけが」って、俺以外にも……?
「そのたび私の胸はタカシくん、きみでいっぱいになっていった」
文庫本と両手を、控えめながら黄金比な胸の膨らみにそっと重ね、俺の両目を覗き込む。
「そして先週、ジェシカが落としたマーカーを拾おうと前かがみになったとき」
ジェシカは英語の特別外部講師として月に一回、生の英語を教えてくれるカリフォルニア生まれの留学生だ。女子大生で金髪でダイナマイトだ。
「男子全員が谷間を覗き込んだけど、タカシくんだけは歯を食いしばりながら下を向いて、横目で私の方をチラ見してたでしょう。あれで、やっぱりタカシくんしかいないと思ったの」
確かにそんなこともあった。あれは正直ちょっと危なかった。
「誰よりも深く重く一途に私を好きでいてくれるタカシくん。そんなタカシくんが愛おしくてたまらない私。これを両想いと呼ばずして何をそう呼ぶのか」
ああ、確かにこれはどうしようもなく両想いだった。
片足を底なし沼に突っ込んだ感触はあるけど、もう一歩踏み出すことに躊躇はない。
「タカシくんも、そう思うでしょう?」
「……ハイ……」
だからもう、そう返事するしかない。
「それじゃあ、提案に戻ってもよい?」
「……ハイ……」
俺は神妙に彼女の言葉を待ち受ける。やっぱりあれだろうか、私の奴隷になりなさい的な。……それは、願ってもないことだ。
「で、両想いなのだからお付き合いするのは当然として、ほら、NTRってあるでしょう?」
「……ハイ……はい……?」
さらっとお付き合いすることになって目を丸くする俺の前で、おもむろに手にした文庫本を開いた彼女は、中表紙のタイトルを白く細い人差し指でさし示す。
『欲深妻は寝取られ上手/卯月シズク』
白地に流麗な明朝体が踊る。ええと俺くわしくないけど、純文学ってこういう感じだっけ。
「私、ソレを扱った作品が性癖なの」
なん……だっ……て……。俺は、無意識に唾をのみこんでいた。
「そこに渦まく嫉妬と憎悪、羨望と失望、純情と劣情、優越感と罪悪感──幾重もの感情の二律背反の先に、真実の愛が炙り出される」
文庫本をゆっくりめくりながら、彼女は詠うように滔々と言葉を紡ぐ。
「だから私ね、自分の好きな人を──タカシくんを誰かにネトラレてみたいの!」
え、そっち!? い……いや、待て落ち着けタカシ。彼女は、また試しているんじゃないのか。そうだ、もしかしたらこれが、最後の試練なのかもしれない。
「どうかな? お願いできる?」
そして、試練だとしてもそうでなくても、答えは同じだ。
目の前に無防備な縦笛が林立しようと、世界規模な谷間が揺れようと、俺はよそ見せず琴子さんだけを想い続ける。
彼女の視線に真っすぐ向き合う。黒い瞳は深くて昏くて美しくて、飲み込まれそうだった。
「これまでもこれからも、俺には琴子さんしかいないし、琴子さんしかいらない。絶対にネトラレたりしないよ」
──まあカッコ付けたところで、そんな相手もいないけど。
対して琴子さんは、目もくらむような満面の笑顔を浮かべてうなずいていた。
「タカシくんなら、そう言ってくれると信じてた。言いなりで簡単にネトラレるのなんて一方通行のネトラセでしかない──そこに私の欲しい感情はない」
……正解!? それじゃあ、これで晴れて琴子さんと……
歓喜にうち震える俺の前で、彼女は文庫本の半ばから紙の栞を取り出すと、数枚重なっていたそれらをマジシャンばりに扇状に拡げていた。
「そんな手強いタカシくんだからこそ、私はネトラレたいの!」
……は……い……?
「だから、刺客を準備してあります」
机に並んだ栞一枚に一人ずつ、それぞれ魅力的な女子の全身写真と名前が印刷されていた。中には見た顔もある。なお右端の三枚はシルエットになっていて、名前もモザイクが掛けられている。
「これから彼女たちに狙われることになるけど、頑張ってね、私の彼氏くん」
想定を遥かに超えた展開に、もはや呆然とうなずくしかない。
「それじゃあ、今日は一緒に帰りましょうか。私達、両想いなのだし」
「……! うん!」
だけど後悔はない。刺客など恐るるに足りない。
だって、俺の琴子さんがいちばん魅力的に決まっているのだから。
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