054 君臨する覇王
少し長めです。
どうぞお楽しみください。
イネスの活躍を見届けたシンは、一つの決意を終えた後、城壁を歩きゆっくりと最前線まで移動する。
そこから戦場を見渡し、そして気付いた。
やけに魔物の数が多い。まだほとんど倒すことができていないようだ。
(いや、倒せていないと言うより、これはむしろ――)
「くそっ、いったいどうなっているんだ!?」
怒りと困惑に満ちた声に反応し、シンが視線を向ける。
そこには、今回の総指揮を務める冒険者の姿があった。
どうやら、何か想定外の事態が起きているようだ。
シンは一つ息を吐いた後、その指揮官に声をかける。
「おい、何が起きてるんだ?」
「えっ? 君は確か第7班に所属していた……っ、そうだ! ルイン・ドレイクはどうなって――」
「それならもう片付いたから問題ない。そんなことより、今の状況を教えてくれ。魔物がほとんど減ってないように見えるが」
シンの問いかけに、指揮官は「片付いた? あのルイン・ドレイクを、誰かが倒したのか……?」と困惑した表情で呟いた後、すぐにハッと我に返った。
「それが……倒した魔物がすぐに復活するせいで、数が増える一方なんだ! 一体全体、何が起きているのか……」
「倒した魔物が、復活する?」
その言葉に、シンは眉をひそめた。
魔物が復活するなど、通常ではありえない現象だ。
何か、不吉な予感がシンの脳裏をよぎる。
――そして、その予感は見事に的中してしまった。
突如として空が暗くなったかと思えば、まるで太陽が消えたかのように辺り一面が影に包まれたのだ。
「っ、なんだ!?」
「急に空が真っ暗になったぞ!?」
「いや待て、あそこを見ろ! 何かがやってくるぞ!」
困惑する冒険者たち。
そんな彼らの元に、魔物の群れの奥から一つの影が現れる。
ローブを羽織った骸骨の姿。
それは紛れもなく、アンデッドの王として知られる魔物――リッチだった。
指揮官の表情が、一気に険しくなる。
「あれはまさかリッチか!? Sランクダンジョン【憑霊の墓所】に君臨するレベル2500のボスだが……目撃情報だけならともかく、これまでに討伐できたという話は聞いたことがない! ルイン・ドレイクに続いてこれだけの怪物が出現するなんて、いったいどうなっているんだ!」
驚愕と恐怖の入り混じった声を上げる指揮官。
しかし彼はまだ、これが絶望の入り口に過ぎないことに気付いていなかった。
「いや、どうやら違うみたいだぞ」
「えっ?」
隣に立つシンが、静かにそう告げる。
これまで数々の強敵と対峙してきた彼は理解していた。
目の前に現れた魔物が、その程度のレベルで済む相手ではないことを。
指揮官は遅れてリッチの詳細なステータスを確認し――絶望に目を見開いた。
――――――――――――――
【エルダーリッチ】
・レベル:5000
・ダンジョンボス:【憑霊の墓所】
・数多の魂を喰らい覚醒進化を遂げた、リッチの上位種。
――――――――――――――
「なっ! リッチの上位種……しかもレベルが5000だと!?」
レベル5000。
それは、この町のトップ冒険者をも遥かに凌ぐ脅威的な数値だった。
冒険者のほとんどが言葉を失う中、次に声を上げたのは意外な存在だった。
『ふむ。これはこれは、素晴らしい絶望の味わいだ……わざわざこうして、侵攻をしかけた甲斐があったというものよ』
そう告げたのは、圧倒的な存在感でこの場を支配する魔物――エルダーリッチだった。
魔物の中には稀に人語を介するものもいるが、それはごく一部の超上位個体に限られる。
エルダーリッチが発したのは、たった一文。しかしそのたった一文だけで、エルダーリッチは自身が理外の存在であることを全員に示してみせた。
指揮官は震えながら、エルダーリッチに向けて問いかける。
「まさか……今回のスタンピードを引き起こしたのは、お前なのか?」
その問いに問いに対し、エルダーリッチはカタカタと音を鳴らしながら、肉のない顔で笑みを浮かべた。
『その通りだ! 我は本来であれば、ダンジョンの最奥でただ挑戦者を待ち受けることしかできない無知なる存在だった。しかし、数多の挑戦者の魂を喰らったおかげで覚醒進化を遂げた我は、知性を獲得し会話すら可能になった。その後、ダンジョンの仕組みを解析して地上に出た我は、幾つかのダンジョンを開放し魔物たちを配下に加えた。そして世界を支配するに足る力を得たと確信し、こうして侵攻を開始したという訳だ――前置きは、この程度で十分か』
その言葉は、まさしく死神の宣告のようだった。
エルダーリッチの身体からは、恐ろしいほどの魔力が溢れ出している。
まるで、死そのものを具現化したかのような、冷たく重苦しいオーラ。
「ば、馬鹿な……こんな化け物が町に放たれでもしたら、世界が滅ぶぞ……!」
指揮官をはじめとする冒険者たちは、絶望に打ちひしがれていた。
彼らに今できることは、せいぜい町の被害を最小限に抑えることぐらい――いや、それすらも難しいだろう。
このエルダーリッチを前にして、勝利など夢のまた夢。
ただただ破滅を待つのみといった状況だった。
――だが。
この中でただ一人、例外が存在していた。
「…………」
エルダーリッチの宣言を受け、誰もがただ立ち尽くす中で。
シンは城壁から飛び降りた後、冒険者たちの間を抜け、ゆっくりと魔物の群れに向かって進んでいく。
全員の注目が、シンだけに向けられる。
「お、おい、何をする気だ? まさか立ち向かう気か?」
「見覚えがあるぞ。アイツは確か、ついこの間ギルドに登録しに来たレベル二桁の雑魚なはずじゃ……」
「嘘をつくな! そんな奴が、この威圧感の中で動けるわけないだろ!?」
冒険者たちの声を聞き流し、シンは群れの前で足を止める。
そんなシンを見たエルダーリッチは、楽し気な笑みを浮かべながら口を開いた。
『ほう、まさか我の魔力圧の中で動ける者がいるとはな。命乞いでもしにきたか? 良いだろう。貴様さえ望むのであれば、我が配下に加えてやっても――』
「言っている意味が分からないな」
『――なに?』
エルダーリッチの動きが、ピタリと止まる。
「なぜ、自分よりも劣る存在の配下になる必要がある? 俺はただ、目障りなゴミを片付けに来ただけだ」
『っ、貴様……!』
ギリリと、エルダーリッチは怒りに歯を噛み締める。
アンデッドの王にとって、このように侮られるなど、生まれてから初めて味わう屈辱だった。
この瞬間、エルダーリッチの中で青年を無残に惨殺することが決定する。
そして――――
『無謀な弱者がいるようだな! 愚かな人間よ、我が軍勢の餌食となるがいい!』
そう叫ぶなり、エルダーリッチは魔物の群れに突撃を命じた。
地響きのような音を立てながら無数の魔物がシンに襲いかかる。
地を覆い尽くすほどの数で、まるで黒い波のように押し寄せてきた。
だがシンは、微動だにしない。
彼は静かに目を閉じると、深く息を吸い込む。
そして、大気が震えるほどの気迫を込めて、呟くように言った。
「――――【骸の剣】」
次の瞬間、シンの手には漆黒の大剣が出現した。
禍々しい魔力が剣身を覆い、周囲の空気を歪ませる。
そしてシンはその剣を力強く振るうと、魔物の群れに向かって斬撃を放った。
真っ黒な斬撃が、まるで夜空を切り裂くように一直線に伸びていく。
たった一撃。
しかしその威力は凄まじく、襲い来る魔物の一割が斬撃に呑まれ、跡形もなく消し飛んだ。
無数の魂が吸い込まれるように剣へと吸い寄せられていく。
「……やっぱり、魔物たちが死霊化していたのか。アンデッドなだけあって、魂の吸収効率は良さそうだ」
シンは骸の剣を眺めながら、そう呟く。
彼の周りでは、吸収された魂が漆黒の靄となって渦巻いていた。
まるで死神が魂を刈り取るかのような、不気味な光景。
『ば、馬鹿な! こんなことありえん! たった一撃で、我が軍勢の一割が消し飛ぶだと!?』
「一割ごときで、済むと思ってるのか?」
エルダーリッチは信じられないといった様子で叫ぶ。
だがシンは、容赦なく斬撃を繰り出し続けた。
一撃、また一撃と放たれる斬撃。
まるで死神の鎌が魂を刈り取るように。
たった数発の斬撃で、魔物の群れは次々と消滅していった。
その光景を見た冒険者たちは、衝撃に目を見開いていた。
「なんだ、これは……夢でも見てるのか?」
「……うそ」
「強すぎる! たった一人で、魔物の大群を倒しているだと!?」
冒険者たちの間では、困惑と驚愕の声が飛び交う。
彼らの目の前で繰り広げられる光景は、あまりにも非現実的だった。
たった一人で圧倒的な力を見せるシン。
斬撃一つで魔物の大群を薙ぎ払い、死神のごとく戦場に君臨する。
まるで、人間離れした化け物のようだった。
『くっ……ならば、この一撃で決める!』
追い詰められたエルダーリッチは、残った魔物全ての魂を吸収し、膨大な魔力を込めた一撃を放つ。
漆黒と紫が入り混じる、巨大な魔力の塊。
その威力は町一つを消し飛ばしかねないほどだ。
まさに必殺の一撃だった。
だがシンは、動じることなくその攻撃を見据える。
彼の瞳に一切の迷いはない。
ただ静かに、剣を構えたまま告げた。
「お前が何をしてこようと、俺が全てを蹂躙してやる」
低く響くその声は、まるで死神の囁きのようだった。
そして言葉が終わると同時に、シンは魔力の塊に向かって斬撃を放った。
漆黒の斬撃が、魔力の塊に向かって伸びていく。
魔力に満ちた闇と、死の気配を纏う闇。
両者がぶつかり合う、刹那の出来事だった。
魔力の塊は真っ二つに切り裂かれ、瞬く間に四散する。
そのまま斬撃はエルダーリッチへと突き進んだ。
骨の砕ける音が、辺りに木霊する。
『ば、馬鹿な……我が、こんな人間如きに……!』
エルダーリッチの絶叫。
しかし、彼には最後まで言葉を紡ぐ時間は与えられなかった。
シンの斬撃が、エルダーリッチの体を真っ二つに断ち切ったからだ。
伝説の魔物は、いともあっけなく斃れ去った。
エルダーリッチの消滅と共に空は晴れ渡った。
まるで悪夢から覚めたように、闇が晴れ、太陽の光が降り注ぐ。
人々は我に返ったように大きな歓声を上げた。
「や、やったぞ! 魔物どもが消えた!」
「スタンピードが……終わったんだ……!」
「俺たちは、助かったぞ……!」
歓喜と安堵の声が、町中に響き渡る。
だが、彼らの胸に沸き上がった感情は歓喜だけではなかった。
人々は、恐怖と畏怖の入り混じった眼差しでシンの後ろ姿を見つめる。
これほどまでの力を持つ者が本当に人間なのか。
彼らの中には、シンを英雄などと呼べる者はいなかった。
ここにいる冒険者だけでなく、今大迷宮で戦っている世界最高峰の実力者をも、圧倒してしまいかねない程の絶対的な力。
そこにあったのは希望を超えた何か――まさしく、覇王の姿そのものだった。
最強の冒険者にして、死神の力を持つ男。
シンの存在は、この日から人々の記憶に深く刻まれることとなったのだった。




