046 揺れる決意
それからさらに数日後。
俺とイネスはSランクダンジョン【風絶楼閣】を攻略していた。
『ダンジョンボスを討伐しました』
『攻略報酬 アイテム【風纏の絶弓】が与えられます』
ダンジョンボスであるレベル1500のグリフォンを討伐すると同時に、攻略を告げるシステム音が鳴り響く。
報酬として与えられたのは、1張りの巨大な弓だった。
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【風纏の絶弓】
・攻撃力+1500
・ダンジョン【風絶楼閣】の攻略報酬。
・この弓から放たれる矢は風を纏い、速度と貫通力が大きく上昇する。
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効果を見た俺は、小さく呟く。
「……外れだな」
残念ながら今回もSPじゃなかった。
数十のダンジョンを踏破する中で分かったが、どうやらパラメータ上昇に繋がる攻略報酬はかなりのレアらしい。
一方、俺の呟きを聞いたイネスは全力で首を左右に振っていた。
「いやいや、大当たりだよ!? 攻撃力だけでもすごいのに、追加効果まであるなんて……こんなすごい武器、滅多に入手できないからね⁉︎」
「……そうか。ところでイネス、今の討伐でレベルは上がったか?」
「えっ? う、うん。ちょうど1200を突破したけど……」
それを聞いた俺は、風纏の絶弓をイネスに手渡す。
「シ、シモン? これって……」
「受け取れ。それだけのレベルがあれば、この弓も最低限扱えるはずだ」
手っ取り早く成長するのに、新武器は効率がいい。
考えようによっては、レベルアップ以上に有効な手段と言えるだろう。
しかしイネスは両手で弓を握りしめながら、どこか納得のいかない表情を浮かべていた。
「武器を譲られるのは気に入らないか?」
「ううん、そういうことじゃなくて……さすがに、貰いすぎなんじゃないかって」
「……貰いすぎ?」
何を言ってるのか理解できずそう尋ねると、イネスは真剣な目をこちらに向け、大きく口を開いた。
「だってそうでしょ!? 魔力を注ぐことで刀身が伸びて切れ味が増す【錬魔の短剣】や、装備中に一度だけダメージを肩代わりしてくれる【無貌の仮面】……他にも、高ランクダンジョンにふさわしい報酬を幾つもゲットしてるのに、シモンが迷うことなく全部わたしにくれるから。もう、何が何だか意味が分からなくなってくるよ……」
ぐるぐると、両目を回しながらそう主張するイネス。
どれも俺には不要なアイテムだったから譲っただけなのだが(【無貌の仮面】は有用そうに見えて、肩代わりできるダメージに上限があった)、彼女からすれば、相当常識外れの行為だったらしい。
それにしても、自分に有益なことが起こっているにもかかわらず、こんな風に不満を抱くなんて――
「……イネスは変わってるな」
「ぜーったい! 変わってるのはシモンの方だからね!?」
納得いかないとばかりに、イネスは全力でそうツッコんできた。
ここ数日でそれなりに親交が深まり、素を出せるようになったからだろうか。
出会った当初に比べ、イネスは自然体で振舞うようになっていた。
この感情豊かな姿が、彼女の本来の姿なのだろう。
それにしても……
(誰かから、こんな接し方をされたのはいつぶりだったかな)
俺はふと、そんなことを思った。
それは自然と湧き出てきた、特に意味のない疑問。
その、はずだったのだが――
「…………」
「……イネス?」
なぜかイネスは、唖然とした表情で俺を見つめていた。
呼びかけると、彼女はハッと我に返る。
「ごめん、急にぼーっとしちゃって」
「いきなりどうしたんだ?」
「その……シモンが笑ってるところ、初めて見たなと思って」
「えっ?」
思わず自分の顔に触れる。
そしてようやく、俺は自分が笑っていたことに気付いた。
それは無意識によるものだったが、俺にとっては衝撃的な事実だった。
(俺が、笑った……?)
楽しさも、喜びも、嬉しさも。
そういった感情は全て、あの地獄で自死を繰り返す中で削ぎ落としてきた。
今になってそれらを取り戻すなんてありえないはずだ。
だけど今――現実に、俺は笑っていた。
それだけは目を逸らすことのできない、まごうことなき事実。
その事実を認識した時、一つの懸念が浮かび上がってきた。
俺が楽しさや喜びといった感情を失ったのは、それらが復讐に必要のないものだったからだ。
しかし今、それらを思い出し始めているということは……
(俺の中にある、復讐心が薄れてきてるのか……?)
もし、その予想が正しかったなら。
これは俺にとって看過できない事態だった。
俺と、大切な家族を悲惨な目に遭わせた、始まりの原因であるアダムとブラスフェミー家。
彼らへ復讐することこそ、俺が地獄から這い上がってきた一番の理由。
それをこんなところで捨てるわけにはいかない。
そう。
その願いをかなえるために、決意が揺らぐ要因は全て取り除かねばならない。
そのためにも――
(……これ以上、イネスと一緒にいるのはまずいかもな)
きっとこれは一時の迷い。
数年ぶりに誰かと同じ時間を過ごすことで、混乱してしまったのだろう。
一人に戻れば、かつてと同じようにまた決意を固められるはずだ。
だから、俺は――
「? どうしたの、シモン?」
「……いや、何でもない」
不思議そうに俺を見るイネスを誤魔化しながら、間もなく訪れる別れの瞬間を想像するのだった。




