これは何だろう
空襲で家が無くなった。
家があった場所に向かったが、見事に焼け野原だった。土の中には、茶碗や皿も埋まっていたが、今はこれがあっても何の足しにならない。お腹が空き、今にも死にそうだった。
両親も空襲で死に、もう行く場所がない。玉音放送も聞いたが、人々は意外と冷静だった。泣き崩れるものも少なく、「ようやく終わった……」とため息を溢すものもいた。
問題は、これからどうするべきか。しばらく親戚の家にいたが、お金がないと追い出された。周りは見渡す限り焼け野原。何も無い。どうするべきか……。
ふと、幼なじみだった瑞稀ちゃんの事を思い出す。彼女はキリスト教徒の家の子供で、「非国民」だとよくいじめられていた。確か牧師である父は捕まって獄中死していたが、今は彼女がどこにいるかはわからない。
そんな彼女は、戦中、食べ物が減ってきても、あまり心配はしていなかった。「もし食べるものがなくなっても、神様が天からマナを降らせてくれる」とも言っていた。
マナは旧約聖書の中に出てくる食べ物らしい。奴隷状態だったイスラエル人を養ったとされる不思議な食べ物。天から降ってきたという。マナというのは、「これは何だろう」という意味でもあったらしい。それぐらい不思議な食べ物だったのだろう。
マナは多くとっても余る事はなく、少なくとっても足りない事はなかったらしい。瑞稀ちゃんによると、「神様が人を養うって事なんだろうね。あと仲間と分け合う大切さも伝えてる」と言っていた。ちなみにマナの味は甘かったらしく、赤ちゃん用の薄焼き煎餅に似ていたという説も強いという。
だったら、私もマナを求めてもいいだろうか。国家神道とを信じていた私も、今の状況にはお手上げだった。地面に膝をつき、土下座のような体制をとりながら、神様を求め続けた。もう自分は誰にも頼れない。
「マナを降らせてください……」
そう祈った瞬間だった。空からマナは降ってはこなかった。代わりに瑞稀ちゃんがいるではないか。久々の再会に、私は泣きながら彼女と抱き合う。お互いぼろぼろのもんぺ姿で、顔も髪も酷い状態だったが、とにかく今、生きて再会した事が嬉しくて仕方がない。
「え、翔子ちゃんも戦争孤児になったの?」
現状もお互いに報告する。お互い戦争孤児になってしまったが、瑞稀ちゃんは知り合いの牧師がやっている戦争孤児の施設に行くらしい。
「翔子ちゃんもくる?」
「え、いいの?」
「うん。牧師さんが困ってる孤児を追い出す事はないと思うよ。駅にいる孤児も引き取ってる人だから」
「本当?」
安堵で膝が崩れそうだ。
確かにマナは空から降ってこなかったが、私は同じ身の上の子供達との共同生活を送る事に決まり、どうにか命拾いした。
食事も大きなちゃぶ台を囲み、雑炊や芋をみんなで分け合って食べる。
きっとこの食事も多くとっても余る事がなく、少なくとっても足らない事が無いはずだ。
「神様、ありがとう……」
今日も感謝してご飯を食べる。それだけでも、明日も元気に生きられる気がした。
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