悪心
「・・・」
なおも黙っている静子にその上司が言った。
「睦月さん。・・・何か言う事は?」
「・・・」
これは自ら辞めたいと言うように促されているのかと、直感で
静子は思った。
これも、運命かもしれない。
しかし運命ならば、
あえて、この上司の口車に乗って、
自分から辞めますという事もないだろう。
静子は答えた。
「いいえ。しかし、私はあなたがおっしゃっている後輩いびりは一切していませんので、
上の方にも、そのようにお伝え頂ければと」
「・・なにが『上の方にもお伝え頂ければ』よ・・!
・・・嫌がらがせいっぱいしてやったのに。
・・・ねえ、『あの女』、どうしても辞めさせたいのよ!
ねえ、何で、やめないのかしら、貴方。・・・ねえってば!」
あるバーで、仕事帰りの酒を一杯引っかけながら、
表情を顰めた彼女がマスターらしき男に愚痴っていた。
「・・・」
ただ黙って聞いているマスターに彼女がなおも言った。
「・・・・ねえ、貴方は、
この辛気臭いバーのマスター兼、
私の会社の社長兼、
私の夫でしょ!
何か言いなさいよ、・・・このクソ牛男!」
その呂律が回らない彼女に、
遂にそのガタイのいいマスターが答えた。
「羅刹女。まあ、落ち着きなさい。
それに、そんなに吞むと、その、せっかく憑依したその肉体がもたないよ」
「・・!」
ふいに立ち上がろうとしよろめいた羅刹女を、
そのマスター・牛魔王は素早く受け止めると言葉を続けた。
「ほら言ったじゃないか。
・・・君と私は、人間の悪心を辿ってやって来た地獄からの使者。
あの小娘だって、たとえ高い守護があろうとも、所詮その人間のひとりだ。
・・君が今自由自在に操っている、『その肉体』だって、
この今の、私の肉体だってそうだ。
・・・傲慢、嫉妬と言う悪心に屈し、
知らず知らずのうちにも同じ気持ちを持って死んだ君や、この私に憑依を許した。
人間・・・。何て愚かな生き物だ」
続く




