30、エピローグ (後編)
続きです!
ハッとして織愛が顔を上げると、船室の窓ガラス越しに、一面に朱色が広がっている。
「……ええっと、これはエビ、かなあ……?」
そこにはデカいエビがいた。
ヨットよりデカいエビが。
いびつなハサミを振り上げて、上半身を水面に出している、立派なエビの大怪獣がいた。
なんかキシャアアとか叫んでいる。
「え?なにこれ、俺こんなんで死ぬの?おりりんと結婚もしないまま、あのハサミでやられちゃうの?ジエンドなの?」
みやぞんは混乱しているようだ。
しかし、織愛はこの現象の正体を知っていた。
(これ、シンシア様の『聖女の願い』だ……!)
魔力を使わない、聖女の純粋な願い。力ある聖女のそれは、奇跡を起こす。
金色の髪の毛の、背の小さい彼女の弾けるような笑顔が、脳内で弾けた。
「……大丈夫よみやぞん、あのエビ?は敵じゃないわ」
「え、どうしたの、おりりん。あれどう見ても南海で大決戦してるタイプじゃん……って、泣いてるの?」
気付けば織愛はボロボロ涙をこぼしていた。
嫌ね、アラサーともなると涙腺が弱くていけないわ、とティッシュで拭う。
(そうね、シンシア様。世界が違っていても、私たちの思いは、繋がっている)
「わああ食われるう!!……って、あれ?」
みやぞんがビビっている間に、突如現れた大エビ怪獣は、ハサミでヨットを掴み、そのまま凄い勢いで押し始めた。
離れていた岸が、どんどん近付く。
「あ……?!これ、船を陸に戻してくれようとしてんのか」
みやぞんもようやくその意図に気付いた。
「ね?言ったでしょ、あのエビ?は、敵じゃないって」
織愛は穏やかな笑みを浮かべながら、朱色の大怪獣を見つめた。
「たっ……大変だああ、ヨットに化物がああ!!」
その頃、海岸ではちょっとしたパニックが起きていた。
巨大なエビらしき生き物に、一艘のヨットが捕まっている。
それが浜に近付くのを見た人々が、慌てて逃げ始めた。
ああ、あのヨットはもうダメだ、喰われてしまう……と誰もが思う中、大エビ怪獣はヨットを船着き場にそっと置くと、白い光の塊となって掻き消えた。
ヨットから降りてきたふたりの男女は、「私たちにもよくわからない。エンジントラブルで困っていたら、あのエビが現れて運んでくれた」と話した。
近隣住民の動揺はしばらく続いたが、そのうち、きっと海の神様がカップルを助けてくれたんだとか、そういう話に落ち着いた。
(ありがとう、シンシア様)
織愛は、いつの間にかエビの刺繍が元に戻っているハンカチを握りしめて、今は遠く離れた彼女に感謝する。
みやぞんはヨットを修理に出したあと、あんなに好きだった海釣りをしばらく封印し、K極夏彦とかY口敏太郎の書籍を集め始めたので、J○Bの世界一周ツアーのパンフレットで織愛が毎日ビンタしてたら、そのうち正気に戻った。
‡‡‡
「オリエ様?」
呼ばれたような気がして、シンシアは顔を上げた。
静謐なる正神殿の神々の祭壇の前、跪く彼女の他は、誰もいない。
ましてや、遠い祖国に帰ってしまったあの令嬢の姿など、あるはずもなかった。
(でも、今すごく近くに感じた……)
シンシアは微笑んだ。
遠く距離は離れても、オリエとはきっと、同じ思いで繋がっている。
『思い』が力になることを、聖女である彼女は知っていた。
シンシアは再び目を閉じて、祈る。
世界が平和でありますように。
大好きな人たちが、幸せでありますように。
シンシアの体は淡く発光して、光は祭壇を通して空に昇り、爆ぜる。
細かく散った光の粒子は、まんべんなく世界に降り注いだ。
‡‡‡
「やあ、今日の正殿当番は金髪の聖女様かね、とても清々しい気分になるよ」
空を見上げて、年老いた農夫が鍬を畑に差しながら言った。
慰問のためにこの地を訪れていたエヴァ・スーンも、同じく空を見上げて目をすがめた。
「そうですわ、彼女です。相変わらず、とてもきれいな光……」
王都から遠く離れたこんな僻地でも、シンシアが当番の日は、空から降り注ぐ恵みの力を感じることができた。
……エヴァは、あの聖女1人でも、他の聖女が必要ないほど、結界や豊穣の雨など、国に必要なシステムが保たれることを知っている。
これまでの聖女システムは、そうやって力の強いものに全てを任せ、おんぶにだっこでやってきた。
でも、それでは彼女に何かあった時、あっという間に瓦解してしまう。
セキュリティは二重三重にしておかなければならなかった。
聖女は、聖女の癒しの力を受け付けない。
『聖女は神の恵みをもたらす存在であり、施される存在ではない』
……以前、ク○司祭が言っていたことは真実ではあった。
聖女の資格持ちは、同じ属性の力を弾いてしまう。
(……つまりそれは、聖女を擁する王や人民に対しての、神々の試練なのよね。神の代理人たる聖女を迫害すれば、報いは天罰となって下される)
7年前の東ロクシタンのように。
それが嫌ならば、国民は聖女と神々の加護を振り払い、自分の足で立つ必要があるが、この国はその段階に至っていなかった。
まだまだ神々の庇護を必要とする、幼い子供。
他国のように、神にすがらず暮らしていけるようになるのは、どれだけかかるだろうか。
短く見積もっても、次の次の王以降の話になりそうだ。
「……次の王といえば、王太子様の結婚式は来月の始めですわね。王都パレードだけでなく、地方も巡行されるそうですわ。楽しみですね」
エヴァが言うと、農夫は力なく笑う。
「そうだなあ。施しでうまいもんが食えるし、王宮で慶事があった年は豊作だって昔からの言い伝えだ。去年みたいな不作は、もうたくさんだよ」
昨年はひどい不作に見舞われ、他国からの援助があっても、ギリギリの食糧で冬を越した。
餓死者こそ出なかったものの、人民はかなり困窮した。
王宮のめでたい話は、暗くなった世相を少しでも明るくしてくれることだろう。
「そうですね。地方への巡行は秋以降になるでしょう。その時は、溢れるほどの作物で、王太子様をお迎えしましょう」
エヴァは聖女のシンボルとされる錫杖をシャランと鳴らした。
地方を慰問で回る際は、より国民にわかりやすいように、衣裳を工夫したのだ。
「さあ、この地の土壌に、『聖女の祝福』を授けましょう。実り豊かな土地になりますように」
エヴァは錫杖を掲げ、術式を展開した。
これはシンシアが発案した、魔力を使わないが、広範囲に小さな奇跡を起こす『願い』をアレンジしたものだ。
ある程度力が強くないと発動しないので、聖女の中でも上級者にしか使えない。
エヴァは大司祭の差配により、昨年の収穫が特に低かった地域の作付けの底上げを図るため、各地を巡っている。
癒しの奇跡やポーション作成も行った。
思えば以前の神殿は、王都やその周辺にばかり注力して、地方はほったらかしだった。
今はこうしてエヴァや他の上級聖女が各地を回り、ゴーラン王太子の指示を受けた騎士団が、軍備の見直しを行っている。
聖女を罵る者も、石つぶてを投げる者も、ここにはいない。
聖女は尊敬され、感謝されて、誰憚ることなく、あまねく神の恵みを施す。
(……ラトランド公爵令嬢、私の願いを叶えてくれてありがとう。この国は、これからもっと良くなるわ)
やけにスケジュール管理に厳しい司祭に急かされながら、エヴァは次の土地に向かった。
あと1話で完結となります!
本日17時に投稿予定です!
よろしくお願いいたします!




