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アンティークと呼ばないで

作者: 桐刻



 どうか私のことはアンティークと呼ばないでほしいのです。



 私の型番はAquarius-CT003。

 固有名称は『アオイ』。

 今では『カバーディフェンスロイド』と呼ばれる自律型アンドロイド、そのテスト機とでもいえばいいでしょうか。

 ただし私は実際に商品として売りに出されたことはありませんので、私自身が商標でもある『カバーディフェンスロイド』を名乗ってもいいかどうかは不明ではありますが。


 私が作られましたのは、心が不安定なかたたちのサポートをするためです。

 人はいろんな事柄で傷つきます。傷つくことで防衛本能が刺激されて、周囲に攻撃的な態度を取ることもあります。そして誰かが傷つけば傷は連鎖となって広がっていきます。

 社会生活を送るには誰かを傷つける可能性の高い、そんな人に寄り添う役目が私に与えられました。



 忘れもしないあの日。始まりの日。

 私の起動日はそれよりもずいぶんと前でしたが、私がたしかに“私”になれたのは、ええ、その日なのです。


 病室の白いベッドに腰かけていたのは男のかたでした。

 餓えて死にかけた獣のようなギラギラした目をしていました。敵意に満ちたその視線を向けられれば、普通のかたはおびえて、時には傷つくかもしれません。

 

 でも私はそのために作られたのですから。

 だから私は彼に、涼真りょうま様に、にこりとほほ笑んでみせました。


「初めまして涼真様。これからあなたと共にいることになる、アオイです」

「はっ、おまえが僕に与えられた高級なお人形ってわけか。たしかに高級だな。見た目も普通の人間とほぼ変わらない」

「ありがとうございます」

「じゃあ、どれだけ高級か見せてもらおうか? スカートをめくりあげて性器を見せてみろ」

「お断りします」

「なんだと……? 持ち主である僕の言うことに逆らうというのか?」


 立ち上がった涼真様はいきなり拳を握りしめ、私の顔面めがけて振るおうとしました。ですが私がその手首をやわくつかんだために、それはできませんでした。


「おまえは僕のストレスや暴力を受け止めるためにいるんじゃないのか?」


 涼真様は私に初めて困惑の顔を見せてくれました。


「いいえ、それは違います。私がここにいるのは涼真様と周りのかたを守るため。私を殴れば涼真様はその手を痛めてしまいます。私は人間のかたと同じ容姿をしていますが、用途に伴い頑丈に作られています。涼真様がなにをしようとも私は傷つきません。」

「用途、ね……」


 そうつぶやきながら涼真様は苦いものを噛み潰すような顔をしました。私の言葉が涼真様を傷つけてしまったのだとわかりました。ですがこれ以上涼真様を傷つけないためにも、私は私自身の説明をしなければいけませんでした。


「それに私にも痛みはあります。痛みを感じなければ誰かの危機に気づけません。ただ痛みに激しく動揺することのないようにプログラミングされているだけです」


 涼真様は初めて気づいたというふうに目を丸くしました。


「そうなのか。僕はてっきり……」


 少し表情をやわらげた涼真様は私に軽く頭を下げました。


「悪かったな。今後このようなことがないようにする」

「ありがとうございます」


 誰かを傷つけてしまうような衝動を持ち合わせていながら、誰かを案ずることのできるかただと私は感じました。感じた、というのは正確には正しくなく、そのような判断をプログラムが行ったというほうが相応でしょうか。


 たしかにそれは間違ってはいなかったのですが。





 今後このようなことがないようにする。

 涼真様は初めて会った日、たしかにそう言いました。あれは嘘やごまかしなどではありませんでした。きっと涼真様はそのときは本気で言われたのでしょう。

 ですが現実はそうではありませんでした。



 その日の涼真様は、病室に持ち込まれた本を乱暴に引き裂いてました。

 ベッド脇のテーブルに置かれていた花瓶を壁に向かって投げつけましたが、アクリルでできた花瓶は砕け散ることもありませんでした。

 涼真様はベッドの布団さえ蹴飛ばしてしまい、マットレスを何度も拳で撃ちつけました。


 そして今度は壁に向かってその拳を振るおうとします。それは怪我をしてしまう可能性が高いため、私は涼真様の手首を抑えつけました。


「ああああああ!! 離せ離せ離せ! 離せと言っているんだ、このポンコツ!」

「落ち着いてください、涼真様。そのようなことをされては怪我をしてしまいます」

「いいんだよ、僕なんか、そうだ僕なんか死んでしまえばいいんだ!」


 目をカッと見開き、憤怒の表情をされた涼真様は慟哭されます。


「そのようなことを申されてはいけません。死んでいい人間なんていません」

「じゃあおまえが僕に生きる理由を教えてくれるとでもいうのか」


 いまだ手首を抑えつけている私を怨嗟の顔でにらみつけながら、涼真様はさけびます。


「すべてを失った僕が、それでもこの痛みに耐えながら生きていかなきゃいけない理由を僕に教えろ!」


 このようなときどのような返答をすればいいのか、それはすでに私の中にプログラミングされています。


「涼真様。そのようなことを考えれば苦しくなるだけです。生きる理由は、意識しなくても生きていくことができます。ですから今は深呼吸を。興奮した状態では思考力が低下してしまいます」

「…………っ!! この、たかがロボットのくせにっ!」


 涼真様は拳を私に振るおうとしましたが、それは叶いません。私には涼真様を守る役目があるのですから、今はまだ涼真様を解放してはいけないのです。


「いいよな、おまえは。僕を守るために存在しているのだから。僕にはもう目的も、守ってやりたい人もいないんだ……」


 言葉を吐き捨てた涼真様は虚空を見つめました。疲れ切ったその瞳に、透明な雫が浮かびます。涙と呼ばれるものが、一滴二滴、涼真様の頬を伝い落ちていきます。


「う、く……っ」


 そして涼真様は子供のようにわんわんと泣き出しました。

 私はただ、涼真様が落ち着くまでその手首を抑えつけることしかできませんでした。対象者が自傷の危険性がある場合はそのようにすると作られていましたから。



 もしも人が生きる理由を問われたら、そのこと自体は考えさせずにひとまずは精神の安定を図るというのが私にプログラミングされた行動パターンでした。

 人が生きる理由そのものに関して、私に登録されることはありませんでした。


 私にはどうして涼真様の問いに答える力がないのでしょう?

 本当に涼真様を守ることだけが涼真様のためになるのでしょうか?


 原因不明の痛みが思考チップにわずかに走りました。





 暴れ、大声を上げ、時には泣き出すこともありましたが、基本的に涼真様は穏やかな人でした。


「アオイ。きれいな花をもらったよ。見てくれないか?」

「まぁ、可憐なカーネーションの花束ですね。ピンクの彩りがとても愛らしい……。この花束を贈ったかたの優しい気持ちが伝わるようです」

「そうだろう、そう言ってくれてうれしいよ」


 涼真様は花を一本つまみ、私の髪の横にかざしました。


「この色はきみの艶やかな黒髪にもとても似合うね」


 優しくほほ笑みながら涼真様が言ってくれて、私は『うれしい』『よろこび』『楽しさ』『恥ずかしさ』を感じました。


 それともう一つ、分類することのできない感情のノイズを。


 でも私はわかっていたのです。

 涼真様が私に優しくしてくれるのは、失った誰かを私に投影しているのだと。

 もしも普通の人間だったらそれをさびしく思ったのかもしれませんが、私はとても『うれしい』を感じていました。

 私は自分が作られた目的を果たせていることに『よろこび』を感じました。


 そしてそんな感情を抱かせてくれた涼真様が、愛しい、ああ、本当に『愛しい』のだとも。




 涼真様と私が出会って、三年ほどが過ぎたころでしょうか。

 最初は発作に襲われるように感情を荒げていた涼真様でしたが、段々とそのような姿を見せることは減ってきました。

 深い感情の波に襲われても、静かに涙を流すだけでした。


 涼真様は私に言いました。


「かつてきみは、僕がなにしようと傷つかないと言っていたが、それは嘘、あるいは間違いだろう。痛みを感じるのだから傷がついていないなどということはないはずだ」


 そして涼真様はアンドロイドである私に頭を下げました。


「僕のせいで、きっと心に無数の傷がついているはずだ。僕はそのことを謝罪したい」

「涼真様……」


 なにも言葉にすることができませんでした。

 私は痛みには動揺しないように造られています。私が動揺してしまったのは、涼真様が私に対して頭を下げることが予想パターンの中にはなかったからです。


 動揺自体は私がより人間らしくあるために存在している、行動パターンのひとつです。

 ですが、その動揺が私に何度も感じさせている、分類不可能のノイズを与えました。





 そのノイズは私をよろこばせ、時には苦しませます。

 涼真様がほめてくださるたびに『よろこび』に足元がふわふわと軽くなり、涼真様が涙を浮かべるたびに私に『悲しみ』『苦しみ』を与えます。


 私には人々を守る役目がありました。

 でも、いつしかたったひとり、涼真様だけを守ることができればと思うようになりました。


 それはそのノイズのせいでしょう。

 私はそのノイズを『恋』と名づけました。




 それは涼真様が退院される日でした。


 ゆるく上着を羽織った涼真様が、看護師様やお医者様に頭を下げてお礼を言います。数年前のすべてに敵意を向けていた涼真様のお姿とはまったく違います。

 涼真様が入院されていたのは治療のため。ですのでこのようなお姿になられるように、様々な方たちがご尽力されてきました。


 そして私はアンドロイド。

 私が作られたのは傷ついた人が、誰かを傷つけないようにするため。

 涼真様の治療が終わったと判断されたから、涼真様の退院が許されたのです。


 ですから私には、メンテナンスの後に、またべつの誰かを守る役目が与えられることになるでしょう。それは私でなくても予想のできたことですが、私はその未来に対して『悲しみ』『苦しみ』を抱きました。



 どうして私は涼真様ではなく、誰でもない誰かのために作られたのでしょうか?



 皆様に頭を下げていた涼真様が私へと向き直ります。

 なぜか涼真様は頬を軽く染め、視線をまっすぐに向けてくれません。そんな涼真様の態度に私は『不安』を抱いてしまうのですが。

 涼真様は照れた笑いを浮かべながら私に言いました。


「僕が望むのなら、これからも僕のそばにアオイを置いていいと言われたんだ」

「そう、なのですか?」


 私は『驚き』ました。私はこのまま涼真様ではない誰かのために働くことになると思い込んでいたからです。


「僕はまだまだ不安定なところがある。治療が完全に終わったわけじゃないんだ。だからこれからの僕にも、きっとアオイが必要だ」

「涼真様……」

「とりあえず今後のきみには大規模なメンテナンスがあると聞いている。それが終わったら、その……」


 頬を赤らめながらも言葉を詰まらせ、それでも笑顔を向けてくれた涼真様が私に言いました。


「僕と一緒にいてほしいんだ。きみがよかったらだけど」


 思考チップがエラーを吐き出します。


 ==それは想定された行動ではありません==

 ==その行動には上位存在の許可が必要です==


 ですが私にとってエラーなんて問題ではありません。大切なときにエラーのために行動できなくなれば、誰かを守れなくなるから。

 本来誰かのためにある機能を、私は自分のために使います。


 いえ、違います。これは涼真様のためです。涼真様が望むのだから、私は涼真様の隣にいるべきなのです。これは正しいこと。


「はい。私は、涼真様のおそばにいることを望みます」



 そして私は大規模メンテナンスを受けることになりました。

 涼真様が退院なさればそうすることは以前から決まっていました。


 これからの私は涼真様のためにあるのです。ですから、どこかが故障していれば涼真様を傷つけることになりかねません。隅から隅まで、髪の一本からつま先まで。マザーボードから思考チップの隅まで、調べてもらうことに大きく賛同しました。


 早く涼真様に会いたい。

 涼真様の傷はまだ癒えていません。

 私だけがおそばにいるときに、黙って涙を流すこともあるのです。

 きっとこれからも変わらずにそばにいることを、涼真様は望んでいるのですから。


 私はそのようなことをエンジニアの方々に何度も訴えました。いえわざわざ訴えなくても、AIが自動生成した思考ルーチンもメンテナンスの対象でしたから。きっと言葉にしていないことまで、見透かされていたことでしょう。


 その結果――私は『病気』と判断されました。


 どうして? 私はアンドロイドなのだから故障やエラーは出しても病気にはならないはずなのに。


 エンジニアの方が、ご丁寧にも私と向き合って説明してくれました。

 私のAIは極めて人間に近い思考ができること。それは傷ついた人間に接するのは、やはり人間が最もふさわしいと思えたから。


 しかしそのせいで、私は心に無数の傷を負ってしまい『涼真様にお仕えすること』に自分の存在意義を求めるようになったこと。自分を犠牲にして乱暴な涼真様に献身することを、尊いと思ってしまったこと。


 それは、私自身も自覚していたことですが、ですが、違います。

 私は病気でありません。

 私が惹かれたのは、本当は穏やかで優しい涼真様の姿なのです。

 一緒に花を見てきれいだと笑い合ったり、優しい空気の中で一緒にお散歩をしたり、そのような時間を尊いと思ってなにがいけないのでしょうか?


 アンドロイドが、生きる理由を求めてはいけないのですか?


 それともいつかの私が涼真様に言ってしまったように『生きる理由など考えなくても生きていける』ということなのでしょうか。



 私の病気は、エンジニアの方々にとって意外なものではありましたが、貴重なサンプルともなりました。

 それは私が再び涼真様にお仕えすることがないと決められたも同然でした。


 私は、あらゆる方法で訴えました。

 涼真様には私が必要なのだと。涼真様はとても穏やかで優しいかただけど、いまだその心には深い傷が残っていて、誰かが寄り添っていなければ涙を流してしまうような人だと。



 ――結局、その過程で、私こそが誰かを傷つけてしまう可能性があると判断されてしまいました。




 それでも、私というサンプルは貴重でした。

 私は最低限の思考システムだけを維持できるほどのバッテリーを残して、保存されることになりました。

 いつしか私のAIだけでなく、精緻に造られた私の外観にも価値があるといわれることになり、私はアンドロイド博物館に飾られることになりました。




 そして今、私は博物館のガラスケースの中にいます。


 どれほどの時間が流れたのか私にはわかりません。

 私は人間に近い思考をするように設定されましたので時間の感覚さえも失うことが可能だったのです。それが私にとって幸か不幸かは判断しかねます。


 私はドレスを着せられ、涼真様が美しいとおっしゃってくださった髪に造花を乗せて、ただこの場所に立ちすくんでいます。

 博物館に来られたかたがなにを言われたかも私の耳に届いております。

 私はいつしか『アンティーク』と呼ばれる存在になっていました。

 アンティーク、つまりは骨董品のこと。

 私はアンドロイドではなく人間でもなく、ただの人形になってしまったのです。



 だからお願いです、私をアンティークなどと呼ばないでください。

 私の『生きる理由』はこんなところにはないのですから。











「こんなところにいたんだね」


 なつかしい声が聞こえました。


 最低限の動力で動いていた私はセンサーを無理やり起動させました。

 目の前にはしわの深いご老人が立っていました。

 見知らぬかた。私のメモリーには存在しないかた。そのはずなのに、その穏やかな瞳は、私の思考チップにノイズを走らせました。


「きみと別れて、きみはメンテナンスに出されて。そしてその後、危機的なバグが発見されてしまったと言われて、僕はきみと二度と会うことはなかった」


 とてもなつかしい声でご老人は語ります。

 私は手を伸ばしたくて、その隣に立ちたくて。でも指先を1ミリも動かすことは今の私には叶わなくて。


「あれから何人ものアンドロイドが僕の隣に立ってくれた。誰もが僕を支えて、守ってくれた。……でもやっぱり、彼女らは彼女らでしかなくて。きみを失った悲しみは、僕に新しい涙を流させた」


 ご老人がガラスケースに触れます。

 指先から手のひらまでしわの刻まれた手。私の知っているものとは一回りも二回りも小さい手です。でもたしかに私は、彼が“彼”であると判断しました。


「きみがここにいる理由、ちゃんと聞いたよ。きみは僕に“恋”をしたと訴えたらしい。でも技術者たちはきみがそう思うのは“病気”になったせいだと……僕が傷つけてしまったからだと」


 顔のしわをより深いものにして、彼は私に語り続けます。


「きみをこんなにしてしまうまで傷つけたとしたら、僕は謝罪したい。謝っても謝りきれることじゃない。……でも、僕は、きみは病気でないと思うんだ。だって……」


 彼は、涼真様は、瞳に涙を浮かべました。

 ああ、その涙の色はあのころとまったく変わらないのですね。


「やはり僕も、きみに恋していたのだから」



 私が生きるのは、きっと恋をするため。




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