悲劇のはじまり
私の名前は小沢 希。
18歳の大学一年生。一人暮らし。家族はいない。
夢は死ぬこと。何度もやってみたよ。首を吊ってみたり、高いところから飛び降りてみたり……。思いつく限り、いろんなことをしてみた。それでも、ダメだったの……。あの日私は死ぬはずだったのに。
3か月前……
「はあ、私も彼氏ほしいなー。」
「だよねー。てかさ、この大学イケメン多くない?」
「よねよね、早くかっこいい彼氏見つけてリア充したーい。」
「ね、希もそう思うでしょ?」
「え…… いや、私は別に……。」
「えー、なにそれ、つまんなーい、もしかして希彼氏出来た?」
「そんなわけないでしょ?」
「だよねー、ふふっ。」
はあ、めんどくさい。彼氏欲しいとか…… 全然理解できない。
男なんて嫌いだ。碌な奴がいない。
私は他の人とは違う。その違いを改めて感じると、ああ、私は一人なんだって思う。
「じゃあね、また明日。」
生き生きとした楽しそうな声で少女たちが別れの挨拶をする。
どっから出てるんだろう、あの声。
今の私には耳障りで仕方ない。
空はすっかりオレンジ色に染まっていた、その色も、今の私には眩しすぎる。
私はいつも通りの早歩きで逃げるように家に帰った。
「この世にはね、本物の愛なんてものはないの。永遠の愛なんて存在しないのよ?」
誰かが囁いた。
何度も何度も聞いた声。もう聞き飽きた。
そんなこと、分かってる…… 分かってるってば。
「はっ、また……同じ夢……。」
いつの間に眠ってしまったんだろう。
ふと、時計を見やる。すでに午前二時を回っていた。
「……まだ、お風呂入ってないんだっけ……。」
めんどくさい。このまま眠ってしまいたい。
永遠に……。
「死にたい、今から、死にに行く?」
散歩に行こう。そうすれば少しは治まると思うから……。
曇りのない、何色にも染まらない漆黒の空に、まるで宝石を散りばめたかのように星々がきらきらと輝いていた。
「なんてきれいなんだろう、私もそこに行きたい、きれいじゃなくてもいいから、宇宙のチリでもいいから……。」
どうせ、愛を見つけられないのなら、愛を与えてもらえないのなら、死んだほうがましだ。
でも私は弱虫だから……。
伸ばした手をゆっくりと下におろす。
「さあ、帰ろう。」
明日も大学に行かなければならない。
この世には、本物の愛なんてものはない。もちろん永遠の愛さえも……。
それでも、ずっと一人で生きていかなきゃ。あの人たちのために……。「愛」をくれたあの人たちのために……。
「久しぶりだね、お父さん、お母さん。」
墓石に話しかける。今日は両親の墓参りの日。花を供える。水をくむ。
私に「愛」をくれた人。
確かにこの世にいた人。
でも、顔は見たことない。見ていたとしても、私が産まれて間もないころに死んだ。ある程度大きくなるまでは、おばあちゃんが面倒を見てくれた。けど、もう死んだ。みんな、死んでしまった。
どうして、私も連れて行ってくれなかったのかな?
私、一年で一番この日が怖いの。
だって、死にたくなってしまうから。
いつか誰かが言っていた。
「人っていうのはね、親を大事にしないといけないんだよ。自分を産んでくれたってだけで凄いことなんだから。」
愛を貰ったってことなんだから……。
「ねえ、どうして?どうしてわたしを置いて行ったの?せめて、その声だけでも記憶に刻んでおきたかった……。こんな空っぽな愛だったら、こんなにも悲しい愛だったら…… そんなもの……。」
いらない。
だからごめんね。
この花も、この水も、枯れはてて、無くなってしまったとしても、もう誰もここには来ないよ。
だって……あなたたちは、ここにはいないんだから。18回目の暑い暑い夏の日の今日、私は……。
生暖かい風が背中を押した。
まるでわたしを急かす様に……。
私はあの言葉を口ずさんでいた。
この世に本物の愛なんてない、もちろん永遠の愛さえも……。
「行かなきゃ、早く……。」
早く、逝かなきゃ。
私の中で、何かが切れる音がした。
今までで一番暑い夜。暑くて暑くて堪らないのに、どこか冷たい夜。もう夏も終わり。
蜩の鳴く声が聞こえてくる。
「最後にお父さんとお母さんに会えてよかった。」
あの墓参りから一週間がたっていた。この一週間私は自分を終わらせる計画を練った。
場所は? 何を使う? いつにする?
とても清々しい気分だった。充実していた。自分は生きていたんだって思うことができた。
こんなことでしか人であることを感じられないだなんて、なんて哀れなんだろう。
少しだけ、悲しくもあった。
時刻は午前二時。
もう二度と戻らない部屋に別れを告げた。身軽な格好で目的地に向かう。空を見上げる。いつもの癖。
「今日もきれいだ…… 今日にしてよかった。」
きらめく星々と共に、美しい満月が怪しい光を放ちながら私を照らしている。
「もうすぐそっちに行けるんだね。あ、私は地獄行きかな? ははは。」
「もう…… 着いちゃった。」
空を見上げているとすぐに時間がたってしまう。
視線を下すと、そこには懐かしい景色が広がっていた。
小さいときはよくここで友達と遊んだり、おばあちゃんと花見をしたりした。ここの桜は本当に綺麗なんだ。
真っ暗なのに、誰もいないのに、あの時の楽しい記憶、情景がよみがえった。
この滑り台、何回も並んで滑ったなー。このブランコも、友達と二人乗りとかしたっけ?
「私も昔は人間やってたんだなー。」
昔は少しは楽しいって思えたのかな、今よりも少しは温かかったのかな……。
私は、いつから「人」じゃなくなったんだっけ。
どんなに楽しかった記憶が蘇っても、涙は出ない。私は人じゃなくなっちゃった……。
「もう時間だよ、早く逝こう。」
さすがに遊具がある付近では子供たちに悪いので、少し離れたところにあるトイレの個室で首を吊ることにした。鍵も忘れずに閉めた。
縄の結び方もしっかりと調べておいた。
「絶対、上手くいく……。」
確信があった。
しっかりと結んだ縄に首を通して、ゆっくりと自分の全体重をかける。頭がぼうっとする。酸素が回らなくなっていくのを感じる。指先からだんだんと冷たくなっていく。これが「死」。
さようなら。
この世の全てにさようなら。
こうして私は永遠の眠りについた。
「あの日私は死んだんだ。とても暑い……でも、どこか冷たい夜だった。
でも、だめだった。だめだったの。私が望んでいるものは、手に入らなかった……。行きたい場所にも、行けなかった……。なぜって? それはね……」
「……あつい。喉乾いた……。死ぬ。……?人の、匂い? トイレから……。」
彼は個室で首をつっている私を見つけた。
「死んでる?よかった……。」
人間の生命力ってすごいんだね。首を絞めても、すぐに死ねるわけじゃない。あと少し、時間がずれていればよかったのに。満月の日なんかにしなければよかったのに。もうそんなこと……あとの祭りなんだけどね。
彼は喉が渇いていたみたいだった。既に冷たくなったわたしの首から縄を外して、その首筋に牙をあてがう。
「っはあ、んっ、まっず……。けど、仕方ないよね。これしかないし。」
彼は、私の血を喉の渇きが治まるまで飲み干した。彼は……
紛うことなきヴァンパイアだった……。
彼のせいで、私は、私が一番欲しくないものを手にする羽目になった。
何処かで聞いたことがある。ヴァンパイアっていうのは生きてるようで死んでいて、死んでるようで生きている。そんな存在。特徴は、真っ赤な目と鋭い牙。満月の夜に人間の血を吸えば、そのあとの約二週間は何も口にしなくて平気らしい。
そんな人間たちにとって脅威の存在が、何故今までニュースなんかで取り上げられてこなかったのか……。
それは、ヴァンパイアたちが吸血する人間は、死んだ人間、中でも、ほとんどが自殺した人間に的が絞られているからである。そのため、気付かれることがほとんどないのだ。
「うっ……。」
あれ? おかしい……。だって私は……
死んだはずじゃなかった?
「あーあ。起きちゃった。本当は起きる前に消えるつもりだったんだけどね……。さすがにそれはかわいそうかなって思ってさ……。」
男の人の声が聞こえる。でも、何を言ってるのか分からない。今自分はどうなってるの?
分からない。
ワカラナイ……。
「あなたは?」
「僕が何に見える?」
男の人にしては長すぎる髪は、彼の腰のあたりまで伸びきっていた。月明かりに照らされていて、艶やかな光沢があるのがわかる。でも、彼が人間じゃないと分かる決定的証拠があった。
それは、赤……。
真っ赤なその目は、まるで何もかもを吸い込んでしまいそう。
「あなた……、ヴァンパイア?」
嫌な予感がした。見覚えのある公園。私は、息をしている。
「そうだよ。君は自殺をしたみたいだね。でも正確には自殺未遂をしたんだ。この意味が分かる?」
僕が殺しちゃったんだ。人間としての君をね?
「君は死に切れてなかったんだよ。でも僕は死んでるものと思ってね、喉が渇いていたから、君の血を喉の渇きが治まるまで吸ったんだけど……。そうしたらびっくり。君が呼吸をし始めたんだ。生きた人間はね、ヴァンパイアに一定量の血を吸われると、ヴァンパイアになってしまうんだ。だから、ごめんね?それから……」
ようこそ、不老不死の世界へ。
「へ……?」
この人は何を言ってるんだ?
聞こえない。
もう何も……。
まるで水のなかにいるみたい。
ぼんやりと彼の声が耳に響く……。
なんだろう、この感じ……。
そうして私はまた眠りについた。
今度こそ永遠の眠りにつくことを願って……。
どうだった?
ひどい話だと思わない?
不老不死になってしまったからか、時間の感覚が麻痺してる。
まだ昨日のことのように思えるよ。
あの後いろんな方法を試してみたんだけど……
全然だめだった。
色んなことが変わってしまった。
もちろん、人の血も吸った……。
吸わなければ、私は人を殺してしまうから……。
私の悲劇はまだ始まったばかり。