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「一般的な魔術師だと、些細な傷でも治すのに時間がかかるっていうやつ。多分だけど原因は予想できる。傷の治癒ではなくて、傷が無かった時点まで時間を巻き戻そうとしてるんだよ、きっと。時の流れは不可逆な物。進める事は容易でも、巻き戻す事は難しい。それを、魔力の改竄力でもって無理矢理に巻き戻してるんだから、効率は悪いし、効果は薄い。この錆落としにも同じことが言える。より効率的に魔術を行使するなら、物の時間を巻き戻して新品に戻すんじゃなくて、起きた化学反応に対する還元を行って、計算式を反転させてしまえばいい。鉄と酸素が結合して酸化する事で錆になるのなら、理論上は錆から酸素を抽出する事で鉄に戻る。魔術じゃなくて、例えば加熱という手段でも還元は出来るけど、完全に元通りにはならないよね?でもその根拠あるイメージが確立していれば、魔力の改竄力が自ずとそういう結果を出してくれる。ようは定められた理に従いつつどれだけ”論理的な改変”だと思えるかが重要でね、ほら、今やってみせるから見てて」


 ミオが赤錆の浮いた鉈に魔力を通すと、瞬く間に錆が通常の鉄へと変わっていく。刃の状態は新品ほど鋭利ではないが、少し研ぐだけで十分だと思わせるほど、美しい鉄色の輝きを取り戻していた。犬は目を見開いてただ驚くばかりだった。


「魔力って言うのは理論を動かす為のエネルギーなの。今はこれが無機物だからこの方法をとったけれど、生物の治癒なら、時の流れが不可逆だという事実を利用するのも手だよね。生物は肉体に欠損があればかならず自然治癒しようとする。ならば欠損した部分の時の流れを加速させて、一足飛びに完治した状態に持っていくために、細胞生成の活性化を……犬、人の話聞いてる?」

「あ、ああ」

「分からないなら分からないと言いなさい」

「分からない」

「よろしい」


 魔術の話なんてたしかに楽しい物でもないか。馬の耳に念仏。犬の耳に魔術。


「俺が今までに見た魔術師っていうのは、炎を出したり雷を起こしたり、そんな物騒なのばっかりだったからなあ」

「国軍に所属していると、そういう攻撃の手段の研究ばかりになるというね」

「街の魔術師は違うようだ」

「どちらかというと、医者や薬師の真似事や、天気読みとか、自然災害への対応とか、魔道具作りとか……そういう生活に根ざした仕事が多いかな」


 首都から遠く、戦端の正反対に位置するこの街では実感が薄いが、この国は長く戦争をしている。きっと犬もそこで魔術師を見たのだろう。となると、剣を欲しがるのも納得がいく。雇われ兵士だったか、軍人だったかは分からないが、確かに動きは機敏だし、鍛えている者の立ち居振る舞いをしているように思う。過去が気にならないわけではないが、知らないままでも不都合はない。奴隷契約を交わした以上、犬の過去がどうであれミオの奴隷である事はもう変わらないのだから。




 本格的な冬に入る前に、揃えなければいけない物が沢山有る。

 もう一二週間もすれば雪が降り出すだろう。今は週に一回か二回薬草を売りに行き、ついでに食材だなんだと買って帰っているが、雪が深くなれば日々のパンを買いに行く事すら難しい。雪自体はそうたくさんは降り積もらないので、日帰りで買い出しに行くのは可能なのだが、如何せん時間がかかるのだ。雪のせいで片道一時間が三時間になると思うと、どうしても出かける回数を減らしたくなる。馬でも居れば話が変わってくるだろうが……今冬の犬の狩りの様子によっては、馬を買ってもいいかもしれない。肉を売りに行くのにはどうしても荷車がいるし、本格的に狩人として働くなら荷馬車用に買ってやってもいいだろう。ミオは魔術師の仕事でそれなりの収入と貯蓄があるのだ。


 ミオ一人分の食材は、既に納屋に積んである。もちろん小麦もバターもあるので、冬の間は横着せずに自分で定期的にパンを焼く予定でいた。ただし犬にパンを焼かせてみて、結果ミオよりも上手だった場合はその限りではない。

 買わなければいけない物は、追加分の食料。犬の服と、雑貨類、そしてナイフと剣。結構な量の買い物になりそうなので、荷物持ちとして犬を連れて行く事にした。犬を森から出すのは初めての事だ。


 道々にある物の説明をしながら、二人でのんびり歩いて一時間。街の中央である、数々の商店が軒を連ねた目抜き通りに着く。荷物になる物はあとにして、まずは食料品の注文を済ませてしまうことにした。


「犬、まずはここからね」

「ここは?」

「食料品のお店」


 カランカラン。ドアベルの音を響かせ入店する。

 店の中には、量り売りの香辛料や、日持ちする干し肉や野菜が所狭しと並んでいる。ここはミオがよく利用する食料品全般を扱う店だ。今すぐ日持ちしない青果類がほしいというなら市場の方に行かなければならないが、今日は注文だけして後日配達してもらうと考えていた。

 ドアベルの音に気づき、奥から店員が顔を出す。


「あーらあ、魔女さんじゃないの!市場の方じゃなくてこっちだなんて、珍しいわねえ」


 場を明るくするような朗らかな声でそう言ったのは、この店の奥方だ。普段は彼女の旦那が市場で出している青物の露天を利用しているのだが、たまにこちらの店に顔をだすといつもからっとした笑顔で迎えてくれる。


「こんにちは、おかみさん。今日はちょっと沢山注文したくて。配達は頼めますか?」

「ええ、ええ。魔女さんの頼みだもの、もちろんお受けしますよ!冬支度かい?いやでもそれは魔女さん街に来る度に少しずつ買いそろえて……」


 おかみはそこで初めて、ドアの前で突っ立ったままの犬に気付いた。ミオはいつも一人でやってくるのに、今日に限って十は歳の離れた男を連れているのだ。目を大きくして、犬とミオの顔を交互に見る。


「噂はほんとだったのねえ……」

「うわさ?」

「魔女さんが、奴隷を買ったっていう噂よお」

「ああ、やっぱり見られてたんですか」

「そりゃあ、いくら外の市だって言ってもねえ、あんたは街に三人しかいない魔術師の一人だもの。どこで何をしてたって誰かは見てるさね」


 まあそれはそうか。魔術師と言うだけで目立つ存在が、さらにこのあたりではとんと目にしない奴隷を買うというのだ。人の口に上らないわけがない。

 おかみは大股で一歩ミオに近づくと、声をひそめてこう言った。


「大丈夫なのかい?奴隷と言ったら犯罪者だろ……それに、男と二人暮らしなんて」


 奴隷と言えば、犯罪者。それはこの国での共通認識だ。

 この国では人を奴隷にする事は許されていないが、例外として大罪を犯した者のみ奴隷に落とされ、それらは国の認可を得た奴隷商の元で売買される。法令では「罪状に対する謝罪を金銭でもって肩代わりした主人の元で労働し、十分罪が償われたと認められれば解放される」とされてはいるが、実質死ぬまで無償労働だ。しかも奴隷は主人の所有物扱いため国の法令が適用されず、殴られようが殺されようが、誰も守ってはくれないし、販売時に交わされる魔術契約により主人には歯向かえないのだ。

 死刑よりもさらに重い罪として、奴隷制はある。


「魔術契約で縛ってあるから大丈夫ですよ。それに、うちのは賢いから、森暮らしのところに男手が出来て助かってるくらい」

「そうかい、まあ魔女さんなら何も危なくないだろうけど……でも、奴隷ってだけで人から嫌悪されるもんなんだ、十二分に気をつけなよ。おいアンタ!魔女さんになんかしたらただじゃおかないよ!」


 女将の激しい剣幕を向けられて、犬はただ黙って神妙に頷いた。


「それよりおかみさん、注文を」

「ああそうだったね、何にしましょ」

「犬、何がいる?」


 保存のきく野菜と、小麦にバター。ミルクは日持ちしないから数日分だけ。チーズはいくつかの種類をそれぞれ山盛り。それと足りなくなって来た調味料もろもろ。犬がつらつらと品名と個数を上げていくのを、女将は紙に書き留めていく。それに口を挟まず、ぼうっと見ているだけのミオに、女将はあきれた。


「あんた奴隷に食事の世話任せてるのかい」

「いや、犬の作ったご飯おいしくて……」

「そりゃ男の言う事だよ。完全に胃袋掴まれちまってんじゃないか」


 ええ、ええ、その通りでございます。


 女将は、料理のうまいやつに悪いやつはいないから心配は杞憂だったと、からから笑った。犬が人々からどういった扱いを受けるかは予想していたが、女将のこの細かい事は気にしないおおらかな対応は心地がよかった。

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