4.違って、通って?その2
剣術の授業の日がやってきた。青にしてみれば、勉強を一つもせずに遊びほうけてテストの当日を迎えたような気分だった。
もちろん、明るい表情になるわけもない。裏庭に並んだ舞姫科の生徒達の列に、ミチルとミサトと共に並びながら、憂鬱な表情をしていた。
ミヤビは最前列にいる。その後姿には、自信が漲っているように見える。
そもそも、張り合うのが間違いだ、とミチルには言われた。上級剣士の家系は、嗜みとして剣術を学ぶのだという。その受け継がれてきた技の冴えは、凡人のそれとは比にならないらしい。
しかし、一度喧嘩をした間柄だ。それはそうかと引っ込めるものではない。かと言って、ミヤビに匹敵する策があるわけでもない。
(どうしたものやら……)
青は考えこむ。体術での勝負に持ち込めれば、青の勝ちは揺るぎないのだ。だが、一度使った手を相手が安々と許してくれるだろうか。
考えれば考える程青は憂鬱になってくる。そして考え込んでいたせいで、青は剣術指導の先生が列の前に立ったことに気がつくまでしばし時間がかかった。
「全員いるか? いない奴はいないな?」
どこかで聞いた声がした。つられて、前を向く。するとそこには、牢で青と二週間を共にした、あの皮肉屋な男が立っていた。
「あー、あんた!」
青は、思わず叫んでいた。
「よう、久しいな。少しは魔術は上達したか?」
そう言って、彼は気だるげに片手を上げる。その眉間には、相変わらず深い傷がくっきりと残っている。
「ええ、まあ、そこそこに」
青は曖昧に答える。
「アオさんは魔術の第二段階のウォール型で手こずってますわ」
あてこするようにミヤビが言う。青は思わず眉間にしわをよせたが、無視をすることにした。
「初歩で躓いたか。いや、俺も存外初歩で躓いた口でな。そう上手くいく生徒ばかりだと逆に困る」
「ジンくん~、失敗を望んでもらったら困るんだけれどな~」
「言葉の綾です」
リッカの指摘に、男はとぼけた調子で居直る。
剣術指南役だったのか。そんなことも知らずに、青は随分彼に無礼な口を聞いた気がする。
しかし、五大同盟国とやらの期待がかかる舞姫科の剣術指南役に選ばれるという人物だ。死神の対策役として選ばれてもおかしいとは言えなかった。
(俺より強い奴はいるが、鬼籍に入ったか襲いかかってくる気がない奴だ。だっけか。自信があるような口ぶりだったわけだ……)
皮肉屋な男の右隣にはハクアが、左隣にはリッカが立っている。リッカが一歩前に出て、話を始めた。
「これから舞姫科の剣術指南役に関して説明をさせていただきます~」
周囲のざわめきが収まる。リッカは満足したような表情で言葉を続ける。
「このジンくんはなんと、あのマリノの港町で大魔法陣を止める為に活躍した五剣聖の中心人物です~」
周囲にどよめきが起きる。
五剣聖。何度も聞いた言葉だ。
「五剣聖ってなんだ?」
青の言葉に、ミチルが、戸惑うような表情で返す。
「聞いたことない? 人類を無気力にさせる魔法陣。それの発動を阻止した英雄五人を、五剣聖って呼ぶの」
その魔法陣なら、先日のリッカとの話の中でも出てきた気がした。
人類は自然との調和を保てずに一度衰退したという。ならば、二度目が起こりかけたということなのだろうか。ならば、ハクとあのジンという男は戦ったということなのだろうか。
青には、わからないことばかりだ。
「さすが舞姫科。五剣聖を何人も先生として招くなんて……」
ミチルは感心してしまっている。一方、ミサトにはさほど衝撃はないようだ。
ジンは照れくさげに頬をかくと、言った。
「中心人物はこのリッカさんと今はカミト領の領主をやってるセツナさんで、俺はついてっただけだけどな」
リッカの表情が一瞬引きつる。しかし、彼女は気にせず言葉を続けた。
木剣の山を、ハクアがその背後で積み上げている。
「天眼流という剣術を駆使し、そのお弟子さんは隣国の近衛兵を一人で相手取るまでになりました。また、五剣聖の一人もジン君のお弟子さんです」
「たまたま弟子のデキが良かっただけだけどな。師匠も弟子も俺より強いよ。俺は人の手を借りてやっと一人前の凡夫だ」
リッカの表情が、再び引きつった。
「ジンくん、こんなことだろうと思ってたけど、困る~」
「何がですか」
ジンはリッカが困っていることにも素知らぬふりだ。
「せっかくジンくんが女性の中でやりやすいように尊敬を集めてあげようって思ったのにさ~。そんな謙遜ばっかりして。自慢して良いとこだよ、ここ」
「……腕は、やりあえばわかるでしょう。実力だけは嘘をつけない。大層な肩書よりも、俺にはそれだけでいい」
リッカは、小さく溜息を吐いた。困った人だ、と言いたげな表情だった。
「まずは、選別だな」
ジンは、木剣の山から一本を引き抜くと、杖のように大地を突いた。
そのどこか気だるげな表情が、舞姫科の生徒達に向けられる。
「あー、お前ら舞姫は、魔術だけでなく剣術も修めてもらう。これは自己防衛の為だ。お前らは貴重な人材となる。身を守る術ぐらいは覚えておくべきだ。また、剣の鍛錬は踊りのキレにも関わってくるだろう」
「あれが本当に五剣聖のジン?」
「なんか物語のイメージとは違うねー」
そんな声が囁かれる。
「五剣聖って強いの?」
ミサトが、ミチルの方に体を傾けて訊く。
「強いよ。話によると、オーク三十体を三人で処理できたとか」
「一人辺り十体かー。そりゃー化物だわ」
ミサトが、呆れたように言って帽子を抑えた。
「オークって、筋肉質なあれだよな?」
「そうだよー。人間より腕力が強いあれだよ」
青の脳裏に浮かんだのは、筋骨隆々とした人間より巨大な生き物だ。彼らが凶器を持って襲いかかって来たら、青は一体たりとて倒せないだろう。
それを十体。尋常な技ではない。
シホは魔術師は熟練の剣士には敵わないといった。その理由も、その優れた剣技を持つ人種にあるのだろうか。
「話を誇張し過ぎなんじゃないの?」
ミサトが、悪戯っぽく笑って言う。
「だってあの人、普通の何処にでもいる捻くれ者って感じだよ」
「うーん。お話の存在って言われてしまえばそれまでなんだけれどね」
ミチルも実物を見て、やや自信を失っているようだ。
何せ、青達の目の前にいるのは、普通の男性だ。その普通の男性が、オーク十体を相手取ったと言われても、にわかに信じられるものではない。
その舞姫科全体から嫌疑をかけられている対象が、物憂げに口を開いた。
「前の列から順番に、三人同時に打ちかかってきてくれ。俺が合格と思った奴は経験者グループとして扱う。俺が不合格と思った奴は基礎体力作りから始めてもらう」
ミヤビが挙手をした。
ジンは、面倒臭げに腕を上げてそれを指差す。
「はい、そこの人」
「高名な五剣聖の方と伺い、非常に光栄です。ですが、一度に三人というのは無理があるのではないでしょうか? それで本当に、腕を測れるのでしょうか? もしかして」
ミヤビが口角を持ち上げたのが目に見えるようだった。
「それで負けたら先生として面目が立ちませんことよ?」
ジンは、ここに来てから初めて微笑んだ。気が合いそうだ、とでも言いたげな表情だった。
「余計な心配は勝ってからすることだな。けど自慢にはなるぜ。五剣聖に一太刀入れたってな」
「そうさせてもらいます。五剣聖のジン。天眼のジンとなれば相手にとって不足はありません」
「じゃあ、まずそこの三人。ハクアが積んでくれた木剣を持って。俺が良しと言ったらかかってこい」
指示された三人が、おっかなびっくり木剣を握る。そして、ジンの前に立った。
ジンも、両手で木剣を構える。その構えの静けさに、青は柔道着を着た祖父を連想した。
「さあ、来い!」
ジンがそう言って木剣の切っ先を揺らすが、三人が襲いかかる様子はない。いきなり木剣を持たされて、戸惑っているようだ。
「三人同時でいいんだぞ。当たれば儲けものだ」
ジンは苦笑顔で言う。
「ま、当たらんがね」
余計な一言をつけるものだ、と青は思う。それではまるで挑発だ。あるいは彼は、本当に生徒達を挑発しようとしているのかもしれなかった。
三人は顔を見合わせて、そのうち同時に駆け出した。三本の木剣が振り上げられ、二本が振り下ろされる。
ジンは気だるげな表情で、まるで獲物を捉えた肉食獣のように俊敏に動いた。
一瞬で生徒の手にした二本の木剣が宙に舞った。最後の一本は、ジンの背後にある。最後の生徒は、他の二人を犠牲にすることにして、ジンの背後を取ったのだ。最後の木剣が振り下ろされようとする。それを横からジンは叩き落とした。
ざわめきが起こる。
(速い……。動きも速いが、初動がそもそも違う)
青は思わず驚嘆する。ジンは背後を取られようとしたその時、既に反応して背後を振り返ろうとしていたのだ。まるで、相手の考えを前もって読んでいたかのように。そして、それ以上に鋭い打ち込みだった。両手で握りこまれた木剣を、軽々と跳ね上げ、叩き落として行ったのだから。根本的な時点から能力が違っているように青には思える。
ざわめきが起こる。一瞬で、ジンを包む空気が変わっていた。妙なおじさんがやって来た、という戸惑いが、本物の剣士が目の前にいるという敬意に変わっている。
「三番目に打ちかかってきた子、お前は合格だ。背後を取るのは良い手だ。最初と二番目に打ちかかってきた子は剣を合わせた感じまだ腕力が足りないと見た。基礎能力を向上させる必要がある。二組に別れてくれ」
「はい!」
緊張したように鋭く返事し、三人は二組に別れた。
次々に三人一組でジンに襲いかかる。しかし、ジンとまともに打ち合えた人間そのものが少なかった。大抵は最初の打ち合いで木剣を叩き落とされてしまう。最初の生徒に習い、ジンの背後を取ろうとした生徒も複数いたが、いずれも奇襲は失敗に終わった。
「これはオーク十体ぐらいどうってことないかもねー」
ミサトが、呆れたように言う。
「世界は広いわ。里を出たら世の中には化物みたいな才能も使い手もいたんだもの」
「そうでもないわよ。ここが精鋭が集まる場所ということよ」
ミチルは、存外興奮したように前を見ている。五剣聖と打ち合えるだけでも記念になる、言いたげに。
ミヤビがジンと打ち合う番がやって来た。その表情は、やや引きつっている。ジンに勝てる図が想像できないのだろう。
それもそうだ。ミヤビの剣は冴えている。けれども、それは素人から見たら冴えているように見えるというだけの話で、一般人の域を超えてはいない。剣の手習いを受けていない青でも避けられるし、不意を突けば勝機もある。ジンは身体能力からして一線を超えているように見える。
ミヤビがまず打ちかかっていった。ジンはそれを半身逸らして避けて、ミヤビの腹部に木剣の柄を叩きこもうとする。それと同時に、ジンは左手から木剣を振り下ろそうとする生徒の腕を掴んでいた。左手の生徒が腕を捻じりあげられ、木剣を落とす。辛うじてジンの一撃を避けていたミヤビは、がら空きになった頭部に木剣を走らせる。
それをしゃがみ込んで避けると、ジンは右手の生徒の対処にあたった。木剣の柄で、顎を軽く叩いたのだ。叩かれた生徒は、脳震盪を起こしたようでその場に座り込んだ。
こうして、ジンは手早くミヤビから距離を置く。二人の一騎打ちの図が成り立った。
「多少は腕に覚えもある生徒もいるらしい」
ジンは、現状を楽しむように微笑んでいる。先程までの気だるげな表情が嘘のようだ。その様子は、目を覚ました獣のようだった。
「その子はフクノの家の子だからね~」
リッカが、苦笑顔で補足する。
「ああ、噂の。強いわけだ」
「馬鹿にしてるんですか? 三対一であしらわれて、何が強いと言うのですか」
ミヤビは苛立たしげに言う。プライドの高い彼女にとって、現状は苦痛のようなものだろう。そして、ミヤビは打ち込めない。ジンに隙を見いだせないらしかった。
ジンは苦笑顔をした。
「あんたみたいに鼻っ柱が高い人間、嫌いじゃない」
「私は、貴方みたいに人を見下したような男は好きません」
「連れないな」
「そもそも、年齢的に恋愛対象足りえません」
「俺は妻子持ちだ、勘弁してくれ」
ジンはおどけたように両手を上げた。それが、隙となった。
ミヤビががら空きになった胴体に襲いかかる。それを迎え撃つジンの動きは、今までのどれよりも素早かった。まるで、放たれた矢のようにその木剣が振り下ろされ、振り上げられる。
ミヤビの腕は一撃目で制御を失い、二撃目で木剣を弾き飛ばされていた。
ミヤビは、手を抑えて口惜しげにジンを見上げる。
「お前は合格側に並んでくれ。後の二人は、残念ながら不合格だ。まだまだ動きが鈍い」
お前と比較されたら誰だって動きが鈍く見えるだろう。青はそう指摘したくなった。
その後も、順々と生徒は三人一組を作ってジンに挑み続けた。何度かジンと打ち合える生徒もいたが、最後には木剣を取り落とすか、地面に座り込んだ。座り込んだ生徒は、ハクアが神術をかけながら運んで行く。
そしてついに、青の番がやって来たのだった。ミチルとミサトと一緒だ。
「どうしようかね」
ミサトが、苦笑顔で言う。引け腰でもう諦めているように見える。
「三人同時に打ち掛かれば、一人ぐらいは当たるかも」
ミチルが、真剣な表情で言う。剣を堂々と構えて、誠実に目の前の出来事に対処するつもりのようだ。
「それで当たってたら、今あの人は立っていないよ。あの人は初動の速さが違いすぎる。まるで相手の剣筋が前もって見えているみたいだ」
青は淡々と言う。
「動きの速さ、じゃなくて初動の速さを上げる生徒がいたか。嬉しいねえ」
ジンが口角を持ち上げる。どうやら、内緒話の内容は聞こえていたらしい。
「じゃあ、各々自分の判断で動こうか」
「そうしよう」
ミチルが真剣な表情で言い、ミサトが同意する。ミサトは相変わらず引け腰だ。魔術では優等生な彼女も、剣術では分が悪いらしい。
しかし、三人とも動かない。誰も一番最初に打ち掛かる役はやりたくないものだ。できるならば、その後にできた隙を突く役をやりたいものだ。
一番最初に動いたのは、ミチルだった。木剣を振り上げ、駆けて行く。
その腹部が、木剣の柄で軽く突かれる。
「お前は失格だ」
ジンが言い、その横を駆け抜けて行く。次に標的となったのはミサトだ。引け腰の彼女は、まともな対処をする間もなく一瞬で木剣を叩き落とされた。
「お前も、失格」
そして、木剣の柄が青の体に襲いかかった。青はそれを、辛うじて背後に飛ぶことで避けていた。
柄を使うなんて、無理のある戦い方だ。それをしたジンには隙ができる。
反撃の一撃を繰り出す。その時には既に、ジンは反撃に対応する姿勢を取っている。
木剣と木剣が空中でぶつかり合い、押し合った。徐々に押し込まれていくのは青だ。なんて腕力だ。まるで巨人を相手にしているかのようだった。
「ほう」
ジンが興味深げに微笑む。
「反射神経、腕力、いずれも捨て難い」
ジンが木剣を引く。釣られて前のめりになりそうになるが、青は踏みとどまる。そこに、ジンの一撃が横薙ぎに襲いかかって来た。
それを、青はまた辛うじて避ける。
ジンは興味深気な表情で、片手で軽々と木剣を振るっていく。それを、青は次から次へと回避した。
どうしたことだろう。徐々に回避の術が失われていく。まるで避ける先をコントロールされているかのようだ。そんな状況では反撃に移れるわけもなく、そもそも青には反撃に転ずるほどの経験もない。
「なるほど、実戦経験はあるが、剣の経験は乏しいらしい。剣筋が見えないわけだ」
ジンが手を動かしながら、興味深げに言う。
「ジンくん~、遊ぶのはそれぐらいにしなさい」
リッカが、叱咤するかのように言う。いつの間にか、周囲にはどよめきが起こっていた。
「五剣聖がこの程度、と思われては、私の沽券にも関わるのよね~。びしっと決める時は決めてもらわないと」
ジンは微笑んだ。歯を剥き出しにして、獣のように。
「だってよ」
ジンが勢い良く飛びかかってくる。青はそれに向かって、木剣を放り投げた。それはジンにとっては完全に想定外だったのだろう。虚を突かれたような表情になる。
青は同時に、ジンに向かって駆け出す。今のジンは完全に前傾姿勢になっている。投げ飛ばすには打ってつけの姿勢だ。
投じられた木剣と青とジンが距離を縮める。そしてまず、投じられた木剣とジンが接触した。
虚を突かれたような表情はどこへやら。ジンは木剣の柄を軽く動かしただけで投じられた木剣を弾き飛ばした。
やはり、初動が速過ぎる。それに加え、動きそのものも速い。その二つが相乗効果となって、ジンにとてつもないアドバンテージを与えている。
そして、ジンと青が接触する。一秒にも満たない時間の隙間で、これは斬られたな、と青は思う。
しかし、ジンの木剣は、どうしてか動きを止めて振り下ろされようとはしなかった。
勝機が見える。青はジンの服に掴みかかり、足を足で絡め取り、投げ飛ばそうとする。しかし、絡め取ろうとしたその時、それまであった場所にジンの足はなかった。
すかされた。そうと直感した時にはもう遅い。
青は地面に叩きつけられていた。起き上がろうとした時、その首筋には木剣の切っ先が突きつけられている。
「何をするかと思えば、投げ技か。なるほど、体術に覚えがあるらしい。きちんと鍛えてもいる」
ジンの褒め言葉が頭上から降ってくる。
「しかし、命の綱の剣を投げ飛ばすとは褒められんな。どうやら、剣の腕は未熟と言わざるをえない」
(はいはい、不合格ですね……。この世界に来てから鈍ってるから、鍛え直すのも悪くないか)
「お前、合格な」
ジンの思わぬ言葉に、青は思わず唖然と口を上げて彼を見上げた。
「反射神経と腕力が上々だ。お前は鍛えれば、良い剣士になる。才能あるぜ」
ジンは木剣を引いて、青に手を差し出した。青はその手をとって、立ち上がる。
それは、光明だった。才能を認められた。それは今後ミヤビに勝てる可能性があるということだ。遺跡などを探索できるようになる才能があるということだ。
ジンが微笑んでくる。青は思わず、微笑み返していた。
そして青は、合格者の列へと歩み始める。
ミサトとミチルが駆け寄ってきた。
「凄いよ、アオちゃん。五剣聖の攻撃を次々に避けて!」
「あんな反射神経持ってたなら、一番に打ちかかってくれれば良かったのに」
周囲の視線も、青に敬意を払うものとなっている。ただ一人を除いて。フクノミヤビ。彼女だけは不機嫌そうに青を見つめているのだった。
わかったことが、一つある。それは、青には二つの武器があるということ。一つはこの世界にやってきて与えられた魔力。一つは、元いた世界で鍛えた反射神経。その二つは、この世界を渡り歩くようになり得る最高の才能だということだ。
自分は、まだまだ強くなれる。合格者の列に並んで、青はそう思った。
試験の後、二組に別れた生徒達は、それぞれの特訓を開始した。不合格組はハクアと共に身体能力向上の訓練を受ける。ハクアは軽々と水の入った桶を運ぶし、外見に似合わず身体能力が高そうだ。その訓練は理にかなったものとなるのだろう。
そして、十人にも満たない合格組を待っていたものは、ジンの一言だった。
「お前ら、打ち合え」
ぶっきらぼうで単刀直入な一言に、青達は目を丸くする。
「実戦に勝る修行はない。相手の動きの先の先を読むように意識しながら打ち合うんだ。目の動き、肩の動き、足の動き、腰の動き、全てに相手の次の行動のヒントが隠れていると思え」
ミヤビが慌てて挙手する。
「おう、どうした」
「ジン先生は、何をしてくださるんですか?」
「俺は横から口を挟むよ、お嬢さん」
そう言って、ジンはどこか皮肉っぽく微笑む。
「それでは指導になりません。せっかくの五剣聖の元で剣を習えるのです。しっかり指導してくださいまし」
「と言われてもなあ。俺はそうやって腕を上げたぜ? 剣を重ねれば重ねるほど腕力も素速さも上がる。実戦経験を積むほど反応は速まる。心配しなくても、横から忠告はするよ」
はっきりした口調でそう言われると、ミヤビも何も言えなくなってしまったらしい。黙りこんでしまった。
そして、青は近づいて来たジンに軽く肩を叩かれた。
「お前は、見学な」
予想外の言葉に、青は戸惑うしかない。
「見学、ですか」
「ああ。自分ならどう打ち込むか。そう考えながら皆の打ち合いを見学しろ。お前に足りないのは経験だ。まずは観察するところから経験を積め」
言われてみれば、確かにその通りだ。避けることしかできないのは、反撃する術を知らないからだ。そのきっかけを観察から学べるのならば、無闇に打ち合うよりはこれ以上の練習はない。
「どうしてシホ先生もジン先生もオキタアオを特別扱いするのですか?」
ミヤビはますます面白くなさ気だ。
「シホが何をしてるかは知らんが、俺達は適切と思う指導をするだけだ」
ジンはそう言って、物憂げに振り返り、皆を観察できる位置に戻った。
「それじゃあ、二人一組になって打ち合え。組み合わせは俺の指示で順次変えていく。アオ、ぼーっとしてたら小突くからな」
凄い腕とはいえ、皮肉は相変わらずらしい。そう思うと、青は素直に彼を尊敬できなくなる。
ジンは、一つ手を叩いた。
「さ、打ち合え打ち合え。お前らの弱点を徹底的に暴いてやるからなー」
そこからのジンの指示は確かに的確だった。何処に隙ができているか、何処の読みが甘いか、打ち合っている生徒達にすぐに指示が飛んでいく。
生徒達は指示が飛ぶと腕を止め、すぐにそれに聞き入った。
青は観察することで、必死に彼女達に追いつこうと足掻いた。自分ならばどう受け、どう反撃に移すか。課題はそこだ。
そうして、昼も過ぎると、皆の体力も尽きてくる。
頃合いを見計らって、ジンが叫んだ。
「そろそろ午前の授業は終わりだ。午後は座学にする。疲れてるだろうが寝入ってたら起こすからな」
ハクアが指示していた生徒達も、ジンが指示していた生徒達も、解散する。
すぐに青の横にミチルとミサトがよってきた。中腰で歩くのも辛そうだ。
「ハクアさん見かけによらずスパルタだったよ」
情けない表情でミチルが言う。
「砂袋持たされて走らされたりしゃがまされたり……」
ミサトは息も絶え絶えと言った調子だ。
そこに、ジンの声が飛んできた。
「ミヤビとアオは残れ」
さて、なんの用だろう。ミヤビと一騎打ちしろという命令ならば、青にはまだ準備ができてないと言うしかない。
今戦えば、負けるだろう。他の生徒と打ち合うミヤビの姿を見てわかった。ミヤビとの間には、経験と言う名の壁が立ち塞がっている。ミヤビの剣は、見ていて綺麗ですらあった。
皮肉なことに、見ていて一番参考になったのは、ミヤビの剣だった。
苦い思いを噛み殺しながら、青はジンの前に、ミヤビと並んで立った。
「お前らは、座学が終わった後も居残り授業だからな」
ジンが淡々と告げた言葉に、青もミヤビも目を丸くする。
「私の腕が不足だとでも?」
ミヤビは不服げだ。それもそうだろう。ミヤビはどの生徒と打ち合っても、勝利を重ねている。
「逆だ、逆。お前らには才能がある。だから、俺が特別に鍛えてやろうってわけだ」
青とミヤビは顔を見合わせた。青は戸惑いの表情で、ミヤビは胡散臭気な表情で、互いの顔を見つめている。
「見てろよ。お前らの才能に、一年という歳月だ。そこいらの兵士には手の届かない程度には育て上げてみせるぜ」
そう言って、ジンは何処か皮肉っぽく微笑んだ。
自分は強くなれる。まだまだ前へ行ける。いつかは、遺跡の冒険にも踏み入れる可能性がますます高くなった。そんな思いが、青の心を明るくした。
ミヤビが一緒、というのが、一つの不安要素ではあったが。
それにしても、不思議な男だ。人間離れした腕と、皮肉屋で何事にも動じないその性格。まるで弱点がないかのようなその男の強さに、青は戸惑うしかない。どんな人生を歩めばこんな男が生まれるのだろう。想像もつかなかった。
へりくだることもなく、甘くもない。まるで、その男は生き方が剣そのものだった。
午後から、座学が始まった。ジンが皆の前に立って、解説を始める。
「まず、天眼流の極意は一にも二にも先を読むことだ。天の眼の如く敵の動きの先を読む。よって天眼流。相手の動きを読んでの初動の速さは戦いの際に何よりもの長所となる」
皆、黙ってジンの話を聞いている。ミサトの顔を見ると、話す気力もないといった様子だったが。
「まずはこの大陸で多くの入門者がいる七大流派について解説を行う。いずれも、天眼流から見れば攻め方が完成されている道場だ。しかし、今は癖を解説するに止める。攻略法は各々で考えて、一年後に発表してくれればいい」
ジンはそう言って、手に持った本のページをめくる。生徒達の手にも、それぞれ本が手渡されている。
その時のことだった。
小さな子供が、教室を覗き込んでいた。その目は、期待に輝いて教室の中を見つめている。
「可愛い!」
生徒の誰かが声を上げる。石が水に投じられて波紋が起こるように、次々に声が上がる。
「可愛いねー」
「何処の子だろうねー」
「ちっちゃーい」
「おいおい」
頭を片手で抱えて言ったのはジンだ。
「何処のガキか知らんが、今は授業中だ。関係者以外は立入禁止だぞ、小僧。お姉さん達は今勉強で忙しいんだ。家に帰りな」
子供の顔が、一瞬で曇る。怯えたように、小さく震えると、駆け去って行った。
「まったく、何処のガキだ」
「先生、今の言い方は酷くないですかー? もっと言い方があったように思いますが」
「酷いも何もあるか。勉強の邪魔だ」
「先生、その言い分は酷いと思います」
「酷いも何も俺はこういう男だ。こういう男と当たった運の悪さを呪え」
「先生、物は言いようと言いますし、口の使い方によってはもっと物事はスムーズに運ぶと思いますが」
ジンは呆れたように溜息を吐いた。
「これは俺の言葉遣いの授業か? そうじゃないだろう? そもそもあのガキは関係者じゃない。関係者外に良くする理由を俺は持たん」
そう、この男はこういう男なのだ。へりくだらないし甘くもない。まるで剣そのものの生き方だ。
少なくとも、この時点まで青はそう考えていた。
「それが、関係者なのよね、ジン」
いつの間にか、教室の入口には微笑んだ女性が立っていた。女性にしては長身の、長い髪が特徴的な女性だ。手にはバスケットを持っている。
ジンはそれを見て、目を丸くする。目に見えて、狼狽していた。皮肉屋で何事にも動じなかったこの男が、初めて人を前にして動揺しているようだった。
「マリ? ってことは今のガキは……」
動揺しきった、情けない声だった。その声が、青の中のジンのイメージにヒビを入れる。
「相変わらず口が悪いわね、ジン。今のガキ、ですって?」
「いや、今の利発そうなお子様は」
あの皮肉屋が、言葉遣いを改めている。どれだけ青が言ってもお嬢さん呼びを辞めなかった、あの男が。
「ちょっと話があるから、来てくれるかな」
そう言って、女性は教室の扉から離れた。
ジンは、教室の生徒達を眺めた。その表情は、死を覚悟した兵士のように青ざめている。
「……しばし、自習とする」
ジンはそう言うと、教室を出て行った。
もちろん、皆、自習などするわけがない。耳を小そばだてて教室の外の二人の話を盗み聞きしている。
「やっと腰を落ち着けたと耳にして、様子を見に来たら何? アキに恨みでもあるの?」
「いや、だってお前、子供に会わせてくれたの二年ぶり……」
「そんなの言い訳になる? あんた、自分の子供をあのガキ扱いしたのよ?」
「いや、不慮の事故だ。謝らせてくれ」
「いいえ、謝る機会なんて与えてあげません。貴方はそこで一生反省してれば良いのよ。元から口が悪いのは治せた欠点じゃない」
「いや、そう言うな。話せば分かる。話そう、マリ」
「しつこいわね」
「いや、ちょっと待てって」
「私はアキが大事なの、アキを追います」
「いや、今はだな」
「しつこい!」
鈍い打撃音。次いで、男が膝をつくような音が聞こえてくる。そして、一人の足音が徐々に遠ざかっていった頃、青い顔をして腹を抑えたジンが部屋に戻ってきた。
「……まあお前ら。夫婦関係は喧嘩できる間はまだ修正の余地があるということだ……。最悪は会話もないことだからな」
「いや……先生……。奥さんとお子さんを追ってあげてください」
同情したように、生徒の一人が言う。
「そうですよ。お子さんに謝罪すれば、奥さんもまた機嫌を直してくれるかも」
「先生、生徒より家庭ですよ」
ジンは腹を抑えて、しばし俯いていたが、そのうち幽鬼のようにゆっくりと頷いた。
「感謝する。誰か、ハクアを呼んで代わりに授業をするように頼んでくれ」
ジンが、よろけながら教室を出て行った。
そのうち、生徒が一人立ち上がり、教室を出て行く。ハクアを呼びに行ったのだろう。
「変な人だね」
呆れたように、ミサトが言う。
「あれだけ強いのに」
ミサトの言葉に重ねるように、ミチルが言葉を続ける。
「あれだけ高名なのに」
「奥さんにはてんで敵わないんだ」
そう言って、ミサトは滑稽そうに笑った。
男の情けない部分を見せられたようで、青はとても微妙な気持ちになった。
「俺が結婚したら、あんな風に奥さんに弱い顔は見せないな」
青は、溜息混じりに言う。
「そりゃそうでしょう。私達は尻に敷く側じゃない」
ミチルがそう言うので、青はますます情けない表情になるのを感じた。
「俺は男だよ……」
とてつもなく強くて皮肉屋な男。けれども、奥さんにはけして敵わない男。どうやら妙な人間に、青は気に入られてしまったようだった。
その情けない姿は、あまり見たくなかった。
(剣のような男、と感じたんだけれどなあ)
思えば、自分の祖父も祖母に主導権を握られていたものだったな、と青は思う。
男が敵わないのが惚れた女という存在なのかもしれない。青にはまだわからない話だった。