4.違って、通って?その1
今回やや長くなりました。本日中に投稿を終えます。
次週、『隠し部屋での大冒険?』予定。
その日の青は、魔術の授業が終わった後に学長室に呼び出されていた。扉を開けて中に入ると、リッカは椅子に座り、テーブルに頬杖をついて、緩い笑みを浮かべてこちらを見ていた。その背後の窓から差し込む夕日の影響で纏った影が、どこか威圧的に見える。
「今日も勉強ご苦労様~。調子はどうかしら?」
リッカはいつもの緩い調子だ。それを見て、青は引き締まっていた心が緩むのを感じる。拍子抜けした、とも言える。
「そろそろ剣技の授業に移るので憂鬱ですね。俺の世界はこちらの世界ほど剣技が盛んではなかったので」
「そう。けれども貴女と同じ条件の生徒は沢山いるわ。慣れることと、先生を信頼することが大事なんじゃないかしら~。貴女、ネガティブなタイプ?」
「マイペースなタイプです。ただ、今は……」
青の脳裏に蘇る顔がある。あの、憎いミヤビの顔だ。ついつい、青の眉間には皺がよった。
「負けたくない相手がいますからね」
「それはそれは関心ね~。挫折をバネに成長しなさい、若人」
リッカはそう言って、微笑ましげな表情になった。
掴みどころのない人だ、と青は思う。言っていることは正論なのだが、他人事の口ぶりのようにも思える。そういう風に言われてしまうと、逆に、反論のしようもないのだが。
「さて~、今日呼んだ理由は一つです」
「はい」
「星の奏者と貴女を会わせてみたかった。個人的な興味からね」
「星の奏者、ですか……」
部屋に入った時から、違和感があった。この場に、他の人間がいることだ。リッカと話す時は大抵は内緒話が主になる。だから、その場に第三者がいることに奇妙さを感じていたのだ。
リッカの横に佇んでいるのは、一組の男女だった。
一人は背の高い青年。胡散臭げに青を眺めている。その表情には、敵意のようなものが滲んで見える。腰には、柄を見ただけで作りの丁寧さが伺える高そうな剣を帯びている。
一人は、あの闘技場を一瞬でスケートリンクに変えてしまった、三日月の髪飾りをした少女。ハクだ。
「イチヨウくんが睨んでいるのは気にしないであげて~。ハクのことになると前後を忘れるの。ハクの敵は自分の敵だって考えてる人だから」
思いもしない言葉に、青は慌てた。
「俺は、ハクさんの敵になんて成り得ませんよ」
「なるんだな、これが。ハクは星の奏者。人間と他の種族とのバランスを取るために星が創りだした生命体、の残滓。貴女は人間にしてそれを超える能力を持つ者。貴女がハクに害意を持てば、人間と他の種族とのバランスを取るという思想そのものを消し去り、人間本位な世の中を作り出すことができる」
「……話が大きすぎて、実感が湧きません。星が創りだした、生命体?」
「そういう存在がいるのよ。星の意思と考えてもらえば良いわ。かつて彼女達の活動によって、ある大魔法陣が発動し、人間は無気力状態に陥った。そうして人類は衰退し、生物に調和が生まれ、人類が培ってきた魔法技術も失われてしまった。失われた時代。その長い時間がどれだけ続いたのか、私達には想像もつかない」
スケールの大きな話だ。そこにいる少女は、綺麗ではあるが、何処にでもいる少女にしか見えない。
どちらかと言えば、作りの良い剣を腰に帯びたいかにも手だれといった感じの青年のほうが青には脅威に映る。
しかし、考えてみるとこの少女は、闘技場を一瞬でスケートリンクに変えてしまう化け物じみた魔力の持ち主でもあったのだ。
並んで立っていると、身長差もあって、二人は兄と妹にしか見えなかった。
イチヨウと呼ばれていた青年が、鬱陶しげに口を開いた。
「ハクに害意を持った人間は俺が斬る。どんな魔術師であれ、俺とハクが組めば勝てない相手はいないはずです」
「そういう言い方は良くないと思う、イチヨウ。リッカさんも困るし、私も困る」
ハクは苦笑して、か細いけれど、良く通るソプラノの声で言う。
イチヨウが拗ねたような表情になる。案外と、子供っぽい表情だった。
「そうは言うけどさ。お前、ピンチなんだぞ。わかってるのか?」
「アオに害意があれば、今頃私達の寝首を取りに来ているはず。そうでしょう?」
「ハクの脅威を自ら育てるっていうリッカさんの方針。俺は未だに納得していないからな」
「けれども、私という脅威が暴走した時にカウンターとなる存在は必要。それは以前の戦いからもわかっているはず」
ハクは、自らを脅威と評した。それだけの自負があるということだろう。
「人類は自然との調和を保てずに一度衰退した。けれども、二度目は違った道を模索しようと考えた。それが皆の結論のはず。私がまた暴走した時に、ブレーキとなる存在は必要。リッカさんの考えは、間違っていない」
「……理屈っぽいハクは嫌いだ。以前はもっとぼんやりしていたのに」
「それは、イチヨウが私を侮っているだけ」
ハクは滑稽そうに、しかし愛おしげに笑った。
なるほど、危険人物である青を育てているのにも色々と裏があるわけだ。あわよくば、リッカは青とハクをすくみあいの関係に置きたいのかもしれない。
ハクが歩み寄ってきて、青の手をとった。白い透けるような肌をしているが、柔らかくて温かい、普通の女の子の手だった。
その透けるような肌は、どうしてもあの燃えるような赤い髪と目をした少女を連想させた。
「貴女が、アオ。試験ぶりね。会えて嬉しい」
「はあ、どうも……」
ハクは脳天気に微笑んでいるが、イチヨウの視線に篭もる敵意が増した気がする。少女同士で手を握ることすら彼にとっては不快なのだろうか。だとしたら、彼のハクに対する感情は束縛に近い。
ハクは目を閉じて、顔を近づけてきた。青は冷やりとする。あんな事件があった直後だ。青はセカンドキスぐらいは普通に意中の相手としたいと心に強く決めている。
顎を引いて唇を遠ざけると、ハクの額と青の額がくっついた。その時、青は不思議な感覚に陥った。宇宙の広さを直に感じたような、心細い気分になったのだ。その宇宙の中で、二つの大きな光が接触している。それが、ハクと青だった。広い宇宙の中で、縋り合うように、その二つの温もりは触れ合っている。
「うん、貴女はこの世界の人間ではないわ」
ハクは、断言する口調で言った。表情は、微笑み顔のままだ。
「……わかるものなのか?」
「わかる。この世界の命の祝福を貴女はまだあまり受けていない。命の祝福なしには人は生きられない。それなのに生きてきたということは、どこか別の世界で命の祝福を受けていたということ」
「命の祝福……?」
「食べて、食べられる連鎖」
なるほど、この世界の食べ物をあまり口にしていないということか。なるほど、青の体を構成する物質の大半は、元の世界から持ち込んだものになるだろう。
「貴女はこの場所にいる。それにはきっと理由がある」
「理由は、わかるんですか?」
「それは、私にはわからない。私が星の意思に乗っ取られる前兆なのかもしれない。ブレーキとして、貴女はここに呼ばれた。そう考えることもできる」
「おい、ハク……」
そう深刻な口調で呟くイチヨウの顔は、ハクの影になって見えない。思えば、間近に綺麗な女の子の顔がある。その事実に、青は少々照れくさい気分になった。
青の顔から、ハクは額を離した。そして、イチヨウの傍に戻る。彼の心配を和らげるように。
「私が暴走したら、貴女が殺して。私は人間が嫌いじゃないから、私のせいで人類が困るのは困る」
そう言って、ハクは微笑んだ。
「なんか約束が増えたな」
青は憂鬱な気分になった。この細い肩に、次から次に重い荷物を載せてくれるものだ。
「俺がこの世界に来た時、私を殺してって喋る女の子の姿がまず頭に浮かんだ。その女の子ともまだ出会えていない。多分、俺を呼んだのはそいつだ。だからあんたの暴走っていうのは、多分杞憂だと思う」
「……なら、ハクも嬉しい」
そう言った、ハクの表情は華やいでいた。
「俺は一般人なんです。殺して殺してって、重荷を背負わせないでほしいな」
思わず、ぼやきになった。この世界に来てからというもの、荷物が多すぎる気がする。荷物は軽いほうが良い。人生における課題は単純なほうが良い。それが青の信条だ。
「呼ばれたというなら、貴女にはなんらかの運命が待ち受けているはず。その日まで、それを忘れないで」
ハクは微笑み顔のまま、そう言った。その表情が何処か儚げに見えたのは、青の錯覚だったのかもしれない。
イチヨウの表情は、部屋に入った時に比べれば幾分か和らいでいるように見える。仮想敵としていた青に実際に会って、心境の変化があったのかもしれない。
「ちなみに~、この二人が貴女の隣の部屋に住んでる腕利きのコンビだから」
リッカの間延びした口調に、青は仰天した。ハクと青は奇妙な関係だ。パワーバランスを保つために存在しているとも言える。その因縁の間柄の二人を、隣同士の部屋に配置するとは。
「……イチヨウさんに寝首をかかれたりはしないでしょうね、俺」
「イチヨウはそんなことしないよ。ね、イチヨウ?」
ハクはそう言って、無邪気な表情でイチヨウを眺める。イチヨウは、しばし考えこむような表情になった。考えこむということは、彼は青の暗殺も視野に入れていたということだ。
その重度のハクへの愛に青は戸惑うしかない。
「ハクが困ることはしないよ」
そう言って、イチヨウは困ったようにそっぽを向いた。やはりどこか、子供っぽい仕草だった。
ひとまずは、安心して良いのだろうか? やや不安が残る状態ではあったが、今は信頼するしかなかった。前向きに考えてみれば、この世界で一番強い魔術師が傍にいてくれるのだ。それは、心強いではないか。そう考えたほうが精神衛生上良いと青は結論づけた。
「ちなみに、星の奏者さんに質問があるんですが」
「なに?」
ハクは、静かに微笑んで青を見つめる。
「燃えるような赤い髪と目をした少女に、心当たりはないでしょうか」
「赤い髪の人間も存在する。けれども、大陸の外になる。探すとなると、船で旅をしないといけない。この大陸の船の技術では、不安な旅になる」
「……大陸の外、か」
いつか自分は大陸の外に旅立つのだろうか。まだろくに会話したこともない彼女を巡って。
「けれども、ホムンクルスという可能性もある」
ハクの付け加えた言葉に、青は興味を惹かれた。
「ホムンクルスは人の作った存在。髪の色や眼の色は周囲の人間と違っている場合がある」
「そのホムルンクスが多く存在する土地は、あるんですか?」
「……わからない」
ハクは、困ったような表情になった。
「私はあくまでも、星の奏者の残滓。かつて大魔法陣を発動させ、人類を衰退させた星の奏者とは別人とも言える。太古の人類の技術力に関して、私の知識は少ない」
「なるほど」
やはり、手がかりなしということらしい。
「赤い髪と目をした女の子に関しては、私も王様に頼んで情報収集してるよ~。だから、気長に構えててほしいな」
「……はい」
青一人が奔走するより、国規模で動いてもらった方がよほど見つかる可能性が高い。
「今は、魔術と剣術を修めること。それに集中してほしいな」
それが大問題なのだ、と青は思う。
青は今回の話も極秘裏だと念を押されてからリッカの部屋を出て、アカデミーの裏庭に出た。そして、掌に魔力を集中させて、炎を生み出す。家屋も軽々と飲み込むだろうそれを、壁状に変形させようと考える。
けれども、それが上手く行かない。炎は大きくたわむが、青の考えたような形になることはない。
魔術の第二段階、炎の壁を作る練習。その段階で、青は躓いていると言えた。
元いた世界の学校の勉強は予習と復習でどうにかなった。けれども、魔術はそうもいかない。生み出した炎を自由自在に扱うには、コツを掴む必要がある。
そこに、さらに剣術の授業が始まるという。青は生まれつきマメな性格だ。予習と復習を欠かしたことはない。だから、ぼんやりと生きていても、学校の授業に遅れることはなかった。
しかし、今は学校の授業に遅れそうな上に、次から次へと肩に載せられる重い役割の数々。
「ちょっとめげそう……」
思わず、呟く青なのだった。見上げた夕暮れ空は、青の内心などお構いなしに綺麗だった。
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「ナンパ男~?」
リッカが胡散臭気な表情になる。
「はい。舞姫科の生徒が被害にあったそうです」
ハクアが、苦笑顔で言う。
場所は、学長室だ。
「上級剣士の家系をちらつかせて、女の子にコナをかける。そんな子がいるみたいですね」
「困る」
リッカが、眉間に皺をよせて呟いた。珍しく、鋭い口調だった。
「困ると言われましても、若いということではないですかね」
「生徒達は他の家や国外から預かったお客様なのよ~? それが学内で妊娠しただなんて騒ぎにでもなってみなさいよ。一気にフクノ家の面子は潰れるわ」
「まあ、それもありますが。やや強引な誘いで、怖い思いをした子もいるのだそうで」
「厄介だわね~」
リッカは深々と溜息を吐く。
「生徒の特定はできているの?」
「まだ大まかにしか。わかるのは、剣術科の生徒ということです。イチヨウさんに頼んで釘を刺してもらいましょうか」
「相手も上級剣士の家系ってのが厄介なのよねえ~。フクノ家は上級剣士の中でも発言権がある家系。けれども周囲より上位というわけではない。いらぬ恨みは買いたくないところだな~」
「けれども、預かったお客様に怖い思いをさせるのは本意ではないのでしょう?」
「そこなのよ~。ハクアは話がわかるなあ」
「まあ、私はリッカさんに判断を委ねるだけです」
「あ~、考えることから逃げたな~。ずるい」
「上に立つ者の辛いところですね。何分、私はこの国の仕組みに疎い面もありますし」
ハクアが苦笑顔で言うものだから、リッカは引き下がるしかない。
「ナンパ、ナンパねえ~。学生内でなんとか決着をつけてくれないかなあ。けれども、まだ舞姫科の子は剣術を習ってもいないし、迅速に対処しないと危ない気もするなあ。さてはて、どうしたものやら」
リッカはそう言って、腕を組んでしばし考えこむ。すぐに答えは頭に浮かんだ。穏便に物事を沈めるには一番の手だ。
「こういう時は、さらに上に判断を仰ぐか」
リッカはそう呟くと、テーブルの引き出しから紙を引っ張りだしてその上に羽ペンを走らせ始めた。
「リッカさんも、考えることから逃げてるじゃないですか」
ハクアは丁寧なようで、結構直言を吐く。リッカの旧友から聞いてもそうだったという話だったから、元来、負けん気の強い性格なのだろう。
「考えてみなさいよ。王様が命令を下せば全部丸く収まるの。恋愛禁止令を出してもらうのよ~」
「難しい気もしますけれどね。恋心だけは、幾つになっても疼くものです」
「あら、貴女にも現在そういうお相手はいるのかしら?」
意外だった。ハクアにはお供が一人いるが、その相手とは恋中になる気配はない。すっかりそういう話とは縁遠いキャラクターだとリッカは思っていたのだ。
「いえ、私は。けど、周囲を見ていると特にそう感じますね。例えば、ジンさんとか」
「ああ~、ジン君ね~」
納得したようにリッカは大きく何度も頷く。
「成就すると良いですけれどね」
ハクアは、苦笑顔だ。
「成就しているのやら、していないのやらね。心が違ったり通ったり。人間って忙しい生き物だわよね」
リッカはそう結論付けると、羽ペンを動かす手に集中し始めた。
ハクアの用件はそれだけだったようで、彼女は部屋を去って行った。
羽ペンを動かしている最中、ふと、少女の時代に頻繁に文通しあった相手のことを思い出した。
相手は今では一つの領を治める大領主の一人だ。リッカの手の届く存在ではない。そもそも、相手がリッカを毛嫌いしているというのもある。だから、リッカも相手を毛嫌いしているふりをしているのだが。
「……心が違ったり通ったり。本当に忙しいものだわ」
思わず、ぼやきになったリッカだった。