2.試験場はスケートリンク?その2
試験を終えたミチルが、青に神術をかけてくれている。折れた足は、徐々に痛みが和らいでいた。
「試験、滅茶苦茶にしちゃったけど、受かるかなあ」
「受かるよ」
ミチルは、興奮した表情で言う。
「速度、アオちゃんだけ桁違いだったもん。あれで受からなかったら、嘘だよ」
「そっか。受かるか。そしたら、ミチルにももう心配かけなくて済むな」
「そうだね。夜に貴女を心配して待つのはもうごめんだわ」
ミチルはそう言って、苦笑する。
「そっか。毎晩心配かけちゃってたか」
「うん、毎晩、心配してた」
青とミチルの周囲には、人が座っていない。まるで、畏怖されているかのように。それが少し、青は気にかかった。
そのうち、少女が駆け寄ってきた。美しい外見に似合わず、兵士達と同じ格好をしている。彼女はミチルに微笑むと、その手を青の足から離した。
「私が交代します」
「けど、私も神術使いですし、時間はありますよ?」
「時間はあまりないのです」
少女が、青の足に手を添える。次の瞬間、神々しい白い光が周囲を埋め尽くしていた。光は一瞬で消えていく。
「さあ、治りましたよ」
青は立ち上がる。確かに、完治していた。折れた骨が、一瞬でくっついていたのだ。ミチルも、その現象に唖然としているようだった。
「貴女には少し訊きたいことがあります。ご同行願えませんか」
彼女がそう言うと、複数の兵士が槍を持ってその背後に並んだ。
「……嫌とは言えない雰囲気に見えるな」
青は、とぼけた調子で言う。せめてもの抵抗だ。出身国に日本と書いたのがいけなかったのか、はたまたスケートリンクで目立ちすぎたのか。異世界でも出る杭は打たれるものなのだろうかと嘆きたいような気持ちになる。
ミチルが、少女の前に立ちはだかった。
「私達は適正に試験を受けただけです。アオちゃんは違反なんてしてません。魔術だって、この世界のことだって、あまり知らないんですから」
「違反を疑っているわけではありませんよ。悪くはしません」
少女は優しく微笑んで、ミチルを退けようとした。しかし、ミチルは退かない。
「困りましたね」
少女は言うと、ミチルを抱きしめた。
「衛兵さん、今のうちに移動させてくださいまし」
ミチルが叫ぶ声がする。衛兵に引きずられながら、青はそれが徐々に遠くなっていくのを感じる。これで生涯の別れなのだろうか。そう思うと、あんまりだった。
連れて来られたのは、かび臭い牢屋だった。せめてもの慰めというつもりなのだろうか。ドレスに着替えさせられ、豪華な料理が目の前に運ばれた。まるで、怯えているような対応だと青は思う。
そのうち、階段を降りる足音が近づいて来た。
「彼女は~?」
「はっ、大人しくしております」
「何よりだね~。じゃ、君はまだ待機していてくれるかな。私に何かあったら、後はわかるね?」
聞こえてくる会話を耳にしながら、ソースのかかった骨付き肉を噛む。久々に、料理を食べたという気分になった。
足音は、さらに近づいて来る。そして、青の牢の前で止まった。
「こんにちは、オキタアオちゃん」
「……俺は男です」
「そうは見えないな~。可愛らしい女の子に見える。そこが、罠なんだけれどもね~」
顔を上げると、そこには、彼女がいた。青に職場を紹介してくれた、あの妙齢の女性剣士だ。思えば、スケートリンクで司会進行役をしていたのも、彼女だった。
「……あんた、やっぱり偉い人なんだな」
「そう見える?」
「兵士を顎で使ってるみたいだしな」
「こうも考えられない~? 貴女みたいな危険分子の前に現れた私は、下っ端の下っ端だって」
危険分子。やはり、スケートリンクでの暴れぶりと国籍の不確かさがネックになったか。ならば、この先の自分はどうなるのか。考えるだけで憂鬱になりそうだった。友達になりたいと思える相手ができた。その矢先に監禁されるとは、世の中上手くできていないものだ。
「危険分子とは聞き捨てならないな。俺は酒場で平和に歌ってた。あんたがさせたことだ」
青のやっているそれは、悪あがきでしかない。国籍の不確かさは、今更誤魔化しきれない。
「その時は、そこまでの魔力を秘めているとは思っていなかったからね~」
「確かに、俺には魔法の才覚があったらしい。けれども、あんたらが望んで試験を受けさせたんじゃないのか?」
「ハク、という名の少女がいるの」
女性は、淡々と語り始めた。
「彼女は思念の集合体として生まれ、その後、様々な国の人間の信仰を得て実体化を果たした。言わば、魔力の固まりのような存在よ~。貴女も見たでしょう? 闘技場を一瞬で凍りづけにする彼女を」
あの、三日月の髪飾りをした少女のことか。青は納得する。魔力の固まりのような存在だからこそ、あのような奇跡を可能にしたのだろう。
「ハクア、という名の女性がいる。彼女は一国からの信仰という名の呪いを得て不老不死となった。その国規模の呪いを神術に変換して、人智を超えた治癒力を作り出すことができる」
「……俺の骨折を治した女の子か」
「ああ見えて、私と同年代よ~。外見に惑わされないことね~」
「流石ファンタジーの世界だよ。なんでもありだな」
投げやりにそう言って、青は食べかけだった骨付き肉を皿に戻し、両手を後ろについて体重を預ける。
「けれども、ハクでも、ハクアでも、闘技場からあんな勢いで飛び出せないようにあの靴は制御されていた」
その一言で、青の思考は停止した。
様々な国の人間の信仰を受けた少女。一国から信仰という名の呪いを受けた少女。彼女達が身に受けたそれを魔力に変換することで、様々な奇跡を可能にするという。
青の魔力は、その上を行くと、今、目の前の女性は言ったのだろうか。
「言わば、貴女は神にも悪魔にもなれる存在。一流の暗殺者になることも容易いでしょうね~」
耳に痛いような静寂が場を支配した。
女性は、何も言わない。青は、何も言えない。実感が無いのだ。女性の言葉に、現実味がついてこない。
異世界にやっと慣れたばかりだというのに、この身にはその世界でも超常的と言われる程の魔力が眠っているという。
「……俺はただのサラリーマンの子供だぜ。魔術師の子供でもなんでもない」
やっとのことで、青が絞り出した言葉がそれだった。
「サラリーマン、ねえ」
女性は、再度黙りこんだ。そして、しばしの後、口を開いた。
「貴女の状況については聞かせてもらいました。記憶が混乱しているそうね」
青は、咄嗟に言葉が出てこなかった。異世界からやってきた、だなんて、誰が信じてくれるのだろう。世迷言と思われるのがオチだ。
「スパイか何かだと思われているのか?」
「敵国が魔術の技術を盗むために送りつけてきたっていうんならお粗末過ぎるわね~。それに、トランプでエースを自ら手放す選択肢なんてしないはずよ。貴女がつけていたこれ、何かしら。着替えの際に取り上げさせてもらったけれど」
そう言って、女性は青の腕時計を手に持って振った。
「腕時計だ」
「……やはり時計ね。こんなサイズのものは見たことがないけれど。これ、どうやって動いているの? 魔力は感じないわ」
「電池で動いている」
「デンチ?」
「……えっと、俺は説明が下手なんだ。電気で動いているんだ」
「貴女の話から察するにデンチというものは小型で電気を発しているものという解釈で良いわけね~」
「大体間違ってないと思う」
「電気が漏れたりはしないのかしら?」
「そういう風にはなっていないはずだ」
「ふうん。この小型の時計とデンチから見ても、貴女がやってきた国はとても高い水準の技術を持っていることが伺えるわ~。けれども、そんな国があるならば、新兵器を引っさげて今頃この国を蹂躙しているでしょう。貴女一人を送り込んで、みすみす捕まるような愚策を行うわけがないってわけ~」
女性の双眸が、青の目を見据えた。
「貴女、何処から来たの?」
青の口が、小さく開く。話しても良いのだろうか、という思いが湧いてくる。この頭の回転が速い女性ならば、自分の境遇を信じてくれるのではないか、という希望が湧いてくる。
青は、素直に語り始めていた。自分の元いた世界の話を。そして、自分がこの世界にやって来た瞬間からの生活の話を。何故舞姫科を目指したかを。
「ふうん。私を探しだして必ず殺して、と頼んだ少女、か~。そして、貴女の知っている限り、貴女の世界には、世界中が探索され尽くしているにも関わらず、魔術も神術も存在しなかった」
「ああ、そうだ」
「ならば、貴女は異世界から来たと考えるのが自然でしょうね」
「信じてくれるのか!」
青は、思わず腰を上げていた。
「こんな精巧な技術を見せられたら、嘘みたいな話でも信じるしかないわよね~。それに、この土地の古い文献にはこんな言い伝えがあるのよ。この場所は異界との繋がりがある場所だ、と」
「異界との、繋がり……?」
「そう。そして、こうもある。異界から現れた人は、皆短命だった、と。黒い死神に狩られていった、と」
青は、息を呑んでいた。つまりそれは、自分も短命だということだろうか。
「舞姫科が開設されていて幸いね~。貴女は、自分自身の身を守る術を覚えることができる。また、周囲の人々から守ってもらうことができる」
「じゃあ、俺は舞姫科に置いて貰えるってことですか?」
思わず、声が弾んでいた。
「それとこれとは、話が別、かな~。私の一存じゃあ決められないわ~。ハクをも超える魔力を持たれるなんて、話が大きすぎる。国王の意見を仰がなければならないでしょうね~」
それも尤もな話だった。言わば、この女性は異様な力を持つ兵器の素材を手に入れたのだ。それを勝手に組み立てれば、国家への反逆を疑われても仕方がない。
青は、その場に座り込んだ。
「ごねないのね~」
女性が、関心したように言う。
「俺がそんな力を持っているなら、貴女の一存で決められないのは仕方がない話でしょう。わかりますよ」
「物分りが良い子って、私、好きよ~。まあ大丈夫。うちの王様は随分と楽観的なお方だから~」
そう言って、女性は肩をすくめた。
「貴女は、一体何者なんですか?」
青は、ふと気がついて、そんなことを訊ねていた。思えば、この女性のことを、青は何一つ知らないのだ。ただ、異世界の存在を、目にした現実から柔軟に信じることができる頭脳は、称賛に値すると思うのだ。青が彼女と同じ立場なら、果たして異世界なんて存在を信じられるだろうか。
「ソの国フクノ領が上級剣士、フクノリッカ。この町の長であり、アカデミーの責任者。まあ、不安があれば私に言いなさい~。悪いようにはしないから~」
そう言うと、彼女は手を軽く振って、去って行った。
(なんてこった……。この町で一番偉い人じゃねえか)
失礼なことを言いはしなかっただろうか。そんなことが、妙に気にかかった。
青がその後、彼女につけた注文は一つある。護衛を付けて欲しいということだ。異界からの来訪者は黒い死神に狩られた。その言葉が気になって仕方がなかったのだ。
できるならばハクという名の少女をつけてほしいところだったが、つけられたのは一人の三十路前後の男性だった。無精髭が生え、眉間には傷があり、腰と背中には剣を帯びており、いかにも冒険者といった風貌の男だ。
「そんなドレスを着てたら、囚われのお姫様って感じだな」
からかうように男は言う。
「リッカさんに聞いてないのかよ。俺ァ男だよ」
「腕のか細い綺麗なお嬢ちゃんにしか見えんな。ドレスがお似合いだよ」
どうやら随分と皮肉屋なようだ。それから二週間ほど、この皮肉屋と二人きりで過ごした。
「あんた一人だけつけられたけど、あてになるんだろうな?」
「……俺に勝てる奴は何人も知ってるが、俺に斬りかかる気がない奴か鬼籍に入った奴だけだなあ」
どうやら、自信はあるらしい。
「お嬢ちゃんも舞姫科なら剣術も習うぜ。せいぜい俺より強くなることだな」
「え、舞姫科って踊るだけじゃないのか?」
「お前さんよー。下調べしてないのかよ。舞姫科の授業内容は剣術科と神術・魔術科のものを複合してその上で舞を覚えるってハードスケジュールなんだぜ」
「マジかよ……」
「自分の身も自分自身で守れない舞姫なんて危険この上ないからな。魔術師なら自分の技を隠せばいいが、舞姫科は人の前に出て踊る仕事が待っている」
「巡業みたいな感じで各地を回るのか?」
「んにゃ。決められた土地に定住する感じだな」
「それじゃあ、舞姫同士会ったりすることは?」
思わず、早口になっていた。
「お前さん、同期に友達でもいるのか?」
男が、怪訝そうに訊く。
青は、答えない。青とミチルが友達かどうかなんて、まだわからない話なのだ。
「そうさなあ。たまに会うことはできるんじゃないかね」
「そっか……」
寂しさが胸に湧いてきた。いずれ、ミチルとは離ればなれになるという現実を、再確認したせいだ。
ミチルと友達になりたいと思ってから、色々と裏目に出ることが多い気がする。多くを望み過ぎだと神様に言われている気がした。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
青の監禁が解かれたのは、試験から二週間が経った朝だった。その頃には沢山の生徒がアカデミーの寮に居を移しており、グループも徐々にできあがっているそうだった。
牢から出てきた青の姿を見て、ミチルが抱きついてきた。
「大丈夫だったー? 痛いことされてない?」
ミチルの体の温もりを感じながら、青は思わず微笑む。
「なんでミチルがここに? ミチルは舞姫科、受かったのか?」
「受かったよ。そして、私が保護者みたいなものだからって、リッカ様から牢から出るって知らせてもらったの」
「そっか……」
「お互い受かったみたいで何よりだね」
そう言って、悪戯っぽく笑うのは、試験で一緒になった眼鏡の少女だ。
「けど、牢に二週間なんて、リッカ様も酷いことをするわ」
ミチルが憤慨したように言う。
「俺といたから退屈しなかったよな」
そう言って、皮肉屋の男性が青の肩に手を置き、悪戯っぽく笑う。
「ああ、まあ、話し相手には不足しなかったかな」
(すげー皮肉屋だったけど。何回お嬢ちゃんってからかわれたか)
青は心の中で、そう付け足す。
「貴方、アオちゃんに何か変なことしなかったでしょうね」
「俺は妻帯者だよ。そういう疑いは勘弁してくれ。捨てられちまう」
そう言って、男は慌てて青の肩から手を離した。
青は、ミチルの体を目一杯抱きしめ返した。
「どうしたの? アオちゃん。やっぱり、この男になんか変なことされたの?」
「誤解だって。俺は安全な男だぞー」
「そういうアピールをする男って下心があるってお母さんが言ってた」
「お母さんは偏った知識で物を言っているな。改めたほうがいい」
「卒業まで、君の傍にいていいかな?」
青は、呟くように訊ねていた。もっとこの少女と話してみたかった。もっとこの少女が微笑んでいるところが見たかった。
「もちろんだよ」
間髪入れずに、ミチルは言った。
「だって私達、苦労を共にした友達じゃない」
そう言ってミチルが微笑んだから、青は少しだけ涙腺が緩んで、ミチルの肩に顔を埋めた。
次回、「ファーストキスは突然に?」
次週投稿予定です。よろしければお付き合いください。