20.もう一度、最初から?
その日は、いつもより空が青く見えた。まだ、気温は肌寒い。けれども、雪の痕跡はもはやない。
部屋の扉がノックされ、青はベッドから体を起こす。
「どうぞ」
ミヤビとミサトが、扉を開けて顔を出した。
「今日でお別れだからね」
「一応、挨拶だけはと思いましてね」
「ありがとう。けど、お前ら赴任先へ移動しなくていいのか?」
「数日待たせるぐらい良いでしょう。私は赴任先も変わりますしね」
「穴埋めをさせて悪いとは思ってるよ」
青は苦笑して、一枚の手紙をミヤビに手渡した。
ミヤビは、不可解そうな表情になる。
「……これは?」
「王子様に渡してくれ。詫びとお前をよろしくって内容だ」
「ありがた迷惑ですわね。先入観を持たれたらやり辛いですわ」
「詫びの部分だけでも届けておいてくれ。本当の友達になれるかもって言っておいて、俺は帰っちゃうんだからな」
青は結局、自分の世界へ帰る道を選んだ。それは、この世界の人々との別れを意味していた。
青はゆっくりと着替えをする。それを、二人は何も言わずに待ってくれた。
「ミチルの墓、寄ってく?」
ミサトの声は、語尾がかすかに震えていた。
「いや、いいよ。ミチルの魂は、そこにはない」
青は言って、歩き出す。ミサトは、何も言わずにその後に続いた。
卒業式は終わった。ミチルの死もあって、お祝いムードにもならず、なんとなく気まずいままで皆別れてしまった。お祭り屋のサクヤも、流石に意気消沈していたのだ。
つくづく、悪いことをしてしまったと、青は思う。
ミチル自身に対しても。
勝手な想いをぶつけるばかりで、どれだけ彼女の声に応えることができただろう。今となっては、悔いばかりが残っている。
初恋の味は、ほろ苦かった。
アカデミーの外に出る。そのまま、三人で広場に向かった。
「……何か、喋りなさいよ」
ミヤビが、もどかしげに言う。
「特に、喋ることもないな」
「無理してでも、喋りなさいよ」
名残惜しいのだろう。ミヤビは、らしくもなくせがむように言う。
「……俺は俺で、新しいものを見つけて頑張って行こうと思ってるよ」
「ええ」
「だから、お前らはお前らで頑張れよな」
「偉そうに」
ミヤビの言葉に、青は思わず苦笑する。
「無理して喋ったらこれだよ」
「言われなくても頑張りますわ。王家の護衛。さぞやりがいがあるでしょう」
「難儀するぞ。王子様の教育係も努めなくちゃいけないからな」
「教育係、ねえ。やんちゃ坊主、大いに結構ではなくて?」
「笑ってられるのも今のうちだな」
ミサトは不自然なほどに何も喋らなかった。それが、不思議だった。
そのうち、三人は広場に辿り着いた。ジン、マリ、シホ、イチヨウ、ハク、リッカ、ハクアが青を待ち受けていた。
「嫌だよ」
ミサトが、呟くように言った。
振り返ると、彼女は俯いていた。
「ミチルがいなくなって、アオちゃんまでいなくなるなんて、私、やだよ?」
「どうせ一生会えないだろうけれど平気だって言ってたのはどの口だ?」
「……やなもんは、嫌だ」
こういう奴だったな、と青は苦笑する。
彼女は、我慢してしまうのだ。我慢して、飄々とした態度をとって、限界を迎えるとようやく涙を見せる。
そういう奴だった。
「ミサト。頑張る場所が違うだけだ。俺達は、ずっと友達だよ」
「……」
ミサトは、返事をしない。
「だから、挫けそうになったら、アカデミーでの生活を思い出してくれ。俺も、アカデミーでの生活を糧に、これから頑張っていくから」
ミサトは、しばらく黙り込んでいた。そのうち、引き止めるのが無理だと悟ったのだろう。一つ、頷いた。
「恨むからね」
「……ああ、恨んでくれ」
青は、苦笑するしかない。そして、ミサトに背を向けた。
リッカ達の元へと、青は移動する。
「最後のパーティー編成は貴方に任せるわ、アオ」
リッカが、苦笑顔で言う。少し、寂しげだった。
「先生」
青は、彼女の前で俯く。
「俺は、この世界で四人の死の原因となりました。隣国の第二王子、敵国の兵士、ニテツ、ミチル。こんな俺が、のうのうと帰っても良いものでしょうか。それだけが、引っかかっているんです」
「アオ……」
四人の死は、青の肩にのしかかっている。まるで、巨大な骸骨がしなだれかかっているかのように。
リッカの手が、青の頬に触れた。
「貴方には、辛い思いをさせたわね。貴方は、この世界に一方的に呼び出され、この世界で必要なことをしてくれた。だから、恥じることも、負い目に感じることもないの。負い目を感じるべきだとしたら、貴方をそのような立場に立たせた私だわ」
青は、リッカの顔を見る。
リッカは愛しい息子を見るような表情で、青を見ていた。
その表情を見ていると、心の中の負い目が、ほぐれていくのを感じた。
「貴方の負い目はここに置いておきなさい。私が全て受け取ってあげるから」
「隣国での一件はこっちが巻き込んだ側だしな。お前が殺めた人間より、お前が助けた人間のほうが多い。それを忘れないことだ」
ジンが、付け足すように言う。
青は、感謝の気持ちで一杯になってしまって、しばし俯いていた。言葉を、失ってしまっていた。
やっとのことで、言葉を紡ぎだす。
「ありがとうございます。先生達にはお世話になりました。お父さんや、お母さんみたいだって、そう思ってます」
「こんな大きな子供を持ってる歳じゃないけどな~」
「リッカさん、照れないで素直に返してあげましょうよ」
イチヨウが呆れたように言う。
「うん、嬉しいよ」
リッカが、手を差し出した。
青は、その手を握る。
リッカは、繋がれた手を上下に勢い良く振った。
「お別れだけれど、忘れようがないわね。貴方はいつも、私の計算の外で踊ってたから。そういう奴もいたって、覚えておくわよ」
「はい。俺も、お世話になったこと、忘れません。この町と、先生達に、守られてばかりの一年でした」
「で、最後のパーティー編成はどうする?」
「えーと……」
リッカに手を離されて、背を押される。そして、周囲の大人達を見た。
「ここにいるメンツなら、一人欠けても、最下層から戻って来れるでしょうね」
「自由選択ってことですか」
「話したい相手と組めばいいってこと~」
「そんなこと言われても……じゃあ、ハクさんとマリさんとハクアさん」
「現実的な選択だわね~。最後の一人は誰にする?」
リッカも、ジンも、シホも、とてもお世話になった存在だ。誰を取るかと言われると、悩みどころだ。
リッカは、意地の悪い表情で青を眺めている。
ジンは苦笑顔で、口を挟んだ。
「剣士が一人しかいないから、俺だろうな。それで決まりだ」
「ジン先生にも、お世話になりました」
「ああ。けど、お前のおかげで、俺はやっと旅を終えれそうだ。助かった」
「とか言いつつ、呼び出されたらまたどっかに行っちゃうんでしょうね」
溜息混じりに、マリが言う。
「そんなこと、ないと、思う。少なくとも、帰って来れない場所へは、行かないつもりだ」
珍しくジンは歯切れが悪い。
マリはしばらく黙っていたが、そのうちそっぽを向いた。
「今回の竜退治で痛感したわよ。貴方は色々な人にとって必要な人なんだって」
マリに視線が集まる。彼女は気まずげにしていた。
「オギノの町はもう安全ってことみたいだし、いいんじゃない? まあ、留守中アキはリッカさんに見守っててもらうけれどね」
「それじゃあ、行ってらっしゃい。時間旅行の残り回数は二回と余りが少し。今回の二回が、最後の起動になるわ」
リッカが言って、ジンの背を押す。
ジンが歩き始めると、他の三人も歩き始める。青は、その後に続いた。
入り口に、赤い髪の少女の姿が浮かび上がっていた。
「お前との縁も、ここまでだな」
「ええ、そうでしょうね」
珍しいことに、彼女は、微笑んでいた。
二日の旅を経て、青は元の世界に戻って来た。空中に放り出され、背中から畳に落下する。実家の道場だ。衣服もスカートではなく、柔道着に戻っている。体も、女のものではなく、男のそれに戻っている。
少しだけ、スカートの穿き心地が脳裏に残っている。
家は、上へ下への大騒ぎとなった。何せ、一年行方不明だった跡取り息子が帰って来たのだ。
「とりあえず学校は留年という形になるだろうけれど、どうするつもりだ、お前」
帰って来た父は、渋い顔で言った。
「一年の時間があるのはありがたいよ」
「と言ってもだな、就職の時に絶対に聞かれるぞ」
「それをはねのけられるぐらいの動機を、見つけたいんだ」
「と言うと?」
「自分のやりたいことを、この一年で見つけたいんだ。そして、そのために頑張りたい。もう一回、学生からやり直しだけれど、もう一回、学生の間しかできないことをやって、将来の目標を見つけて、もう一回、それを達成した大人になりたい。一年ぐらいの遠回りは、仕方がないと思っているよ」
「……変わったな、お前」
「無駄な一年ではなかったということじゃよ」
祖父がフォローを入れるように言う。
「見ろ、厚。お前の息子は、活きた目をするようになった」
改めてそう言われてしまうと、照れてしまう。
青は俯いた。
もう一度、学生生活のやり直しだ。その間にしかできないことは、色々とある。そのために、今は頑張ろうと思った。
結局、学校は留年することになったが、新しい環境にも上手く馴染めた。部活動も始めた。剣道部だ。
忙しくなったが、やりがいのある毎日だ。
まるで、アカデミーの生活は、この世界の生活に順応する訓練だったかのようだ。
時に、ミチルやミサトやミヤビのことを思って胸が苦しくなる。そんな時は、新しい友達が胸に空いた穴を埋めてくれた。
「ねえ、沖田くん沖田くん」
呼び止められて、足を止める。三人の女生徒が、青を待っていた。既視感のある光景だ。その原因に気がついて、青は苦笑する。ミヤビもそういえば、いつも取り巻き二人を連れてうろついていた。
「沖田くんって、好きな子、いるの?」
「いるよ」
返事は、すぐに出た。
ミチルの香りを、思い出した。
「えー、誰ー?」
「学内の人?」
「元同級生とか?」
「その人と会うのを、待ってるんだ」
三人は、戸惑うように顔を見合わせた。
青は苦笑して、その場を去った。
こんな話をしても、誰も信じやしないだろうなと思ったからだ。
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二階堂未散は高揚感に包まれながら散策していた。
未散は昔から、遠出するのが好きだった。なんとなく、知っている感じのする場所へ行くのが好きだった。長じてもそれは変わらず、行動範囲が広がったこともあって、ちょっとした小旅行とでも言える距離になっていた。
けれども、遠出の最後に待っているのはいつも喪失感だ。
この場所は何か違う。知っている気がするだけで知っている場所ではない。そんな実感を覚えると、旅を始めた時の高揚感は消え失せ、帰ろうという気分になってしまうのだ。
未散という名付けに、親は未だに引っかかりを覚えている。
「子供の名前に、散るなんて文字を付けたくなかったのよね」
親はしみじみとそう語る。
ならば、どうして自分は未散になったのか。そう親に尋ねると、返事は決まってこうだ。
「貴女が夢枕に立って、未散じゃなきゃ嫌だって駄々をこねたのよ」
何度聞いても、結論は同じなので、どうやら冗談ではないらしい。
「なんだか日に日に、夢枕に立った未散に似てきてるわね……」
母は時々、呟くようにそう言った。
その日の小旅行は、順調だった。
前の小旅行の電車の途中で、見たことがあるような景色を見た。それを元に、その景色が見える範囲を絞って歩き始めた。
高揚感が胸を包む。
今日こそは、という思いが胸に湧く。
(今日こそは、なんだろう……)
そう、自分が何を求めて旅をしているのか、未散自身にもわかっていないのだ。ただ、それを見つけた時、自分は幸せになれるという実感がある。
そのうち、未散はふと、遠くに見えるビル街を見つめた。これが今回のキーとなっている景色だ。そして、その反対側に、森があるのを見つけた。
(この場所だ……この場所、来たことある)
思わず、駆け出す。
住宅街の細い路地を見つけて、入り込んで、走っていく。
記憶の中では、そこにはパイプ椅子に座った少女が座っていた。
けれども、今、その場所には何もない。
(ん? 今の記憶、私のどこから生まれたんだろう……)
初めてきた場所の、初めて来た森。覚えてなんて、いるはずがないのに。
とりあえずスマートフォンで写真を撮っておくか。そう思い、バックを漁った。そして、顔が真っ青になった。
財布がない。
どこで落としたんだろう。
ここまで来た道はどうだっただろうか。
見覚えのある景色に夢中になって全く覚えていない。
未散は絶望してしまって、よろけながら歩き始めた。
通りすがりに公園を見つけて、なんとなくそこのブランコに座り込んだ。
「はぁー、何やってんだろう、自分」
思わず、独りごちる。
今日の自分のヘマは言い訳のしようがない。
地図ならばスマートフォンがある。けれども、お金はどうにもならない。
そもそも、どうして自分はこんなにも旅をしたがるのだろう。
何かを、探しだそうとしているかのような。
「どうしたんですか、お嬢さん」
お嬢さん、だなんて、気障な男だと未散は思う。
けれども、心に溶けいるような懐かしい声だった。
「お財布落としちゃって。帰れなくなっちゃって」
「大変ですね。家まで来てくれればお貸しできますが」
「本当ですか?」
「ええ。もちろん」
不思議なことに、男の声は語尾がかすかに震えていた。
未散は、顔を上げて相手の顔を見た。
一目で、心を奪われた。それほど、美形というわけでもない。どこにでもある普通の顔だ。どうしてそれに、ここまで見事に心を奪われてしまったのか。
活き活きとした目を、しているからかもしれない。
「青……ちゃん……?」
声と涙が、自然と出てきていた。
直感があった。
自分はずっと、この人を探して旅をしていたのだと。
この、沖田青という男を求めて、この世界に来たのだと。
この状況と、同じことが、以前あった。
いや、立場は全く逆だった。助けられる側と助ける側は逆だが、似たようなことが以前確かにあったのだ。
そこから色々なことが始まって、自分は覚えてはいないが色々な体験をした。
また、それが始まるというのだろうか。
青は、穏やかに微笑んでいる。
何かが始まろうとしている予感が、あった。
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引かれあう魂というものが世の中にはあるらしい。
それは、何度輪廻を繰り返しても、時には親友として、時には恋人として、傍にいるのだという。
ならば結局、彼女達は出会えたのだろうな、とミサトは思う。
舞姫としての毎日は退屈だった。
王宮で美味しい食事ができるのが嬉しいといえば嬉しい。
しかし、魔力の低いミサトである。いずれこの立場を追われ、辺境の地に飛ばされるのがオチだろう。
舞姫科は二年制になった。剣術と魔術の指導をより厳しくつけるのだそうだ。ミサト達一期生は実験のようなものだったのだろうなと思う。
ミサトの里は、未だにアカデミーのことを信用してはいない。しかし、生け贄のように生徒を送り出してはいるらしかった。
(まあ、我が故郷ながら難しい立ち位置だわね……)
そんな風に思いながら、ミサトは城の中をうろつく。秋の風が、心地良かった。庭には沢山の落ち葉。それを侍女がはいている。
城内の門を、兵に挨拶して出る。
城外に繋がる門までが、ミサトに許された自由な行動範囲。
これでも、アカデミー時代より行動範囲は増えたようなものか、とも思う。
そんな時の、ことだった。
小さな子供を引き連れて、兵が歩いて来ている。
「どうしたの? あんたの隠し子?」
「冗談じゃないですよ、舞姫様」
兵が、脱力したような調子になる。
「よりによって、こいつ、城に忍びこみやがった。子供とはいえ許すわけにはいきません。王にご裁断願おうかと」
「ふうん、大胆な子ねえ。ちょっと、顔を見せてみなさいよ」
ミサトは、そう言って、嫌がる子供の顎を掴んで顔を眺める。その眼が、丸く見開かれた。
過去の世界からやって来た彼女の、面差しがあった。魔術的に接触しても、彼女と似通った面が感じられる。
大飢饉で絶えていたかと思ったが、事前にその情報を知っていた彼女のことだ。対策を打っていたのだろう。
「この子は、私が預かるわ」
「舞姫様?」
「忍び込んだ件に関しては、内緒ね。忍び込んだルートとかは聞き出して、徹底的に封じておくから」
兵は、少し悩んだように眉間に皺を寄せる。
「お願い、ね」
「舞姫様がそう言うなら、仕方がありますまい」
「ありがと」
ミサトが微笑むと、兵は照れたように背を向けて、歩いて行ってしまった。
(この城の兵はもうちょっと女性耐性をつけるべきだなあ……)
さて、目の前に残ったこの子だ。
早速逃げようと駆け出す姿勢に移っている。
その肩を掴んで、ミサトは飛行魔術を使った。
子供は、足を左右に振るが、地面から離れたそれが前に進むことはない。
空中で、ミサトは子供を振り向かせて両手を握った。
引かれあう魂というものが世の中にはあるらしい。
自分と、彼女も、そうなのだろうか。
「ね、教えて、あなたの名前」
もう一度、始めよう。きっと今度は、悲しい最後にはならないから。
ミサトは、柄にもなく素直に微笑んでいた。
俺の天職は異世界の舞姫?は今回で完結します。四ヶ月の間、ありがとうございました。
キャラクター達の子供世代を描けたら楽しそうだなとは思うのですが、断片的なネタしか思いつかないのでまた遠い先の話になりそうです。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。




