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18.舞姫の初仕事? その1

 出立の日がやって来た。その日は朝から舞姫科の宿舎全体が慌ただしい空気に包まれていた。送別会は既に済ませてある。後は各人、赴任先に移動するだけだ。

 少ない荷物を抱えて、ミチルと手を繋いで門の前に立つ。既にリッカ、ジン、シホ、イチヨウ、ハクアら教師陣が集まっていた。

 馬車が次々に門から入ってくる。

 ミサトが丁度、馬車に乗り込むところだった。


「ミサトちゃん!」


 ミチルが、呼び止める。ミサトは、悪戯っぽく微笑んで振り返った。ミチルの切ない心情は見通しているのにあえて普段通りの表情をしているような雰囲気だ。


「どしたの」


「頑張ってね!」


「お互い様よ。どうせもっかい会うんだから、気楽にしてようよ」


「そうだね……」


 そう言うが、ミチルはやはり寂しそうだ。


「約束だぞ。もっかい会うの」


 青は、念を押すように言う。

 ミサトは、元気良く頷いて、荷物を片手に馬車に乗り込んでいった。馬車は動き始めると、入ってくる馬車と入れ違いにゆっくりと門から出て行った。


「アオ、準備はできた~?」


「はい」


 ミチルの手を強く握って、そして離す。彼女の顔を見ると、やはり寂しげだった。


「一仕事終わったら、すぐに卒業式だ。そこでもう一回皆で集まれる」


「そうだね……」


 ミチルに向き直って、荷物を置き、彼女の両手を取る。


「すぐだよ、ミチル。すぐだ」


「うん、待ってるよ。私も、頑張る」


 ミチルはそう言って、気丈に微笑んでみせた。青はそれを見て、安心して彼女から手を離し、荷物を持ってリッカの傍に駆け寄る。

 リッカは、周囲を見回して、声を上げた。


「ソラの町への馬車は何処かしら」


「こっちですよー」


 馬の手綱を握る男の一人が手を上げる。


「じゃあ、行ってらっしゃい、アオ。王様に無礼がないようにね~」


「リッカさんはついて来てくれないんですか?」


 いきなり王族の前に差し出されるというのも緊張するものだ。貴族的な立ち位置にいるリッカの仲介がほしいところだった。

 その心情は察していたのだろう。リッカは、微笑んでみせた。


「王様への挨拶はジンくんとシホさんがしてくれるから~。貴方は安心して貴方の全力を出してきなさい」


「ありがとうございます」


 護衛もつけてくれてくれるらしい。一安心だ。


「それにしても、イチヨウさんとハクさんが一緒にいないのは珍しいですね」


「ハクなら中継地点の護衛だよ。上空から馬車の安全を見守ってくれている」


 イチヨウが、少し不服げに言った。

 違和感が、青を包んだ。

 甘い匂いは、依然周囲にある。今まではそれがハクのものだと思った。けれども、違ったのだろうか?

 他の魔力の源が、この町にあるというのだろうか?


「さ、行きなさい~、アオ」


 リッカに促されて、馬車に向かう。そして、ついてくるアメの匂いを少し嗅いだ。


「……お前の匂いでもないよなあ」


「え、臭います?」


「いや、なんでもない」


 言って、馬車に乗り込む。

 ジンとシホとアメと、数人の兵がその後に続く。

 ミチルは馬車の傍に駆け寄って、青の顔を必死に見ていた。まるで、目に焼け付けようとするかのように。

 眼と眼があった時、彼女は微笑んだ。


「またね、アオちゃん」


「ああ、またな。ミチル」


 二人は、そうやって別れた。淡白な別れだった。

 馬車が進み始める。青は、前だけを見ている。

 不安は山積みだった。またこの場所に戻って来れるのだろうか。王族に無礼でも働いて投獄されたらどうしよう。舞姫としての初仕事は成功するのだろうか。この甘い匂いの正体はなんだろう。色々な思惑が入り混じって、青の心を掻き乱す。


「手、振ってますよ」


 アメが、指摘するように言う。

 振り返ると、ミチルが必死に背を伸ばして、手を振っていた。その姿は、既に小さくなっている。

 自分のことにすっかり必死になっていた。青は慌てて、手を振り返す。そして、曲道を通って彼女の姿が見えなくなると、手を振るのをやめた。


 甘い匂いは、徐々に強くなっているように思えた。ハクという巨大な存在がいないからこそ、その僅かな違いがよくわかる。

 町は、兵士達が総出で警護にあたって道を開けていた。その両端から、様々な人が舞姫の出立を見守っている。平和な町の光景だ。


(気のせいか……?)


 匂いは、錯覚かもしれない。そう結論づけようと青が思った時のことだった。強い匂いが、青の鼻を突いた。

 広場の辺りだ。

 青は思わず立ち上がり、馬車から降りる。


「おい、どうした?」


 ジンが戸惑ったように声をかけてくる。


「ミチルちゃんとならまた会えるわよ?」


 シホは、誤解しているようだ。

 青は、構わず地面に鼻をつけた。地下の匂いへと意識を集中する。すると、甘い匂いは濃くなり、刺激臭となり青の鼻を突いた。

 青は思わず、地面から鼻を離してその場を転げまわる。それが落ち着く頃には、アメも、ジンも、シホも、傍に歩み寄ってきていた。馬車は止まってしまっている。後続の馬車から迷惑そうな視線が飛んできていた。

 青は鼻を抑えて立ち上がり、ジンの顔を見た。


「この地下から、甘い魔力の香りがします。魔力が、じわじわと溢れ出ているみたいに」


 魔術に通じている教師二人だからこそ、その意味が通じたのだろう。真顔になっている。


「……そこの兵に言って、リッカさんに調査してもらうよ。今はお前は、そのことは気にするな」


 そう言って、ジンは青の頭を撫でると、兵に駆け寄って二言三言告げた。兵が、血相を変えて駆けてその場を離れる。


「さ。旅のやり直しだ。楽しくやろうぜ」


 そう言って、ジンに促されて馬車に戻る。全員が乗り込んで、馬車はまたゆっくりと前進を始めた。


(冗談だろ……?)


 そんな思いが、青の中にある。

 後方に遠ざかっていく広場を見ながら、青は考える。

 この世界に残ると決意したのに、ここで結婚したのに、もしかして青は元いた世界へ戻る遺跡を発見してしまったのだろうか。

 けれども、そうと考えれば全ては辻褄が合うのだ。

 この町に召喚された理由も、強い魔力探知能力を持たされた理由も、魔力の匂いを嗅げるように成長を促された理由も。


 そのうち、馬車は町を出た。青は、後方を眺め続けている。


「そんなにミチルさんが恋しいですか?」


 アメが、呆れたように言う。彼女だけは、事態を把握していないらしい。こんな時にも、調子が狂う相棒だった。


「お前の世界には、魔法陣とかそういうものはなかったのか?」


 アメの表情が変わる。


「知識としては残っていました。まさか、それを発見したと?」


「さあな……」


 暮らし慣れたオギノの町が遠ざかっていく。様々な意味で、後ろ髪を引かれるような思いの青だった。

 またミチルと会うのは何日後になるだろう。あの匂いの正体を知れるのは何日後になるのだろう。こうなると、舞姫としての初仕事への緊張は心の何処かに行ってしまっている。


「王都って、遠いんですか?」


「このペースで進んでも昼までには着く」


 ジンが淡々とした口調で言う。


「大きな場所だから、吃驚するかもねえ」


 シホが、悪戯っぽく微笑む。


「自由行動の時間はあるのでしょうか?」


 兵の一人が、好奇心を抑えきれぬ表情で言う。


「あるわよ。アオちゃん以外はね」


 シホが微笑んで放った言葉に、青は少し気が滅入った。


「俺は王族への挨拶ですか」


「それは私とジンも付き添うけれど。あとは衣装の調整とか、曲との調整とか。色々仕事があるのよ」


 なるほど。舞姫としての初仕事までに、準備は色々と残っているらしい。町のことも今は気になるが、今は目の前の課題をこなすべきなのだろう。

 そうするべきなのだろうが、やはり、あの匂いへの興味は心に残った。


 しばし、馬車に平穏な時間が訪れた。兵を交えて談笑し、ゆったりとした時間が過ぎていく。

 それを破ったのは、手綱を握る人間の血相を変えた声だった。


「待ち伏せされています!」


 馬車が止まり、全員、血相を変えて前方に目をやる。

 遠く前方に黒衣の男が六人、青達の馬車の進路を塞いでいる。

 シホの周囲に、球体の炎が一つ、二つと現れ始める。兵達が槍を構える。ジンが剣を、アメが刀を鞘から抜く。

 距離はある。ボール型の魔術を完全に展開するには十分な距離だ。こんな開けた場所で勝負を仕掛けるのは、相手が愚かと言うしかなかった。


 炎が馬車の内外に完全に展開される。そして、黒衣の男達を追い始めた。黒衣の男達はそれを避けようと動き始める。体魔術を使ったかのような素速い動きだった。

 しかし、シホの巧みなコントロールは、五十個ほどの球状の炎を巧みに操り、彼らを追い詰めていく。

 青も、ランス型の炎を乱射して援護する。

 一人、二人と相手の傍で炎が爆発し、その姿が消滅していく。


 このまま行けるか、と思った時のことだった。

 馬が駆けるけたたましい音が、後方から響き始めた。見ると、ニテツが馬に乗ってこちらに接近してきている。

 後部からの強襲だ。

 青は両手を前に差し出し、ニテツの姿に照準を合わせる。ランス型の魔術が、中空に浮かび上がった。

 二人、殺した。三人殺そうと、変わるものか。そう思えど、青の背筋からは冷や汗が次々に流れている。

 その肩を、叩く者がいた。ジンだ。


「あいつは、俺の客だ」


 そう言って何処か拗ねたように微笑むと、彼は馬車を飛び降りていってしまった。


「後から追いつく! 先に行ってろ!」


 ジンの声が、徐々に遠ざかっていく。

 馬車が勢い良く進み始める。

 黒衣の男は五人までがシホの魔術によって消滅していた。残った炎に追いかけられる六人目を、青は両手で照準を合わせて狙う。

 ランス型の炎が、発射された。

 それが敵を見事に消滅させたのを見届けると、青はニテツと戦い始めた師の背を見つめた。その姿は、徐々に遠ざかっていく。


「大丈夫でしょうか」


「大丈夫よ」


 シホが、優しい声で言う。


「ジンは、しぶとさは折り紙つきだから。伊達に何年も旅をしていないわよ」


 馬車は勢い良く駆けて行く。青は、アメの服の裾を思わず握っていた。不安だった。今までは、町に守られていたのだ、という実感が湧いてきた。町を少し出るだけで、脅威は目の前にやって来た。

 アメは、優しく青の頭を撫でていた。


「貴方は、私が守ります」


「……わかってるよ。俺達、最強のコンビだろ?」


 アメは、穏やかに微笑んだ。調子の狂う相棒だ。けれども、調子が狂ったおかげで、少しだけ落ち着いた気持ちになれた。

 馬車は勢い良く駆け続ける。そのうち、ジンの背中も見えなくなった。それでも青は、後方をずっと眺めていた。それは、シホも一緒だった。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 王都に辿り着いた第一印象は、でかい、だった。門がとてつもなく大きいのだ。見上げると、門と空との境界で太陽が輝いていた。馬車が三台並べそうな横幅の巨大な橋があり、その下は堀になっている。

 シホが見張りの兵に身分証明証を見せて、通行の許可が下りる。

 馬車は再びシホを乗せて、ゆっくりと前進を始める。


「ジンと一緒だと聞いて気楽な思いでいたけれど、やっぱり緊張するわね」


「シホ先生でも、緊張するんですね」


「この国では元お尋ね者だからね。嫌な汗が流れるのよ」


 涼しい顔で言うシホだが、冗談だろうか、本気だろうか。踏み入って訊くのも躊躇われた。

 王都は、人が多かった。オギノの町も賑やかだと思っていたが、この町ほどではない。オギノの町より五割は広い大通りは、それでも大勢の人が並んで、馬車の中に好奇の視線を送っていた。


「なんだか、大変なところに来ちゃったなあ……」


 何をやっているのだろう、と思う。肝心のミチル、ミヤビ、ミサトとは離れ離れで、こんな所で舞を披露する羽目になっている。

 けれども、これは意味のあることなのだと思い直す。

 そうしなければ、調律者の心に響く舞は踊れない。

 そのうち馬車は、城の門を潜った。馬車の中が、数秒薄暗くなる。それが二度ほど繰り返されると、青達は広場の中央に辿り着いていた。


 シホに導かれて、青達は馬車を降りる。すると、自信に満ちた表情の少年がこちらを見ているのが見えた。

 兵達が二十人ほど、その傍についている。


「噂の舞姫というのはお前か」


 少年が口を開く。

 シホが、スカートの両端を持ち上げて挨拶をする。


「王子、わざわざの出迎え恐縮します」


 少年はシホの言葉を気にした様子もなく、青の前に移動した。そして、青の顎を掴み、その顔を様々な角度から見る。


「確かに、見目は悪くないな」


 尊大な物言いだった。


(こいつはなんで俺の顎を掴んでやがるんだ……?)


 青も、突然の相手の行動に不満を視線に込める。

 王子は、滑稽そうに笑った。


「なるほど、なるほど。負けん気も強いか。中々に気に入った。傍にいて退屈はしなさそうだ」


「傍にいる、と言うと……?」


 青は、顎を掴まれたまま、縋るようにシホに視線を向ける。

 シホは、表情を変えずに言った。


「舞姫は、平時はその町の守護者として活動してもらいます。王都においては、王族の護衛ね」


 冗談だろう、と青は思う。この自信過剰な王子と一緒にこれからを過ごせと言うのだろうか。ミチルと引き離されてそれは、あまりに酷だ。


「王子、お戯れはそれほどに……」


「そうだな」


 シホに指摘されて、興が冷めたように、王子は青の顎から手を離した。


「俺が案内しよう。ついて来るがいい」


 そう言って、王子はさっさと歩き始めてしまう。巨大な建物の階段を上がり、入り口へと向かって行く。


「貴方達は自由にしていていいわ。夜までには帰って来てね」


 シホが、一緒にやって来た兵達にそう言い残して王子の後に続く。アメが、王都の兵に足を止められた。


「剣をお預かりします」


「断ります。私はこの人の護衛です。武器がなければ仕事になりません」


「王に謁見する方からは武器を預かる。これは規則ですので」


「王だろうとへちまだろうと関係ありません。私は護衛ですので」


「アメ」


 青は苦笑して、足を止める。つくづく、調子の狂う相棒だ。


「ここは城だ。大丈夫だろ。剣を預けるのが嫌なら、ここで待機していてくれ」


「しかし……」


「そうだぞ。こいつらは若干三人で隣国の第二王子を始末したという畏怖すべき存在だ。そうそうと武器を持たせるわけにもいかんでな」


 王子が、面白がるように上段からそう言い放つ。

 兵達の形相が変わる。アメの前で、槍が交差された。

 アメが、不服そうな表情で前進を諦める。


「緊急時には、時間を加速させてください。押し通りますので」


「わかってる」


 青は溜息を吐いて、王子の後に続いた。

 偉そうな王子。融通の利かないアメ。まだ終わってない衣装や曲の調整。王との謁見。処理しなければならない問題は山積みだ。

 兵士達が巡回する、天井が高い廊下を、青達は進んでいく。


「王に直接謁見など中々ない機会だぞ。お前、オキタ・アオだったか」


「はい、青ですが」


 この王子と話さなければならないだけで憂鬱になりそうだ。

 見たところ、年齢は青より低い。なのに、何処からそんな尊大な態度が出てくるのだろう。


「お前にとっては日常になるだろうが、外界の者にとっては異世界だ。精々、堪能するがいい」


(外界の者、ときたか)


 つくづく、この王子とは話が合わなそうだ。

 そのうち、王子は人の倍はある高さの扉の前で足を止めた。


「リク、入ります」


 しばしの間があった。


「入れ」


 青達は武器のチェックを受けて、王子に先導されて部屋の中へと入っていく。

 玉座に、黒い長髭を生やした中年男性が座っていた。彼は青を見ると、好々爺のように表情を緩めた。彼の傍から、書類を持った初老の男性が去って行く。


「おお、来たか、オキタ・アオ。そして、久しぶりだな、シホ。我が息子、リクとの挨拶は済んだようだな」


「ええ、王様。無事、舞姫をこの王都に案内しました」


 王子とシホが俯いて地面に片膝をついたので、青は慌ててそれに習う。


「王宮では舞姫の評判はあまり良くない。フクノ・リッカの私兵だと噂する者もおってな」


 シホが、慌てて顔を上げる。


「彼女は我々が一年がかりで育てたソの国の忠実な護衛です。身辺の安全は保証していただけるでしょうか?」


「心配に及ばん。儂も周囲の噂話を真に受けるほど耄碌はしておらんよ」


 そう言って、王は柔和に微笑む。

 まったく、この温和な王の何処からこのやんちゃな王子が生まれたのだろう。青は、いっそ呆れてしまった。


(教育方針間違えてね……?)


 そこまで考えて、人のことを言えた義理ではないか、と思い直す。


「さて、オキタ・アオよ。王家の者と共に歩く際に、そなたの格好はあまり相応しくない。こちらで衣服を用意する。着替えてくるが良い」


「はい」


 素直に頷くことにする。確かに、制服姿の少女と王族が共に歩いていたら様にならないだろう。


「武器の携帯もいずれは許可するつもりだ。ジンに鍛えられたというその腕、存分に振るって欲しい。さ、案内してやってくれ」


 最後の言葉は、侍女に向けられたものだったのだろう。控えていた女性が二人、青に挨拶すると、案内すると申し出た。

 青は素直に従って、その後について行く。どうしてか、王子までも傍について来た。


「お前、天眼のジンの弟子に当たるわけか」


 王子が、面白がるような表情で言う。人の顔を見て面白がらないでほしいものだ。


「はあ……まあ、そうなりますね」


「面白い。いずれ一戦交えようではないか」


「勝っていいならやりますけれどね」


 王子が、不服そうな表情になる。


「過ぎた口を叩く奴だな。勝負をする時は本気に決まっておろうが。手加減をしようものなら、オギノの町に叩き返してくれるわ」


(……そっちの方が、正直ありがたいなあ。そのほうが、ミチルと一緒にいられるし)


 侍女達は、部屋の前についたようだった。王子に、言い出しづらそうに視線を向けている。しかし、この尊大な王子はそれに気がつかないようだ。


「着替えの部屋の前についたみたいだですよ、王子様」


「……ああ、そうか。なら、部屋の前で待とう」


(そう、付きまとわないでもらいたいんだけれどなあ)


 なんだかアメといい、この王子といい、変なのに付きまとわれる運命なのかなあと思い始めた青だった。

 部屋の中に入り、制服を脱がされる。

 そして、用意されたドレスに、手伝ってもらいながら袖を通した。

 衣服を脱ぐ時、学生の時代は終わったのだなと、妙に物悲しい気持ちになった。


「その制服、大事にとっておいてもらえますか? 舞姫用の部屋にでも、置いておいてください」


「はい、わかりました」


 侍女が礼をして去って行く。

 もう一度、制服に袖を通す機会は残っている。

 卒業式のその日。皆がもう一度一同に集まるその日。


(黒衣の集団に襲われた今となっては、戻る許可が下りるかどうかもわかんないけれどな……)


 しかし、そうなると、あの甘い匂いの正体も確かめられなくなってくる。

 いざとなれば、移動の際にはハクがいるか、と青は思い直すことにした。


 そして、青が扉を開けると、王子が待ち受けていた。


「お前は中々面白い奴だな。俺に口答えをする」


 その一言を聞いた時、青は思った。


(ああ、こいつ、友達いないんだ……)


 そう思うと、同情の気持ちが胸に湧いてきたのだった。

 もちろん、こんな尊大な王子に素直に従う気はなかったが。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 剣が地面に落ちた。ニテツの持っていた剣だ。

 荒い呼吸を繰り返し、地面に膝をつくニテツを、ジンは冷めた目で見下ろしている。


「くそっ……どうしてお前に一撃が入らない。こちらの方が、速度も、力も、上なのに……!」


「これが天眼流。お前の親父さんが創立した流派だ」


 ジンは、ニテツに淡々と言う。複雑な思いを抱えながら。

 師を殺したのは自分だ。その師の息子を、師の作った技術で抑えつけている。我ながら、妙な構図だと思った。


「何故俺を殺さない! 殺そうと思えば、殺せただろう!」


「……流石に、先生に悪い」


「いや、あの男は俺などどうも思っていなかった。だから、剣だって教えなかった。あの男の息子と言うならばお前だ、ジン! 直接技術を吸収し、最後まで看取ったのだからな!」


 苦しみを吐き出すようにニテツは言う。結局、彼が引っかかっているのは、そこなのだろう。


「自分と同じにはなってほしくなかったんだよ、親父さんは」


 今ならば、イッテツの苦しみがわかる気がしたジンだった。剣に長けたものは、剣に呪われる。生き方を広げるために技術を身に付けたのに、その技術に縛られるようになる。

 その腕が突出していればしているほど、それは呪いとなってその身に降りかかるのだ。


「まあ、お前に俺は倒せない。礼儀として一対一の相手はした。これで諦めて、どっかで道場でも開いて過ごしてくれると俺としてはありがたいんだがな」


「認められるものか、ジン……。生きている以上、いつもお前の存在がちらつくんだよ。鬱陶しいんだよ」


(殺してしまうべきか……?)


 殺めてしまうのが、正しいのだろう。そうすれば、マリの不安も解消されるのだろう。

 けれども、今までのジンの旅を支えてきたのは、師が教えてくれた剣なのだ。


「……二度はないぞ。二度と、俺にもオギノの町にも近づくな。次に会う時は、お前を殺す時だ」


 ジンは吐き捨てて、ニテツの馬を奪った。そして、彼を置いて走りだす。

 師への借りは返した。二度目はない。

 そのうち、馬を駆けさせ、王都に辿り着いた。

 身分証明証をシホが持っていたため門で一悶着あったが、それでもなんとか城の中へと入ることを許された。

 城の中でも中心部に向かう道では、アメが兵達に混じって、直立不動の姿でいた。


「何やってんだ、お前」


「刀を手放すわけにもいきません。しかし、アオさんの傍を離れるわけにもいかない。板挟みです」


 実に苦しげな表情でアメは言う。大体の事情を把握して、ジンは苦笑した。

 剣を傍らの兵に預けて、所持品検査を受けながら、言う。


「お前さんも生真面目だね」


「貴方が不真面目なだけです」


 不服そうにアメが言う。


「……違いねえ」


 マリの心情を第一に考えていたならば、ニテツを生かしておくことなどできなかっただろう。それを考えれば、ジンは不真面目な父親だと言えた。

 妙にしおらしいジンに戸惑ったのか、アメは言葉を失ったようだった。

 所持品検査を終え、兵に案内されて、ジンは王宮の中を歩く。


 そして、王子と共に歩いているドレス姿の彼女と再会した。

 外見だけ見れば、実に綺麗だった。王子との立ち姿も、美男美女で絵になる。


「王子、ご無沙汰しています。アオも、無事辿り着いたようで良かった」


 王子はジンに気がつくと、表情を緩めた。彼女は、不服そうに俯いている。


「ああ、ジンか。丁度お前の弟子を案内してやっていたところだ」


「へえ、王子が直々に?」


「ああ。こいつは面白いやつでな。俺が頷けと思うところで頷かず、否定しろと思うところで肯定する。城を案内して身の程を知らせてくれようと考えていたところだ」


(ありゃ、ギスってるのかな)


 ジンは苦笑する。ここの王子の気難しさはジンも知っていることだ。将来王になればどうなることやら、と思う気持ちがないわけではない。


「お前の弟子だということだな。腕は確かか」


 面白がるように、王子は問う。


「直々に育てました。護衛としての任、立派にこなすことかと思います」


「そうか、そうか。なら、それに勝てば俺の剣は天眼流に匹敵するということだな」


「王子、あまりアオを外見で判断しないほうがいい」


 ジンの言葉に、王子は不服そうな表情になる。


「そいつはそう見えて力は並の成人男性以上あります。さらに、体魔術を使い身体能力を向上できる。ちょっとした怪力の持ち主なわけです」


「御託はいい。勝てるかと聞いている」


「アオも才気ある若者ですが……将来性は、王子に軍配が上がるでしょうな」


 ジンは、お世辞を言うことにした。王子は、複雑そうな表情だ。


「なら、剣の腕を確かめてやろう。行くぞアオ。庭へ行く」


「王子様、せっかくのお召し物が汗と土で汚れます!」


 侍女が、悲鳴を上げる。


「着替えればいい」


「いえ、その、アオ様には、そろそろ舞姫としての修練の時間が待っているのです」


「それは、俺との用事より優先されるべきものなのか?」


「いえ……」


「なら、待たせておけばいい」


 困ったな、とジンは思う。

 このままでは、彼女が自由に行動できなくなりそうだ。

 ならば、自分が師として一肌脱がねばなるまい。


「王子。不肖の弟子には用事がある様子。ならば、師の私がお相手しましょう」


「ほう。久々にジンが相手か。面白い。以前より冴えた俺の剣筋に慄くがいい」


「ええ。いくらでもお相手しましょう」


 ジンは、王子に先導されて歩いて行く。少し後方に視線を向けると、安堵した表情の彼女と目があった。

 ジンは苦笑して、前を向いて歩き始めた。

 王子の相手を適当にこなすと、ジンはシホがあてがわれた部屋に訪れた。


「あれじゃあアオも大変だ。王子に変に気に入られちまったらしい」


「年の近い子が傍にいないのかしらね」


 シホも、少し呆れたように言う。


「いても、本心を見せた付き合いはできないだろうからな。正直、友達に飢えてるんじゃないかね、あの子は」


「アオちゃんも、素直にへりくだるような態度は取らないみたいだし。上手く噛みあってくれれば良いんだけれどね」


「どうだろうなあ……アオの行動次第で国の将来が左右されるようなことは避けたいが」


 しばし、沈黙が場に漂う。


「ちょっと将来に不安あり、かもね。ここなら一番安全だっていうリッカさんの判断は間違っていないと思うけれど」


 卒業を前にした赴任。それは、お試し期間的な意味も含まれる。そこに合わないとなれば、違う町を用意されるのだ。


「あの子、アオちゃんが好きなんじゃないかしら」


 シホが、ぼやくように言う。


「王子がか?」


 ジンは、戸惑いの篭った声で言った。


「そ。気になる子ほど意地悪したくなる悪戯っ子の心理って奴よ」


「まあ、確かにアオは外見は良いがなあ」


「相変わらず口下手ね」


 シホは苦笑する。


「中身だって、芯の通った子だわ」


「まあ、確かになあ……じゃあ、俺達はアオを仰がなきゃならん日が来るかもしれんということか?」


 それは中々に複雑な気持ちになりそうだな、と思うジンだった。


「……配置換え、希望するべきかなあ」


「かと言って、これ以上安全な土地が他にあるかは疑問だよな」


「うーん」


 シホは考えこむ。

 ジンは、別のことを考え込んでいた。ニテツのことだ。彼が再び目の前に立ちふさがる瞬間があれば、ジンは相手をしなければならないのだろう。

 責任をもって、とどめを刺さなければならないのだろう。

 大恩ある師の息子を。

 中々に複雑な思いだった。



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