16.潜入? 暗殺? その1
「始まりは舞踏会だったそうだ」
馬上の人となったジンの背にしがみつきながら、青は今回のことの経緯を聞いていた。
頭上には、銀の円盤のような月が輝いている。
「第二王子が招いた友人三十人によって王と第一王子が人質に取られた」
「クーデター、ですか」
「一言でまとめるとそうだわな。近衛兵団も王を人質に取られては動けない。第二王子に刃を向けるわけにもいかない。各地の領主共々王派と第二王子派に分かれて意見をやり取りしている状況だ。膠着状態に陥っている感じだな」
「第二王子の要求は?」
隣を馬で走るアメが訊く。
「王権の譲渡。これが済めば、第二王子は正式な王となり、隣国の支配権を手に入れる。もちろん反発する領主もいるだろうが、正式な王に逆らえる者は少ない。見せしめに一人二人殺されるんじゃないかね」
どうでも良さげに語るジンだが、物騒な話だ。
「それが俺達とどう関係するんで?」
寝ていたところを叩き起こされて連れて来られた青だが、釈然としない思いが残るのは事実だ。
対岸の火事ではないかと思うのだ。
ただ、自分が物騒な事態に巻き込まれようとしているという不安感は徐々に大きくなっている。
「五大同盟国があるのは知っているな」
「はい」
「五大国間の同盟は強大な敵国に対応するために結ばれた同盟だ。今回の第二王子のクーデター、どうやら敵国が手を引いている」
きな臭い話になってきた。
「パワーバランスが崩れ、敵国は隣国を足がかりに残り四国を潰していくというシナリオのようだ。間違いなく、戦争になる。マリも、ミヤビも、ミチルも、巻き込まれるだろうな」
青は黙りこんだ。事態は思っていたよりもよほど深刻らしい。
永遠に続くと思っていた平和。それは、思いの外薄い氷の上に成り立っていたらしい。
「なんで事態が外に漏れたんですか?」
アメが、不思議そうに訊く。
「そんな少人数で行われたクーデター、話が外に漏れるのを最も嫌いそうなものです。場から戻った人々の噂話が漏れ伝わったのでしょうか?」
「宰相が脱出した。王印をくすねてな。王だけが使える印。それと王権がないおかげで第二王子は領主達に正式な命令を出せずにいる」
「なるほど。王が観念するまでの猶予は与えられたわけですか」
「そういうこと。全ては王が観念するまでの時間の問題だ。その間に第二王子を殺せば、三十人の敵兵はただの反逆者に成り下がる。第二王子という旗がなければ、国に紛れ込んだ少数の敵でしかないわけだよ」
「暗殺、ですか」
青は、思わず呟いていた。
死神を焼いたことはある。奴らは人かどうかもわからない得体の知れない存在だ。だが、今回はどうやら青の魔術は、人を殺すために使われるらしい。
改めてその事実を突きつけられると、青は震えるような思いになる。
「星を支配した人の最期の敵はなんだと思う、アオ」
ジンが、呟くように言う。
「人、ですか」
ジンは、重々しく頷いた。
「しかし、三人というのは少人数が過ぎますね」
アメが、不安げに言う。
「アオさんの飛行魔術があれば確かに潜入はできるでしょう。けれども、一国を相手にするには心許なすぎる。近衛兵団も第二王子の首を安々と他国に差し出すわけにもいかないでしょう。この問題、そもそも近衛兵団が第二王子を生け捕りにすれば問題のない話では?」
「王を人質に取られては近衛兵団も動けない。第二王子も王家の血脈を受け継いでいるから敵とは簡単に認定できない。何より……」
ジンは、苦い口調で言葉を続けた。
「よほどの腕利きがいるそうだ」
「腕利き、ですか」
アメが、興味深げに言葉を返す。
「一瞬で舞踏会場の中央から部屋の端の王に短剣を突きつけたんだそうな」
体魔術。そんな単語が頭に浮かんだのは青だけではないだろう。
「なら、尚更です。三人は少なすぎる」
「他国からも応援が来る。宰相も策を弄している。それに、アオの魔力の強さはお前も感じていることだろう」
「それは、確かですが」
「百人ぐらいは簡単に焼き殺せるぜ、こいつは」
ジンは、苦いものを噛み殺すように言う。どこか、不本意そうな響きがあった。
「しかし先生。俺の魔術は補助する者がいて初めて大規模な範囲に攻撃が可能になります。それに、体魔術を使う相手とは相性が悪いかと」
「お前が人を殺すケースにはならないと思っているよ。体魔術を使う敵には俺とアメがいる」
「それでも、無謀だと思うんだけれどなあ……」
アメは、ぼやくようにそう呟いた。
「不本意そうだな」
ジンが、皮肉っぽく微笑んだのがわかった。
「主人を危険に晒すのは不本意です。私は召喚術で呼ばれた存在ですから、アオさんが死ねば繋がりは消えてしまいます」
「大丈夫だ。アオというジョーカーがいる。それさえ守り抜けば、勝てる。それだけの話だ。それとも、守り切る自信がないか?」
「……アオさんの魔力は確かに知っているつもりではありますが」
自信がないとは言いたくなかったのだろう。アメは、曖昧な返事をした。
「大丈夫だ。城の構造は大方知っている。第二王子がいそうな場所も、大体予測がついてるよ」
「城の構造を知っていても、敵を取り除けるわけではありますまい」
アメが反論したが、ジンは説明に疲れたように何も言い返さなかった。
いや、何か考え事をしているのかもしれない。
「引き返しましょう」
アメが、焦れたように言う。
「それは駄目だ」
ジンが、断固とした口調で言い返す。
「俺達の国を、戦火に巻き込むわけにはいかない。第二王子には、どうあっても死んでもらうしかない」
アメはしばらく考え込んでいたが、そのうち溜息を吐いた。
「過剰干渉だと思いますけれどね」
「戦争を避けるためなら、なんだってやるさ。今回、俺達は独自に動いているという体だ。捕まったら最後、国は俺達を助けちゃくれないぞ」
「……アオさんは魔術で脱出できるとしましょう。私は契約を切れば戻れます。貴方は?」
「その場合は、死ぬだけさ」
淡々と、ジンは言った。
その言葉は、重みを持って青の肩にのしかかった。
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夜の闇に包まれながら、ジン達はある村に辿り着いていた。
一軒の家からだけ光が漏れている。その中に、ジンは迷いなく入っていった。青がその後に続き、アメがさらにその後に続く。
木造の家の中央に、二十人ばかりの若い男が集まっていた。その中央に、年老いた銀髪の男が一人いる。
場に緊張が走ったのが、青にもわかった。
「どなたかな」
銀髪の男が柔和な口調で訊く。
「ソの国からの援軍だ」
ジンは淡々と言った。
場の緊張が、解けた。
「立場上名は明かせんが、緊急時だ。歩調を合わせよう」
男の一人が、ジンに握手を求める。彼は微笑むと、淡々とそれに応じた。
「しかし、男一人に女二人とは、状況をわかっているのかな」
男の一人が、ぼやくように言った。
「一人は魔術師だ。二人とも精鋭と思ってもらっていい」
「虎の子の魔術師を出したか。なるほど、悪かった」
ぼやくように言った男が、前言を撤回する。
「今少し、人数が集まるはずです。もうしばし、待ちましょう」
銀髪の男が言う。
ジンが、若い男達に混じって座る。青とアメは、恐る恐るその隣に混ざっていった。
「不便なものだな。ここに集まったのは各国でも腕に覚えがある人間ばかりだ。それが互いに名乗りあえないとは」
「ことが成せなければ全ては無意味。全ては終わった後にとっておきましょう」
「しかし、ソの国の女剣士といえば響く名前は限られてくる。緑翼のマリならば心強いのだが」
ジンが苦笑して口を開いて、男達の会話に混ざる。
「残念ながら、マリではありません。しかし、腕は確かです。五剣聖の数人には勝る腕を持っているでしょう」
「その五剣聖という名前も俺は気に食わんな。回復役のハクア、魔術師のリッカ辺りは、剣士としては格落ちだろう。何が剣聖か」
「五剣聖とは自称するものではなく、勝手に生まれた呼称です。本人達も剣士として一括りにされるのは不本意でしょう」
「魔術師というのは、その少女か? それとも女性か?」
「少女の方ですね」
「では、リッカではないのか。噂に聞いた魔術が拝めると思ったのだがな」
「リッカさんは領主です。こんな場所に来られる立場でもない」
「それも尤もか」
「リッカにしては若すぎるだろう」
五剣聖という名前は、他国にも響き渡っているらしい。自分は凄い人達と一緒にいたのだな、と改めて青は思う。
しかし、心が浮き立つことはなかった。
これから、青は人を殺す。その思いが、心を常に低い位置に沈ませていた。
アメが、気遣うように青の手を握った。
まるで、心を見透かされたようだ。励ますように元気に微笑んでいる。こんな時にまで、調子の狂う奴である。
「だが、お前さんには心当たりがあるぞ」
若い男達の一人が、ジンの眉間の傷に指を当てた。
「天眼のジン、そうだろう」
どよめきが周囲に起こる。
ジンは、当てられた指を掴んで、苦笑した。
「こんな傷、ありがちな傷ですよ」
しかし、ジンに向けられる視線は期待を含んだものになっている。
そのうち、十人程度の人が合流した。ソの国からの合流者もいれば、他国からの合流者もいる。中には顔見知りもいたようで、和気藹々とした雰囲気が流れた。
「そろそろ頃合いでしょう。長い時間をかければ気取られる恐れがある」
銀髪の男が、ゆっくりとした口調で言った。
場が緊張に引き締まる。
「で、三十人で城を落とす。その算段はあるのでしょうな?」
男の一人が、訊ねる。
銀髪の男は、頷いた。
「王位継承者しか知らされていない抜け道が、この国の王都にはあります。警戒はされているでしょう。私が抜け出た後ですから。しかし、その道を使えば、城の内部に出られる」
「後はこの鎧の使い所というわけか」
そう言って、男の一人が部屋の隅に積み上げられていた鎧を一つ手に取る。
「お察しの通りです。近衛兵団には示し合わせて休んでもらっています。城の内部で動き回っているのは、敵国の兵だけと考えて貰っていいでしょう」
「思ったより悲壮な戦いにならずに済みそうだ」
そう言って、男の一人が肩をすくめる。
少しだけ、引き締まった空気に和やかな空気が混じる。
「王の居場所は地図に示しています。しかし、第二王子が今何処で寝入っているかはわかりません。王さえ解放されれば、この国は正常な状態に戻るでしょう」
「と言っても、第二王子を逃がすわけにもいきますまい」
ジンが、口を開いた。
銀髪の男の瞳に、憂いが混じる。
「戦争の口実としていくらでも使い道がありそうだ。第二王子の暗殺。それは我々に任せてもらいます」
「三人で能うのか?」
懐疑的な視線がジンに集まる。
そんな中でも、ジンは皮肉っぽく微笑んでみせた。
「近衛兵団が休んでいてくれているのならば、十分です」
「王さえ救い出せばいい話だしな……」
「自信があるなら任せてみるか」
「しかし、貴方は大丈夫なのか?」
そう言って、銀髪の男に視線を向ける者があった。
銀髪の男は、気弱げに苦笑してみせた。
「王家の抜け道を他国に知らせ、王印を勝手に持ちだした。第二王子の世になれば、私の生きる場所はありますまい。しばらくは、姿をくらまさせていただきます」
「お膳立てをしてくれただけでも十分だ」
ジンが淡々と放った言葉に、他の男達も同調した。
「故郷が戦地になるよりはよほどいい」
「我々が命を懸けるだけで済むならばそれにこしたことはない」
「他国のことにここまで協力していただいて、感謝の念しかありません。成功をお祈りしております」
銀髪の男は、泣き笑いのような表情で、深々と頭を下げた。
各々、鎧を着始める。
「女二人は兜のフェイスガードを下ろしておけ。流石に女の近衛兵はいないだろう」
青はジンに指示されるがままに、兜のフェイスガードを下ろす。そして、アメに協力してもらって鎧を身に着けた。
思った以上に、重い。十キロはあるのではないだろうか。しかし、剣撃ならば弾いてくれるというのは心強かった。
最悪、囲まれてもなんとか凌げそうだ。
そう、最悪の場合は青の魔術を使えば良いだけなのだから。
鎧では炎は防げない。青は、人を殺める覚悟を固めつつあった。
状況に流されている感はあるが、やむないことなのだ。
故郷の祖父母の顔が脳裏に浮かぶ。どうしてか、謝罪したいような気持ちになった。
「それでは、行きましょう。現地についたら目立たぬように、三人ずつ抜け道から出ましょう。後は夜の闇に紛れ、ことに至るまで騒ぎを起こさぬように気をつけること。焦って先走らないこと」
ジンが周囲に指示を送る。
「先走るなと言うがな。その時しかないという場面もあるだろう」
「判断は慎重にという話です。一人が失態を犯せば近衛兵団も出てこずにはいられますまい」
各々、口籠る。最悪のケースを想像したのだろう。そうなれば、人数差的に圧倒的に不利になる。
「生きて、また会いたいものですな」
ジンの言葉に、一同頷いた。
この場に集まっている面々の思いは一つだ。故郷を守ること。
ミチルの顔を脳裏に思い浮かべる。彼女のためならば、人すら殺めれそうな気がした。
部屋の明かりが消され、行進が始まる。ジン達が銀髪の男に案内されたのは、小高い丘の上だった。
(甘い匂いがする……)
これは疑いようもなく、魔力の匂いだ。
「注意してほしいことがあります。それは、第二王子は城の中では既に王と呼ばれていることです。第二王子がそう呼ばせているのです。それだけは間違いなきよう」
銀髪の男はそう言うと、何やら呪文を唱え始める。すると、地響きが起こった。地面が滑って、階段が現れた。
「二人共、行くぞ」
ジンに言われるがままに、青とアメは彼の後に続いた。
階段を降りきると、周囲の景色が歪んだ。青達は気がつくと、長い通路の最中に立っていた。少し進んだ先に、上りの階段がある。
ジンは迷いなく歩いて行く。
(魔術で距離を短縮したのか……宰相が見つからないわけだ)
青も、その後に続いた。アメは更にその後に続いてくる。
そして、ジンは躊躇いなく階段を上り始めた。
「ちょっと待ってください」
青は、思わずジンを止めていた。
彼は怪訝そうに振り返る。
「どうした」
「心の準備が……」
心臓が強く脈打って、今にも張り裂けそうだ。ここから先には、敵しかいないのだ。そして、今から青達は命のやり取りをするのだ。
ジンは、静かな目で青を見ていた。
「二つ、言っておく」
青は、無心に頷く。
「お前に人を殺させる気はない。それは、最悪のケースだろう」
「はい」
頷くが、安堵感はない。むしろ、本番を前にして緊張は強まるばかりだ。
背後から、後続が追いついてくる気配がする。
「そして、いざとなったら躊躇うな。躊躇いはお前自身を殺すぞ」
青は、しばし躊躇ったが、頷いた。
「そこで躊躇ってる時点で駄目なんだよ、お前は」
ジンは、深々と溜息を吐く。
「大丈夫ですよ。ご主人様の手を汚させることはありません」
アメがそう言って、胸を張る。
「ご主人様、じゃなくて、青、だろう……」
「そうでしたね」
(こんな時まで、調子が狂う奴……)
「行くぞ」
ジンの言葉に従って、三人は階段を上り始めた。
すると、再び視界が歪んだ。三人は気がつくと、王宮の巨大な壁に囲まれていた。
「袋小路に出るのはまずいんだよなあ」
ジンが苦い顔で呟く。
「アオ、飛行魔術で俺達を高い位置まで運んでくれるか」
ジンが淡々と言う。
「全速力じゃなくていい。しかし、気取られない程度には素速く、雲の付近まで高くだ」
「そんな、急に」
心の準備ができていない。
「飛行魔術なら得意だろう?」
ジンは皮肉っぽく微笑んだ。そう言われてもしかたがないだろう。青は何度も、飛行魔術でアカデミーを抜け出ているのだ。
やるしかなかった。
ミチルの顔を、脳裏に思い浮かべる。彼女を守るのだという強い思いを胸に、ジンとアメの手を握り、飛行魔術を発動させる。
一瞬で視界が目まぐるしく変わった。宙に浮いている心許ない感覚が体を包む。はるか眼下に、城と王都が見えた。
城の内部には何層も壁があるのが小さく見える。
「城の最深層にある庭園が見えるか」
「はい」
確かに見える。最深層に小さな緑のスペースが見える。
「そこの木陰に向かって落下しろ。そして、地面にぶつかるギリギリのタイミングで飛行魔術を再発動」
「無茶を言いますね……」
「元々、無茶な話だ」
ジンは、ぼやくように言う。
青は、腹をくくって落下を始めた。途中途中で、飛行魔術を再発動して細い位置を調整する。そして青達は、庭園の木陰に落下していった。
地面に衝突する直前、飛行魔術を再発動する。地面から一メートルほど浮いた位置で、三人は一瞬止まった。そして、次の瞬間地面へと着地していた。
「さて、夜影で今の動きは見えなかったと見ているが、どうかな……」
ジンは呟くように言って、顔を覗かせて周囲を探る。
「大胆な策ですね」
アメは、小声で呆れたように言う。
「篝火は避けている。闇夜ではそうそう見つからないだろう。飛行魔術対策を打とうにも、相手には人数が足りなすぎる」
ジンはそう言って、青達二人に視線を向けた。
「お前らは庭園から通路を眺めていてくれ。後は臨機応変に動け」
「連れて行ってはくれないんですか?」
不安感が、青の心の中で膨れがる。
「一人で行く気ですか?」
アメも、咎めるような口調になる。
「お前ら、自分の外見を見てみろよ」
ジンは呆れたように言う。
「急場しのぎのフェイスガード。鎧の端々から覗くスカートや異郷の衣服。特に青、お前みたいに小兵の近衛兵がいるか。作戦の妨げになる」
「けど……」
「けど、じゃない。通路を観察できる位置に移動。後は、臨機応変に足止めしてくれ」
「先生、先生の行く先に数多の兵がいたらどうする気ですか」
「心配しなくても、第二王子の首は取るよ」
ジンは、淡々としている。まるで、命の危機などなんとも思っていないかのように。
「じゃなくて、先生の安全が……」
「これを、渡しておく」
ジンは、溜息を吐いて、ポケットから指輪を取り出した。
「これは互いの心理状況や状態、位置がわかるようになる指輪だ。緊急時にはこれを使って念じる。その時はお前らに頼ろうと思う」
「……わかりました」
やむなく、それを受け取ることで妥協することにする。
「何。どってことはない。すぐに帰って来るよ。ただ、大勢の兵がやって来た時は足止めを頼む」
そう言って、ジンは青の頭を撫でると、腰をかがめて歩いて行ってしまった。そのうち、通路に出たのだろう。鎧の靴が通路を早足で歩く音が響き渡る。
昼は華麗だろう薔薇に彩られた庭園の隙間から、二人は篝火で照らされた薄暗い通路の様子を眺める。
そのうち、ジンが見回りの兵士と遭遇するのがわかった。青は、心の中で悲鳴を上げたいような気分になる。
見回り兵は、嫌らしい笑みを浮かべてジンに話しかける。
「近衛兵団も拗ねるのを辞めたか。無駄なことをしたものだな」
「それよりも緊急事態であります!」
ジンが、張り詰めた声で言う。
「王印が見つかりました!」
見回りの兵の形相が変わる。
「本当か?」
「は。一刻も早く王にこのことをお伝えしたくてまいりました」
「そ、そうか。わかった。実物は?」
「現地にあります。王家の者しか取り出せぬ様子。皆手こずっております。まずは王の来訪あってかと」
「わ、わかった。王には起きていただこう」
そう言って、見回り兵が駆け始める。その後に、ジンは続いて行った。
「手慣れてますね」
呆れたようにアメが言う。青も、この時ばかりはまったく同じ心境だった。あの人は、あっさりと第二王子の首を取ってくるのかもしれない。
その暗殺に自分は協力しているのだ。自己嫌悪が青の胸に湧く。ジンは、こんな気分にならないのだろうか。
ならないだろう。
彼は、守るという指針がしっかりとしている。けれども、青にはその実感が薄い。ただ、人殺しの片棒を担いでいるという陰鬱な気分がある。
しばし、時間が経った。
ジンは本当に帰って来るのだろうか。そんな不安が胸に湧く。行った先が敵兵の巣だったらどうするのだろう。あの人は、迷いなく作戦を実行してしまうだろう。その場合、青達は頼ってもらえるのだろうか。
本当にジンが帰って来るか。そんな新たな不安が青の中で膨れ上がり始めた。
その時、鎧のパーツとパーツがこすれ合うけたたましい音が通路に響き渡り始めた。八人の見回り兵が、ジン達の向かった方向に向かって駆けている。
「誰かがしくじりましたかね……」
アメが、落胆した様子で言う。そして、目で青の判断を仰いだ。
こうなれば、青は前に出るしかない。人が死ぬのは嫌だ。けれども、それ以上にジンが死ぬのは嫌だった。
「待て!」
青は、叫ぶように言う。その一言で、見回り兵達の動きが止まった。彼らは周囲を伺って、声の主の正体を見極めようとしている。
青は庭園から、通路へと出て行く。アメも、その後について行った。
「なんだ、小兵ではないか」
侮るように、見回り兵の一人が叫ぶ。
「一刻も早く王の元へ行く! 邪魔をするなら包み切るぞ!」
青は、心の中の門へと風を送り込むイメージを持った。大気中の魔力を吸収していく。そして、それを眼前へと放った。ウォール型の魔術だ。それが通路を完全に分断する。
それが消えた時、見回り兵達の形相は真っ青になっていた。
「魔術師か……」
「それも、熟練の腕のようだぞ」
「あんたらが寄って来ないならば、何もしない」
青は淡々とした口調で言う。心の裏では、自分は何をやっているのだろうという思いを抱えながら。
「けれども、近づくならば燃やさせてもらう」
見回り兵たちは、しばし互いの顔を見合わせて視線で相談しあっていた。
そのうち、一人が叫ぶ。
「弓矢だ! 弓矢を用意しろ!」
数人の兵士が、後方へと駆けて行く。青は、それを黙って見送った。
「矢ぐらい、私が叩き落としてみせますよ」
そう言って、アメが青の前に立つ。その刀は、既に鞘から抜かれている。
「ああ、頼む……」
いつもならば惰眠をむさぼっている頃だというのに、なんて長い夜だろう。青の背筋には、自然と汗が流れていた。




