2.試験場はスケートリンク?その1
試験編は今日中に投稿を終えます。
週一ペース更新継続中。
昼は広場で、夜は居酒屋で、一週間ほど歌い続けた。最初は恥ずかしかったがこうなってしまうと慣れてしまうもので、今では人前で歌うにも平常心を保てるようになっていた。
色々、トラブルもあった。例えば、酒場で歌っていてこう声をかけられたのだ。
「なあ、お嬢ちゃん、異国の人か?」
「はあ」
「夜伽のほうがよほど金になるぜ。どうだい、今晩」
このエロ親父、と心の中で侮蔑しながらも、笑顔で躱した。
また、酒場では腕試しの決闘が行われることが度々あり、そうなると歌どころではない。皆テーブルを店の端に移動させ、その中央で木剣による一騎打ちが行われる。この世界の人々は戦争がないことに飽々としており、どちらが上かということに非常に拘っているようだった。
確かに、皆、腕はあった。一振りでは勝負は決まらず、鋭く振られた木剣が何度もぶつかりあう。観衆は盛り上がり、賭けが始まる。
その賑やかさも、多少慣れた。
(まあた始まったか)
と呆れながら座り込んでいると、目に衝撃を受けた。どうやら、弾き飛ばされた木剣に当たったらしいと気がついたのは、地面にそれが落ちる乾いた音がしたからだ。
「大丈夫かい、お嬢ちゃん」
「おい、お前ら何やってんだよ」
「これはしばらく痕が残るぞ。なんてことしてくれたんだ」
あっという間に青の周囲に人だかりができあがり、打撲を受けた箇所を熱心に眺めてくる。
「ああ、いいよいいよ。今日はもう上がりな」
女主人が不機嫌そうに言う。
「けど……」
「青たんつけた顔で歌われても痛々しいだけさ。給料はきちんと払うから、早引けしな」
思いもがけぬ女主人の優しさだった。
「ありがとうございます」
頭を下げて、その場を後にすることにした。このように、思いの外、周囲には可愛がられている。
そして、わかったことがもう二つある。
一つは、日本との奇妙な共通点。黒髪黒目の人がほとんどで、文章などもカタカナと数字で書かれている。それは青にとっては幸いなことだった。
もう一つは、燃えるような赤い髪と目に陶器のような白い肌をした少女のこと。その存在を知る人間は、この町にはいないらしいということだった。それもそうだろう。黒髪黒目の人が殆どで、髪染めの技術もカラーコンタクトもない。そんな環境下で、栗毛ならまだしも、赤い髪と目が自然発生する可能性は限りなく低いのではないか。
ならば、青が元の世界に帰る手段は、この広い世界に隠れているという遺跡に潜む古代の魔術にしかないのではないか。
しかし、青にはその遺跡に挑むだけの剣の腕はない。それを思うと、足取りが重くなった。
帰り道、空を見上げると、綺麗な下弦の月が輝いていた。これもまた、日本との奇妙な共通点だった。
「異世界でも、月の綺麗さは同じか」
思わず、溜息混じりに独りごちる。
「異世界って、なんだね」
頭上から、声が降ってきた。忘れていた。酒場の亭主に送ってもらっている最中だったのだ。
「いや、なんでもないんです」
笑って、誤魔化す。異世界からやってきた、なんて触れ回っていたら、悪目立ちするだけだ。
ミチルの部屋に帰ると、ミチルは渋い顔で青の顔に神術を使ってくれた。温い湯に浸したような感触が青の左目とその周囲を包む。月明かりだけが照らしていた室内に、神術のおぼろげな光が浮かぶ。
「もう、二人で食べる分には十分なんだけれどね?」
ミチルは未だに、青の夜の勤めには反対なのだ。
「情報収集も兼ねてるんだ。俺、この世界のこと、まだ思い出せてないから」
「女の子の夜歩きは危険だって、親に習わなかったの?」
ミチルは呆れたように言う。なるほど、警察の見回りもなく、一般市民が普通に剣を買えるという世界だ。女性の危機管理意識は青のいた世界よりも強いのだろう。
「……俺、男だから」
この言い訳も、多少使いづらくなってきた。実際、青と話そうと躍起になったり、青の体を買おうと持ちかけてくる男達がいるのだ。
未だに抵抗感はあるのだが、どうやら自分はこの世界では女であるらしいと認めるしかない。スカートを履いている時点で諦めているようなものでは? と元の世界の級友たちなら言うかもしれない。
「まーだ言ってる。よほど強く頭を打ったのね」
「明日、買い出しにでも出かけない?」
青は、話を変えることにした。
「なんでー?」
ミチルは、神術での治療を終え、自分のベッドに早々と移動する。
「金にも多少の余裕が出てきたからさ。ミチルに何か世話になったお礼をしたい」
「危ない仕事で稼いだ金で何かしてもらっても嬉しくありません」
ミチルは、切って捨てるように言う。
「けど俺、昼の仕事のあてもないし……」
「昼の仕事を探そうって努力はした?」
案外、融通の利かない性格らしい。青の身を案じてくれていると感謝すべきなのかもしれない。
けれども、青としてみれば、ミチルと一緒に町を出歩いてみたいのだ。
「なんとなく、一緒に外を出回ってみたいんだ。ミチルと、一緒に」
ミチルは、しばし考えこむような表情になった。
「私、アオちゃんのお金じゃ、何も貰わないからね」
青は、心が弾むような気持ちになった。
「いいよ。一緒に食事でもしようよ」
「外食なんてしたらお小遣いが飛んで行っちゃうわよ。働いている人の金銭感覚と一緒にしないでよね」
「じゃあ、町を案内してくれるだけでもいい!」
「……わかったわ。じゃあ、明日ね」
ミチルはそう言うと、布団にくるまって寝入り始めた。これってデートじゃないか? という淡い期待が青の胸に湧いた。
けれども、実際に行われたのは女の子二人の町歩きだ。
水路の場所の説明を受け、この国には御三家と呼ばれる領主達が存在することの説明を受けた。フクノ家はその中の一つらしく、禁術とされている魔術を伝えることを代々許されてきたのもその影響なのだとか。
ミチルは、説明ばかりで自分といて楽しいのだろうか。世話を焼いているだけの気分なのではないか。そんなことを考え、青は憂鬱になる。
ミチルと友達になる。そんな目標が、中々に遠い。
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その日は、朝から町の気配が違っていた。妙に引き締まった雰囲気とでも言おうか。窓を開けて視線を向けると、アカデミーに向かう道は人混みで溢れていた。
「ついに当日、ね」
ミチルがそう言って、勢い良くベッドの上で服を脱ぐ。青は、慌てて部屋の外へと飛び出した。
「俺の前じゃ着替えしないでって言ったでしょ」
「女同士で気にするものでもないんじゃないかなあ……アカデミーの合同浴場とかどうする気なの?」
その問題もあったか。青は、受かってもいないのに憂鬱な気分になる。舞姫科の入学試験を受けられるのは、女の体であるおかげだ。けれども、青の心は男だ。各所で気を使わなければなるまい。
「終わったよ」
ミチルはそう言って、部屋の外に出てくる。髪を縛って、動きやすくしているようだった。
青も、部屋に入って着替えをする。昨晩、酒屋の女主人から布に包まれた何かを貰ったのだった。それを開いてみる。中には、真新しい服が入っていた。服を広げると、手紙が地面に舞い落ちた。広げてみると、こう書かれている。
『オチテモ ウチデヤトッテアゲルカラ アンシンシナサイ』
落ちてもうちで雇ってあげるから安心しなさい。それは、紛れも無い励ましの言葉だ。
思い返してみても、彼女が青に向けてきたのは厳しい表情ばかりだ。けれども、心の中では案外可愛がられていたのだろうか。そんなことを思うと、心がほのかに暖かくなった。
用意された服を着て、部屋の外に出る。そして、二人で頷き合って、外へと出て行った。
長く続くアカデミーへの列の中に入って行く。三百人は軽く超えているだろう。
「この中から、何人合格者が出るの?」
「わかんない。主催者側が満足する分だけ。けど、神術・魔術科と剣術科の生徒も多いと思うよ」
人混みに揉まれながら、ミチルが言う。
「貴女達も、舞姫科の志願者?」
声をかけられて、青とミチルは振り向く。
小柄で眼鏡をかけた三つ編みの少女が、そこにはいた。周囲に体を押されて、少し苦しそうにしている。
「私も舞姫科の志願者なんだ。お互い、受かるといいね」
「そうだな。皆で受かるのが一番だな」
「私はちょっと自信がある。代々神術使いの家系だからね。魔力は人並み以上にあるはずなんだ」
と言うのはミチルだ。
「なら、私も自信がある。代々魔術師の家系だもの」
そう言って微笑む眼鏡の少女の頭には、魔法使いがかぶるようなとんがり帽子がある。
「一般人は俺だけかぁ……」
溜息を吐きたいような気分になる。それはそうだ。生活費の支給、卒業後の仕事の保証、こんな美味しい話に乗るのが、青の周囲の人間だけであるわけがない。
「なんとかなるかもよ? 魔力は生きとし生けるものにあるんだから」
いつもならば大丈夫だよと言ってくれそうなものだが、ミチルの励ましもこの行列を前にしては勢いを落としている。
「そうそう。私も落ちこぼれだから、受かるか怪しいところなんだなこれが」
そう言って、眼鏡の少女は快活に笑う。
思えば、聞きそびれていることがあった。
「ねえ、なんでミチルは代々神術師の家系なのに、舞姫になろうと思ったの?」
ミチルが痛いところを突かれたような表情になったので、青は戸惑った。しかし、彼女はすぐにどこか影のある微笑みを浮かべると、俯いて、言った。
「秘密」
聞いてくれるな、と言いたげな口調だった。
周囲のざわめきがやけに大きく聞こえた。沈黙が、三人の間を包んでいた。それを苦痛に感じたのか、眼鏡の少女が口を開く。
「ね、ね。なんで貴女、俺って言ってるの? 俺って使うのは、普通は男の人だよ」
「俺、男だもん」
「えー。胸あるのに? 下、ついてるの?」
「……ついてない」
「じゃあ女なんじゃん」
「生まれつき自分の肉体と心が一致しない人もいるんだけれど、アオちゃんの場合はね、頭を強く打って色々と記憶が混乱しているんだよ」
「へー」
少女は興味深そうに青を眺める。そしてそのうち、意味深な微笑みを浮かべてみせた。
そのうち、三人はアカデミーの門をくぐり、その中へと足を踏み入れた。建物の前の庭に三つの机が並べてある。列の整理をしている兵士が、三人に訊ねてきた。
「君達は何科志望かな?」
三人は声を合わせて返事をする。
「舞姫科!」
「それじゃあ受付は一番右のテーブルだよ。出身国と名前を書いて番号札を貰ってね」
「わかりました」
(出身国、か……)
日本という国は、現在この国では認識されていないらしい。だが他に青の出身国も存在しない。この国の出身だと偽っても、戸籍の関係からバレてしまう可能性が高い。
魔力量さえ一定水準に達していれば合格になるだろう。そう思い、青は出身国に日本とカタカナで書き記すことにした。これがきっかけで落とされたらどうしようかと思うと、自然と指は震えた。
受付の兵士は、慣れた動作で紙を受け取ると、一瞬変な顔をしたがすぐに番号札をくれた。九十四番と数字で書かれている。ライバルが少なくとも九十三人はいるわけか。それを思うと、憂鬱になってきた。
その後、青が案内されたのは、闘技場のような場所に繋がる階段だった。高い位置にある観客席には多くの人が座っている。中には、青が酒場で見た顔もしばしばあった。彼らが青に手を振るので、青も苦笑して手を振り返す。それをミチルは、面白くなさ気に見ている。
闘技場は、広い。その中に家の二軒も建てられそうだ。何を思ってこんなに広い闘技場を作ったのだろう。放たれたライオンから逃げまとう奴隷を観客する貴族の図、みたいなものが脳裏に思い浮かんだが、まさかそんな用途では使われてはいないだろう。
階段もそのうち人で一杯になり、各々の肩が押し合う状況となった。
「緊張するね」
ミチルが言う。
「緊張するー」
眼鏡の少女も、苦しげに言う。背の低い彼女にとって、この人混みは酷だろう。
「大丈夫だ。今までだってどうにかなってきたんだ。こんなの、慣れだよ」
中学受験、高校受験を青は乗り越えてきた。だから、試験への心構えに関するアドバンテージは持っていると言えるのかもしれない。
そのうち、空から見知らぬ少女が舞い降りてきた。長い髪が風に吹かれて揺れている。三日月の髪飾りを頭につけた、形の良いつぶらな目をした少女だ。
その次の瞬間、闘技場の表面が、分厚い氷に覆われていた。これでは、スケートリンクだ。そのリンクの中央で、三日月の髪飾りの少女は滑ることなく佇んだ。
どよめきが周囲を包む。
「氷の魔術……!」
ミチルが、驚いたように言う。
「それも、速度と規模から見て桁外れの、ね」
眼鏡の少女は、呆れたような、揶揄するような口調で言った。
「これから、皆さんにはこの闘技場を滑ってもらいます~」
何処かから声がする。戸惑いの声が周囲から上がる。
「皆さんに配る靴は、皆さんの魔力に呼応して滑る速さを変えま~す。それを上手く使いこなして~、氷上を滑ってみてください。これが皆さんの適性試験です~」
なるほど、流石はファンタジーの世界だ。魔力に呼応する装備が存在するわけか。青は、一瞬で闘技場をスケートリンクに変えた荒業と合わせて、目の前で行われていることに唖然とするしかなかった。
やや、怖気づく気持ちもあった。それは試験に対する恐れではなく、力に対する恐れだ。
「本当に、俺の中にもこんなことを可能にする魔力が眠ってるのかな」
「このレベルの魔力の持ち主なんて中々いないよー」
眼鏡の少女が訳知り顔で言う。
「私は、魔術そのものを初めて見た。話で聞いたことはあったけれど……」
とは、ミチル。
伊達に禁術とはされていなかったわけだ。この世界で生まれ育ったミチルでも、魔術を見るのは初めてらしい。
「では、一番から順番に靴を配るので~、滑ってみてくださ~い」
司会進行役の人の声は、どこかのんびりとしていた。どこかで聞き覚えがある声な気がした。それがどこだったか考える間もなく、一番の挑戦者がスケートリンクの上を滑り始めた。転ばないか怯えているような、ゆっくりとした進みだ。
「足元に意識を集中してみて」
三日月の髪飾りの少女が、呟くように口を開いた。
「大丈夫。絶対に転ばないから」
そう言って、彼女は優しく微笑んだ。
一番の挑戦者は、意を決したように足を大きく前に出す。すると、その体が緩やかに前進を始めた。そのまま彼女は壁の端にたどり着くと、ターンして、また緩やかに走り始めた。
「はい、結構です。次の人に変わってください~」
司会進行役の人の声がする。そんな調子で、順番に挑戦者達は滑って行った。素人目に見ても、合格する人間というのはわかるものだ。滑る速度が違う。中には、馬のような速さで、舞うように滑ってみせる挑戦者もいた。
「あの人は合格だろうなー」
青は、心地良い緊張感に体が覆われているのを感じていた。ここまで来たら、やるしかない。結果が無残に終わろうと、その時はその時だ。
一方、ミチルの顔からは徐々に表情が失せていっている。青が話しかけたのに、返事もない。
「緊張してるの?」
そう言って、青はミチルの肘をつついた。
「ええ、少しね。今日は、私の運命が決まる日だから」
大仰な決意だ。青はそれに違和感を覚える。ミチルには、ここで失敗しても神術師としての安定した将来があるはずだ。それが、何故あえて舞姫科などに挑戦するのだろうか。
ミチルの父も怒っている様子だった。神術師への道を捨て、舞姫を目指す娘を。彼女をそこまでさせる動機はなんなのだろう。
そんなことを考えていたせいで、青は、自分の番号を呼ばれていることにしばし気がつかなかった。
「九十四番、九十四番の人~。いないのかな~? 飛ばしちゃおうかな~?」
「はい、はいはい、います! 九十四番います!」
大声で叫んで青は前へと進んで行く。人で一杯だった前も、今ではすっかりスペースが開けていた。
九十三番の脱いだ靴を、兵士が受け取っている。靴の裏にブレードが付いた、スケートシューズだ。もう一人の兵士が、複数の靴を並べ、青の前に差し出していく。その中で、自分に合いそうな一足を青は選んだ。サイズは丁度だった。
「頑張れー、アオちゃん」
「俺っ娘頑張れー」
背後から声がする。
「アオー、やれるだけやれよー」
「落ちても歌聴きに行ってやるから落ち込むなよー」
「馬鹿、縁起でもねえこと言うなって」
観客席からも声がする。
青はスケートシューズを履いて、スケートリンクの上に立っていた。不思議と、足元の不安定さはない。まるで普通の靴を履いて地面に立っているかのようだ。
三日月の髪飾りをした少女が、優しく微笑んだ。
「じゃあ~九十四番~、走って見せてくれるかな~」
頷いて、青は滑り始めた。あの三日月の髪飾りをした少女は言っていた。足元に意識を集中させろ、と。その教えに習い、青は足元に意識を集中させる。
刹那、壁が目の前にあった。
柔道で鍛えた体のバランスで慌てて方向転換をする。自分が猛烈な速度で壁際まで移動したのだと、ワンテンポ遅れて思考がついてくる。今の青の状況は、暴れ牛よりも酷かった。猛烈なスピードでスケートリンクの端から端へ移動して、無理矢理に方向転換して必死の形相で壁にぶつかるのを避けている。三日月の髪飾りをした少女が、唖然としているのが見えた。
これでは周囲を威嚇しているだけのようなものだ。そうだ、氷の上で舞っている生徒がいた。あんな風に美しく舞えれば、審査員の印象も良くなるはずだ。
その時、青は思った。あの技を、今の自分なら使えるのではないか、と。元いた世界のスケートリンクでは使えないだろう。しかしここは魔法の世界。持ち主の意図を靴が読み取ってくれる世界。テレビでしか見たことがない技だが、やってみる価値はあった。
青は飛びながら回転する。トリプルアクセルだ。
そのまま青は、スケートリンクを超えて、観客席に飛び込んだ。骨が折れる鈍い音がした。