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12.それぞれの大パニック?

今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

 目を開くと、そこは深い森の中だった。手には温もりがある。ミチルの手の温もりだ。


「ここはどこかな?」


 ミチルが戸惑ったように言う。


「とりあえず歩こう」


 喉から出てきた声のトーンは高い。見ると、少女の体のままだ。それが、青を憂鬱な気持ちにさせた。


「……どうして男の体に戻ってないんだろう」


「まだ言うんだ、それ」


 ミチルが呆れたように言う。

 とにかく、二人して歩き始めた。

 森を出てみないと、話は始まらない。二人して、木の根などを踏み越えながら歩いて行く。

 そのうち、森を抜けた。


「あら、ここは私有地だよ」


 声をかけられて振り向く。パイプ椅子に座った少女が、困ったような表情でこちらを見ていた。


「何処から入りこんだかなあ」


「すいません」


 言いながらも、青は表情が緩むのを感じてしまった。


「ちょっと良いですか」


 言いながら、少女に近づいていく。


「何?」


「ちょっと椅子、見せてもらえます?」


「良いけど……」


 少女は不審げな表情で立ち上がった。

 パイプ椅子を畳み、持ち上げる。


「パイプ椅子だ……懐かしい」


 再び広げて、地面に置く。


「どうも。懐かしかったので、つい」


「パイプ椅子が懐かしいとは、不思議な人だねえ」


 不思議そうに言うと、少女は足を組んで、再び椅子に座り込んだ。

 ミチルの手を引いて、前へと歩いて行く。

 目の前に広がる町並みは、青の世界の町のそれだ。遠くには、背の高いビル街があるのが見える。その光景を見ると、胸が高揚してきた。


「ここが、アオちゃんの世界?」


「そうだ、俺の世界だ」


「高い建物……。それに、何処までも家が広がっている……。どれだけの人が住んでいるんだろう」


「万単位の人が住んでるだろうな」


「万単位? 食事はどうやって賄っているの?」


 ミチルは、驚いてしまっているようだ。


「色々な食材を売ってるスーパーって店がいくつもある。各地だけじゃなく、列島の外からも野菜や肉を集めているんだ」


「スーパー……」


 その時、青達は道路に辿り着いた。

 車道に車が走っていく。


「あ、あ、アオちゃん、鉄の箱が走っていった」


 ミチルは腰が抜けんばかりだ。縋り付くように青の腕に抱きついている。


「前にも言っただろー? 車だよ、車」


「魔術で動いてるの?」


「ガソリンを燃料にして走ってる。歩道を歩けば接触することはない」


「歩道?」


「そのガードレールの内側や、地面に書かれた白いラインの内側が歩道。歩行者の道。その外は車道で、車の道」


「窮屈だなあ」


「車社会だからな。車のほうが幅を取る」


 二台目の車が走っていく。ミチルは恐る恐る、通って行くそれを見送る。


「そっか、本当に異世界なんだ……」


 青の体から体を離して、ミチルは実感の篭った声で言った。そうだ、彼女にとってここは異世界なのだ。ここではミチルの身分証明書も何もない。青はそれも同じだ。警察に補導されたらおしまいだ。


「そう。ここは異世界。魔術の代わりに科学が発展した世界」


 幸い、この道には見覚えがある。家は近い。どうにかそこまで辿り着くことはできるだろう。


 青とミチルは並んで歩道を歩いた。車が通り過ぎるたび、ミチルは眼を大きく開いてその先を視線で追った。

 横断歩道の前で、待ちぼうけを食う。


「アオちゃん、赤い光だ。不吉だよ」


 ミチルが、信号を見上げて言う。


「すぐに、緑に変わるよ」


 なだめるようにして青は言う。

 実際に、信号はすぐに緑に変わった。ミチルの手を引き、歩き始める。


「緑色の光……」


「赤が止まれで、緑が進めだ。それさえ守っていれば車に轢かれることはほぼない」


「ほぼって何?」


 ミチルは悲鳴のような声を上げる。


「事故はあるからなあ」


「よくそんな危険な物に乗ってるね!」


 ミチルは呆れてしまったようだ。車を見る目に、恐怖の色が宿っている。


「慣れるよ」


 青は、優しく言った。


「慣れる前に、私は帰るよ」


 疲れたようにミチルは言う。その一言が、青の心に小さな穴を穿った。

 程なくして、家にたどり着いた。

 久々に見る実家の門。それを青は、震えるような思いで眺めていた。

 青の家は広い。和風の二階建ての住宅に玄関前と邸内の庭があり、柔道場まである。

 冷静に頭が働き始める。さて、女の体でどうやって家族に自分を沖田青だと証明したものだろう。


「ここがアオちゃんの家?」


 ミチルの問に、青は黙って頷く。


「広い家だねえ。ねえ、帰らないの?」


「家族は俺を男だと思ってるんだ。女の体で帰っても不審がられる。最悪、警察に突き出される」


 ミチルは、何も返事をしなかった。まだ、青が男であることに懐疑的なのだろう。

 下手な手を打てば、警察に突き出されて終わりだ。青達は本当に、身動きが取れなくなる。

 まずは、この時間帯にいる家族の説得をするところからしなければならないだろう。今は昼時。この時間帯に家にいる家族は誰か。それを考えると、自ずと答えは出た。


 玄関のチャイムを押す。

 程なく、祖母が門を開けた。祖母はもう七十も近いだろうに、背筋が伸びている。


「あの、すいません。こちらで柔道の稽古をつけてくださると聞いたのですが」


 祖母の表情が華やぐ。


「ああ、その件でしたら亭主が伺います。あなた~」


 そう言って、祖母は引っ込んでいってしまう。


「ほら、しゃんとして。稽古を希望する生徒さんが来られたわよ」


 そんな声が、奥から聞こえてくる。

 そのうち、祖父が顔を出した。


「柔道の稽古をお望みかな」


 どこか、疲れた表情だった。薄い髪も整えてなく、顔に生気もない。青は、心が傷んだ。


「はい。柔道着も持参していなくて申し訳ないのですが。体験させていただけないかなと」


「よろしいでしょう。道着なら貸します。しかし、なんで年頃のお嬢さんが柔道なんて?」


「健康のために良いかと思いまして」


「それは良い。気分転換には調度良いかもしれませんね」


 祖父の声のトーンは暗かった。青はそれにも、心が痛むのを感じる。祖父はこんなに小さかっただろうか。前に見た時は、もっと大きかったように感じた。


「道着の他に、シャツも借りても良いですか?」


「まあ、構わんですが。準備をしていなかったのかな?」


「ちょっと思いつきで来てしまったので。なあ、ミチル」


「え、あ、うん。そうだね、アオちゃん」


「まあ、良いでしょう。家内に言って、準備させます」


「アオちゃん、カナイって何?」


 ミチルが、小声で訊いてくる。


「奥さんのこと」


 青は、淡々と答える。

 そのうち、三人は道場に辿り着いた。

 更衣室で、祖母が準備してくれた柔道着とシャツに袖を通す。そして、道場の中に礼をして入った。


「お嬢さんはきちんと礼ができている。良い心がけですね」


 祖父の表情に、やや生気が戻っている。生徒がやって来て、やる気が出てきたのだろう。


「きっちりとしごいてくれた人がいたので」


 青は苦笑する。それは、他でもない祖父自身だ。


「それではまず、ストレッチをしてから基本の受け身から」


「いえ、実は基本は既に身についているのです」


「ほう」


「試合を一戦所望したい」


「ほう、ほう」


 祖父は興味深げに、青の全身を眺める。


「それじゃあ、細腕のお嬢さんにどれほどの腕があるか、確かめさせて貰おうかな」


「お手柔らかに」


 青と祖父は、礼をして組み合った。

 青が祖父を押していく。そこに、足をかけられた。青は辛うじて避けて、踏みとどまる。


「ほう、これは中々」


 祖父は感心したように言う。

 青と祖父は、互いに技をかけあっていく。しかし、決まらない。

 そのうち、祖父の表情に疑念が浮かび始めた。彼は、確かめるように、焦るように、技をかけていく。

 そのうち、その表情に確信めいたものが浮かんだ。


「……青か?」


 間の抜けた、気合が抜けたような一言だった。

 次の瞬間、青は祖父を背負い投げていた。

 祖父が背中から地面に倒れ落ちる。その袖を握りながら、青は苦笑交じりに答えた。


「やっと気づいたか。耄碌したな、爺ちゃん」



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 沖田蕾の考えたことは、亭主はついに認知症にかかってしまったかということだった。

 何せ、突如柔道の練習にとやってきた少女を、行方不明中の孫だと言い始めたのだ。

 そもそも、性別が違うではないか。


 しかし、その少女も自分が沖田青だと主張しているという。

 困ったことになったな、というのが蕾の認識だった。

 家出少女が家に居付き、亭主が認知症になったとなってしまえば、沖田家の屋台骨が傾くことになる。


「そもそもあなた、青は男の子ですよ。その子はどう見ても青より上背が低いじゃないですか。整形したってそうはなりませんよ」


「それには色々事情があって……」


 青を名乗る少女は小さくなる。

 沖田家の居間だった。時計の針の音が、やけに大きく部屋に響き渡っている。


「しかし、試合をしてみてわしにはわかった。この子は青なんじゃ。どういう理屈かはわからん。しかし、体に染み付いた癖というのは取れやしないものなんじゃ」


 亭主も、自分の言っていることが非現実的だとわかっているのだろう。小さくなっている。


「それなら、私の旧姓は何か言えるかしら? 青ちゃんなら言えるわよね?」


「佐々木家。今は曾祖父ちゃんとばあちゃんの姉夫婦が暮らしている」


「貴女の父は母とは元はどんな関係?」


「親戚。父の親の姉の亭主の妹の娘が母」


「貴女の背丈を測った壁の傷はいくつある?」


「……そんなの覚えてないよ」


 尤もだ。

 しかし、この青と名乗る少女は家に関する知識が多数あるらしい。これはややこしいことになった。

 青を名乗る少女が、呟くように言った。


「俺とばあちゃんしか知らない話、知ってる」


 蕾は躊躇いながらも、促す。


「言ってみなさい」


「ばあちゃんが大事にしてたじいちゃんに買ってもらった壺、割ったのは俺だ」


 蕾の思考は止まった。

 その発言は、正鵠を射ていたからだ。


「サッカーして遊んでて割った。ばあちゃんは、貸しだからねって言って秘密にしてくれた。今でも俺は、将来働いて返そうと思ってる……この状態じゃ身分証明も危ういから、就職できるかわかんないけど」


 まさか、と蕾は思った。確かに、その情報は青しか知らないのだ。それに、言い回しも青そのものだった。


「まさか……」


 蕾は狼狽する。受け入れるわけにはいかない。こんな非現実的な話。けれども、目の前の少女は、沖田家のことをあまりにも知りすぎている。


「良いでしょう」


 蕾は、深々と溜息を吐いた。

 これは、見捨てるわけにもいかなくなった。見捨てるには、あまりにも後味が悪い。


「貴女を、沖田家に泊めることを許します。けれども、青ちゃんと認めるわけにはいきません。男が女になるだなんて、そんな非現実的な話、あるわけがないわ」


「いや、お前。こいつは青だぞ」


「いきなりそんなことを言われて、受け止められますか。家族だって、受け止められないわ」


「そんなことはない。自分で産んだ子供じゃ。親にはわかるはずだ」


「ともかく、私の決定は揺るぎません。それに、ミチルちゃんと言いましたっけ」


「はい」


 部屋の隅で小さくなっていたミチルが、返事をする。


「貴女は何処の子なの? 親が心配しているんじゃないかしら?」


「私は、その、別の世界から来た人間で……」


「外国の子なんだ」


 青を名乗る少女が、割って入る。


「カタカナは読める。日本語は通じる。けれども漢字や平仮名は読めない。俺の恩人だ。路頭に迷っていた俺を、家に泊めてくれたんだ」


「どうしてこの近隣で行方不明になった青ちゃんの話に、外国の子が出てくるの?」


 尤もだと思ったのだろう。青を名乗る少女は気まずげな表情になる。


「気がついたら全然別の場所にいて、女の体になってたんだよ。こんな話、信じてもらえるかどうかわからないけれど……」


「信じ難いわね」


 しかし、この少女達に行く宛がないのは確かなようだ。

 蕾は、再度溜息を吐いた。


「あなた。もしもの時の責任は、私とあなたで被るわよ。娘達には、この子達は私達の知人の孫ということにしておきましょう」


 亭主の表情が、華やぐ。


「ということは、信じてくれるのか?」


「信じ難いわよ、こんな話。家に泊めることを許す。それだけです」


「良かったな、青。これで当面は凌げるな」


「あなた、若い子に誑かされてるんじゃないでしょうね」


 蕾はついつい渋い顔になる。


「そんなわけあるかい。わしゃあお前一筋だわい」


「よく言う……」


 蕾は、再度深々と溜息を吐いた。


「まだ認めたわけじゃないけれど、その可能性がある以上は、こう言わなければならないでしょう……よく帰って来ましたね、青」


 青を名乗る少女は、表情を綻ばせた。


「うん。ただいま、ばあちゃん」


 可愛らしい子だ。野宿させるわけにもいくまい。蕾は、面倒事を背負い込む覚悟をしたのだった。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


「緑ちゃんは、好みはあるかしら」


 母に声をかけられて、青は慌てて返事をする。

 便宜上、青ではなく緑と名乗ることになったのだ。


「ハンバーグ」


「あら、奇遇ね。うちの息子もハンバーグが大好きだったのよ」


 そう言って微笑んで、母は台所に歩いていく。


「アオ……ミドリちゃん、箱の中に人が入ってる」


 ミチルが、怯えるようテレビを指差して言う。


「テレビ知らないんだ?」


 青の姉の桜が、愉快げに言う。


「テレビ?」


 ミチルが不思議そうな表情になる。


「外国の、未開の地で育った子なんだ」


「へえ……それじゃあなんでも新鮮でしょうね。これはテレビって言ってね。ニュースやアニメやドラマを映してくれる機械なのよ」


「ニュースやアニメやドラマや……? 機械……?」


「遠くの状況や、演劇や、動く絵を映してくれるんだよ」


 ミチルに説明するには、言葉を選ばなければならない。異世界で得た知識だ。


「は~。科学ってなんでもできるものなんですねえ。私も勉強すれば身につくかな」


「高認をとって大学へ行けば学べるかもね」


 桜はどうでも良さげだ。突然家族が増えたのに物怖じしていない。


(桜姉らしいか……)


 そして、青の膝の上では、弟の大地が座り込んでいる。青が本を読んでやっている最中なのだ。


「ねえねえお姉ちゃん、続き続きー」


「はいはい」


「そうしていると、青が帰って来たみたいね……」


 桜が、懐かしげに言う。


「アオちゃんっていう、男の子が居たんですか?」


 桜が、ミチルの問いに頷く。


「そう。今頃何やってんだかねえ。予習と復習はかかさないんだけど、どこか熱意のない子でねえ。ある日いきなりぱったり消えちゃった」


「私の知っているアオちゃんとは違うな……」


「貴女、青のこと知ってるの?」


 桜が、戸惑うような表情になる。

 ミチルは、頷く。


「アオちゃんはいつも勇気があって、前へ前へ進もうと足掻くような、そんな子でした。そうして、いつも結果を出してきた」


「ふうん……そんな一面もあったのかなあ」


 桜は、テレビに視線を移す。


「何してるんだろうね、あいつ」


 青は、本を読みながら、照れ臭い気持ちでいた。自分を褒めてくれるミチル、自分を心配してくれる桜、どちらもくすぐったかったからだ。

 そして、何より、この空間は懐かしくて居心地が良かった。この場所に、ミチルがいてくれることが、嬉しくてならなかった。

 夜になった。

 青は、自室をあてがわれた。ミチルは、仏間だ。

 青の主張が事実ならば、男女を同じ部屋で寝かすわけにはいかないという祖母のはからいだ。


 本当ならば、ミチルと色々と語り合いながら寝たかった。だが居候の身だ、我侭を言うわけにもいかない。

 懐かしい柔らかいベッドに身を沈め、異世界での出来事を遠い過去のように振り返っている時のことだった。

 部屋の扉が、開いた。

 ミチルが、部屋の中に入って来た。


「アオちゃん、こんばんは」


「うん、ミチル。最近いつも一緒にいたから、別の部屋に寝てると変な感じだよな」


「本当に、男の子だったんだね」


 ミチルが、躊躇いがちにそう告げた。恥じ入るように、俯いている。


「だから、何度も言っただろ。俺は男だって」


「だったら、早く証明してほしかった」


 少し、責めるような口調だった。


「だって私、好きな人がいるんだよ。それなのに、男のアオちゃんに、その、キスしちゃった。それって、浮気じゃない」


「……だから俺は男だって、ずっと言ってたじゃないか」


「言ってたんだけどね」


 沈黙が流れた。

 二人の状況を傾けるのは、今しかないと思った。


「それでも、女の俺をミチルは意識した」


「それは……」


「俺が男だったら、障害はないってことじゃないか?」


 ミチルは、黙りこむ。

 そのまま、沈黙が闇の中に溶け込んでいった。


「よくわかんないよ、そんなの」


 そう言って、ミチルは青に背を向けた。


「明日、桜さんが、エイガってものに連れて行ってくれるんだって」


「ああ、うん。何か面白いのやってるかな」


「アオちゃんも誘ってって言われたけれど、断ったってことにしておくね」


「……うん、わかった」


 今はミチルにも、心の整理をする時間が必要なのだろう。彼女の申し出を、青は享受することにした。

 部屋の扉が閉じた。

 暗い部屋に取り残されて、青は一人、天井を見ていた。

 懐かしい故郷。懐かしい時間。


「……そういや、学校の勉強からは取り残されてるだろうなあ……」


 思わず、呟きが漏れた。

 けれどもどうしてか、それに焦りを感じていない青がいた。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 舞姫科の生徒が二人、行方不明になってから、三日間が経っている。

 生徒達の間では、まことしやかに噂が流れている。

 魔女狩りだ、と。

 行方不明になった舞姫科の生徒は、非常に強い魔力を持っていた。それを危険視した上の人間が、彼女を葬ったのだと。いや、そもそもこの施設そのものが、それを目的として創立された施設なのだと。


 もちろん皆、魔術の授業に身が入らない。次に行方不明になるのは誰か、わかったものではないのだ。

 一人きりの部屋に帰ろうとしていたミサトは、声をかけられて立ち止まった。


「お待ちなさいな」


 こんな言葉遣いをする人間を、ミサトは一人しか知らない。皮肉っぽく微笑んで、振り向いた。


「何か用かしら、ミヤビ。貴女が興味があるのはアオちゃんのほうだと思ってたけれど」


「アカデミー内に変な噂を流している大元。それは、どうやら貴女だそうね」


 ミヤビは、嫌悪感を隠しもせずにミサトを睨みつけている。


「だとしたら、どうする?」


「今すぐ、撤回なさい」


「信じてもいないことを口にはできないな」


 ミサトの返事は素速かった。その素速さに、ミヤビは戸惑ったようだった。


「貴女みたいな貴種はそうじゃないけれど、魔術師の里はいつもそんな環境だった。いつ畏怖され、存在を消されるか。そんな恐怖と戦ってきた」


 ミヤビは黙りこんで、ミサトの話の続きを待っている。


「実際に、危険と見なされて消された里もある。それがいきなり、掌を返して魔術の発展に協力して欲しい? こんな胡散臭い話はないわ」


「けれども、貴女はやって来た」


「危険かどうかを確かめるための、捨て石としてね」


 そう、ミサトがアカデミーにやって来た理由はそれだった。アカデミーが魔術師にとって本当に理想郷なのかどうかを確認するための、捨て石。そのために、魔力の低いミサトが生け贄として選ばれたのだ。


「結果、アカデミーは危険だとわかった。それだけの話よ」


「貴女は、怯えすぎているわ。自分の命なんてどうでもいいと言いたげな態度。その影には、ずっと怯えがあったのね。今の貴女は、パニックに陥っているわ」


「そうかしら。私は、冷静よ」


「いいえ、人から見ればわかります。貴女はパニックに陥っている。そのパニックを、周囲に広げないで」


「……私は私の思うように振る舞うし、思うように発言するわ。それが嫌なら、口封じすればいいじゃない。アオちゃんみたいに!」


 ミヤビは黙りこんだ。そして、しばらく考え込んでいたが、溜息を吐いた。


「話すだけ無駄なようね。学長に相談させてもらいます」


「勝手にすれば」


「……寂しいんじゃないかしら」


「……ジレンマの種がなくなって、アカデミーも危険だとわかって、清々してるわ」


「嘘でもそんなこと、言うもんじゃないわ」


 悲しげな表情でそう言うと、ミヤビは去って行った。

 いなくなった彼女はいつも、ミサトのジレンマの種だった。


 彼女はミサトの欲しいものをなんでも持っていた。

 整った容姿。絶大な魔力。優れた運動神経。そしてそれを誇らない謙虚さ。

 彼女のようになれたらと何度思っただろう。なんで自分の傍に彼女のような人間が配置されたのだろうと何度思っただろう。

 彼女はミサトの友人だった。けれども同時に、ジレンマの種だったのだ。


 ミサトは部屋に入り、ベッドに入って寝転がる。炎を出して、本を読み始める。本は良い。現実逃避に最適だ。

 その時、ミサトの頬に、一筋涙が流れた。それが、何を理由にして流れたものだったのか、ミサト自身にもしばらくわからなかった。


「……寂しいんだ、私」


 ミサトの呟きは、薄暗い部屋の中に溶けて消えていった。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


「面白い映画だったわね」


「大迫力でした」


 まるで実の姉妹のような仲の良さで、桜とミチルは映画館を後にした。


「私、こんな演劇見るの初めてで、興奮しました」


「あら、それは良かったわ。帰りにファーストフードでも食べてきましょうか」


 そう言って財布を取り出した桜の鞄から、手帳が落ちた。

 ミチルは、慌ててそれを拾って桜に差し出す。


「ありがとう」


「それ、なんですか? さっき券を渡す人にも提示していたみたいですけど」


「学生証。身分証明書よ」


 そう言って、桜は手帳を開く。桜の写真が、中には貼り付けられている。


「凄い精巧な絵ですね……」


「写真って言うのよ? それも知らない? パシャってスイッチ押すだけでその人の顔が写った写真が撮れるの。鏡に映った顔を切り取ったみたいにそのまんまのものが撮れるのよ」


「それって、魂とか抜かれませんよね……」


「面白いこと言うわね、貴女」


 桜はついつい笑ってしまった。この世間知らずな娘を、桜は可愛らしいと思い始めていた。


「アオちゃんの学生証もあるんでしょうか?」


「制服のポケットに突っ込んであるんじゃないかな。興味ある?」


「……興味あります。アオちゃんが、どんな顔か」


 おや、この少女は青のことを知っていたのではなかったのだろうか。この少女の言っていることは、部分部分がちぐはぐだ。

 その正体に辿り着く間もなく、二人はファーストフード店に辿り着いたのだった。


「じゃあミチルちゃん、注文してみよっか」


「私が注文するんですか?」


「そうそう、何事も挑戦よっ」


 桜は、ミチルを可愛がることに集中し始めた。


「それとも、お腹減ってない? 朝も、昼も、ミドリちゃんが残した分まで食べてたものね。少食よねー、あの子」


「慣れてないんだと思います。元いた世界が、そんなにボリュームのある料理が出てこなかったし。けど、私は申し訳ないと思っちゃうから」


「申し訳ないって、何に?」


「食事になった生き物の、命に」


 古風な考え方をする子だなあ、と桜は思った。まるで、別世界からやって来たかのように。

 もっとも、外国からやってきたならば別の常識の中からやって来たようなものか、と思い直した。

次回、友情と嫉妬の狭間で?

異世界に帰ることを決意する青とミサト。

そこに立ち塞がるのは、桜吹雪を操る魔術師だった?

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