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1.友達はいるのか? その2

 青は、最初に少女と出会った木の根元に座って呆然としていた。

 隣には、心配そうにしている少女が座っている。


「現在の状況を、確認しておいたほうが良いんじゃないかな。頭を打って混乱しているけれど、わかることはあるでしょう?」


「体が女になってる」


 青は、真っ先に頭に思い浮かんだことを呟いた。


「うん、可愛い女の子だよ」


「家の場所がわからない、迷子だ」


 熱に浮かされたように、青は呟き続けていく。


「ニホンって国は、私も聞いたことがないなあ」


「この国の通貨も持ってない、一文無しだ」


「困ったね。私もお小遣い程度のリブルしか持ってないよ」


「一人で生きていく取り柄も何もない。このままじゃ浮浪者だ」


「……起死回生の機会はあるよ」


 少女が、恐る恐るといった感じで言う。


「本当?」


 青は、思わず身を乗り出して少女に訊ねた。少女は少しのぞけりながらも、頷く。


「今度開校されるアカデミー。その舞姫科は生活費だけじゃなく、金銭面の支援まで得られるの」


 それは渡りに船だ。問題は、合格条件だろう。それほどの高待遇となれば、倍率も高くなるはずだ。


「合格条件は?」


 少女は、人差し指を立てて言った。


「強い魔力を持つこと」


 青は木に背を預け、俯いて溜息を吐く。地面の雑草が視界に映った。この雑草は自分と同じだと青は思う。ただ、生きているだけだ。


「俺、魔法なんか使えないよ。あんたは使えるかもしれないけれどさあ」


「ううん、そんなことないよ。魔力はね、生きとし生けるものにあるんだよ。私にも、貴女にも、あるんだよ」


「本当に? じゃあ、俺もその気になれば傷を癒やしたりできるってわけ?」


「火を出したり風の刃を生み出せたりするかもしれない」


「へー……」


 現実味がない話だったが、神術とやらで傷を癒やされた今となっては信じるしかない。


「ずっと、魔力は選ばれた人間だけのものだと思われていたんだ。けれども、違った。人間が乱獲した動物達にも、奴隷として売り払われた人間にも魔力は宿っていた。そうやって絶滅の危機に瀕した動物達や追い詰められた人間の怨念が、調律者と呼ばれるモンスターを生み出していた」


「調律者、ねえ」


「舞姫科は、その調律者や動物達と折り合いをつけつつ生きていこうっていう人類の意思の現れなんだ。舞うことで、意思を表明するんだよ」


「舞ったから殺すのを許してねって、自己満足でしかない気がするけれどな」


「意思を伝えていくのが大事なんだよ。伝えるためにも魔力が必要となるらしいの。大事なのはバランスだよ。人類の乱獲によって生態系を崩す。そんな先人の愚を私達は……少なくとも五大同盟国は避ける選択をした」


「この国って、どういう制度なんだ?」


「どういう制度って言うと?」


「王様がいるの? それとも皆で投票して代表者を決めて運営しているの?」


「王様がいるよ。百五十年ほど前に統一王と呼ばれる人が大陸を統一したんだけれど、後継者争いから中央が分裂して、各地で戦乱が起こり、そのまま独立する国が次々に出た。例外はあれど、どの国も王様は、元を辿れば統一王の親族だね」


「はー、なるほどー」


「この領地を治めるフクノ家は、統一王が侵攻してきた時に真っ先に味方についたから今でも発言権が強いの」


(まいったぞ。まったく俺の世界の歴史と違う)


「わかったことが一つある」


「うん、何?」


「俺はこの世界の常識についてもまったく知らないということだ」


「よほど強く頭を打ったんだね」


 少女は困り果てた表情になる。


「それじゃあ、アカデミーが画期的ということもわからない?」


「わからないな」


「統一王が魔術を禁術としたことから、魔術師は長い間不気味がられていたんだよ。隠れ里でひっそりと暮らしているような人々が多かった。その魔術を、アカデミーでは教えることになった。歴史の転換点を私達は見ているわけ」


「へー……まったくわからない」


「困ったね」


「困ったな」


「私の神術でも記憶喪失までは癒せるかはわからないなあ」


「いや、記憶喪失じゃないんだよ」


 少女は、不思議そうな表情になる。

 青は、薄々感じていた推測を、口に出すことにした。


「俺は、別の世界からやって来たんだ」


 沈黙が流れた。風がふき、木の葉のかすれる音がする。青は、真剣な表情で少女を見ている。少女は、呆気にとられたような表情をしている。

 そのうち、少女は笑い始めた。


「あははは、そんな、お伽話じゃあるまいし」


「そうとしか思えないんだって。前にいた世界と、この世界は、あまりにも違いすぎている。俺の世界には神術も魔術もなかった。統一王なんて人もいなかった。調律者なんて存在もいなかったんだ」


 淡々と青は口にしていくが、この世界特有の単語を口にするたびに気分が重くなっていった。そのうち、青は頭を抱え込んだ。


「まるで、ここはファンタジーの世界だ」


 元の世界に帰りたかった。そこならば、財布に入っている通貨も使える。帰れる家もある。庇護してくれる親もいる。

 たった一人で異世界に放り出されて、青はあまりにも無力だった。

 再度、沈黙が流れた。


「まあ、舞姫科の試験日までは時間があるから。少し様子を見よう? しばらくは、私の家に住めばいいよ」


「本当?」


 青は、少女に飛びつきたいような気分になっていた。住居と食料の不安が、これで解消されるのだ。

 少女は、邪念など一つも何もないような表情で微笑んだ。


「うん。私の家は神術使いの家系だからね。人を助けるのが仕事なんだ」


 青は頭を下げていた。

 これで、ひとまずは生きていけそうだ。


「よろしくお願いします」


「ね、掌を差し出して」


 少女が、悪戯っぽく微笑んで言う。


「掌を?」


「うん、こうやって」


 少女が、開いた掌を差し出してくる。青も、それを真似して掌を差し出す。少女の誘導によって、その掌と掌が重なった。


「私、ミチルは貴女が記憶を取り戻すまで守ることを誓います」


 青は、呆然としていた。どうしてこの少女は、ここまで良くしてくれるのだろう。青が逆の立場ならば、こんな厄介事は警察に任せて放置してしまうだろう。

 少女、ミチルは、少し困ったような表情になった。


「これもわからないかな。これはね、誓う時の決まりなんだ。掌と掌を重ねるの」


「いや……感謝するよ」


 青は、ミチルの掌を握っていた。心の中に、感謝の気持ちしかなかった。


「名前、オキタアオさんだっけ。アオちゃんって呼んでいいかな」


「青くんって呼んでくれ」


「それじゃ、男の子みたいだよ」


 青は、苦い顔になった。


「俺は男だ」


「またまた、貴女みたいに可愛い女の子、中々いないよ」


 そう言って、ミチルは滑稽そうに笑った。


「まずは衣服をなんとかしないとね。私の服で合うかな」


 そう言って、ミチルは立ち上がって、町を歩き始める。青は手を引かれるがままにその後について行く。

 後は、青が舞姫科の試験とやらに合格すれば、全ては順風満帆に行くかと思われた。ところが、そう上手くは行かなかったのだ。


「記憶喪失の女の子? そんなの、なんで家で預かる必要がある」


 青が紹介されたミチルの父の第一声が、それだった。彼は小太りな男で、木の椅子に座り、剣呑な視線を青に向けていた。

 ミチルの母は立ったまま、ただ不安げに三人の様子を見つめている。その顔立ちには、ミチルの面差しがある。


「今、この町には他国の人間が多く出入りしている。スパイだったら、目も当てられんぞ」


「けれども、本当に記憶が混乱しているみたいなの。こんな状態でフクノ様に差し出したら、本当にスパイか何かだと思われてしまうわ」


「知ったことか。うちは町の人間の相手だけしていればいい。他所の国の人間なんて知ったことじゃあない」


「それは神術使いの家系の人間として恥ずべき意見だと思う」


「その神術師への道を捨てて、舞姫を目指すお前の言うことか!」


 ミチルの父は、そう怒鳴って、テーブルを叩いた。

 しかし、ミチルは動じない。ただ冷静な目で、真っ直ぐに父を見つめている。親子の視線での会話は、しばし続いた。

 根負けしたのは、ミチルの父だった。彼は深々と溜息を吐いた。


「お前は昔からそうだ。人の言うことを聞きやしない」


「私は、私の正しいと思うことをするだけ」


「変な女の子を拾ったという報告、リッカ様にはしておくぞ」


「それはやめて」


 ミチルが静かな声で言う。ミチルの父は疎ましげに手を振った。


「これで本当にその子がスパイだったら俺の立場まで危うくなる。それが最低限度の妥協点だ。食事も、お前の分から引いておくぞ」


「わかった。それでいいよ」


 ミチルの父が、再度深々と溜息を吐く。刺々しい雰囲気が、場には流れていた。ミチルはそれに青を晒すことを避けるように、その手をとって二階へと導いた。そして、一室の中へと青を案内する。


「頭の硬いお父さんでごめんね」


「いや、当然の反応だよ。俺、完全に不審者だもんな」


 もしもこれが逆の立場だったとしても、青が怒られるのがオチだろう。


「服、着替えようか。私の服、サイズ合うかな。私の服を着れば、この町にも馴染めるよ」


 感謝して、青はミチルの服を借りることにした。そして、スカートしかないことに閉口した。

 仕方がないので、身につけることにする。


「なんかズボンじゃないと足元が落ち着かない」


「けど、お父さんの服じゃサイズが合わないし。女の子は皆スカートだよ?」


「俺は男なんだよなあ……」


「まーたまた」


 溜息を吐きたいような気分になる。しかし、贅沢も言っていられはしない。

 今度は、青がミチルに自分の住んでいた世界の話をする番だった。


「俺の住んでいる世界には車ってものがあってさ」


「クルマ?」


「ガソリンで動くんだ。簡単な操作で自在に操作できる。歩かずに移動できるんだ」


「ああ、馬のことかあ」


「馬じゃないんだって、鉄でできてる馬のいない馬車みたいなものと言えばわかるかな」


「馬がいなければ馬車は動かないじゃない」


「それが動くんだってば。科学技術が発展した世界だったんだよ」


「カガクギジュツ?」


 どうやら全く話が通じていないようだ。


「……自分がこんなに物事を説明するのが下手だとは思わなかった」


「ヘリコプターっていうのもあるんだっけ」


「そうそう。プロペラで空を飛ぶんだ」


「プロペラ?」


「羽状のものを回転させて空を飛ぶんだよ」


「羽は羽ばたくものでしょう?」


「……俺の世界の話はやめておこう」


 絶望的な気分だった。言葉は通じても知っている単語が違いすぎる。


「空を飛ぶ魔法ならこの世界にもあるよ」


「本当に?」


 科学の代わりに魔術が発展したのがこの世界なのかもしれない。青は、なんとなくそう思った。


「本当はもっと色々な魔術がこの世界にはあったんだ。魔術の最盛期と言われる時代があった。その時代の名残が、各地に遺跡として隠れて残っている」


「その魔術は、失われた?」


「人を無気力にさせる大魔法陣があってね。その効力は今は薄れているんだけれど、その魔法陣の効果が続いた時代に魔術は大きく衰退してしまったの。失われた魔術の痕跡が、世界には溢れてるんだ」


「その中には異界を繋ぐようなものもあるのかな?」


 ミチルは、しばし考えこんだ。そしてそのうち、滑稽そうに微笑んだ。


「自分が異界から来たって、まだ信じてるんだね」


「信じてるも何も、そう思うしかないんだよな……」


 それが現在の情報から整理できる青の結論だった。

 ふと、この世界に来る直前のことを思い出す。自分は不可思議な存在と接触はしなかっただろうか。燃えるような赤い髪と、陶器のような白い肌をした、赤い目の少女。

 彼女は言っていた。自分を探しだして、殺してくれと。

 彼女をもしも見つけ出せたなら、青は自分の世界へ戻る方法を見つけられるのではないだろうか。彼女が幻覚にすぎないという可能性もある。けれども、今は藁にでも縋りたい気持ちだった。


 その晩、ミチルが晩御飯を部屋に持ってきた。掌サイズのパンが一個と、干し肉が一切れと、薄い味の野菜入りスープ。それを半分に分けると、本当に少ない量しかなかった。


「舞姫科、どちらかが合格できればいいね。貴女が合格すれば生活面での不安は解消できるし、卒業後の仕事も見つけられる。私が合格すれば、貴女の生活を援助できる」


 ミチルは恨み言の一つも言わずにそんなことを言う。これは、なんとかしなければならない、と青は思った。

 中身が無いはずの人間だった。けれども、今、青は、生きるために中身のある人間になりたいと思った。ただ生きているだけの自分から、自分の足で立って歩ける人間になりたいと思った。


 しかし、青のできることと言えば限られている。この土地での知識は限りなく少ないし、働き口の見つけ方も知らない。遺跡の探索をしたら稼ぎになるのではないかとミチルに提案してみたが、とんでもないと一蹴された。遺跡にはそれを守るモンスターが現れる場合が多く、それを討伐するには相当の剣の腕が必要とされるらしいのだ。青には、剣を振るった経験はもちろん、所有している剣の一本もない。

 だから、本当に手段は限られているのだ。


 青はその翌日、町の広場の中央に立っていた。周囲を見ると、大勢の人が行き来している。馬が主に連れられ、荷物を引いて歩いている。


(恥ずかしいよな……)


 そう思いつつも、ミチルの健気な微笑み顔を見ると、やるしかないと思った。

 地面に人一人が立てる程度の布を敷き、小さく息を吸い込む。そして、思い込む。自分は楽器だと。自由に音色を奏でる楽器なのだと。

 そして、青は歌い始める。ソプラノの声で、自分の世界で流行っていた歌を。

 町を歩く人々のうち数人が足を止めて、それに聞き入る。頬が熱くなるが、それでもかまわず歌い続ける。カラオケでの持ち歌は使えない。今の体と元の体では声の音域が違いすぎるのだ。だから、うろ覚えの歌を、思いつく順に歌い続ける。


 ほとんどの人が奇妙なものを見る目をして通り過ぎていくが、常に数人が青の傍らで歌に聞き入っていた。若者が多かった。

 わかったことがある。この世界の人々はハードな曲はあまり好みではないということだ。なので、できるだけ穏やかな曲をチョイスして歌っていく。傾向を把握すると、歩みを止める人は増えた。


 何せ、プロが作った曲だ。心地良いメロディラインは世界を超えて人の歩みを止めさせた。


「電車ってなんだ?」


 次の曲に続けようと思った時のことだった。ふいに、そんな質問が飛んでくる。青は、できる限りの笑顔で答えた。


「俺の住んでいた国にある、人を運んで移動させる箱です」


「箱……魔法かぁ」


「俺って、あんた男?」


「さあ、どっちなんでしょう」


 自分の体が女性のものになっていることは、昨日の一日で十分確認ができている。心は男で体は女。今の自分は一体どちらの存在なのだろうと青は思う。

 この肉体が元に戻ることはあるのだろうか。それが今後の不安のひとつだった。


 話を振られたのは丁度良いタイミングだった。ただ聴衆を癒やすために歌っているわけではないのだ。


「実は俺はお金に困っています。歌い続けるので、歌が気に入ってくださればお金を置いて行ってやってください。人に広めて頂けるとありがたいです」


 しばし、聴衆は周囲と目配せし合った。そのうち一人が、銅色の硬貨を一枚、青の敷いた布の上に投げ入れた。


「五曲前の歌、もっかい歌ってくれ。あれ、気に入ったんだ」


 投げ入れた男は、陽気に笑ってそう要求する。

 しめた、と青は思う。これで、少なくとも稼ぎを得られることがわかった。


「わかりました!」


 青は記憶の糸を必死に手繰り、五曲前の歌を再び歌い始める。男はそれを聞くと、満足して拍手して去って行った。

 歌を終えるたびに、まばらに拍手が鳴るようになる。これは思ったより好感触だぞ、と青は思う。


 三時間ほどが経っただろうか。青の布の上には十枚の銅貨があった。流石に、喉が枯れてきた。

 聴衆は入れ代わり立ち代わり現れた。


「今日はそろそろ喉が枯れてきたので終わりにします。また明日も来るので、よろしければまた来てやってください」


 銅貨が三枚、銀貨が二枚、おまけとばかりに投げ入れられる。銀貨は銅貨に比べればサイズが小さかった。


「良かったよ」


「お疲れ様」


 そんな労いの声もかかる。三時間も経つと、流石に恥も忘れ去っていた。汗で背中に服がくっついていた。これは着替えなくてはならないだろう。

 聴衆が散っていった、その時のことだった。


「異国の歌は色々種類があるんだね~」


 感心したように、女性が言う。眼鏡をかけた妙齢の女性だ。腰には剣を帯びている。

 この世界にも、眼鏡を作る技術があったのか。青は、そんなことに感心してしまう。


「ええ、まあ。持ち歌はもっとありますよ」


「貴女、収入のあてや蓄えがないのにこの町に来たの~?」


 どこか間延びした口調の女性だった。


「はい」


「となると~、舞姫科志望かな?」


「今となっては、そうですね」


 どうしてそんなことを問うのだろう。青は疑問に思う。


「今となっては、か~。意味深だね。さながらどこぞの国の家出娘といった感じなのかな~?」


 女性の目が鋭く細められる。


「不法入国者、だったりして」


 青は、首筋に剣の切っ先を突きつけられたような気分になった。青にはこの世界における戸籍がない。この世界の戸籍の管理がどうなっているかはわからないが、不法入国者と言われれば不法入国者であることに違いはないのだ。

 青の心音がどんどん高鳴っていく。追求されたならどうしよう。そんな思いが湧いてくる。

 次の瞬間、青の思いとは裏腹に、女性は微笑んでいた。


「まあ~私も鬼じゃないから、取り柄がある人には生活できるように配慮してあげるよ~。さ、布の硬貨をしまってしまって。そんな放り出してたらスリにやられちゃうよ~」


 指示されるがままに、青は布に硬貨を包む。今は、この女性に命綱を握られているような気分だった。


「さ、ついて来て」


 促されるままに、青は女性の後をついて歩き始める。そうして案内されたのは、昨日追い返された酒場だった。

 女性が店の中に入って行く。青も、その後に続いた。昨日はぶっきらぼうだった女主人は、今日は丁寧に二人を招き入れた。どうやら、女性の存在が大きいらしい。


「あらあらあら、こんな場所にまで足を運んで下さいまして」


「いいのいいの~、気にしないで。自分の仕事をしてて」


「仕事と言っても、この時間は暇なもんですよ。夜の準備ももう済んでいます」


 女主人は、朗らかに微笑む。どうやら人によって態度をあからさまに変える人間らしい。


「今日は折り入って頼みがあって来たんだけれど~、いいかな~?」


「ええ、お世話になっているんです。頼みとあらばなんなりと」


「じゃあ、この娘、雇ってやってくれないかな」


「は?」


 それは、女主人と青の口から異口同音に発せられていた。


「毎日食べられるだけの給料でいいんだよ~。賄いもつけてあげてくれると嬉しいけどな~」


「で、ですけど。そんな小娘に何ができましょう」


「歌が上手いんだよ。酒の席で歌えば酔っ払い共も少しは暴れることが減るかなあと」


「……それを言われると弱いですね」


 酔っぱらいが暴れるような場に自分は投じられようとしているのだろうか。青は一抹の不安を覚えた。


「ね、酒の席に適した歌とかもあるんじゃな~い?」


「ええ、あるといえばありますが」


 就職と身の危険、二つの言葉が青の心の中の天秤で揺れている。女主人は女主人で、考え込んでいるようだった。


「ね。税のほうもちょっと考えとくから、さ」


「……わかりました。毎日食べられる分だけの給料でいいんですね?」


「うん、話がわかるな~、助かるよ~」


 女主人は青に向き直った。そして、厳しい目をして言った。


「それじゃ、どんな歌を歌えるか試させてもらうよ。私がいいって言った曲だけを歌うんだ」


 威圧するような声だ。これは嫌な雇い主に当たったな、と青は思う。けれども、収入がないよりはましだ。


「うんうん、それじゃ、私は行くから~」


「今後ともよろしくお願いします!」


 女主人は瞬時に笑顔を作り、去って行く女剣士に深々と頭を下げた。そして、彼女がいなくなると即座に青に凄んでみせる。


「じゃ、早速歌いな」


 喉が枯れているが、そんなことを言っている場合ではなさそうだ。青は記憶の中を辿ってうろ覚えな歌を次々に口から紡ぎ出していく。

 思いもがけず一日で就職先が見つかった安堵感と、あの女性は何者なのだろうと言う疑問が、心の中で渦を巻いた。この女主人と仲良くなれば、訊ねてみるのも良いのかもしれない。


 その日の夕方、青はミチルの部屋で布に包んだ銅貨と銀貨を広げた。


「わあ、凄い。銀貨もあれば三日は食べるのに困らないよ」


 ミチルは感心したように言う。


「どうやって稼いだの?」


「歌った」


「歌、上手なの?」


「歌唱力があるんじゃなくて、曲がいいんだ」


 何せ、プロが作った歌だ。歌唱力が多少お粗末でもお釣りがくる。


「ふうん、あまりわからないけれど、上手くやったんだね」


「これで腹いっぱい食べられるんだな?」


「十分」


 ミチルは、微笑む。


「けど、明日から夜に出かけることになった」


「なんで?」


 ミチルの表情に、影がさす。


「酒場で歌うことになったんだ」


「そんなの、危ないよ」


 ミチルの声が大きくなる。


「ただでさえ今は外部の人が多くこの町にやって来てるんだよ。夜に女の子が一人で出歩くなんて、しかも酔っぱらい達の真ん中で」


 ミチルは真剣に青の身を案じてくれているらしい。そういう心配のされ方はしたことがなかったから、青はいっそ戸惑った。


「送り迎えはしてもらえるらしいし、これでも腕っ節には自信があるんだ」


「剣を振ったこともないって言ってた癖に」


「素手での格闘技には心得がある」


「相手が剣を持ってたらどうするのよ」


「逃げるだけさ」


 そう言って、青はミチルに銅貨と銀貨を握らせる。ミチルはまだ不満気に青を見ている。


「なんだか本当に男の子と話してるみたい」


 ミチルが、溜息混じりに言う。


「俺は男だってば」


 青も、溜息混じりに返す。結局、この件に関してミチルは不満なようで、その後の会話も弾まなかった。

 その晩のことだった。

 青は床で布団にくるまっていた。月明かりが室内を優しく照らしている。夜の闇は思考を活性化させる。これから自分はどうなるのだろう。そんな不安が青を包み込んでいる。青には何もない。金も、家も、縋るものすらない。

 床の音が鳴った。ミチルが起きたのだろうか。青はゆっくりと目を開く。

 気が付くと、ミチルの体温が背にあった。青は、ミチルに抱きしめられていた。


「絶対に、私がついているから」


 ミチルは、静かな声でそう言った。


「絶対に、舞姫科に受かって、昼の仕事に就けるように手伝いするから」


 そのミチルの声は、どこか強張っている。

 彼女も不安なのだ、と青は気がついた。それはそうだ、少女の身で人一人を抱えようというのだ。不安でないわけがない。

 青は自分の中に湧いた、ある感情に気がついていた。けれども、それに蓋をして、今はただミチルに自分の身を委ねていた。

 二人の呼吸音だけが、夜の闇の中に溶けていった。


 その翌日のことだった。薪割りを終えた青は、ミチルを家の裏庭に呼び出した。そして、あるものを取り出す。


「なにそれ」


 青の夜の勤めに反対のミチルは、未だにどこか不満顔だ。

 青は手に持ったものの棒状の部分に両手を添えて、巻くようにして放った。それは、竹とんぼならぬ木トンボだった。木で作ったそれは、数秒だが不器用に回転して空を飛んで、地面に落ちた。


「これが、プロペラ」


 小さい頃に祖父と作っていた記憶が残っていてよかったと青は思う

 ミチルも、感心したような表情になっている。


「へえ、本当に回転させて空を飛ぶんだ」


「ミチルも飛ばしてみようぜ。やり方は簡単だから」


「……そんなに勧めるなら、やってみようかな」


 少し拗ねたように、けれども興味深そうに、ミチルは言う。

 木とんぼが飛んで行く。

 昨日、青は思ったのだ。困った時に手を差し伸べてくれるこの子となら、友達になれるのではないか、と。この子と友達になりたい、と。

 今は、稼ぎの問題があるから仕方がない。けれども、舞姫科に合格して、この子を笑顔にできればと、そう思わずにはいられなかった。この子と一緒に、舞姫科に行きたかった。

 それが今、空っぽだった青の中に生まれた、中身だった。

次回「試験の日」

次週投稿予定です。

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