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9.セカンドキスも突然に?その2

 タケルと青は、再び井戸の前に立った。

 また、肌寒い風が吹いてくる。


「殺した……殺した……」


「質問があってやって来た」


 タケルが言うと、肌寒い風は即座にやんだ。

 幻術が解けたのだろう。小さな井戸に女生徒が膝を組んで座っているのが見えるようになった。


「なんの用? あんたも好きねー、ここ。来るたびに男も違うしさ」


 呆れたように女生徒が言う。


「幻術を使える生徒について教えてほしい。その中の一人が、このアオに化けて男をとっかえひっかえしているんだ」


 女生徒が、滑稽そうに笑った。


「なるほど、なるほど。やっぱりそういうからくりか」


 女生徒は立ち上がって、青に一つ頭を下げた。


「今回はうちのクラスの生徒が迷惑をかけたね。ごめんね」


「そんなことより、幻術を使える生徒なんだが」


「幻術を使える生徒は魔術科の中でも三人だけ。いずれも選りすぐりの生徒よ。一人は、サツキ。もう一人は、イオリ」


「どんな外見の生徒なんだ?」


「サツキは癖っ毛で小柄、眼がぱっちりとしている。イオリは三つ編みでのっぽでちょっと目付きが悪い。サツキはスタイルが良いわね。イオリはやせ細ってる感じ」


「剣術科の生徒はタケルが、舞姫科の生徒は俺が判別できる」


「どちらも知らない生徒でその条件に当てはまったら、犯人ってわけか」


「そういうことだな」


「本当、ごめんね。うちの子がさ~。私も捜索に手伝ってあげたいけれど、私が抜けたらここ、ただの迷路になっちゃうからね」


 そう言うと、女生徒は溜息混じりに再び小さな井戸に足を組んで座り込んだ。


「情報、感謝する」


 タケルに手を引かれて、青は歩いて行く。そして、やっとのことで追いついたらしいミサトと合流した。


「お前、剣術の授業で半年以上訓練してるのにまだ運痴なのな」


 青は、思わず素直にそう言っていた。


「仕方ないじゃない。人には得手不得手があるものよ」


 珍しく、拗ねたようにミサトが言う。


「犯人の外見は聞いた?」


「うん」


「じゃ、探すわよ。嗅覚が駄目なら、今度は視覚よ」


 そう言って、ミサトが手を差し出す。青は、彼女の意図を察して、その手を握って目を瞑った。

 ミサトの魔力が、体内に入り込んでくるようなイメージがあった。その瞬間、青の脳裏に校舎の全景が浮かび上がった。

 映像は徐々に校舎に近づいて来る。そして、校舎の屋根を突き抜けた。三階の光景が脳裏に広がった。

 両親に連れられてきた子供、一人の中年、老夫婦、生徒、母と子供、若い夫婦、色々な人がいる。

 皆、楽しげな表情をしている。

 そんな中で、真剣な顔で走り回っている生徒も数名いた。見知った顔だった。


「いる?」


 ミサトが訊ねてくる。青はしばらく細かな人々の一人一人の顔を眺めていたが、そのうち諦めた。


「わからない。多分、いない」


「じゃあ、二階に移るよ」


 映像が二階に移る。その食堂で、青はその少女を見つけた。癖っ毛で小柄な、胸の大きな見覚えのない女生徒。彼女は呑気な表情で、昼食を楽しんでいる。


「見つけた! 二階の食堂!」


「あの、三人とも、往来の邪魔だよ?」


 受付の生徒が、怪訝そうな表情でそう言った。

 見ると、手を繋いで教室の前で立っている三人は周囲の注目を浴びている。

 まず、タケルが走りだした。その後を青が追う。ミサトも、そのさらに後を追ってくる。


「功労者なのにこの扱い~?」


 ミサトの非難の声が、徐々に遠ざかって行った。

 タケルと青は食堂に辿り着く。そして、件の生徒を見つけ出し、足音も高く歩み寄った。


「この生徒か? アオ」


「ああ、こいつだ、タケル」


 女生徒、サツキは不味いものでも飲み込んだような表情になる。


「何よ、剣術大会の決勝戦出場コンビで。私、何かした?」


「調べはついている。アオの姿を勝手に使って好き勝手やってくれたな」


 タケルは眼が座っている。今にも腰の木剣に手が伸びそうだ。あの鋭い突きならば、骨の一本や二本折ることは容易いだろう。

 それは、サツキも察しているのだろう。真っ青な表情になっている。


「ちょっと待ってよ~。誤解よ~。私は確かに幻術を使えるけれどさ。悪戯に使ったりしないわよ」


「アオの外見を借りて男をとっかえひっかえしているのではないか?」


「あのね、私、外見で貴女に負けるつもりはないんだけれど?」


 そう言って、サツキは少し不機嫌そうな表情になる。

 それもそうだ。サツキは美人の部類に入るだろう。


「アオへの嫌がらせという可能性もある」


「だから、誤解だって……。いい加減しつこいわね。貴方、剣術の腕はあるみたいだけれど、魔術はどうなの? 魔術科トップスリーの私と、やる気?」


 サツキの掌に、炎が浮かび上がる。

 タケルの手が、腰の木剣に伸びた。

 その時のことだった。


「アオちゃん、来て!」


 ミチルの叫び声が、食堂に響き渡った。

 タケルは、ミチルの指示に従うべきか、この少女を疑うべきか迷ったようで、木剣の柄を握ったまま動かない。

 しかし青は、真っ先にミチルの元へと駆け出していた。

 いつだって、困っていたらミチルが助けてくれる。こんな時に、ミチルが無駄な用事で人を呼び出すわけがないのだ。


 青はミチルの手をとって、駆け始めた。


「また走るの~……?」


 ミサトの疲れたような声が背中から聞こえてきた。

 仕方がないので、体魔術を使い、彼女を背負って再度駆け始める。


「どこだ?」


「学校前の庭! 上空!」


 二人は人混みをかき分けて、前へ前へと駆けて行く。

 そこには、確かに彼女がいた。もう一人の、青がいた。スカートの中が見えることなども気にせずに男と空を飛んでいる。

 いつの間にか、周囲には舞姫科の生徒が集まっている。その視線が、青を見て、そして空を飛ぶもう一人の青を見て、剣呑なものになる。

 もう一人の青も状況に気づいたのだろう。飛んで逃げようとした。

 その先に、炎の球が一個、立ちはだかるように浮かび上がった。もう一人の青が動きを止める。ミサトが、いつの間にか手を掲げていた。

 次の瞬間、もう一人の青は炎の球に包囲されていた。

 周囲の舞姫科の生徒達が、上空に向かって手を差し出しているのが見えた。


「皆……仕事はどうしたんだよ?」


 青は苦笑して、サクヤに問いかける。


「最小限度の人数で回してるのよ。現場はきっと悲鳴を上げているでしょうね。さて、愉快犯を皆で吊るし上げようか」


 炎の球が、徐々にその高度を下げていく。それに触れるのに怯えるように、もう一人の青も高度を下げていき、そして大地に下り立った。

 炎が消えるが、彼女は逃げ出せない。舞姫科の生徒達に囲まれていたのだから。


「よくできた幻術ねー。魔術科はそんな術も学ぶんだ?」


「マジックアイテムの作成とかもやってたよね。魔術科って面白そう」


「羨ましいなあ。そんな羨ましいお方がどうして舞姫科の生徒の真似事をしてるのかしらね」


「ちょっと酷いんじゃないかなー。アオちゃんの名誉ずたずただよ」


 一斉に声をかけられて、もう一人の青はたじたじの表情になる。今にも泣き出しそうだ。

 その表情を見て、青は察した。


(俺、案外可愛いんだなー)


 この場においてはどうでもよい感想だった。

 後は、どうでも良かった。このまま放置しておいても、舞姫科の生徒達はこの魔術科の愚かな生徒を勝手に私刑にしてくれそうだ。

 その友情に、青は感謝せずにはいられない。

 なんだかんだで目立つ青を、疎外せずに、仲間として扱ってくれてきた面々なのだった。


「アオに謝ってくれ」


 男の声が、周囲に響き渡った。


「アオは今回の件で、名誉を傷つけられた。アオに、謝ってくれ」


 タケルだ。


「嫌だ!」


 もう一人の青が言う。


「オキタアオみたいに外見が良い人間は、外見だけでなんでもかんでも上手く持ってっちゃうんだ! そんなの、不公平よ!」


「それは違う」


 タケルは言う。


「アオは努力してきた。そうじゃないと、舞と魔術と剣術の三つの訓練を両立できやなんかしない。剣術大会で優勝できやなんかしない。アオは外見だけじゃない。努力のできる子なんだ。だから俺はアオを尊敬してる」


 青は、照れ臭い気分になった。確かに、前の世界でも予習や復習を欠かしたことはなかった。けれども、それを素直に褒められると、照れてしまう。


「私だって魔術科で必死に努力してきたわよ。けど、貴方は私を知ってる?」


「いや……それは、知らないけど」


 青の脳裏に、閃くものがあった。


「お前ってもしかして、タケルのこと、好きなのか?」


 もう一人の青は、黙りこむ。

 なるほど、ならば全て納得がいく。男をとっかえひっかえしていたのは、青の悪評を作ってタケルとの仲を裂くためだったのだ。


「アオ、この子の正体、知ってる?」


 そう訊ねてきたのは、サクヤだ。


「うん、魔術科の生徒に聞いて、名前まで知ってる。イオリって名前だ」


 もう一人の青が、肩を震わせた。


「それじゃあ、私達は貴女の素性を知っている。これ以上アオのふりをしたり、アオの悪評を言いふらしたりするようなことがあれば、学長に話が行くと思っておくことね」


「もう知ってるんだな~、それが」


 その場にいた生徒全員が、肩を震わせた。

 リッカが、いつの間にか背後にやって来ていた。ジン、シホ、イチヨウ、ハクまでいる。


「……イオリさん。貴女の幻術は封じさせてもらう必要があるようね~。ジンくん、できる?」


「ちょっと工夫が必要かもしれませんが、まあ多分」


「そもそも、なんで幻術なんて教えちゃったかな~。まあ、才能のある生徒は勝手にそこに辿り着いちゃうけれど~」


 リッカは、そう言って深々と溜息を吐いた。

 もう一人の青は、声を上げて泣き始めてしまった。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 サクヤに礼を言うと、こんな言葉が返ってきた。


「舞姫科って言っても、一枚岩じゃない。グループがそれぞれできあがってる。それが、一つの目的に向かって協力出来た。私としては今回の話はおいしい話だったんだよ」


 トラブルも含めて、青はまんまと利用されてしまったらしい。

 しかし、皆の仲が深まるなら、それも良いかと思った。

 青のために炎の魔術を使ってくれた時、彼女達は紛れも無く、青の友人だった。

 夜空には満月が輝いている。

 焚き火の前で、青とタケルは手をつないでいた。

 祭りの日に、焚き火の火が消える瞬間に手をつないでいた男女は幸せになれる。そんな言い伝えがあるのだそうだ。

 そのせいもあって、周囲には男女が多い。独り者や同性同士のグループは奥でゆったりとした時間を過ごしている。


「なんか、変な一日だったな」


 タケルが、しみじみとした口調で言う。


「そうだなー。疑惑の眼で見られて辟易としたよ」


 そう言って、青は溜息を吐く。


「まあ、その後は楽しかったな」


「そう言ってもらえたら良かったよ」


 タケルと過ごすのは、楽しかった。気が合う友人ということなのだろう。


「けど、変な話だな。俺がこんな容姿じゃなかったら、タケルと知り合いにならなかったのかもしれないんだな」


 もう一人の青の言葉が、青の脳裏に蘇る。外見が良い人間は、それだけで全てを持っていく。それは、否定できない側面も持っていると思うからだ。


「そんなことないと思うよ」


 タケルは、真剣な口調で言う。


「君は、普通とちょっと違うからね」


「嬉しくない褒め言葉だな」


 青は苦笑する。


「化け物屋敷で幽霊に殴りかかろうとするような女の子、そうそういないよ。アカデミーの壁を突破して脱走しようとする女の子だって、そうだ。君のそういう破天荒なところ……俺は好きだよ」


 その、好きという言葉には、重い意味が詰まっている気がした。

 青は思わず、目を丸くする。


「君は努力ができる子だ。冒険ができる子だ。そして、人のお願いを聞いてくれる優しさをもった子だ。きっと俺は、君の外見がどうであろうと、君と出会ったと思う」


「……そう持ち上げられると、照れ臭いな」


 青は、苦笑するしかない。


(女だって信じてるって、幸せなもんなんだなあ……)


 まあ、青が良心を痛めることによって、少年が一人幸せな思いをするならそれはそれで良いか、と青は思う。

 どの道、タケルと結婚することなんて、天地がひっくり返ってもありえないことなのだ。

 

 その時、焚き火が消された。水が火を飲み込む音がして、周囲が静寂に包まれる。月明かりだけが、周囲を照らしていた。


「アオ、目を瞑ってくれるかい……?」


 タケルが、緊張した口調で訊ねてきた。


「ん? 目、瞑れば良いのか?」


「うん」


 言われるがままに、青は目を瞑る。

 唇に柔らかいものが、触れる感触があった。どこからか、黄色い声が上がる。

 青は、呆然として目を開ける。目の前には、タケルの顔。その顔を、青は反射的に体魔力を使ってぶん殴っていた。


「な、な、な、何すんだ!」


「いっつう……」


 タケルは頬を抑えて蹲っている。

 青はそれを無視して、その場から駆け去った。必死に、服で唇を拭いながら。

 男にキスをされた。その事実が、青の背中に重くのしかかって来た。

 可愛い可愛いとちやほやされて、ちょっと良い気になっていた。その、天罰が下ったのだ。


 そのまま、青は自分の部屋に戻った。外からは、まだ賑やかな祭りの名残の声がした。

 タケルとの一日を思い返す。楽しかった。けれども、その結末を思い返すと、青は泣きそうになる。


「恋に時間は関係ないわよ。知らないなー。私、相手が本気になったって相談されても知らないよー」


 ミサトの忠告が、今更ながらに思い出されてくる。自分は知らず知らずにうちに、相手に一線を超えさせていたのだ。その事実が、青を憂鬱にさせる。

 これから、どんな顔をしてタケルと会えば良い? これから、どんな顔をして舞姫科の皆と顔を合わせれば良い?

 考えながら、青は服の端で自らの唇を拭う。


 ミサトとミチルが、部屋に入って来た。二段ベッドの上で、唇を拭っている青を、気まずげに眺めている。


「アオちゃん、異世界から来たんだもん。言い伝え知らなかったんだね……」


 ミチルが、気の毒そうに言う。


「言い伝えってなんだよ」


「祭りの焚き火が消えた時に男女で手を繋いでいたら幸せになれる。目を閉じてキスをしたら、死んだ時にその相手が迎えに来てくれるって言い伝えがあるんだよ。だから、消えた焚き火の前で目を閉じたら、それはキスしてもいいって承諾したようなもんってわけ」


 流石のミサトも、気まずそうな口調だ。


「そんな言い伝え、知らねえよ……」


 青はなんだか情けなくなってきて、泣き出したいような気分になっていた。

 静寂が部屋を包む。二人とも、なんと声をかけるべきか悩んでいるようだ。

 そのうち、ミチルが二段ベッドの階段を上がってきた。

 青は、俯いていて彼女の表情は見えない。


「アオちゃん、私のこと、好き?」


 ミチルが、意を決したような口調で問う。


「好きだよ」


 青は、素直に言う。情けなくって、今は何を言っても良いという気分になっていた。


「死んだ時に迎えに来て欲しい?」


「……ミチルが迎えに来てくれるんだったら、死ぬのも悪くないかな」


「そっか」


 ミチルは、青の顔を両手で包んだ。

 そして、唇で、唇に、口付けした。

 青は、顔が真っ赤になるのを感じる。あれだけ愛しかったミチルの顔が、目の前にある。目を閉じて、青の口を吸っている。

 それは、僅かな時間のことだった。けれども、青には永遠のことのように感じられた。

 青とミチルは、女同士でキスをしていた。


「キスの、上書き。これで、大丈夫だから」


 そう言って、ミチルは落ち着かなさ気に下を向いて、ベッドを降りていく。

 青も、後を追えない。顔が熱くて、落ち着かなくて、何を言えば良いかわからなくなってしまったからだ。


「いいもの見せてもらった~」


 悪戯っぽい口調で、ミサトが言う。

 けれども、誰も返事をしなかった。

 そのまま、窓を閉める時間がやってきて、完全な闇に周囲は包まれた。

 青は、寝付けずに起き続けている。


「アオちゃん、起きてる?」


 深夜のことだ。

 ミチルに急に声をかけられて、青は体を跳ね起こした。


「起きてるぞ」


「眠れない?」


「……眠れない」


 顔が熱くって、多幸感で眠りにつけない。


「困ったな。私もだよ」


 ミチルは、苦笑したような口調でそう言った。

 そして、次の言葉を放たせるのを防ごうとするかのように、こう続けた。


「おやすみ」


 青は、再び寝転がる。

 そして、愛しい思いを込めてこう告げていた。


「おやすみ」


 事件だらけの一日だった。けれども、舞姫科の皆やミチルとの距離が一歩縮まった気がする。それだけで良かったと青は思うのだ。


(タケルとの間には溝ができたなー)


 まあ、それはそれで追々と時間が解決するだろう。そう思い直した青だった。

 その日、青は眠れなかった。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 相手は国外からやって来ていて、言い伝えを知らなかった。タケルがそう説明されたのは、鈍い痛みが頬に残っている間のことだった。

 その事実は、タケルの心に頬よりも重い痛みとして残った。

 その日、タケルは眠れなかった。

 その苦しさはまるで病気になってしまったかのようで、翌日になって、舞姫科の生徒に呼び出された時、懺悔できるのかと安堵したほどだ。


 裏庭に、呼びだされた。

 すると、彼女はやって来た。昨日、誤ってキスをしてしまった彼女。タケルが今、世界で一番愛しいと思っている彼女。


「行き違いがあったみたいだな」


 彼女は、渋い顔で淡々と言う。


「ああ。ちょっと、行き違ったみたいだな」


 タケルは、苦い顔でそう言うしかない。

 罵倒なら甘んじて受けよう。そんな気持ちだった。

 昨日までなら、彼女の手を取ることも容易かった。彼女の笑顔を引き出すことも容易かった。けれども、今日はそれが遠い。


「悪かったよ。俺も、この世界のルールに疎すぎた」


 謝罪した彼女に、タケルは慌てた。


「いや、俺が悪いんだよ。国外から来た人もいるって、すっかり失念していた。広い国でこのルールが伝わっているものだと思っていたんだ。アオ……」


 勇気づけようと、彼女の手を取ろうとする。すると、自然な動作で避けられた。

 それが、タケルの胸を強く傷つけた。

 次の瞬間、タケルは彼女に肩を抱かれていた。


「お前はいい奴だよ、タケル。だから、きっといい人が見つかる。自信持てよ」


 慰めるように、彼女が言う。その一言、一言が、タケルの胸を切り刻んでいく。

 体の距離はこんなに近いのに、心の距離はどれほど遠くにあるのだろう。

 これが失恋というものなのか、とタケルは思い知った。初めての失恋は、苦くて、痛くて、心が傷口からの出血で消えてしまいそうだった。


「ありがとう」


 タケルは、何か良い言葉が思い浮かぶわけでもなく、そう返すしかない。


「俺達、友達だよな?」


 確認するように、彼女が言う。

 タケルは、口から声を発しようとする。けれども、言葉が重たくて、中々喉を通過してくれなかった。


「ああ、友達だ」


 喉から出てきたのは、諦めるという宣言。


「なら良かった。じゃあ、昨日は変なことになったけど、忘れようぜ」


 そう言って、彼女はタケルから体を離して、去って行った。

 その後姿を、タケルは未練がましく見つめ続けていた。

 その華奢な体躯が好きだった。その男勝りな性格が好きだった。けれども、全ては過去のことにしなければならないのだ。

 タケルはしばし、その場に立ち止まって、自らの失恋に浸った。

 彼女が去っても、ずっと。


 そして、願った。次は笑顔で会えますようにと。

 その点は、きっと大丈夫だろう。彼女は、男勝りな性格だ。こんなこと、きっと、気にもとめはしないのだろう。

 ならば、何も変わらないではないか。

 ただ、恋が一つ終わっただけだ。

 タケルは苦笑して、剣術科の寮への道をゆっくりと歩み始めた。

 こんなすれ違いを繰返して、いつか自分を受け止めてくれる人の元に辿り着く。そんな予感があった。

 この日、タケルは一歩大人への階段を進んだ。


次回、百人の敵?

キスをしたことで逆にすれ違う二人の心。

そんな中、町の外に百人の死神が現れたという報告が舞い込んでくる。


ストックはできているのですが、修正の必要が出てきました。

多分今回も来週末に投稿できると思います。

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