9.セカンドキスも突然に?その1
くじ引きをする。最後まで当たりクジが残っている可能性はどれほどだろうか。
青は確率の偏りを感じずにはいられなかった。
「はい、アオ、さっさと引きなよ~」
「剣術大会の優勝者権限で最後まで残ったのよ。潔く引こうよ」
そう言って、舞姫科のクラスメイト達が迫ってくる。同時に、紐を一本持った手が押し付けられる。
隣のミヤビは涼しい表情だ。それはそうだろう。二分の一の確率で当たりを引かずに済んだのだから。彼女の持っている白い紐が、左右に揺れている。
青は観念して、クラスメイトが握る紐を引いた。紐の先端には、赤い印がついていた。当たりの証だ。
「大当たり~!」
食堂の片隅で喝采が起きる。
「あらあら、当たっちゃったねえ」
ミサトは完全に、面白がっているようだ。
「アオちゃん、逆に考えようよ。これは良い機会だって」
自分の恋を見つけたミチルは気楽な物言いだ。その対象が青ということは彼女自身も知らない。
「観念なさいよ~、アオ」
「そうそう。どうせいつも目立ってきたんだからさー、今更ちょこっと目立つぐらい平気でしょ?」
「そうだよねー。アオと言えばいつも目立ってるものね」
舞姫科の同級生達の感想は容赦がない。
仕切り役のサクヤが、人差し指を立ててまとめにかかった。彼女は、ミチルの元ルームメイトだ。
元、というのは、ミチルは今は青とミサトのルームメイトになっているからだ。前回の一件があってから、リッカのミチルに対する扱いは青に対する扱いと同等になったらしい。
「じゃあ、アオは今度の学園祭、男の子を誘って一緒に出歩くこと!」
黄色い声が飛び交う。
「お前らは面白がっていいけどよー。俺は男だぜ。男と歩こうと別段不思議はねえよ」
青はあぐらをかいて、赤い印がついた紐を指で前後に回転させながらぼやくように言う。
青にとって最悪のケースは、ミチルが罰ゲームを受けるハメになることだった。それを避けられるならば、多少の犠牲は容易いものだ。
本当ならば、ミチルと一緒に学園祭を回りたかったという気持ちは捨てきれないが。
「またまた~、アオちゃんったら照れ隠し?」
「舞姫科公認カップルが生まれるかもね~」
「それって凄くない? 私達キューピットだよ」
周囲は勝手に盛り上がっている。
「どうにでもしてくれ」
青は溜息を吐いた。
「じゃ、当日まで相手を見つけとくんだよ。アーオ」
そう言って、サクヤは青の顔を覗き込んで悪戯っぽく微笑んでみせた。
食事が終わって、青はミチルとミサトと共に学園内を歩く。今日は雲が厚い。外の闇は深く、一歩でも外に出れば飲み込まれてしまいそうだった。
「それにしても、大変なことになっちゃったねー、アオちゃん」
ミチルが、慰めるように言う。
「良い機会だってミチルも囃し立ててたじゃん」
からかうように言うのはミサトだ。
「それもそうだけど、ちょっと可哀想かなって」
「可哀想がられても惨めだ……」
青は思わず溜息を吐く。ミチルが、慌てたような表情になった。
「ごめん、ごめんアオちゃん。真剣さが足りなかったよ」
こんな時でも彼女は誠実だ。それが、青の心を和ませる。遊びでカップルを作ろうというサクヤ達とは大違いだ。
「いいさ。こんな時はタケルにでも頼む」
「おや、ちょっとは悩むものだと思ってた」
ミサトが、意外そうな表情で言う。
「そうだねえ、アオちゃんにはタケルくんがいたね」
ミチルは、安堵したような表情だ。こちらはこちらで、何か勘違いをしているらしい。
「意外か?」
「意外っていうか、もっと慎重だと思ってた。アオちゃん外見はいいからね。相手を本気にさせるのは避けるかと思ってたんだ」
「俺とタケルは友達だよ。友達に本気も適当もない」
「相手は本当にそう思ってるかな?」
ミサトは、含み有りげな表情で笑った。
そう言われると、青は少々躊躇いを感じてしまう。タケルは一貫して青を女として丁重に扱う。それが青にとってはくすぐったい。
けれども、惚れた、腫れたの関係になるには、二人の時間は足りていないように思えるのだ。
それを告げると、ミサトは意地の悪い表情になった。
「恋に時間は関係ないわよ。知らないなー。私、相手が本気になったって相談されても知らないよー」
「タケルに限ってそんなことはないと思うけどなあ」
「アオちゃんは自分の容姿に対する自覚が足りないね」
ミサトが、釘を刺すように言った。
それほど、今の自分の容姿は魅力的なのだろうか。青は戸惑うような思いに包まれる。
確かに胸が小さいのを除けばスタイルは悪くはないし、水に映る顔も十人並みに見える。
「いつかトラブルの元になるよ、それ」
ミサトの声は、予言のような不吉な響きが含まれていたのだった。
二人と別れて、剣術科の生徒を捕まえてタケルを呼んできてもらう。タケルは、駆け足ですっ飛んできた。
「やあ、アオ。剣術大会以来だね! 珍しいこともあるもんだ、アオから呼び出してくれるだなんて」
タケルは上機嫌だ。ミサトの声が脳裏に蘇ったが、今縋れるのは彼しかいない。
「いや、それがさ。舞姫科の罰ゲームでさ」
「罰ゲームで俺に会いに来たわけ?」
タケルが、とたんに落胆したような表情になる。青は、感情が表に出やすい犬の相手をしているようだと思う。
「いや、違う違う。話には続きがあって、学園祭を一緒に男と回って来いって罰ゲームなんだよ。けど、俺、男の知り合い少ないだろう? 頼めるのもタケルぐらいしかいないくてな?」
タケルは、再び表情を輝かせた。
「そんなことなら俺に任せといてよ。一日エスコートしてみせるよ」
「頼めるか」
青は、肩の荷が降りたような気持ちになる。
「おう、任せろ。楽しみだなあ、学園祭」
「いつかトラブルの元になるよ、それ」
ミサトの声が、脳裏に蘇る。
自分とタケルに限ってそんなことにはなるまい。青は、そう考えなおした。
何せ、自分達は男同士なのだから。
部屋に戻ると、ミチルは既に寝入っていた。ミサトは手に炎を浮かべて本を読んでいる。
ミチルの寝顔は、青にとってはこの世で一番愛おしいものだ。しかし、それを眺めていては失礼なので、青はすぐに二段ベッドの上に入って布団をかぶった。
(この前は、ミチルとちょっと良い感じになりかけたと思ったんだけどなあ……)
男の時の自分に状況を引っ掻き回されているようで、青としては少々面白くない。ただ、ミチルが男の時の青に惚れているせいで、猶予がある状況だということも確かだった。
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「学園祭の時、ハクちゃんとイチヨウくんはミチルちゃんの。ジンくんとシホさんはアオの護衛を頼みます」
学長室で、リッカが片手を机に置いて言った。
「ちなみにこれ、決定事項だから~」
「俺は構いませんが」
ジンは気だるげに言う。
「しかし、水際で敵を阻むことはできないんですか?」
そう言ったのは、イチヨウだ。
「それぐらいは私も対策したわよ~。この前の剣術大会の時にね。入場には身分証明書を提示しなければいけないことにしていたし、町に入る者のチェックも完璧だった。けれども~、奴らは現れた。この前の森で百人規模の犠牲者が出ただろうに、近隣の村はもちろん、それより遠くに範囲を広げても行方不明者は一人もいない」
部屋に沈黙が漂う。ならば、あの死神達は一体どこから現れたというのだろう。
「彼らは、遺跡に現れるモンスターなどと同じ、ということですか?」
シホが、疑わしげに言う。
「そう考えると一番納得がいくのは確かよ~。アオの……異世界からの来訪者が鍵となって、魔力が何処からか何処かに流れつく。そこに一定の魔力が貯まると、彼らが生まれるようになる」
「神出鬼没というわけですか。やり辛いな」
シホが、苦い顔になる。
「ハクに広い範囲の探知を徹夜でこなせってのは無理ですよ」
イチヨウが、拗ねたような表情で言う。
「ハクにばかり無理をさせていれば、そのうち魔力の供給が追いつかなくなる」
「イチヨウ、私は大丈夫……」
「ハクは黙ってろ」
「そこは、一応対策を打ってもらったわ~」
真剣なイチヨウを眺めて、リッカが苦笑顔で言う。
「ジンくんに、魔物の出現を封じるアイテムを町の四方に置いてもらったの。奴らはもう、町の中に出現することはない。町の外から入ってくることはあるかもしれないけれどね~」
「あんまり効果に期待されても困りますがね。俺が作れるのは精々、弱い魔の出現を制約するぐらいのものだ。限界を超えれば結界は壊れる」
「……敵が限界を超えて溢れ出さないことを祈りましょうか~。我ながら危険な要素を抱え込んでいるものだと思うわ」
そう言ったリッカは、溜息混じりだった。
「しかし、思うの。魔力が流れ込んでいるということは、何処かしらに魔法陣があるってことじゃないかしら~。それは多分、そんなに遠くではない。ハク、何か臭いでわからないかしら?」
「この周辺一帯には、元々微かに異様な臭いがする……。何処かに何かがあっても、おかしくはないと思う」
「魔法陣の探索に兵を割くか~。町の防衛、敵の本拠地の探索、両立しなきゃいけないのが辛いところよね~」
リッカが、この周辺一帯の地図を広げた。生徒達が以前襲撃された箇所には、バツ印がつけられている。
「アオの探しているという魔法陣。それも、案外近くにあるのかもしれない……」
リッカが呟くように放った言葉が、暗い闇の中に溶け込んでいった。
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学園祭の当日がやって来た。入場客は入り口で身分証明書を提示し、それを見て衛兵が名前を記帳していく。
アカデミーの中は、人でごった返していた。
今日ばかりは、アカデミーが完全開放される日なのだ。
アカデミーの前の庭や、教室では、様々な催しが行われている。
肉を魔術で焼く生徒、客と共に空を飛ぶ生徒、宙に浮く土の球を配る生徒、様々だ。
(ミチルと一緒に過ごしたかったなあ……)
そんな未練がましいことを、アオは思う。
しかし、今日の学園祭は遊びではない、とリッカに釘を刺されてもいたのだ。
「今日の学園祭は~、町の人々との交流です~。これを疎かにしていては、町の人々との距離が生まれます。皆さんは親交を深める意味で、ミスや揉め事は許されないと思ってください~。普段の授業より緊張して対処するように」
朝礼でリッカが語ったのは、そんな内容だった。
そんな中で、青だけは仕事を免除されている。舞姫科の生徒達が、分担して青の仕事を引き受けてくれたのだ。ありがたい友情もあったものだと思う。
「おーい、アオー」
タケルの声が飛んでくる。アオは振り向いた。人混みの中で、タケルが、駆け足で近寄って来ていた。
「何処から回ろう」
そう言って、タケルは自然な動作で青の手をとった。少し抵抗したいような気持ちがあったが、青は素直に彼に従うことにした。
今日一日世話になるのだ。手を繋ぐぐらいサービスしてもバチは当たらない。
「どんな催しやってるんだっけ」
「広い教室一個を貸しきった化け物屋敷とか、剣術魔術体験コースとか、魔術科のマジックアイテムを作ろうってコーナーもあるな」
「下調べばっちりだな」
半ば呆れ混じりに青は言う。
「そりゃそうだろう。今日は一日アオをエスコートするんだ。完璧にこなしてみせるよ」
その気合が空回りしなければ良いが、と青は思う。
少々、照れ臭かった。自分との時間の為に、タケルが時間をかけて下調べをしてくれたことがだ。だから、彼の気合に付き合ってやるか、という気分に自然となっていた。
「今日は、一日楽しむか」
「おう、楽しもう!」
「よろしくな、タケル」
「ああ、よろしく、アオ」
二人は、普段歩き慣れた、けれども普段より何倍も賑やかな校舎の中を、人混みをかき分けて歩き始めた。
タケルが前を歩き、人混みの中に道を作っていく。その後を、青が軽々と歩いて行く。まるでお嬢様扱いだ。
(俺は男だって言ってるんだけれどなあ)
しかし、誤解をしていることでこの友人が女子と一日を一緒に過ごすと錯覚するならそれはそれで悪いことではないのかもしれない。
もちろん、青には彼に結婚まで付き合うような気はさらさらないが。
まず、最初に連れて来られたのは、広い教室を一室貸しきって作られた化け物屋敷だった。
入り口には垂れ幕がかけられ、内部には暗く細い道が作られていることがわかる。
受付の生徒に、タケルが言う。
「生徒二人、入ります」
「はい、生徒二人ご案内~。武器などがあればお預かりします。内部のものはけっして壊さないでくださいね~」
受付の生徒は、営業スマイルでそう言うと、タケルの腰の木剣を預かって二人を内部へと送り出した。
暗く細い道を、二人で歩く。
「化け物屋敷ってことは、化け物が出てくるってことだろうな」
淡々と、青は言う。テーマパークのお化け屋敷みたいなものだろう。
「何が出てきても、俺がアオを守ってみせるよ」
自信たっぷりにタケルが言う。
青はなんだか照れくさくなってきた。
「その、お前、一貫して俺を女扱いするよな」
「それはそうだよ、アオは女じゃないか」
「……男なんだけどな」
「君のその主張も粘り強いね。それじゃあ君、生えてるって言うのかい?」
からかうようにタケルは言う。
「生えてないです。今は」
青は小さくなるしかない。
この前は生えていたのだ。それが今は生えていない。それだけで人が自分を見る目は大違いだ。
そのうち、二人は小さな井戸の前にたどり着いた。どこからか、ひんやりとした空気が流れ込んでくる。
「殺した……殺した……」
どこからか、声が反響する。か細い、女の声だった。
「あの女が私を、殺した……」
青は、背筋が寒くなるのを感じていた。これも魔術なのだろうが、音響効果が相まって、少しばかり怖くなるシチュエーションだった。
「殺したああああああああああ!」
叫び声が響き渡る。井戸から、腐って膨れ上がった人の水死体が現れる。腐臭が鼻を突き、体を包む寒気が増す。
これは、本物だ。
青は咄嗟に、体魔術を使っていた。そして、水死体に飛びかかる。それが、すんでの所でタケルを引きずって止まった。
「ちょっと、タンマタンマ」
焦ったような声が聞こえてくる。
水死体の姿は消えて、そこにはアカデミーの制服を着た女生徒の姿があった。
「ちょっと、勘弁してよ。体魔術を使ったパンチなんて貰ったら、内臓が破裂しちゃうわ」
そう言って、生徒は呆れたように言って小さな作り物の井戸から出てくる。
「幻術よ、幻術。本物の幽霊なんているはずもないでしょう」
身も蓋もないことを言う。
青は、いつの間にか肩に入っていた力を抜いた。
「魔術科ってのは、幻術も教えるのか。悪戯し放題だな」
青は、呆れたように言う。いつの間にか青の手を両手で握りしめていたタケルが、安堵の表情で片手を離したのが見えた。
「習得できる生徒は数少ないんだけれどね。本当は召喚獣を呼んで遊んでもらう平和なコーナーだったんだけれど、急に皆召喚獣が使えなくなってさ。ホラーな路線に切り替えたってわけ」
「急造にしては立派だよ。この先にも、幻術が?」
「いんや。幻術を使える生徒は数少ないから、ここだけ。それにしても、あんた、変な子ね。さっき来た時は、男の腕に縋り付いていたのに」
拗ねたような魔術科の生徒の言葉を聞いて、青は疑問符を浮かべるしかなかった。
「さっき来た時? さっきも何も、俺は来たのが今のが初めてだぞ?」
「あら、そう」
魔術科の生徒は、何かを察したように妖しく微笑んだ。
「なら、貴女は二人いるのかもしれないわね」
どういうことだろう。青はタケルと顔を見合わせて、戸惑うしかなかった。
「誰かと、先に来てたのかい?」
「来てないよ」
「本当に?」
「本当本当」
廊下に出てから、タケルはすっかりと拗ねてしまった。この調子で一日を過ごされても困る。
「……こうすりゃ、機嫌も直るか?」
そう言って、青はタケルの腕に縋り付いてみせた。タケルの体が硬直したのがわかる。
「……うん、直った」
タケルは顔を真赤にして、青の体を引きずって前へと歩いて行く。
ひとまずは安心だ。しかし、あの魔術科の生徒の発言はなんだったのだろう。
青が二人いる? そんなわけないのだ。
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ミチルは、ミサトと学園祭の中を歩いていた。
実情は、ミサトに振り回されていると言っても良い。
ミサトときたら、客を連れて飛んでいる生徒がいればその真似をしてミチルを空に浮かすし、化け物屋敷で幻術を使った生徒がいればその真似をして幻術を使う。
まるで学園祭を茶化して楽しんでいるかのようだ。
「ミサトちゃんは魔術が本当に堪能なんだねえ……」
半ば、呆れたようにミチルは言う。
「生まれ持った魔力のキャパシティが少ないから、何処まで行っても半端者だけれどね。里からも、見捨てられたようなもんさ」
ミサトは、いつもの笑顔で言う。
「見捨てられたって……里の人は、ミサトちゃんを舞姫科に送り出してくれたんじゃないの?」
ミサトは国外から来た学生だ。その旅費も、一人では賄えなかっただろう。
「まあ、色々裏があるのさ。さ、次の魔術はどんな魔術かな~。真似してやっるぞ~」
ミサトは、そう言ってどんどん先へと行ってしまう。
ミチルは、悲鳴を上げたいような気持ちになった。
「ミサトちゃん、他の生徒をからかうような真似するの、やめようよ」
「からかってなんかないよ。挑戦してるの」
それならそれで、より性質が悪い。
「……アオちゃんは、どうしてるかなあ」
ふと、ミチルは友人のことを思った。
「タケルと楽しくやってるでしょ」
ミサトは愉快げに笑って言う。
「自分は男だって自称してるアオちゃんが、男の子とデートしても楽しいのかなあって」
「……不安なんだ?」
ミサトは、含み有りげな笑顔で言った。
ミチルは、慌てて弁解する。前回は、この友人にまんまと誘導されて変な方向に思考をやってしまったのだ。今思えば、女の子同士で恋愛するなんてミチルの価値観にはないことだ。
「そういうわけじゃないよ。ただ、アオちゃんは本当に男の子みたいだから、いつも心配だなって」
「そっかそっか、ミチルはいつもアオちゃんの心配をしているわけか。アオちゃん可愛いもんね?」
「もう、違うよ。そんなんじゃないって」
「ミチルは本当はアオちゃんのことが気になって仕方がないんじゃないの?」
「もう、怒るよ?」
そう言いあいつつ、二人で歩いて行く。
その時、ミチルは見慣れた顔を見つけて、表情を崩した。彼女は、人混みの中、ゆっくりとこちらに向かって歩いて来ている。
そして、彼女が何をしているかを見て、ミチルは顔から表情が消えていくのを感じた。
彼女は、外部の男と腕を組んで、仲睦ましげに語り合いながら歩いて行った。
「あれ、今外部の人と腕組んでたの、誰だっけ」
からかうように、ミサトが言う。
「……見間違いかな。普段のアオちゃんの言動とかけ離れてる」
「いや、私も見たしねえ?」
そう言って、ミサトは滑稽そうに笑う。
「今、どんな気分?」
ミサトは、そう言ってミチルの顔を覗き込む。興味深気な表情だった。
「裏切られたような気分?」
「そんなんじゃ、ないよ」
そう言って、ミチルは前を歩き始めた。けれども、暗い気持ちが心の何処かにあるのは否定できなかった。
怒りも、ある。人に意識させるような発言をしておいて、いざとなったらすぐに男に走る。それは節操のない行動ではあるまいか。
そこまで考えて、自分も人のことは言えないか、と脱力することになるのだが。
「いや、私も変だと思うんだけれどね。あんなの、アオらしからぬ行動だ」
そう言って、ミサトはしばらく後方を眺めながら歩いていたが、相手を見失ったのだろう。すぐに前を向いて歩き始めた。
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「オキタアオ、待ってくれよ~!」
アオは、呼び止められて振り向いた。
見ると、見知らぬ若者が縋るような目つきで青を見下ろしている。
「俺が悪かった。君への発言の配慮が足りなかった。だから、もう一回僕と一緒に遊んでよ」
若者は真摯な口調だ。
「この人、誰?」
タケルが、疑わしげに訊いてくる。
「知らない」
と、青は言うしかない。
実際に知らないのだから、そうとしか言いようがない。
しかし、今の状況は、周囲から見れば愁嘆場か、はたまた修羅場だ。
「頼むよ、アオ。君ともっと話していたいんだ」
「いや……だから俺はあんたのこと、知らないって」
「他の男を見つけたからって、そりゃないだろう?」
若者は、悲鳴のような声を上げる。
タケルが、青の前に出た。
「アオはずっと、俺と一緒にいたよ。あんたは人違いをしている」
「そんなわけない! その容姿を、見間違うわけがない!」
「なら、感違いだな。アオは男好きじゃない。外部の人間と、それも男と、特別な関係になるわけがない。行こう、アオ」
そう言って、タケルは青の手を引いて歩き始めた。
「……信じてくれるんだな?」
青は、少し照れくさいような気分だった。
「信じるも何も、君は俺とずっと一緒にいた。それに、冷静に考えてみれば、普段の君の言動から見ても、怖いからって男に縋り付いたりするのはおかしい。君は、そんな女じゃない」
「けど、変だな。相手も俺のことを知ってるような口ぶりだった。ありゃあなんなんだろうな……」
「アオが二人いる、と考えたほうが良さそうだな」
青は、ある考えに辿り着いて、思わず声を上げそうになる。
「幻術か」
「幻術を使える生徒は魔術科でも少ないと聞いた。数なら、絞れる」
そう言ったタケルは、酷く不機嫌そうだ。
「……怒ってるのか?」
「ああ、怒ってる」
不安が的中して、青は小さくなりたいような気分になる。
「君の名誉が傷つけられている。その事実に、怒ってる」
青は、その言葉に、温もりを感じた。この男と友人で良かったな、と思った。
その時、青はミサト達と遭遇した。
ミチルは、珍しく冷たい表情をしていた。
「さっきは別の男の人にくっついてたと思ったら、今度はタケルくんと手を繋いでる」
「ミチルー、そういうこと言ったら修羅場になるよ?」
「修羅場が何って言うのさ。私はそんな節操のないアオちゃんに呆れてるんだよ」
ミチルが怒っているのなんて、酒場で働くと決めた時以来だった。
青はタケルと手を離して、ミチルの肩に両手を置いた。
「なあ、ミチル。その俺って、どっちに向かって歩いて行った?」
「どっちって、そっちだけど」
そう言って彼女が指差したのは、青達がやって来た方向だ。
「くそっ、すれ違ったか」
「どういうこと?」
ミチルが、不思議そうな表情になる。
「アオが二人いるんだよ」
タケルが渋い顔で説明する。
「説明になってないよ、それじゃあ」
ミサトがからかうように言う。そして、タケルが口を再度開くのを待たずに、自ら発言した。
「ま、幻術だろうね。誰かが、アオの容姿を借りて悪さをしていると」
「酷い……!」
ミチルが、怒りの声をあげた。
「私はサクヤに話を通してくる! 皆はアオちゃんの偽物を探してて!」
そう言って、ミチルは駆け出して行ってしまった。いつにない俊敏さだった。
「あの子があんなに真剣に走ってるとこ、初めて見たなあ」
ミサトが呆れたように言う。
「じゃあ、探そっか」
ミサトの指示に従い、青達は元来た道を早足で歩き始めた。
中々、件の生徒とは遭遇できない。
「ミサト、魔術で探知することはできないのか?」
「できるっちゃーできるけれど、相手が幻術を使ってる最中じゃないと無理じゃないかなあ。タイミング次第で時間のロスになる」
「けれども、やらないよりはマシだろ」
「それもそうだね」
立ち止まって、ミサトの手を握る。ミサトの魔力が、青の体内に入り込んでくるような感覚があった。
色々な臭いが混ざり合って青の中に入って来た。それもそうだ。考えてみれば今日は、学内のあちこちで魔術や神術が使われているのだ。
「臭いが混ざり合ってる……」
「その中で目的の臭いを探して……って言っても、アオちゃんに幻術の臭いを嗅ぎ分けろって言っても酷か。そもそも、幻術の臭いを知らないんだものね」
そう言って、諦めたようにミサトが手を離す。
三人して、仕方がなく再び道を歩き始めた。
「オキタアオ~!」
前方から、手を振る若者が近づいて来た。
「酷いよ、置いてきぼりにするなんて」
青は、思わずその若者の襟首を掴み上げる。
「その俺は、何処であんたを置いてけぼりにしたんだ?」
「何処って、化け物屋敷……」
「ありがとなっ」
そう言って、青は化け物屋敷へと駆け始めた。タケルがその先を駆けて行く。相変わらず、化け物じみた身体能力だ。
「ちょっと待ってよ~……」
遠く後ろから、ミサトの声がした。けれども、今は一刻も争う状況だった。
「あら、常連さんね。そんなに気に入った?」
化け物屋敷の受付の女生徒が、滑稽そうに笑う。
「生徒二人、入る」
タケルが、淡々とした口調で言う。
「はい、生徒二人ご案内~」
その言葉に背を押され、青は教室の中へと入っていった。タケルの手が、青の手を掴む。力強い手だった。その手に篭もる力に、青は少しだけ心をほだされるのを感じる。
タケルは真剣に、青のことを心配してくれる。青のために怒ってくれている。そのことが、嫌というほど伝わってきたからだ。




