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8.剣術大会は突然に?その3

 闘技場は、歓声で埋め尽くされている。始まったばかりの頃は、皆、静かに観戦していた。それがここまで盛り上がるということは、剣術科、舞姫科の生徒の腕をそれだけ認めてくれたということなのだろう。それが青にはくすぐったい。

 決勝戦の舞台がやってきた。


 ミチルとミサトが、闘技場に繋がる階段で、青とミヤビを見送りに来た。


「頑張ってねー」


 ミサトが、気楽な調子で言う。


「相手、化物みたいな強さだったけど」


 余計な一言を付け加えるのも忘れない。


「それはジン先生みたいに強いってことか?」


 青は、背筋が寒くなるような思いで問う。


「流石にジン先生レベルではないかな」


「なら、勝ち筋はある」


 青は、安堵の息を吐いた。

 ミチルは、複雑気な表情をしていた。


「あのね、私、アオちゃんのお願いについて考えたんだけれど……」


「うん」


「多分、きっと、一杯戸惑うと思う」


「うん」


「けど、前向きに考えてみようと思う」


 青は、表情が綻ぶのを感じていた。


「その一言だけで、応援には十分だ。俺、勝つよ」


「うん。本当、男の子みたいだね」


 ミチルは、苦笑顔だった。


「応援があろうとなかろうと、私達は勝つだけですわ。行きますわよ、オキタアオ」


 そう言って、ミヤビは前へと進んで行く。青も、その後に続いた。

 闘技場の中央で、相手の来訪を待つ。敵は、程なくやってきた。その片割れを見て、青は思わず口を開いた。

 相手の顔ぶれは、タケルとキク。

 強いとは聞いていたが、まさか化物と称されるほどの強さだったとは。


「構えて~!」


 リッカの声が、場内に響き渡る。


「私はフクノキクをやります。貴女は男の方を」


 ミヤビが耳打ちしてきたので、青は頷いて木剣を構えた。


「はじめ!」


 四人は、各々横に動いた。一対一の邪魔をされまいとするかのように、味方と距離を置いたのだ。

 そして、青はタケルと向かい合った。彼は、切なげな表情をしていた。


「本当は、君を木剣で叩くようなことはしたくない。降参してくれ」


 そう言って、彼は腰の位置で木剣を構えている。

 隙がなかった。

 いつもは頭に響くジンの声も、こんな時は聞こえてこない。


「ここまで勝ち残った君ならわかるだろう。君と僕との間にある実力差が」


 負けるわけにはいかない。この戦いには、ミチルとの関係がかかっているのだ。

 青は、隙を作ろうと打ちかかった。

 しかし、相手は安々とその木剣を受け止める。

 木剣と木剣がぶつかる乾いた音がした。

 横では、その乾いた音が忙しなく鳴りあっている。ミヤビとキクの戦いは、青とタケルの戦いと違って激しいものとなっているのだろう。


 その時、タケルの木剣が青の腹部を叩こうと横に薙がれた。それを木剣で受け止めて、青は蹴りを放つ。それを安々と回避したかと思うと、相手は鋭い突きを放ってきた。一瞬で全体重を乗せた、高速の突きだ。


 死ぬ。そう思った時には、体が勝手に反応して辛うじて回避していた。しかし、真剣ならば胸に傷ができていただろう。

 思わず、後方に数歩引く。

 これは、たまらない。剣の腕も、素速さも、相手のほうが上だ。これでは、勝ち筋がない。


「どうした、アオ! 相手の動きを読むんだよ! 隙がないなら作るんだ!」


 ジンの叫び声が、歓声に揉まれながら観客席から聞こえてくる。

 青は、心の中では白旗を上げているのかもしれない。何せ、腕でも素速さでも負けているのだ。それを読みだけで覆すのは非常に困難のように思える。その細い綱渡りができる度胸をもった人物こそが、ジンのような剣士になれるのだろう。

 その時のことだった。


「アオちゃん、頑張って!」


 ミチルの声が、聞こえた。

 それだけで、青の心に勇気が湧き上がってきた。目の前にあるのは崩せそうもない鉄壁。しかし、崩れぬからと諦める道はない。ただ、ただ打ち続けるだけだ。

 青は動き始めた。木剣を打つ、打つ、打つ。相手は上手く回避して、反撃に繋げる。それを先読みすることで回避して、さらに打っていく。


(前にしか道はない……!)


 青は真剣に、しかし冷静さを保ちながら、打ちかかっていく。

 相手の突きが、その時青の予測を超える速さで打ち出された。

 辛うじて回避する。脇腹を掠められた。この突きが厄介だ。ただでさえ素速い上に、当たりどころ次第では一撃必殺の攻撃となる。


 打ち合いも、芳しくない。素速さは相手が上。どうしても、一手二手と遅れていくことになる。

 青は、二歩、三歩と後退した。相手は追いかけてこない。ただ、静かな眼で青を見ている。それは崩せない壁のように見えた。


「君は強いな、アオ」


 感心したようにタケルは言う。

 隣からは、木剣同士がぶつかり合うけたたましい音が鳴り響き続けている。


「嫌味にしか聞こえないな」


「いや、剣術科にも君ほど使える人間はそうはいない。ただ、俺が剣術科のトップだったというだけの話だ」


 タケルが、苦しげな表情で言う。


「降参してくれ」


 沈黙が漂った。

 歓声も収まり、二人の様子を伺うように視線が集まっている。

 青はタケルの木剣を見て、しばし考え込んでいたが、そのうち溜息混じりに言った。


「やっぱり、剣術科の生徒相手に横着して勝とうってのは虫が良かったか」


「横着、だと?」


「この戦いは、俺にとっても負けられない戦いだ。奥の手を出させてもらう」


「奥の手、だと?」


 青は、体内の門に魔力を集めるイメージを持つ。そのまま、魔力を門へと留まらせた。門の入口が眩い光を放つのが目に見えるかのようだった。

 次の瞬間、青は地面を蹴っていた。

 三歩の距離が一瞬で無に帰す。そして青は、タケルに木剣で打ちかかっていた。それは、今までにない鋭い一撃だった。

 それを木剣で受けたタケルは、徐々に押されていく。彼は、信じられないものを見るかのような表情だ。

 その腹部に、蹴りが突き刺さった。青は、木剣で相手を抑えたまま、片足を上げて蹴りを放ったのだ。片足だけで相手の剣を押す体を支えていたということになる。

 タケルはたまらず後ろへとよろける。そこに、追撃の一撃を青は放つ。


 鋭い突きが放たれた。タケルの突きだ。青はそれを辛うじて回避して、一撃を相手の肩へと繰り出そうとする。しかし、突きの勢いもそのままに体当たりをしてきたタケルに押された。しかし、彼女は後退しない。

 青が鋭く振った剣を、タケルは慌てて後退して避ける。その剣速は、さっきまでとは比べ物にならない。


 タケルと青の実力は、今、青の身体能力の急激な向上によって拮抗したと言っても良いだろう。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


「突如オキタアオの動きが変わったな」


 セツナが、苦い顔になる。


「リッカ、お前、これを知っていたな?」


「いいえ~。私は可能性に賭けただけよ。彼女達はそれに応えてくれた」


 リッカは涼しい顔で言う。

 リッカは彼女に、マリにもハクにもなれると発破をかけていた。それが何らかの形になる予感はあった。


「あれは、拙いが体魔術か」


「体魔術?」


 ジンの言葉に、イチヨウが戸惑うような表情になる。


「マリが使っている魔術だよ。身体能力を引き上げる技だ。まさか、見よう見まねで覚えるとはな……」


 ジンにとっても予想外の展開だったらしい。彼は上機嫌だ。


「アオの無尽蔵の魔力だ。身体能力はどこまでも向上する。これは勝ったかな」


 ジンは、イチヨウを煽るように言う。イチヨウは悔しげにそれを睨むしかない。


「それが、そうもいかないのよね~」


 ぼやくように言うのはリッカだ。


「ジンくんはアオちゃんの魔術の授業に関して見てないから知らないだろうけれど、アオちゃんは魔力のコントロールがすこぶる下手なの。それが体魔術なんて高等技術を使ってる~。身体能力向上の効果もそこまででもないみたいだし、今の状態がいつまで保つかはわからない……」


「なら、持久戦でタケルの勝ちだな」


 セツナが言う。


「短期決戦でうちのアオが勝ちますよ」


 ジンが言う。


「タケルならしのげます」


 祈るようにイチヨウが言う。


「キクとミヤビの戦いは一進一退。全部はアオとタケルにかかっている感じね~」


 リッカが評する。


「皆さん、エキサイトし過ぎではないですか……?先生ですよね?」


 様子を見に来ていたハクアが、呆れたように言う。

 痛いところを突かれた教育者達は、無言で試合に見入り始めた。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 こんなに強い相手だっただろうか、とミヤビは思う。

 キクとは以前手合わせしたことがある。その頃のキクは泣き虫で、ここまで手強い相手ではなかった。

 ミヤビが後継者失格とされて新たな道を模索している間に、相手は相手なりに、濃密な時間を過ごしてきたということだろう。


 木剣と木剣が激しくぶつかり合って、メロディーのように音色を立てる。

 お互いに動き続けて、呼吸は乱れ、腕は鈍る。それでも、意地を張り合うように木剣をぶつかり合わせている。


 負けたくはなかった。負ければ、自分が落ちこぼれだと認めることになる。キクの言葉を認めることになる。それは嫌だった。

 キクが数歩引いて、動きを止めた。

 ミヤビも、動きを止める。一気に、汗が吹き出てきた。今の二人には、休憩が必要だった。


「私は、貴女に憧れていたこともあった……」


 キクが、ミヤビの目を見ずに独白する。


「強くて、いつも気高くて。この人の作る道の後を続けば良いんだと信じていた」


 二人の呼吸が整い始める。

 二人の木剣の切っ先が、微かに揺れる。


「それが、人の見世物となる舞姫科。食い扶持を稼ぐためとはいえ、どこまで落ちぶれるって言うの!」


「私とて、父の領の後継者は自分だと信じていた。わからない話よ。どうしてこうなったのか、私にもわかりませんわ」


「それが貴女の限界なのよ! 私はその限界を、超える!」


 八つ当たり気味にそう叫んで、キクが打ちかかってきた。その二人の間を遮るように、一人の男が吹き飛んでいった。

 見ると、タケルが尻餅をついて腹部を抑えている。

 ミヤビのパートナーが、木剣を肩に担いでタケルに歩み寄っていく。


「本気出せよ、タケル。本気出さない奴に勝つなんて後味が悪い」


 タケルは、よろけながら立ち上がる。しかし、その目に戦意は失われていない。


「一緒に遊びたかったんだろ? 良い機会だ。俺とお前は五分五分と見た。恨みっこ無しで存分に遊ぼうぜ」


 タケルは、微笑んだ。呆れたように。感心したように。


「遊ぶ、か。まったく君は、いつもお転婆で、破天荒で……」


 その表情が、不意に真顔になった。


「そんな君に、意地でも勝ちたくなった」


 タケルが駆けて行く。その腕から、疾風のような突きが放たれる。それを辛うじてミヤビのパートナーは避けて、戦い続ける。


「オキタアオ。私の上へまた行くか……」


 苦笑したいような気持ちでミヤビはそれを見ている。


「キク、思うのです。舞姫科などで苦労している私は、そもそも後継者の器などではなかったのかもしれないと」


 キクが、戸惑うような表情になる。

 そもそも、タケルが吹き飛ばされた時点から彼女は狼狽していた。その狼狽が強まった形となるのだろう。


「けれども私は、ライバルと凌ぎを削っている今の自分が、嫌いではありません。良き友に、良きライバルに恵まれた今の時間が、嫌いではありません。私は後継者ではない。ただのミヤビ。それだけで十分だと、周囲の人々が思わせてくれた」


「何を……」


 キクが戸惑うように一歩を踏み出す。

 対して、今のミヤビに迷いはない。苛立ち任せに他人にぶつかっていた時の感情は、既に忘れている。

 ミヤビは不思議なことに、彼女が次にどう動くかも、自分がどう動くべきかも、手に取るようにわかっていた。

 周囲から音が消える。全ての動きがゆっくりに見える。その中で、ミヤビの意識だけが鋭敏に次の動きへと体を突き動かす。


 ミヤビは、キクの首筋を木剣でなぞっていた。

 世界に、音が帰ってくる。

 今のがジンの言う集中の世界なのだと、ミヤビは感じていた。確かに、不思議な感覚だった。負けることはないと思わせる感覚だった。


「私は、今も昔も気高い、強いミヤビです。変わったのは、私を見る貴女の目なのではないかしら、キク」


 キクは、悔しげにうなだれる。


「今日のところは、私の負けよ」


 そう言って、彼女は木剣を地面に落とした。

 ミヤビのパートナーとタケルの戦いが続いている。本来ならば、ミヤビが加勢すればその分有利になるだろう。けれども、ミヤビは邪魔にする気にはなれなかった。


「遊ぼうぜ」


 と彼女は言った。

 ならば、それを邪魔するなんて無粋ではないか。


「加勢に、行かないの?」


 キクが、戸惑うように言う。

 ミヤビが思ったことを説明すると、キクは戸惑うように苦笑した。


「……貴女はやはり、随分と変わった。それが良いことなのか、悪いことなのかは、今の私にはわからない」


 ミヤビのパートナーとタケルの戦いは激しさを増していく。

 自らの動きに慣れるかのように徐々に洗練されていく一方と、それに対応するかのように徐々に動きの精度を上げていく一方。

 二人とも、緊張感を楽しむように木剣をぶつけあっている。


「アオちゃん、頑張れー!」


 ミチルの声がする。

 あの子は、後のことは考えているのだろうかとミヤビは思う。約束を飲めば、それは相手を恋愛対象として認識させられるということに他ならないのに。


 その声に押されたように、ミヤビのパートナーの腕は前へと進んでいた。タケルが十八番としてきた高速の突き。それをそのまま真似たものが、タケルの腹部へと突き刺さっていた。


「……なるほど、この突きは受けたことがなかった。対応が遅れた、な」


 清々しげに苦笑して、タケルは膝をつく。


「そこまで!」


 リッカの声がして、華々しい歓声が周囲を包んでいた。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 リッカが闘技場の階段を降りて来た。

 決勝戦を戦った四人は、黙ってその言葉を待つ。


「ミヤビ。剣術科の生徒が混ざる中でのこの健闘、強くなったね~」


 リッカは、感心したように言う。

 ミヤビは、誇らしげに前を見ていた。


「今ならば話しても良いでしょう。ミヤビ、貴女のお父上が貴女を後継者から外したのは、貴女に期待していなかったからではありません。その逆です」


 ミヤビとキクが、戸惑うような表情になる。


「貴女ほどの才を持つものを、領主として閉じ込めることに躊躇いがあった。だから、貴女は自分で道を探すようにと家を出されたのです。舞姫科は、それを手助けする手段でしかありません。貴女は貴女の道を見つければ良いのよ~、ミヤビ」


 ミヤビは、微笑んでしっかりと頷いた。


「はい」


「オキタアオ」


 リッカが、青に向き直る。


「見よう見まねで良く体魔術を身につけました。それでもその上を行くタケルも見事としか言いようがないでしょう。腹部のダメージがなければ、結果は変わっていたかもしれないわね~」


 リッカが、キクの顔を見る。


「キクも、強くなりましたね。あの泣き虫だった貴女が、剣術科と舞姫科の頂点に後一歩まで迫った」


「まだ、タケルには劣っている自覚があります」


「焦らなくていいのよ。貴女達には時間がたっぷりある。可能性が沢山ある。それを覚えておくことね。さて」


 リッカが、悪戯っぽく微笑んだ。


「せっかく舞姫科の生徒が勝ったのです。記念に、舞を披露してもらいましょうか」


 青とミヤビは顔を見合わせる。こんな大勢の前で踊るのは初めての経験だ。


「どうせならばパートナーで踊るものがいいなあ。ソロじゃなくて。となると、一人がリードして、一人が合わせる役をしなければなりませんね」


「私がリードします」


「男の俺がリードする」


 ミヤビと青は、同時に言っていた。

 顔を見合わせて、言い争おうと口を開いて、そして先にミヤビがそれを閉じて苦笑する。


「今日の勝利は貴女の努力の賜物です。たまには貴女にリードを任せてみましょうか」


「任せろ。ペアの舞も授業でたっぷりやったからな」


 二人は、闘技場の中央で互いの腰に手をやってもう片方の手を握った。それは、抱き合っているように見えないこともなかった。

 そして、ゆっくりとしたステップで、闘技場を踊り始めた。


「貴女、ミチルに男と見られてどうするつもりなの?」


 青の動きに合わせて、ミヤビは踊っていく。


「言わなきゃ駄目か?」


「貴女達の関係は、親密に過ぎる気がします」


「命を救った、救われたの関係だからなあ」


 青が立ち止まって、握り合った方の手を掲げる。その下で、ミヤビは手と手を触れさせたまま華麗に一回転した。

 そして再び、互いの腰に手をやり、踊り始める。


「まあ、私には関係のない話ですけれどね」


 呆れたように、ミヤビは言う。


「ああ。ミヤビには関係のない話だ」


 苦笑交じりに、青は言う。

 ミヤビの爪が、腰に食い込んだ。


「……痛いです、ミヤビさん」


「ごめんなさい。なんかイラッとしちゃって。なんでなのでしょうね?」


 ミヤビは、自分でも不思議そうにそう言っていた。


「不思議ね」


「何がさ」


「貴女にリードされるのも、そう悪くない気分だということです」


 それは、どういう意味なのだろう。深く考えようとしてみたが、そもそも浅い考えしか湧いてこない。

 全てが終わり、二人は観客席に礼をする。

 観客席から喝采が起こる。


「それでは、アカデミーの剣術大会を終わります。参加者も、観客の皆様も、お疲れ様でした!」


 リッカの声で、さらに会場を包む声が大きくなる。

 その熱狂も、一瞬。青が観客席に辿り着く頃には、周囲は閑散としていた。

 ミサトが、ミチルのルームメイトと観客席に座っていた。


「ミチルは?」


「ああ、おめでとうアオちゃん。ミチルなら結果を見て、ちょっと考え事してくるって去って行ったよ」


「そっか。ちょっと探してみるかなあ」


「ああ、話したいから、夜になったらアカデミーの裏庭に来て、だってさ」


「そっか」


 話したいことは、沢山あった。伝えたい気持ちも、沢山あった。それも、夜までお預けということらしい。

 やっとのことで、ミチルに男性として見てもらえるのだ。そんなこと、可能なのだろうかと青は思う。何せ、青の外見はどこからどう見ても女性なのだから。

 それでも、約束は約束だ。

 拒絶されるかもしれない、という恐怖が胸に湧く。それでも青は、前に進みたいと思った。


 焦れるような気持ちを抱えながら、夜がやって来た。舞姫科の生徒達は、食事の時間だと食堂に向かう。青は裏庭に向かって駆け出していた。

 期待に満ちた気持ちで裏庭へと躍り出る。そして、予想外のものを見た。それは、ミチルを抱えている黒装束の男達。

 剣術大会の開催に合わせて忍び込んだのだ。そんな推測が、即座に脳裏に浮かぶ。


 剣はない。状況は圧倒的不利だ。しかし、体魔術を限界まで使えば、マリのように戦えるかもしれない。

 青は、心の中の門に魔力を集中させるイメージをもった。

 後ろから殴られて、意識が遠くなったのは、その時のことだった。


「どうしたことだ。空間の捻れを生じさせている存在が二人いるぞ」


 男の一人が言った。空洞の中で反響するかのような声だった。


「どちらかが当たりということか」


「いっそ、二人とも殺してしまえばどうだ?」


「駄目だ。奴は力を貯めて、次の適応者を呼ぶだけだ。契約を交わさせたまま、適応者の動きを止める必要がある」


 まるで、感情の篭ってない声のやり取りだった。


「二人とも運んでしまおう」


 そう言って、青は自分の体が持ち上げられるのを感じていた。

 このまま、ミチルと共に拐われてしまうのだろうか。

 自分だけなら構わない。けれども、ミチルが犠牲になるのは絶対に嫌だった。行く場所も知識もない自分を助けてくれたミチル。彼女を救えずに何のための魔力か。


 しかし、青の魔術では今の状況は打破できない。青は魔術の詳細なコントロールが出来ない。無理をすれば、ミチルまで犠牲になってしまう。

 ならば、どうすればいい。

 気が狂いそうになるほどに青は自問自答する。


 力が必要だった。

 新しい、状況を打破するような、力が必要だった。青は必死に思考する。未だかつてないほどに思考する。頭痛がして吐き気がするほどに責任感を持って思考する。


 そのうち、体の中で絡まっていた糸が、一本、二本、と自由になっていくのを感じていた。


 青の意識が、元に戻る。

 妙な直感があった。今の自分ならば、なんだってできる気がした。


 普段は使えない風の魔術を使ってみる。いつもの青ならば、自らも巻き込む刃の嵐が巻き起こっただろう。

 しかしそれは、青を抱えていた男だけを正確に粉々にしていた。


「なに?」


「目を覚ましたのか?」


 ミチルを運んでいた男達が、戸惑いの声を上げる。

 青は、立ち上がっていた。

 違和感が二つあった。一つは、いつも心の中にあった、絡まった糸を使って操り人形を操っているような感覚がない。一つは、いつもより視点が高い。


「ここは我々が引き止める。一人だけでも……」


 そう言って青の前に立ちはだかった二人が、風の魔術で粉々になって風に吹かれて飛んで行った。

 青は体魔術を使う。身体能力が飛躍的に上がるのを感じていた。

 地面を蹴っただけで一瞬でミチルを抱えた男達に近づくと、相手を蹴って、ミチルをその手に抱き留め、頭上へと跳躍した。

 それだけで、アカデミーの校舎を超えるほどの高さまで飛んでいた。

 そして青は、眼下で蠢く影達を見下ろし、手を翳した。


 刹那、大爆発が起きた。男達は、影も残さず消滅しただろう。

 青は、高所から何事もなかったように着地する。

 ミチルが、薄っすらと目を開いた。自分の腕の中で呼吸をする彼女が、得も言われぬ愛おしい存在のように思えた。


「お前は、星を見るのが好きだな」


 青は苦笑して彼女に声をかける。彼女は戸惑ったような表情で、再び目を閉じた。意識を失ったらしい。

 まずは、リッカに報告だ。青の思考は冴えていた。学長室の位置はわかる。今は扉から入る余裕もない。窓から入ろうと考えた。

 跳躍して、三階の学長室へと飛び込む。

 その瞬間、青の視界が赤く染まった。

 アロー型の炎の魔術を一本放たれたのだ。

 青は手を前にかざして、ウォール型の炎の魔術を展開してそれを相殺する。


 学長室にも奴らの手先がいたのだろうか。いや、それにしてはこの魔術の気配には覚えのようなものがあった。


「リッカさんですか?」


 静寂が、周囲を満たす。

 ウォール型の魔術を消すと、リッカが、緊張した面持ちで青を見ているのが見えた。その周囲には、徐々に球状の炎が増えつつあった。その隣には、剣の柄に手を添えたセツナがいた。二人とも、酒を飲んでいたところだったらしい。


「窓から乱入とは穏やかじゃないわね~。燃やし殺されても文句は言えないわよ、乱入者」


 その瞳が、青の抱きとめたミチルに向けられて、強張る。


「人質も丁寧に取っているってわけ?」


「いや、リッカさん」


 誤解だ、と言おうとして、青は戸惑った。

 自分の声が、低くなっていた。しかしそれは、懐かしい声でもあった。


「ちょっと待ってくれ、リッカさん。鏡はあるか?」


「リッカさんリッカさんって、馴れ馴れしいわね~」


 リッカは疎ましげに言うと、学長室の机を指さした。


「二段目の引き出し」


 言われるがままに、青は引き出しを開ける。中には確かに、鏡があった。鏡に映っている自分の顔は、かつての男だった頃の自分のものだった。

 考えてみると、視点がいつもより高いのだ。男の体に、戻っている。その事実に、青は興奮した。


「どういうことだ、リッカ。僕を狙った刺客ではないようだが」


「私に聞かれても、困る~。人質は取ってるし危害を加える気はないみたいだしで、こっちが戸惑ってるわよ~」


 その時、学長室の扉が音を立てて開いた。

 息を切らせたハクが、部屋の中に飛び込んできていた。


「その子、攻撃しちゃ駄目……。アオだから……」


「アオ?」


「オキタアオか?」


 ハクは膝に手をついて荒い呼吸を繰り返しながら、必死に頷く。

 こうして、青はようやく安心できる状況に落ち着いたのだった。


 四人して、床に座り込む。ミチルは、青の後ろで意識を失っている。

 青は、簡潔に今の状況を説明した。誘拐されかけたこと。その中で必死に考えこんでいたら、体の中で絡まっていた糸が解けたような感覚があったこと。それから、魔術を自在に扱えるようになったこと。


「俺は男だっていう貴方の主張は正しかったわけね~」


 感心したようにリッカが言う。

 セツナは半信半疑のようだ。


「男が女になる。そんな魔術、この世に存在するのか?」


「私もあんたも、マリノの港町の遺跡で不思議なアイテムは沢山目にしたじゃないの~」


「それはそうだが……」


「私にわかるのは、この子がアオということだけ」


 沈黙が漂う。


「ハクちゃんの保証があるなら、信じるしかないわよね~」


 呟くように言ったのは、リッカだった。


「ううむ。俺も結婚相手を選ぶ時には気をつけるとしよう」


「あの、俺の処遇ってどうなるんでしょうか?」


 作業着で良かった、と青は思う。もしも制服のスカート姿だったら、今頃とんだ変質者だ。


「うーん。男の状態で舞姫科に置いておくわけにもいかないしなあ」


 リッカは腕を組んで考えこむ。


「それは困る。ジン先生の授業も、シホ先生の授業も途中です。俺は中途半端な状態で世の中に出ることになる」


「と言われてもね、今の貴方、はっきり言って無敵よ~? 準備なしに大規模魔術を発動させられる魔術師なんて、歩く人間兵器みたいなものなんだから~」


「このまま遺跡を旅して元の世界に戻る魔法陣を探す、という道もあるわけでしょうか」


「今の状況なら、大抵の遺跡は踏破できるだろうな」


 そうか、自分は独り立ちできる状態になったのか。

 寂しい、という思いが青の胸に湧いた。ミチル、ミサト、ミヤビ、リッカ、ジン、シホ、ハクア、ハク。いずれも良い人だった。

 その中にいることに、いつの間にか青は居心地の良さを感じていたのだ。

 けれども、決別の時は今なのかもしれない。


「なら、俺は遺跡の探索に乗り出そうと思います。遺跡の調査の仕方を学べる場所は……」


 喋っていて、青は違和感を覚えた。自分の声が、徐々に高くなっていく。視点が、徐々に低くなっていく。


「あれ?」


 自分の口から発されたのは、聞き慣れたソプラノ。

 青は、いつの間にか女の体に戻ってしまっていた。


「元に戻ったね~」


「戻ったな。どういう理屈なのだろう」


「けれども、これでアオが魔術の制御が苦手な理由がわかったわ~。本来は男なのに、女の体になっているから、体の中で混線が起こっているのよ。これは、元の体に戻らないと解決しないわね~」


 青は、複雑な気持ちでいた。

 アカデミーにいられるのは、嬉しい。男の体から元の体に戻ってしまったのは、悲しい。故郷が遠のいてしまったのは、切ない。その一つ一つの感情が大きすぎて、青は自分がどう感じているのかも定かではなかった。

 アカデミーは、青のもう一つの居場所になりつつあったのだった。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 翌朝、青はミチルに呼び出された。

 いつもの裏庭で、二人は向かい合う。

 ミチルは、まず頭を下げた。


「ごめん、昨日のこと、よく覚えていないんだ」


「いや、大丈夫だよ。昨日俺達はここで会って、眠いからそのまま解散した。それだけだ」


「そうだっけ?」


 不思議そうな表情で、ミチルは小首を傾げる。

 青は、死神達の会話を思い出す。空間を歪める存在が二人いた、と彼らは言った。彼らにとってのターゲットは、ミチルでもあるのだろうか。

 ならば、空間を歪める存在とはなんだろう。青は異世界からやってきたから、確かに空間を歪めたと言える。けれども、ミチルはどうだろう。この世界で生まれ育った人間ではないか。


 考えれば考えるほどわけがわからなくなってくる。

 一通り悩みきったらしいミチルが、口を開いた。


「あのね、今日はアオちゃんに相談したいことがあって呼んだんだ」


「相談したいこと?」


「私、好きな人ができた、かも」


 青は、自分が絶望の底へと落ちていくのを感じていた。好きな人に他の好きな相手ができる。たったそれだけのことで、ここまで心が深く傷つくとは思わなかった。


「へ、へえ。どんな人?」


 青は、平静を装って訊ねる。


「よくわかんない。けれども、覚えているのは、よくわからないんだけれど私を助けてくれたことと、私に優しく微笑んでこう声をかけてくれたこと。お前、星を見るのが好きだなって。その人は、私のことを知っているのかもしれない。瞳からね、私を大事に思ってくれてるんだってことが凄い伝わってきたんだ」


 青は、心が浮上してくるのを感じた。

 それは、自分だ。青は叫びだしたいような気分になる。君が好きなのは、俺だ。たったそれだけの言葉が、口から出てこない。

 何せ、青は女の体だ。そんなことを言っても、嘘と思われるのがオチだろう。


「けど、剣術大会でも見かけなかった人なんだ。魔術科の人なのかなあ。ねえ。アオちゃんは私の恋を応援してくれるよね?」


「いや、その、あの……」


 どう答えるべきだろう。こんなややこしい状況での受け答えなんて、青は経験したことがない。


「俺は、いつだってミチルの味方だよ」


 やっとのことで出てきたのは、月並みな言葉だった。


「ありがとう! アオちゃん、大好き!」


 そう言って、ミチルが抱きついてくる。

 青は、自分が嬉しいんだか悲しいんだか全くわからなかった。

 とりあえず、ミチルが他の人を好きになることは当分なさそうだ。それは幸せなことだと青は思うのだった。


 とりあえず、二人は魔術科に向かうことにした。

 アカデミーの入り口を通ると、セツナが丁度旅立つところだった。


「オキタアオと、ミチルか」


 セツナは既に馬上の人となっている。その片目が、青とミチルを捉えていた。


「私、セツナさんに自己紹介したっけ」


 ミチルは、戸惑うような表情で青に問いかける。青は、苦笑するしかない。


「オキタアオ。食い扶持に困ったらいつでもカミト領へ来るのだな。僕は才能のある人材は重用する」


「ありがとうございます。その言葉、覚えておきます」


「ではな」


 セツナが、馬の手綱を引こうとする。


「ちょっと待ちなさいよ~」


 リッカが、それを呼び止めていた。


「ん、なんだ?」


「なんだじゃないわよ。賭けの約束、果たしてないわよ」


 セツナは、とたんに嫌そうな表情になる。


「迂闊な約束をするものではないな。お前は卑怯だ。事前情報があった」


「アオが体魔術を使えるなんて、私も知らなかったもん。フェアな勝負だと思うな~」


「……まあ、いいだろう。それで、僕に何を飲ませようと言うんだ。結婚相手の押し売りなら御免被るぞ」


「その、もっと顔出しなよ」


 リッカは、穏やかに微笑んで言っていた。

 セツナは、意表を突かれたような表情になる。しかし、すぐに苦笑した。


「多忙な身の上だ。約束はできん」


「ま、それぐらいでいいさ~。本気でしょっちゅう顔出されたらこっちが困る~」


「言い出したのはお前だ」


 セツナが渋い顔になる。


「変な噂になってもやだろ~?」


 セツナは、ますます渋い顔になると、一つ溜息を吐いた。

 そして、清々しげな表情で前を向いた。


「またな、リッカ」


「おう、またね、せっちゃん」


 そうして、二人は清々しげに、綺麗に別れてみせたのだった。

次回、『セカンドキスも突然に?』

学園祭が開かれることになる。舞姫科の罰ゲームで、男を誘って学園祭を回ることになった青。そんな中、もう一人の青が姿を現す?

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