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6.隠し部屋での大冒険?その2


「では、謎掛けじゃ」


 さて、どうしたものだろうと青は思う。この世界に関わりの深い謎掛けなら、青は全く役に立たないのだ。


「猿の月に王の軍勢が敵国の堅城に攻め入った。お主が率いるのは三千の兵。さて、お主が用意すべき予算はどれぐらいじゃろうのう」


 さて、まったく訳の分からない問題が出てきた。


「わかるか? ミサト」


「私は兵站は知らないよ。魔術の隠れ里は千人規模の戦争なんてしないんだ」


 拗ねたようにミサトは言う。


「兵站だけではありませんわ。死んだ兵の家族への補償なども賄わなければ、兵達は死を覚悟して戦えなくなります」


 そう言って、ミヤビは腕を組んだまま考え込み始めた。


「給料と、食事と、補償の額を考えれば良いわけか? けれども、期間がわからないな」


「最長で二ヶ月でしょう。その頃は年に一度の収穫祭と重なります。それに、給料ではなく働きに応じた報酬ですね」


 ミヤビは淡々と、青の疑問に答えを出していく。


「さて、少し考える時間を頂けるかしら」


 ミヤビが呟くように言った声が、部屋に響き渡った。


「ほっほ、構わんぞ」


 老人は、そう言って、眉を軽く動かして微笑んだ。

 ミヤビと老人は黙って見つめ合う。今この状況で頼りになるのは、彼女だけと言っても良かった。


「私、来た道戻るの嫌だよ……」


 ミチルは、嘆くように言う。


「戻らなくていいって保証もないけどね」


 ミサトは、淡々とした口調で返す。ミチルは勢い良く項垂れた。

 二十秒も経たなかっただろう。ミヤビは、老人に耳打ちした。老人が、太い眉を上げて目を丸くする。


「それは少々、少なくないかね、お嬢さん」


「私ならこれだけの額に抑えます。商人と交渉してみせますわ」


「理想はそれでいい。けれども、現実はどうなるかな」


「さて、どうでしょう。私には縁のない話です」


 老人の口角が、持ち上がった。


「良かろう。少なく見積もる傾向があるが、大きくは間違っとらん。正答としておこう」


「おお!」


 青、ミチル、ミサトが、異口同音に喜びの声を上げる。

 老人が腰を上げる。その背後の扉が、開いた。


「この先に待ち受け取るのは、最後の難関であり、お主らが最も恐ろしいと思う存在じゃ。心してかかるがいい」


 そう言うと、老人は消えて行ってしまった。

 後には、白い空間へと繋がる扉が残る。


「最も恐ろしいと思う存在、ねえ……」


 青は思わず、呟くように言っていた。


「しくじったかしら」


 ミヤビが、そう言って親指の爪を噛む。


「しくじったかもねえ」


 ミサトも、何処か投げやりにそう返事をする。


「どういうこと?」


 ミチルが、小首を傾げる。


「恐ろしい存在をわざわざ配置いておく。それは、ここが穏便な目的で作られた場所ではないということじゃないかしら」


 ミヤビの推測に、青は背筋が寒くなるのを感じる。つまり、今までの冒険は全て無駄だったということなのだろうか。


「その可能性は最初から考えていたよねー。けど、資質を試すような謎掛けの部屋もあるのが腑に落ちないところよね」


 ミサトは、淡々と言う。


「どういう目的でこの場所が作られたか。次の部屋に現れる恐ろしい存在とやらで、その答えがはっきりと見えますわ」


 青は、溜息を吐いていた。自らの緊張をほぐそうとするかのように。そして、意を決して言った。


「次の部屋、見てくる」


「わかりました」


「気をつけてね」


「無理、しないでね。危なそうならすぐ戻って来てね」


 三人の言葉に背を押され、青は白い空間へと入って行く。天井は高く、室内は明るかった。

 そして、最後の扉の前に、それは立っていた。

 顔はライオンで胴体はヤギ、尻尾は蛇。その異形の存在は、青の五倍はあろうかという巨躯で扉の前に立ち塞がっていた。キメラだ。

 ライオンの顔が大きな欠伸をする。その鋭い牙が顕になる。その目がふと、青を視界に入れて、苛立ちに歪んだ。

 叫び声に押されるように、青は後退して、尻餅をついて部屋の外に出た。


「どう?」


 ミヤビが、顔を覗き込んでくる。

 ミチルが、ミサトが、次いで顔を覗き込んでくる。


「化物だ……。これは、罠だよ。俺の五倍はありそうな巨大なキメラが、道を塞いでいた」


 ミヤビは、腕を組んで考えこむ。


「五倍、ならば勝ち目はありそうですわね」


「勝ち筋はあるね」


 ミサトも、淡々とした口調で返す。


「何を根拠にそんなことを言えるんだよ?」


 青は思わず叫んでいた。青が目にしたのは、具現化した暴力そのものだった。青は五剣聖でもなんでもない、ただの生徒なのだ。それを前にして何ができると言うのだろう。


「貴女ですわ、オキタアオ」


 そう言って、ミヤビは真っ直ぐに青を見ていた。


「貴女の規格外の魔力。それを使えば、五倍ぐらいの大きさの差がなんでしょう。アオとミサトが協力すれば、その程度の敵は御せるはず。最後の扉は、見つかった?」


 青は、ミヤビの言葉を咀嚼しながら、頷く。最後の扉は、確かにあった。


「ならば、進みましょう。それが出口と、信じて」


「……勝てる保証なんて、ないんだからな」


「元から、保証なんてない道です」


 ミヤビは、強がりのようにそう言う。


「危ないと思ったら撤退しよう。私の神術に、致命傷を覆すほどの性能はない」


「まずは先制の一撃で、どれほどのダメージが敵に入るかだね。それ次第で、撤退するかどうかを決めよう」


 ミサトも、冷静に分析する。

 青は、三人の存在を何よりも心強く感じていた。


「進む、か」


「進みましょう」


 ミヤビに促され、青達は最後の部屋へと入って行く。そして、立ち止まった。魔術を使う準備は万端だ。

 キメラはさっきのことなど忘れたように欠伸をしている。その目が、青を視界に入れて歪んだ。

 咆哮が放たれる。


「ミサト、魔術のフォローを頼む!」


 そう言うのだが、ミサトはただ唖然として前を見ている。ミチルも同じだ。事ここに至って、怖気づいたのだろうか。青は焦燥に満ちた気持ちで、敵が襲いかかってこないかを危惧する。

 キメラは四本足で立って、更に咆哮した。

 ミヤビの周囲には球状の炎がいくつも浮かび上がっている。それが弾幕となって敵に襲いかかった。

 キメラは被弾して、悲鳴を上げる。


「どうしたんだよ、ミサト。早く先制の一撃を決めないと。先に攻撃されたら、こっちがやられる!」


「正気で言ってるの?」


 ミサトが、初めて取り乱した様子を見せた。


「あれに攻撃しろだなんて、残酷極まりないわ!」


 そんなことを言っている場合でもないだろう。

 青は前を向く。キメラの皮膚には、ダメージの痕跡がない。


「私の魔術が通用しない……?」


 ミヤビが絶望したような口調で言う。

 その時、青の脳裏に閃くものがあった。

 それは、ミサトの放った一言がきっかけだった。


「けど、資質を試すような謎掛けの部屋もあるのが腑に落ちないところよね」


 そうだ、おかしいのだ。囚人を処刑するための施設ならば、あのような謎掛けがあるのはおかしいのだ。悪意を持った仕掛けととることもできる。けれども、別の意図を持ってこの空間が使われていたと考えれば、あのような何の変哲もない施設内にこのような場所があったのも至極納得がいく。

 そして、キメラに炎のダメージが入らない理由にも納得がいく。


 青は意を決して、前へと歩き始めた。キメラの瞳が、青を見据える。咆哮が放たれる。しかし、青は歩みを止めない。

 そしてついに、青はキメラの口の届く範囲にまで足を進めた。


(襲いかかられれば、その時はその時だ。炎を出して、反撃してやる)


 自分に言い聞かせるようにして、青は鈍る自分の足を前へと進めた。

 そのうち、キメラはゆっくりとその場に座り込んだ。威嚇することもなく、静かな瞳で青を見ていた。


「皆、前へ進め!」


 青は振り向いて、叫んだ。

 ミヤビは戸惑いの表情で、ミサトは唖然とした表情で、ミチルは目に涙を溜めて、前を見ている。


「前へ進むんだ! ここは、大丈夫だから」


 ミサトが、納得したような表情で前へ歩み出す。


「ちょっと、貴女が行くのは無謀ですわよ!」


 ミヤビが、その後を追って肩を掴む。しかしミサトは、静かな表情で振り返って、首を横に振った。

 それを見て、ミヤビも何かに勘付いたような表情になる。意を決して、肩を強張らせて頭上のキメラを見上げながらも、ゆっくりと歩み始めた。

 立ち止まっているのは、ミチルだけだ。ただ前を見て、唖然とした表情で、目に涙を溜めている。

 青は、その側へと駆け寄った。


「ミチル……」


「嫌っ……」


 そう言って、ミチルは青の差し出した手を払おうとする。それを、青は掴んだ。


「大丈夫だよ、ミチル。今は、前に進もう。過去に囚われていても、良いことなんて一つもないよ」


 ミチルが、小さな子供がするように目を瞑って首を横に振る。

 青は根気強く、ミチルを説得した。


「ほら、前を向いて」


 ミチルはしばらく頑なに目を瞑っていたが、そのうちその瞳がゆっくりと開かれる。その視線の先を、青は見る。ミサトとミヤビが、最後の扉の前に立って、こちらに手を振っていた。

 もう、キメラの姿は見えない。


「皆、最後の場所まで辿り着いた。後は、俺達だけだ」


 ミチルの虚ろだった瞳に、理性の光が宿った。その顔が、小さく縦に揺れた。


「うん」


 ミチルは緊張した面持ちで、小さく呟くように言った。

 青は、ミチルの手を引いて歩いて行く。ミチルの視線は、徐々に下へと向いていった。まるで、そこに落ちている何かを眺めているかのように。

 その表情に、僅かに哀れみの色が滲んだ。

 そして、ミチルは、その場所を通り抜けた。前を見るその表情に、迷いはない。

 青達四人は、最後の扉の前に辿り着いた。


「さて、どうなるかしらね」


 ミヤビが、腕を組んで言う。


「出口があると信じてたんじゃなかったの?」


 ミサトが、からかうように言う。彼女にも、やっと明るい表情が戻った。


「私達の推測が確実ならば、ここにあるのは出口のはずです。それは、間違いようがない」


「なら、開けなよ」


 ミヤビの腕は、組まれたままで、躊躇うように扉へと向かわない。

 青が、その扉を掴んだ。


「開けよう」


 青の言葉に、三人は頷く。

 そして、青は扉を開けた。

 途端に、星空が四人の頭上に広がった。

 四人は、アカデミーの裏庭にいつしか立っていた。


「……夢でも見てたみたい」


 ミヤビが、呟くように言う。


「あー、外の空気は美味しっ」


 ミサトが、清々したとでも言いたげに大きく息を吸って、吐く。

 そして、ミチルだけは、周囲に隠そうとするかのように、少しだけ泣いていた。


「ミチル、どしたん?」


 ミサトが、躊躇いもなくミチルに訊ねる。ミヤビも、ミチルの表情に気がついて戸惑うような表情になった。


「ううん、ちょっと、悲しいことを思い出したの……」


 そう言って、ミチルはしばらく、泣いていた。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


「貴女達の推測は正し~い」


 リッカは上機嫌にそう言った。いつもの学長室だった。四人は並んで、リッカの机の前に立っている。蝋燭の光が、揺れながら室内を照らしている。


「貴女達が迷い込んだのは~、かつてフクノ領の相続の際に試練の儀式に使われていた場です」


「転がってくる岩とか物騒ですよね」


 青は、思わず苦い顔で言う。


「当たったら、不合格の位置に無傷で出るようになってたんだ~。だから最短で脱出したかったら岩にぶつかれば良かったわけだね~」


「身も蓋もない……」


 青はそう言って頭を片手で抑えた。


「そして貴女達が見破った最後の部屋に待っていたもの。それは幻覚です。貴女達が最も恐ろしいと思うものを配置してありました~。しか~し、貴女達が乗り越えようとすれば相手は戦わずして貴女達を通してくれたでしょう」


「なるほど……」


 ミヤビは腕を組んで、溜息を吐く。


「私は特に恐ろしいものがない。だから、アオの報告を聞いてキメラがいるものだと思い込んで室内に入った。だから、キメラが見えたわけですね」


「そういうことになるわね~。だからミヤビ。貴女はフクノ家の相続の儀式に合格したとも言えるの」


 そう語るリッカの表情は、いつになく優しく見えた。


「まあ、この建物も古い。色々なことに使われていた時期があるということよ~」


「なんでそんな場所をアカデミーにしたんですか。死ぬ思いでしたよ。迷子になって死人とかが出たらどうするつもりなんです?」


 青は飄々と語るリッカに、思わず噛み付いていた。

 リッカは、人の悪い笑みを浮かべた。両手の指を絡めて、人差し指を立てる。


「それはね~。アオくんが悪い」


「俺が……?」


 リッカとミヤビ達、四人の視線が青に向く。


「アオくんの強い魔力に反応して、儀式の間が誤って目を覚ましてしまった。本来なら、あの場所は十人の術者がいなければ眠ったままの場所だったのよ~」


 つまり、青が悪いということになる。青は、居心地の悪さを感じて黙りこくった。


「まあ、皆にとっても迷宮の冒険は良い経験になったでしょう~。町で平和に過ごして、遺跡の冒険なんてするもんじゃないって思ってくれれば幸いね~」


 そうだ。遺跡の冒険をするということは、今日のような恐ろしい思いを何度もすることになるということだ。この世界に隠されているという遺跡に、元いた世界へのヒントを求めている青にとっては、苦い経験となった。


「それじゃあ、解散」


 そう言って、リッカは立ち上がって、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 四人は、お互いの様子を伺う。


「じゃあ、私はこれで」


 最初にそう言って歩き始めたのは、ミヤビだった。


「中々貴重な体験だったわ。青の幻覚には足を引っ張られたけれど、貴女達を心強く感じた時があるのも確かです」


 そう言って、彼女はさっさと去って行ってしまった。


「素直じゃないな~」


 そう言って、ミサトが前に二歩進んで振り返る。


「それじゃ、私も行くよ。アオちゃん、部屋で待ってるね」


「ああ」


 ミサトは、扉へと向き直る。その背に、青は思わず声をかけていた。


「お前が地下で見た幻覚って、なんだったんだ?」


 あの時、ミサトはそれを攻撃するなんて残酷だと言った。彼女にも、何か恐ろしいと思えるものが見えていたのだ。彼女は振り返って、悪戯っぽく微笑む。


「気になる?」


「気にならんと言えば嘘になるが、気になるとも言いたくないな」


「素直じゃないな~。まあ、いずれ機会があれば、ね」


 そう言って、彼女は微笑んで、足早に去って行った。逃げられた、という思いがあった。

 そして、後には青と、ミチルが残った。

 訊きたいことがある。けれども、それに触れて良いのかが、青にはわからない。女性経験の少ない青には、こんな時に相手にどうやって接するべきなのか、それがわからないのだ。


「ちょっと、裏庭に出ようか」


 ミチルが、呟くように言う。いつもの調子だった。


「ああ、いいぜ」


 頷いて、青は歩き出す。二人は、裏庭に出た。満面の星空が、二人を出迎えてくれた。夜の空気は、まだやや肌寒い。


「綺麗だねー」


 ミチルは、感心したように言う。


「ああ、綺麗だ」


 青は、優しく同意していた。

 しばし、二人は沈黙していた。


「アオちゃんは、前に進めって言ってくれたよね」


 唐突な一言に、青は戸惑う。確かに、あの白い部屋で、青はそう言った。


「ああ」


「心強かったな、あの一言。それだけじゃない。転がる岩の場所でも、アオちゃんは私を抱きかかえてくれた」


「そう持ち上げるなよ」


 青は苦笑する。


「アオちゃんは私の恩人」


 それは、気持ちの篭った一言のように感じられた。その強さに、青は戸惑いすら感じた。


「ま、俺が原因らしいけれどな、元凶の癖に感謝されるってのもおかしなもんだ」


「それもそうだね」


 そう言って、ミチルは笑った。

 彼女の笑顔が青は好きだった。彼女が笑っていれば、それだけで十分だと思えるほどに。

 その表情が、不意に曇った。


「私はね、人を殺したことがあるんだ」


 思いもしない一言に、青は戸惑った。ミチルが人を殺す。そんな場面、想像もつかない。

 しかし、この世界の人々の倫理観と青の住んでいた世界の倫理観は違う。その差が、行動の差となって現れることもあるのかもしれない。

 青は、黙っていることしかできない。ミチルは、淡々と言葉を紡いでいく。


「それは、夜に私が出歩いていた時のことだった。今日みたいに、星が綺麗な日でね。広い場所で、星空を眺めたかったんだ」


 ミチルが、そう言って天を仰いだ。青も、釣られて頭上を見上げる。視界一杯の星空は、どんな宝石よりも綺麗に見えた。


「そこで、私は男の人に襲われた」


 思いもしない言葉に、青はミチルの顔を見た。彼女は穏やかな表情で、ただ空を見ている。


「旅人が、助けに入ってくれた。けれども、旅人が重症を負った。血がどんどん出てね。ああ、その人が死んでいくんだって実感があった」


「けど、ミチルには神術がある」


「使えなかったんだ」


 ミチルは、苦笑していた。


「パニックを起こして、混乱していた私は、普段みたいに落ち着いて神術が使えなかった。ただ、冷たくなっていくその人を抱えて、人を呼ぶことしかできなかった」


 ミチルの表情の奥に、どれだけの苦悩があるのだろう。青には、思いもよらない。


「結局、その人は死んじゃってね」


 ミチルは、俯いた。


「今日、私の前に現れた恐ろしいもの。それは、私を守ろうと戦ってくれているあの人だった」


 青は、何も言えない。黙ってミチルの言葉を聞いていた。ただ、ミチルが神術師を目指さなかったその理由が、わかった気がした。


「本当に怖かったよ。人生で一番思い出したくない場面をもう一度見せられるんだから。前とただ同じようにパニックに陥ってた。そんな時だよ」


 ミチルはそう言って、優しい表情で青を見つめた。


「アオちゃんが、前に進めって言ってくれた」


「あれは、たまたまだ」


「うん、わかるよ。けれども、私は前に踏み出さなくちゃって思った。いつまでも過去の幻影に怯えていてはいけないと思った。私のせいで人が一人死んだ。私はそれを背負いつつも、前に進まなきゃいけないんだと思った」


 ミチルは、そう言って微笑んだ。影があるけれども、綺麗な微笑みだった。過去を背負いつつも、彼女は強く生きている。それに、羨望に近い気持ちを抱えた。

 いつからだっただろう。彼女の笑顔を見るだけで、幸せな気分になれたのは。

 いつからだっただろう。その感情が、友情の域を超え始めたのは。

 青は、頬が熱くなるのを感じていた。自覚していなかったけれど、これがそうなのだろうか。恋、という気持ちなのだろうか。


「だから、ありがとう、アオちゃん。今日は私が、生まれ変わって一歩を踏み出した日」


 そう言って、ミチルは青に掌を差し出した。青は咄嗟に、その掌に自らの掌を重ねる。


「私は、これからもっと人の役に立つことを誓います。舞姫となって、調律者との仲立ちに協力することを誓います。アオちゃんは、それを見ていて」


「……協力するよ」


「それは、アオちゃんの負担になる」


「ミチル一人が奔走してるよりは、手伝えるほうがよほどいい」


 青はミチルの手を引いて、その体を自らの身体に抱きとめていた。

 脳裏に浮かび上がったのは、夕日を反射して眩く輝く教室の机。扉から中の様子を伺う数人の同級生。机の一つは、悪口や落書きが書かれて汚れていた。


「昔いた世界でさ。人気者のクラスメイトがいたんだ」


 今度は、青が話し始める番だった。


「うん」


「俺とも仲の良い奴だった。一番の友達だったかもしれない」


「うん」


 ミチルは、優しく話を聞いてくれる。それが、心地良かった。


「けど、そいつの親は大きなミスをしてしまったんだ。その途端に、クラスの中でそいつは嫌われ始めた。それまで仲が良かったはずの連中が、掌を返してそいつの悪口を言い始めた」


「うん」


「そいつは、引っ越しちゃって、俺は友達ってなんだろうって。ずっと人との間に一線を引いて付き合うようになっていた。世の中にも、人間にも、価値を見いだせなかった。全ては崩れるものだと、そんな思いを抱えていた。そんな中で、俺はミチルと出会った」


「……うん」


 ミチルが、微笑んでいるのがわかる口調だった。出会った日のことを、思い出したのかもしれない。


「凄い出会い方だったね。空から落っこちてきたんだもの」


「うん。もう二度とない体験だと思う。その女の子は、俺に良くしてくれて、絶対に見捨てないとまで誓ってくれた。ひもじい思いも我慢して、何の得もない人助けのために一生懸命になってくれた。ミチルのおかげで、俺はもう一度人を信じて良いかもしれないって思うようになったんだ。そうしたら、ミサトとか、ミヤビとか、変な知り合いがどんどんできるようになった」


 抱きしめているミチルの体は、柔らかく、温かい。この体を、放したくないと青は思う。


「だから、俺にとってもミチルは恩人」


「そっか。私達は、恩人同士だね」


「恩人同士だ」


「アオちゃんが本当に男の子だったら、恋人同士になってたかもね」


 ミチルは、苦笑顔で言う。


「なるか?」


 青は、重いものを口から押し出すような気持ちで、ミチルに囁く。

 時間が、止まったような気がした。ミチルの心音が高鳴るのが、体を通じて伝わってくる。彼女は、何も言わない。そのうち、躊躇うように囁き返した。


「からかわないでよね、もう」


 そう拗ねるように言う彼女がまた可愛らしく見えて、自分は本当にこの子を好きになったのだな、と、青は不思議な感動を覚えていた。

 世界が、輝いて見えた。


次週『緑翼の剣士?』

五剣聖のマリによる特別授業が実施される。それは、山の中で魔術を使わずに一晩を明かすという課外授業だった。

穏やかに過ぎていく時間。その中で、青はついにそれと遭遇する。

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