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6.隠し部屋での大冒険?その1

 青は木剣の柄を握って、ミヤビと木剣を打ち合わせていた。そうこうしているうちに、二分ほどが経っている。お互いに決定打を見つけられずに、ただ隙を伺い合っているといった感じだ。

 ジンから主に青に向かってアドバイスが飛んでくるが、青は目の前の木剣に集中していてそれどころではない。そのタイミングがあったかと思っても後の祭りだ。

 そのうち、横薙ぎに振られたかと思ったミヤビの木剣が、それを塞ごうとする青の木剣の手前で滑らかに上空へと軌道を変え、そのまま振り下ろされた。

 しかし、青には既にその対策ができている。木剣と木剣がぶつかり合う乾いた音がした。


「そこまで」


 ジンが淡々とした口調で言う。


「数ヶ月でミヤビと打ち合えるようになるとは、大した上達ぶりだ、アオ」


 素直に褒められて、アオは思わず照れてしまう。


「これは、私の伸び代が少ないということでしょうか?」


 ミヤビは不服げだ。


「いや、今はアオがミヤビから色々なものを吸収しているんだ。互いに切磋琢磨するようになれば、互いの腕はどんどん伸びる。これからもっともっと強くなる。若いっていいもんだな。伸びるってことだからな」


「こう簡単に追いつかれては、面白くありませんわ」


「追いつかれたわけじゃない。あくまでも、打ち合えるようになっただけだ。まだまだアオは防戦一方だ。そこを超えれば互いに伸びる余地は大いに残っていると思ってくれい。剣術の指導は今日はこんな感じで終わりだ。何か訊きたいことはあるか?」


 ジンは冒険者だ。それも、様々な遺跡を踏破してきた熟練の。訊きたいことは、いくらでもあった。


「ジン先生が今まで見た遺跡のモンスターの中で、最も異形だったのはどんなモンスターですか?」


 ジンは腕を組んで考えこんだ。


「うーん、虫型なんかが結構えぐいんだけどな。一番吃驚したのはキメラだな」


「キメラ、ですか」


「それにしても、どうして遺跡に興味を持つ? お前、遺跡探索にでも乗り出す気か?」


「いえ、それは、そういうわけではなく……」


「ふうん」


 幸いなことに、ジンは深くは追求して来なかった。

 舞姫科を受講していながらも、青の興味はこの世界に隠されているという遺跡にある。その中にある魔法陣に、元いた世界へ繋がるきっかけがあるかもしれないのだ。


「それじゃあ、俺と嫁が退治したキメラの話をお前らにしようと思う。あれは、何年前だったかなあ……」


 空はもう薄暗くなりつつある。青は、ジンの話を貴重な宝物のように、ただ聞いていた。ジンの語る遺跡の話は、いつも青の心を踊らせた。

 こんな調子で、剣術科に関しては、青は順調に勉強をこなしていると言えるのだった。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 授業まで時間がないのに、ミチルがいないことがあった。探してみると、アカデミーの庭を彷徨いながら、真っ青な顔をしている。

 話しかけてみると、こんな返事が返ってきた。


「猫の親が帰って来てないの」


「一日ぐらいどうってことないんじゃないの?」


 青は猫を飼ったことがないが、猫は奔放なものというイメージがある。少しいないぐらい、気にしても仕方がないと思うのだ。

 けれども、ミチルに言わせれば違うらしかった。


「まだ親離れの時期じゃないんだよ。本当なら、育ち盛りの子猫に一日栄養が行かないことがどれだけ大きいか。どうして戻って来ないんだろう……」


 そう言って、再び彼女は歩き始める。足元や、木の上に視線をやって探しながら。

 彼女はいつもこうだ。他者のために自分を犠牲にすることを厭わない。それが、青の目には歯痒くも映るし、くすぐったくも映る。


「仕方ねーなあ。探すの、手伝うよ」


「いいよ、アオちゃんは。授業まで、時間、ないでしょ?」


「けど、アテもないんだろう? 俺が手伝ったほうが早いよ。ちょっとミサトもつれてくる」


 探してみると、ミサトは丁度、授業に出ようと部屋の扉を開けたところだった。


「ええ、今から授業だよ」


 手伝いの要請を受けたミサトは面倒臭げに抗議してくる。


「けど、お前には不意打ちでキスをしたっていう貸しがあるよな」


「それは弁解に付き合ったでしょー」


 そう言って、拗ねたように唇を尖らせる。


「ミチルが困ってるんだ。助けてあげたいんだよ」


 青はそう言って、頼むことしかできない。青に繊細な魔術のコントロールは不可能だ。魔術で猫を探すには、ミサトの助力がどうしても必要だった。


「ミチルちゃんかあ……」


 ミサトが、困ったような表情になる。


「私も授業で聞き漏らした部分、教えてもらったことあったんだよねー」


 そう言って、彼女はしばし考えこんだ。そして、そのうち意を決したように、深々と溜息を吐いた。


「仕方がないなあ。さっさと探して、さっさと戻ろう。あんたの魔力と私のコントロールなら、なんとか授業に間に合うさ」


 そう言って、彼女は先を歩き始める。青は、自分の表情が綻ぶのを感じた。


「ありがとう」


 ミサトは、振り返って、悪戯っぽく微笑んで言う。


「今、あんた、凄く可愛らしい表情してる」


 不意打ちに褒められて、青は戸惑うしかない。


「そうかな?」


「恋する女の顔をしてる」


「そんなんじゃないよ」


 青は膨れるしかない。なんでも恋に結びつけて考える思想は、青の苦手とするものだ。


「まあ、あんたがそう言うならそうなんだろうね」


 そう言って、ミサトは含み有りげな表情で前を向いた。

 結局、猫はアカデミーの外で、木から下りられなくなっている所を発見した。ミサトが魔術で空を飛び、それを抱き抱えて下りて来た。

 猫を渡されて、ミチルの表情が華やぐ。


「駄目だぞー。子供がいるのにそんなやんちゃなことしちゃ」


 猫は、面目ないと言いたげに鳴き返した。

 結局、ミチルはこうなのだ。困っている相手がいれば助けてしまう。いつからだろうか。そんな光景にも慣れてしまったのは。全てが終わって、満足気に微笑む彼女を見た時に、心地良さを感じるようになったのは。


「さて、授業本格的に遅刻だね」


 ミサトが、現実を突きつけるように言う。


「ごめんね、二人とも。私に付きあわせちゃって」


 ミチルは小さくなるばかりだ。その手に抱えられた猫が、石畳の道に置かれた。猫は、興味なさげにそっぽを向いて歩き始めた。


「いいよ。たまにはこういうのもありだ。さ、バレないように私の魔術でアカデミーの壁超えだ」


 そう言って、ミサトは右手を高々と掲げて前進していく。青もミチルも、その後に続いた。


「アオちゃんもありがとうね」


 ミチルは、幸せそうに微笑む。その表情がずっと続けば良いのにな、と青は思うのだ。


「いいよ。お礼は貰った」


「私は何もしてないよ?」


「貰ったんだ」


 ミチルの幸せそうな表情が、青にとっては何よりもの報酬なのだった。

 ミサトの魔術で壁を超えて、アカデミーの庭に戻ると、桜の木の根本で親猫が子猫と一緒にいた。子猫ももう随分と大きくなって、自らの足で歩き回って親猫にじゃれついている。


(この世界にも桜があるんだな……)


 自分の元いた世界でも今頃桜が咲いているのだろうか。この世界に来て、数ヶ月が経つ。元いた世界は、既に遠くに感じられるようになった。


「ほら、行くよ」


 ミサトの声で、青は我に返る。そして、授業が行われている裏庭へと駆け出した。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


「アオちゃんは相変わらず魔力の細かいコントロールが下手だよね」


 授業が終わった後、ミサトに痛いところを突かれて青は苦い顔になる。ミサトはそんなことは気にせぬ飄々とした態度だ。

 場所は、アカデミー内部の廊下だった。窓が開かれ、外からは夕日が差し込んでいる。


「なんでだろうな。なんか、糸がこんがらがった操り人形を扱おうとしているようなやり辛さがあるんだよな」


「生来の性格が雑なんだよ」


「ずけずけ言うよな。ミサトが繊細な性格には思えないけど」


「まあ、魔力の細かいコントロールまで完全にやられちゃうと、私の立つ瀬がないか。魔力が弱いけれどコントロールは得意な私、魔力が強いけれどコントロールが苦手なアオちゃん。二人で一つだね」


「お前とセットにされるのは御免被る」


 ミサトは繊細と言うよりは、デリカシーが無いタイプのように思える。


「つれないなあ」


 そう言って、ミサトは気にした様子もなく笑った。その表情が、窓の外を眺めてふと何かに気がついたように真顔になる。彼女が立ち止まったので、青も釣られて足を止める。


「それにしても」


「どうした?」


「あのスペース、一体なんだろうね」


 そう言って、ミサトが指差した先には、レンガの壁がある。確かに、廊下は真っ直ぐなのに、窓から確認できる程の壁の出っ張りがあった。


「そう言われてみれば、出っ張ってるな」


「前から気になってたんだよ。宝物庫でもあるのかなあ」


「あったとして、宝を持ち出せば俺達は放校処分だ」


「つれないなあ。そもそも、このアカデミーの建物って一体なんなんだろうね?」


 ミサトはたまに、青の思いもよらない所に思考をやる。この時も青は、彼女の意図が読めずに戸惑うしかなかった。


「なんだろうって?」


「新しく作った建物とは思えないんだよね。魔術に関しても教える専門のスペースがあるわけじゃない。裏庭なんて余った場所を割り振られているようなもんじゃない。フクノ領の兵士の詰め所だったのかなあ」


「詰め所だったとして、どうなる?」


 この建物がどんなものだろうと、自分達には関係ないことのように青には思える。


「時代の流れと共に忘れ去られたスペースもあるんじゃないかって話よ」


 そう言って、ミサトは丁度外から見たら出っ張りがある部分へと歩いて行って、その箇所の壁を素手で探った。青も、その横に並ぶ。何の変哲もない壁にしか見えない。

 視界が歪んだのは、その時のことだった。浮遊感が体を包む。青は気がつくと、真っ暗な部屋の中に移動していた。

 炎が闇の中に浮かび上がる。それはミサトの掌の上に浮かんでいた。レンガの壁が、周囲を包んでいるのが見えた。出入り口は一個だけ。階段が、階下へと繋がっているのが見える。


「……これはしくったかなぁ」


 そう呟いたミサトは、珍しく顔から表情を消していた。


「しくったって、なんだよ」


 不吉な予感を覚えて、青の声も小さくなる。


「これは多分、出っ張りの中のスペースだよ。何か用途があって作られたスペースで、そこに放り込まれたかも」


「用途って、どんな用途だよ」


「……そこらに骸骨が転がってないから、まあまだ最悪の結論を出すには早いんじゃないかな」


 そう言って、ミサトは壁を手で探り始める。


「戻れる気配はなし、と」


「どうするんだよ!」


 青は嘆くように叫んでいた。


「どうするって言われてもなあ。事故だよ。事故」


 淡々と、悪びれる様子もなくミサトは言う。まったく、彼女と関わると碌なことがない。


「ま、先生に事態が伝わるまで待とうか。流石に生徒二人が失踪したら、動いてくれるでしょ」


 そう言って、ミサトは座り込んだ。


「肝が座っているというかなんというか……」


 青も、呆れ混じりに呟いて座り込む。


「死ぬのは今更怖くないからね、私は」


 そう言って、ミサトは顔に表情を浮かべた。何処か、投げやりな微笑みだった。


「俺は御免被るぞ。死ぬのは怖い。死ぬのは嫌だ」


「けど、脱出できるヒントもない。道は一本だけ。進んで迷子になる可能性もある」


「道が一本だけってことは、脱出口に繋がってるかもしれないって可能性もあるかもしれないんだぞ?」


「お勧めしないなあ。こういう古くて魔術が絡む建物でトラブルに遭遇した時は、素直に救助を待つべきだよ」


 ミサトは落ち着ききっている。それを見ていると、青も多少落ち着きを取り戻してきた。


「どうしたもんかな」


「どうしたものだろうね」


 ミサトは、待つことに決めてしまったらしい。返事もいい加減だ。彼女が作り出す炎だけが、その無感情な表情と、部屋を照らしている。

 そこに、着地音が響き渡った。

 ミヤビが、いつの間にか部屋の中央に立っていた。彼女は、戸惑うように周囲を眺めている。そして、青を見て、ミサトを見た。


「ここは……? これはアオ、ミサト、どういうこと?」


「迷子が三人になったってことだよ」


 ミサトは投げやりに言う。


「アオ、どういうことか説明なさい」


 ミヤビもこの状況に戸惑っているのだろう。声に焦りが滲んでいる。


「説明なさい、と言われてもな。ここは隠された部屋で、魔術の絡む場所で、俺達はそこに放り込まれた。しかも出れない」


「なるほど」


 ミヤビはそれだけで現状を把握したらしい。階段に向かって歩き始めた。


「おい、待てよ。迂闊に動きまわるより、先生を待つべきだ」


「入り口があるなら出口もあるはずです。最悪、壁を壊せるような道具もあるかもしれない」


「そんな道具を用意するぐらいなら、魔術を使ってわざわざこんなスペースを作らないよ」


 ミサトの声のトーンは何処までも静かだ。無感情にも見える。諦めきっているようにも見える。


「なら、この場所で野垂れ死ねってこと?」


 ミヤビはヒステリーを起こしてしまっている。


「だから、先生が来るって……」


「保証はできるんでしょうね?」


「あんたが誇るフクノの上級剣士が学長なのよ。ちょっとは信頼したら?」


 ミサトにそう言われてしまっては、返す言葉がなかったのだろう。ミヤビはしばし考え込んでいたようだが、気を取り直してその場に優雅に座り込んだ。


「そうですね。私の親族が生徒を見過ごすようなことがあるわけはありません」


 ミサトと違って、ミヤビのその冷静さは強がりの産物のように見えた。素直ではないのだ。


「それにしてもあんた。やけに来るのが早くない?」


 ミサトの淡々とした指摘に、ミヤビは痛いところを突かれたとばかりに目を丸くした。


「どういうことだよ」


 青はミサトの言葉の意図が読み取れず、戸惑うしかない。


「私達がここに来てから、ミヤビが来るまでやけに早かった。壁を調べる動作をしないとこの場所には来れないとしたら、ミヤビは私達が廊下で消えたのを見ていたことになる」


「たまたま!」


 ミヤビが叫ぶように言った。


「たまたまですわ!」


「ふーん」


 ミサトは、興味なさげに前だけを見て言う。それを、ミヤビが立ち上がって指差す。


「貴女、疑ってますわね!」


「別にー」


「……オキタアオも気に入らないけれど、貴女も気に入りませんわね」


「仲間に入りたい癖に」


「誰が!」


「まあ落ち着けよ。どんな長丁場になるかわからないんだから、俺達は無駄に体力を消耗しないほうがいいだろ?」


 その言葉で、冷静になったらしい。ミヤビは、そっぽを向いて座り込んだ。青も、ミヤビの取り乱しようを見ていると、なんだか冷静になっていく自分を感じていた。

 そして、沈黙と闇が部屋を包んだ。ミサトは集中力の消耗を避けるために、炎を消したのだろう。どんどん時間の感覚が麻痺していった。窓がなければ、外の様子が見えない。外の様子が見えなければ、どれだけ時間が経っているかもわからない。永遠に思える重い沈黙が、場に漂った。

 死とはこういうものなのだろうか、と青は想像する。誰ともふれあうこともなく、視覚もなく、意識だけが永遠に残る。それは果てしなく続く牢獄のようなものだ。実際には、全ては無に帰すだけなのだろうが。


「誰か、何か喋りなさいよ」


 ミヤビが、ぼやくように言った。


「話題、ある?」


 ミサトが、淡々とした口調で言う。ここに来てからの彼女を見ていると、普段の感情豊かな彼女が偽物であるかのように思えた。


「私は特に。オキタアオ、貴女なら何かあるでしょう」


 無茶振りである。青は頭を捻って、話題を考えだした。


「それじゃ、魔術の授業で教えてほしいことがあるんだけどさ。魔術使ってもいい?」


「こんな狭い場所であんたの魔力を放たないで欲しいね」


「それは、尤もですわね」


 ミヤビは、嘆くように言った。

 その時のことだった。


「きゃっ」


 三人のうち、誰のものでもない声が響き渡った。瞬時に炎が生み出され、室内が照らしだされる。

 部屋の中央で戸惑うような表情をして立っていたのは、ミチルだった。


「ミチル」


 青は表情を綻ばせて、ミチルに駆け寄る。


「何? ここ。どうして三人ともこんな場所にいるの?」


「閉じ込められたんだよ。ここは魔術が絡むスペースで、出口はない。ミチルは、どうしてここに?」


「アオちゃんとミサトちゃんがいないから、帰り道を探ってみたんだよ。そのうち、壁の前で木剣を見つけたから、周りを調べてたらこんなことに……」


 そう語るミチルの手には、確かに木剣がある。


「私のですわ」


 そう言って、ミヤビはミチルの手から木剣を受け取る。そしてそれを腰紐に通した。すると、彼女の心の中に勇気が漲ってきたのが目に見えるかのようだった。


「剣士が一人。魔術師が二人。神術師が一人。行けますわね」


 ミヤビの目には、炎が生み出す光が爛々と輝いている。


「動く気?」


 ミサトが、何処か投げやりに訊く。


「ええ。晩餐までまだ時間がある。先生達が探しに来てくれるまではまだまだ時間がある。なら、自らも脱出を目指すのが剣士たるべきものの矜持でしょう」


「私は剣士の家系じゃないから、そういうのは興味ないなあ」


 物憂げにミサトは言う。


「付き合いなさい、ミサト。フクノの建物です。私はこの建物に興味がある。神術師がいれば、多少の怪我はどうとでもなるでしょう」


「そう、頼りにされても困るんだけれどな……。私、ハクアさんみたいな神術は使えないんだからね?」


 困ったようにミチルは言う。


「何よりオキタアオ。私達の実力を試すにはこの場は絶好の機会となるでしょう」


「いや、俺は素直に救助を待つべきだと思う」


 申し訳ないと思いながらも、青は言う。


「永遠に来ないかもしれない助けを?」


 沈黙が場に漂った。助けが来ずに死んでしまう自分は容易にイメージできた。動かなくて良いのか。そんな迷いが、皆の中にある。


「私は行きますわ」


 ミヤビは、焦れたように階段を下って行ってしまった。


「一人じゃ心配だから、私も行くね」


 そう言って、ミチルも後を追う。

 そうなってしまうと、青も彼女達を放置しておく訳にはいかない。腰を上げた。


「しょうがないなあ……」


 ミサトも軽く溜息を吐いて、腰を上げていた。

 青はそれを見て、つい微笑んでしまった。

 ミサトと並んでミヤビ達の後を追う。そのうち、地鳴りのような音が近づいて来るのがわかった。


 階段を下りきると、そこでは、炎を手に浮かべたミヤビと、その背後にミチルが立ち尽くしていた。彼女達の前に浮かび上がるのは、幾重にも連なった溝がある道だ。その一つの溝に付き一個、巨大な岩が転がっているのが見える。岩は視界に現れたと思えば消えていき、どこかで動きを止めて、また転がって来ては視界に現れる。その巨躯は人間など簡単に踏み潰してしまうだろう。ここを進むのは、巨人の群れの足踏みの中を通過して行くかのようなものだった。


「これは神術師じゃどうにもならないんじゃないかなあ……」


 ミサトがぼやくように言う。


「いいえ。この岩は一定の間隔で動いている。抜けられますわ」


 そう言っているミヤビは、どこか意固地になっているように見える。


「そうでしょう? オキタアオ」


 ミヤビは、自信に満ちた口調で青を指名する。こんな時に頼りにされても面白くない。


「……抜けられるっちゃ抜けられるけど、命懸けだな」


「間隔さえ間違わなければ良い話よ」


「気軽に言ってくれるなあ……」


「気にならない? こんな罠を仕掛けた先に、何があるのかを」


 確かに、気にならないと言えば嘘になる。アカデミーの地下に何が眠っているのか。その秘密に興味がわかないわけではない。


「その前に、この岩は魔術で作った幻覚か何かなんじゃないか? 魔術の探知能力でそれを調べることはできないのか?」


「無理だね」


 ミサトは淡々と言う。


「岩が動いていることそのものが魔術によるものなんだよ。人を引きずり込むことそのものも魔術だ。この建物は魔術と関り合いが強すぎる。その中で探知しようとしても、臭いが混ざり合ってわけがわからなくなる……魔力が強い人なら、激臭に襲われるでしょうね」


 それはもう嫌だった。


「進みましょう、オキタアオ。私はミサトの手を引いて進みます。貴女はミチルの手を引いて進んで」


「行くことは決定事項なんだね……?」


 諦めの混じった口調でミチルは言う。


「まあ、助けが来るって保証しろって言われても保証できないからね。行きたいなら付き合うよ」


 何処か投げやりにミサトは言う。


「うわあん、ミサトちゃんまで乗り気になっちゃったよ……」 


 ミチルは、縋るように青を見る。

 ミヤビの視線も、ミサトの視線も、青に集中する。


(こんな時に、判断を仰がれても困るんだけれどな……)


 溜息でも吐きたい気持ちで、青は頬を掻く。


「行こうか」


 ミチルが、その一言を聞いて諦めの篭った表情で手を差し出してきた。それを、青は握る。

 ミヤビは、ミサトと手を握った。

 まずはミヤビとミサトが、前へと進んだ。岩が視界から消えた瞬間、前へと進む。次の岩が視界から消えた瞬間、更に奥へと進む。


「行こうか」


 青は、ミチルを見た。ミチルの手は震えていたが、その目は、時に岩に阻まれて見えなくなる二人の背を真っ直ぐに見つめていた。


「うん。二人だけ放置するなんて、私には無理だ」


 目の前を岩が転がって行く。それが通りすぎた刹那、青は叫んでいた。


「今!」


「うん!」


 二人して、溝に飛び乗る。その瞬間、すぐに目の前を岩が転がって行く。さらに横からも、岩が戻って来ようとしている。踏まれれば命はない。立ち止まっても命はない。背筋に寒気が走るのを感じて、二人は一度後退した。

 そこにあるのは、安寧の床だ。岩が転がってくることもない。心臓が弾けんばかりに高鳴っていた。呼吸が震えているのが、自分でもわかった。岩は止まることなく、動き続けている。


「行こう」


 そう言ったのは、ミチルだった。既に、覚悟の決まった表情だった。青は苦笑する。他人が関わると、彼女はこうだ。自分一人ならけして進めないだろう障害にも立ち向かってしまう。彼女は、いつだって変わらない。


「行こうか」


 そう言って、青はタイミングを見計らって前へと進んだ。そして、テンポ良く前へ前へと進んで行く。そのうち、溝の切れ目が見えてきた。その向こうには、床に立ってこちらを不安げに眺めている二人がいる。


「もう少しだ、行こう」


「うん、頑張ろう」


 言いながらも、二人はテンポ良く前進していく。その時のことだった。手を引かれているミチルが、バランスを崩した。溝に足を引っ掛けたのだと、振り向いてわかった。横からは岩が戻ってくる。迷っている時間がない。

 青は、ミチルに覆いかぶさるようにして背を屈めた。

 そして次の瞬間、ミチルを抱きかかえて、前へと進んでいた。

 遅れを取り戻すように、早足で一歩前へと進む。背後を、岩が地鳴りを立てて転がっていった。


「間一髪」


 青は、苦笑交じりに言って前へ前へと進んで行く。死がすぐ隣りにある。今にも心臓は口から飛び出そうだ。それでも青は軽いミチルの体重を感じながら、前へ前へと進んだ。

 そして二人は、ミヤビとミサトが立つ溝の通路の向こう側へと辿り着いていたのだった。

 溜息を吐いて、その場に座り込む。ミチルが、膝の上に乗っていた。


「ごめんね、アオちゃん。足引っ張っちゃった」


 申し訳なさげにミチルが言う。


「まったくですわ。こんな場面で転ぶとは、貴女も鈍臭い人ね」


 そう言うミヤビの声は、やや震えていた。


「面目ないです」


 そう言って、ミチルは小さくなる。


「けど、アオちゃんの男の子みたいな腕力がこの場で役に立ったね」


「うん、本当アオちゃん男の子みたいだよ。軽々と私を抱えて進んじゃうんだもん」


「だから、俺は、男……」


 震えて、中々声が出てこなかった。それに比べて、この三人は肝が座っている。

 ミチルが、青の膝から下りて立ち上がった。


「行きましょう」


 ミヤビが言う。

 青も立ち上がって、三人の後に続いた。

 次に視界に現れたのは、迷宮だった。少し進んだだけでも、六つは道の分岐がある。


「迷路、か……」


 ミヤビが、躊躇うように言う。


「今更戻れって言われても嫌だよ。あの道をもう一度通りたくない」


 ミサトは、ぼやくように言う。


「わかってますわ!」


 ミヤビが、鬱陶しげに返す。


「ああ、この手の迷路は簡単なんだよ。出口が外壁にある場合はだけれど」


 青は、呼吸が整ってきたのを感じながら、ゆっくりと口を開く。


「左手の法則ってのがあるんだ」


「左手の法則?」


 ミヤビが、胡散臭げな表情になる。


「左手を壁について歩けば最後にはゴールに着くんだ」


「総当り、ということですか」


「まあそういうこと。とりあえず、進んでみようぜ」


「私は自分の運に任せます。しばし別行動としましょう」


 そう言って、ミヤビはさっさと前に向かって歩いて行ってしまった。

 ミチルは困ったように、ミヤビと青達の間で動きを止める。


「……迷子にならなきゃ良いけどな」


「最悪、どちらかが脱出して、助けを呼べば良いでしょ。出口がある保証はないけどね」


 ミサトはそう、投げやりに言った。

 三人は黙々と左手を壁について迷路の中を進んで行く。途中、五度ほどミヤビと合流した。


「貴女方がそっちから戻って来たということは、そちら側はハズレの道。私が先に辿り着く確率が高まりましたわね」


「モンスターが出たら素直に逃げて来いよな」


「もちろんですわ。神術師も計算に入れて私は動いていますから」


 そんなやり取りを、五度ほどした。

 最後には、三人は小部屋に辿り着いていた。次の部屋に繋がる扉と、立て札があることからも、ここが目的地で間違いないだろう。

 二十分ほど、その場で待つ。


「ミヤビちゃん、遅いね……」


 座り込んだミチルが、不安げに言う。


「迷路の中に現れたモンスターに襲われて死んでたりして」


 ミサトが、冗談交じりに言う。


「洒落にならないからやめてよ、ミサトちゃん……」


 ミチルは暗い表情だ。

 左手を壁についたミヤビが、息も絶え絶えにやってきたのは、さらに二十分ほど経ってのことだった。


「便利だろ? 左手の法則」


 青は安堵の思いで苦笑を浮かべながら、ミヤビに訊ねる。ミヤビは、項垂れた顔を上げて、苦い顔になった。


「不便ですわ。総当りだなんて」


「良かったあ、ミヤビちゃんも合流できて」


 立ち上がって、ミチルは抱きつかんばかりの勢いでミヤビに歩み寄る。ミヤビはそれを無視して、前へと進んだ。


「次の部屋へ、行きましょう」


 そうしてミヤビが次の部屋の扉を開けようとした瞬間のことだった。

 扉の前に、布を体に巻いた老人が現れた。彼は微笑んで、四人を見守っている。


「謎掛けをしよう」


「……貴方、出口について何か知っているの?」


「ほっほ。わしは謎掛けをする存在。それ以上のことはできんよ」


 そう言って、老人は微笑み続けている。

 ミヤビは値踏みするようにしばらく老人を眺めていたが、そのうち腕を組んで、威高々に言った。


「いいでしょう。謎掛けとやらをしなさい」


後編に続きます。

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