5.舞姫の休日?
『隠し部屋での大冒険?』予定でしたが、活動報告などに予告させていただいた『舞姫の休日?』を前倒しして投稿させていただきます。
『隠し部屋での大冒険?』は次週投稿となります。
主人公の(TS部分の)ageとロマンスが不足していると感じたためです。
その日、アオイタケルは剣術の自己鍛錬の為に裏庭に向かっていた。腰には木剣をぶら下げている。
タケルはアカデミーの剣術科の生徒だ。厳しい試験をパスした生徒の中でも指折りの実力者とされている。その実力は日々の鍛錬に裏打ちされている。
今日は授業のない休日だが、それでも鍛錬は欠かさない。鍛錬はタケルにとっては日課のようなものだった。
そこでタケルは、彼女と出会った。
まるで、天女が大地に下りて来たかのようだと思った。ボブカットの黒い髪は濡れているかのように日光を受けて輝き、白い肌は作り物のようだった。顔の彫りは深く、まつ毛は水を溜めそうな程に長く、大きな瞳は好奇心に輝いて前を見ている。
その表情が、タケルを見て曇った。
アカデミーの制服を着ていることから、同級生ということが知れた。
「……お前、休日にまで鍛錬してるの?」
「君こそ、休日とはいえそれはまずいんじゃないか」
タケルは、苦笑交じりにそう言い返す。
彼女は、梯子を使って、アカデミーの壁の外へと出ようとしていたのだ。
「数ヶ月に一度ぐらい外に出なきゃやってられねーよ。舞姫科は外出厳禁なんて、監禁されてるようなもんだ」
ぼやくように彼女は言う。外見に似合わず、言葉遣いは乱暴だ。
確かに、舞姫科の生徒は外出を禁止されるようになった。例外は授業で必要がある場合で、その時は普段の数倍の兵が町を見回るという。
「それは舞姫科の生徒がそれだけ重要に扱われているってことじゃないかな」
「先生に言うか?」
少女は、疑い深げにタケルを見る。
タケルは考えこんだ。教師に密告したところで、タケルにメリットはない。それなら、この可愛らしい女の子と仲良くなれたほうが良いのではないかと思ったのだ。
「言わない。代わりに、俺も連れてってよ」
タケルの一言に、少女は目を丸くした。けれども、すぐ悪戯っぽく笑って、壁にかけた梯子をスカートを揺らして駆け上がった。
「いいぜ、来いよ」
「ああ、行くよ」
そう言って、彼女の後を追って梯子を昇って行く。
誰かが言った。舞姫科の生徒は魔物だと。彼女達に関わった剣術科の三人組が、幻覚を見せられて人が変わったように大人しくなったことからそんな噂が生まれた。だから、剣術科では舞姫科に対して不気味なイメージを持つ者が多い。
なんてことはない、普通の女の子ではないか。そんな風に、タケルは思う。噂話はむしろ、興味となって今のタケルの背を押していた。
梯子を登り切ると、アオは壁に上に座り込んで、今度は梯子を壁の外へと立てかける。女子に似合わぬ腕力だった。そして、二人して、今度は梯子を下り始めた。
こうして二人は、アカデミーの外へと脱出して、梯子を隠したのだった。
「君、腕力強いね」
感心したようにタケルは言う。長い梯子を不安定な壁の上で持ち上げても、彼女はまったくバランスを崩しはしなかった。
「まあ、鍛えてるからな」
飄々とした口調で彼女は言う。
「そういえば舞姫科は剣術もやってるんだっけか」
「そうだよ。剣術、魔術、舞の三大要素。それが舞姫科。ついていくのが大変だ」
大変だ、と言いながらも、彼女の口調に苦味はない。
その明るさと、心地の良いソプラノの声に、タケルはますます彼女に好感を持つ。
「君、名前は?」
「俺は、オキタアオ。お前は?」
「アオイタケル。これで、友達だな」
「馴れ馴れしい奴だなあ」
アオは、やや呆れたように言う。
そして、どうでも良さげにこう付け加えた。
「まあ、いいけどね。気が合えば友達だって誰かが言ってたし」
まずは、この可愛い女の子と友達になれた。そんな思いが、タケルの心を高揚させる。
「ああ。んで、何処に行く? アオ」
「町の中をぶらつこうかなって。顔を見たい人もいるし」
「ふうん。プランはなしってことか。しかし、あの梯子どうしたの?」
「出入りの商人に金を握らせて持ち込ませた。渡しすぎたのかな。大喜びして運んでくれたよ。それを木陰にずっと隠してた」
「へえ」
豪胆な子だ、とタケルは思う。
そういえば、舞姫科は金銭が定期的に支給されるのだった。多少の無駄遣いはできるのだろう。
「それにしても」
タケルは気になっていた点を指摘することにした。
「君、なんで男言葉なの? 俺って、普通男が使う言葉だよ?」
「ん、俺の言葉遣いか?」
少女は悪戯っぽく微笑んだ。
「それは、俺が男だからだよ」
胸を張って、彼女はそんなことを言う。
けれども、彼女は何処からどう見ても女の子だ。タケルより小柄だし、肩幅も華奢だ。抱けば折れてしまいそうに見える。声だって可愛らしいソプラノで、歌えば誰もが心を和ませるだろう。
「君は冗談が上手いなあ」
タケルの言葉に、アオは、とたんに情けない表情になる。
「……ま、そういう反応になるよなー」
アオはそう言うと、さっさと前を歩き始めた。町の探索を前にして、心が弾んでいるのが目に見えるかのようで、タケルの心は和んだ。
わかりやすい女の子を、タケルは嫌いではない。
そして二人は、町の中を歩いた。
このオギノは商業の町だ。道行く人は多く、二人は人混みに流されそうになる。
「俺が前に立つよ」
そう言って、タケルはアオの前に立って、壁になって道を開いていく。
「そう女の子扱いしないでくれていいんだけどな」
アオは、苦笑交じりに言う。
「君みたいに綺麗な女の子そうはいないからね。丁重に扱うさ」
「お前ってそういう台詞、恥ずかしがらずに言える性質なんだな。羨ましいよ」
照れ臭さを誤魔化すようにアオが言う。感触は悪くない、とタケルは思う。
「そうだよ、君は女の子だ。男の子なんかであるわけがない」
「……まあ、信じる者は救われるって言うしな」
やや同情したようにアオが言う。何故、彼女は頑なに自分は男だと信じているのだろうか。こんなに華奢な外見に生まれつきながら、どうしてそこに至ったのだろうか。タケルの興味は尽きない。
「なんで君はそうなんだろうね?」
「そうって?」
「自分を男だと信じこんでるみたいだ」
「だって、男だからな」
「君みたいな華奢で綺麗な外見の女の子にそんな嘘は似合わない」
「さらりと外見褒めるのやめてくれないかな。プレイボーイか、お前は」
少し慌てたようにアオが言う。言葉の意味はよくわからなかったが、女誑しのようなニュアンスは感じ取れた。
「誤解だよ。変だな。君を前にすると饒舌になる」
アオは黙りこんだ。振り返って顔を見てみると、困ったような、照れ臭いような、そんな表情をしていた。
タケルは実際、饒舌な性質ではない。女性への興味も薄いほうだ。それでも、どうしてかアオに惹かれている自分を感じていた。
男勝りで、梯子を使ってアカデミーを脱走しようとするお転婆さ。豊かな表情の変化。
どうやらタケルは、他の女の子にしているような気の使い方を彼女にはしなくて良さそうだ、と心の何処かで思っているらしい。それが、発言を大胆にさせるのかもしれない。
「さ、行こう、アオ。まずは顔を見たい人、とやらの場所に行こうじゃないか」
そう言って、タケルはアオの手を取る。
「エスコートするよ。行き先を教えてくれ」
「……ああ、うん」
急に手を掴んだのは強引だっただろうか。彼女の反応は少し遅かった。
「そうだな。じゃあ、大通りをまっすぐ進んで、そのうち酒瓶が描かれた看板が見えるからそこまで行ってくれ」
「了解」
二人して、人混みの中を進んでいく。離れないように、しっかりと手を握りながら。日差しは暑い。そのうち、アオの手が汗ばみ始めた。それでもタケルは、手を離す気にはならない。
そのうち、苦労して、言われた酒場の前に立った。
アオは懐かしげに、その店の外観を眺めている。そして、少し緊張した面持ちで、その扉を開けた。
店の奥では、女主人が物憂げにカウンターに頬杖をついていた。その目が、一瞬驚きに見開かれたが、すぐに元に戻る。
「久し振りだね」
ぶっきらぼうに、女主人が言う。
「半年ぶり……になりますか」
アオが、苦笑交じりに言う。この女主人が苦手なのだろうか。か細くなったその声は、元の声に増して可愛らしかった。
「うちのことなんて忘れてるもんだと思ってたよ」
「お世話になったんです。忘れなんかしませんよ」
「その割には、顔も出しやしなかったけれどね」
「舞姫科は、外出厳禁で……。中々、外に出ることも難しいんですよ」
「そうかい」
やはり、苦手意識があるのだろう。アオは小さくなってしまっている。
しかし、男言葉をやめた彼女は、普通の少女のように見えた。
「飯でも食べてきな」
「はい、何リギンになるでしょうか」
「馬鹿、リブルで十分だよ。それに今日は、私のおごりだ」
呆れたように女主人は言うと、カウンターの奥に引っ込んでいってしまった。調理をしているのだろう。
カウンターの席に、彼女と並んで座る。
「この店の主人とは、どういう関係なの?」
「金がない頃に、一時期雇ってもらってたんだ。懐かしいなあ」
「料理を運んだりしてたんだ? 看板娘だったろうな」
エプロンを身に着けたアオの姿を想像する。それは、とても絵になると思うのだ。
手と手は、離れてしまっていた。それが、どうしてか酷く恋しい。
「……歌ってた」
そっぽを向いて、アオは言う。小さな声だった。
「歌? 上手いの?」
「曲が良いんだ。俺の歌が良い訳じゃない」
アオは小声で言う。
その時、客が数人入って来た。いずれも、中年男性だ。
「おー、やっぱりアオだ」
「うろついてるの見たって聞いて、ここだと思ったんだよ」
そう言って、男性達はアオとタケルを囲むように座る。声の大きな人々だった。
「お久しぶりです」
アオは苦笑して頭を下げる。
「舞姫科受かってよかったなあ」
「半年ぶりぐらいか?」
「授業大変なんだろうな。顔出す暇もないんだもんな」
「いえ、それが舞姫科は基本外出禁止でして……。中々に難しいんですよ」
「なるほど」
「それじゃあ、今日はなんで?」
「抜け出してきました」
そう言って、アオは悪戯っぽく微笑む。
タケルなら、こんな声の大きな大人に囲まれると萎縮してまいそうだ。堂々としている彼女が、とても凄い存在のように思えた。
「ははは、そりゃいい」
「なあ、アオ。久々だし、また歌ってくれよ」
「困ったな。同級生もいるし、なんだか久々だと気恥ずかしいや」
そう言われて、男達は初めてタケルに気がついたような表情になった。
「そういや男連れだな」
「恋人か? 半年経ってアオの外見なら恋人もできらぁな」
面白くなさ気な口調だ。なるほど、看板娘だったことに変わりはなさそうだ。
「いや、友達です。友達ですって」
「そう否定しなくても良いじゃねえか。お似合いだと思うぜ」
「坊主。アオの奴を泣かせたら承知しねえぞ」
「あんたら、アオをからかうのもそれぐらいにしときな!」
厨房から、女主人の鋭い声が飛んで来る。
「というか、あんたら酔っぱらいは夜にならなきゃ金を落とさないだろう。邪魔してないでさっさと出て行きなよ」
はっきりと物を言う人だな、とタケルは感心する。男達は尤もだと思ったようで、苦笑交じりに別れの挨拶をしながら去って行った。
気まずい沈黙が、場には残った。それはそうだ、恋人扱いされてしまったのだ。
「お似合いだってさ。困ったね」
タケルは、場を取り持とうと、苦笑交じりに声をかける。
「あー、うん、そーだな」
なんとも言い難い気まずい表情でアオは応じる。
「お似合いかあ。そう見えるんだな、今の俺って」
困ったような表情だった。
どうやら、タケルの予想とは違った気まずさを感じているようだった。だが、それが具体的にどんな気まずさなのかはタケルにはわからない。
わかることは、せっかく自然だった二人の仲が、男達の軽い調子のからかいで気まずくなってしまったということだ。
女主人が振る舞ってくれた豚料理は、美味しかった。二人がそれを食べたのを見届けると、彼女は金も取らなかった。ただ、二人を送り出した。
「良い人だね」
場を取り持とうと、タケルは言う。
「うん。普段の調子に似合わず良い人なんだよ。料理、美味しかったなあ」
アオも、元の調子に戻っている。けれども、さっきのように気軽に手を引くことは難しそうだ。
少しの溝が、できてしまった気がした。それが、酷く寂しいことのようにタケルには感じられた。
そのうち、アオの指示に従って歩いていると、広場に出た。大きな広場では、人々が思い思いの時間を過ごしている。
「懐かしいな。昔はここで歌ってお金を貰ってたもんだったよ」
そう、アオは言う。
「アオは、苗字を持っているけれど上級剣士の出身ではないんだ?」
「平民だよ。貴族の血は一滴も入ってない」
それなのに苗字を許されているというのも不思議な話な気がした。
「歌、聞いてみたいな」
「まだ言うか」
そう言って、アオは苦笑する。
「皆が聞けて俺が聞けないのはずるいと思う」
「つってもなあ。今は食うに困っているわけでもないし……」
アオはそう言って頬をかく。
そして、ふと気がついたように周囲を見渡した。道を行く人、座り込んで恋人と語り合っている人、馬車を先導する人、色々といる。
「まあ、たまにはいいかな」
そう言って、アオはふと微笑んだ。
そして、彼女は息を吸い込むと、ゆっくりと歌を紡ぎ始めた。それは、日溜りのような、優しい歌だった。彼女のソプラノの声が、それを可憐に装飾していく。
曲の良さも確かにあるだろう。けれども、彼女の声はそれ以上に魅力的だった。甘くて、中毒性がある、飴のような声だった。
曲が終わる。あちこちで足を止めていた人々から、拍手が上がる。それで我に返って、タケルも慌てて拍手をした。
「気恥ずかしいな」
アオはそう言って、タケルの手をとった。そして、足早に歩き始めた。その場から逃げようとするかのように。
「久々に歌うとやっぱり駄目だ。気恥ずかしさが勝る。よくもまあ俺はあこで歌い続けていたもんだよ」
「いや、上手かったよ。それで給料を貰っていたのも納得がいく」
「からかうなよ」
「本音さ」
また、二人は手を繋いでいる。それは、タケルにはとってはとても嬉しいことだった。
二人の距離は徐々に縮まっている。そんな予感がした。
「踊りも、歌みたいに気楽にやれたら良いんだけどな」
「踊りは嫌いなの?」
「苦手だ」
アオは苦々しい口調で言う。
「舞姫科も半年が経って、ついに舞の授業が始まった。けど、俺はこれがすこぶる苦手でな」
「最初は仕方がないんじゃないか」
「カカシの踊りだって言われてる。ライバルにも呆れられてる始末だよ」
そう言って、アオは深々と溜息を吐いた。
「じゃあ、俺にも踊って見せてよ。アドバイスができるかもしれない」
「嫌だ。今回ばかりは断る」
「どうあっても?」
「どうあっても」
意固地になっているのを見ると、相当周囲から笑われているのかもしれない。
その意固地さも、タケルには可愛らしく映る。
「苦手分野があるのが人間だよ」
「よりによって舞姫科で舞が苦手なんだぞ。剣術科で剣が苦手ですなんて言えるか?」
「それは、言えないけどさ……」
悲観しきっているアオに、タケルは苦笑するしかない。
その時のことだった。
裏路地から出てきた男と、アオがぶつかった。男は大げさに倒れこむ。瓶の割れる音がした。
見ると、男が持っていた袋から、赤い液体が漏れているのが見えた。
「ああ、これはお嬢ちゃん、弁償してもらわなけりゃいけないなあ」
男は袋を見て、面倒臭げに言う。
「唐突に路地から出てきたのはそちらです」
呆気にとられているアオを背後に庇い、タケルは言う。
「そうは言ってもなあ。これは高級品でな。これが割れたとなれば、うちの家族が食うに困ることになる」
「いくらですか」
アオは、静かな声で聞く。
「アオ、気にすることはないって」
しかし男は、払う気があると知って図に乗ったらしい。表情が明るくなる。
「十リギンだ」
タケルは思わず絶句する。
「タケル。十リギンって相場か?」
タケルは慌てて、男の持っていた袋をひったくる。そして中身の割れた瓶を見て、臭いを嗅ぐ。
「どこにでもあるワインだ……。十リギン? 冗談じゃない。普通の家庭が三ヶ月食える額じゃないか。払うことなんてないよ、アオ」
「瓶を割っておいて逃げる気かい」
男が、腰に帯びていた剣を引き抜いた。鋼の鈍い輝きに、命の危機を感じたタケルは身が引き締まる。
周囲が騒然とし、距離をおいて人だかりができる。
「払えば問題はないんだよ。舞姫科の生徒なんだろう? 金はあるはずだ」
アオが舞姫科の生徒だと知れている。相手は用意周到にこのタイミングを待っていたらしい。
「繰り返し言う。アオ、払う必要はない。それに、あんただってアカデミーの生徒を手にかければ問題になる。処刑されるぞ」
「俺は瓶を割られた被害者だ。お前らが瓶を割って逃げようとしたんだ。悪いのはお前らだ」
「はたして、リッカさんがその理屈で納得するかな」
「五月蝿えな。ガタガタ言わずに払えって言ってるんだよ!」
男は叫ぶ。今にも剣を振り回しそうだった。
タケルは、溜息を吐いた。構えから、素人ということは見て取れた。
「アオ、下がっていて」
「けど……」
「こういう時は、男に頼るもんだ」
そう言って、タケルは腕まくりをして、木剣を腰から抜いた。
「おお、やる気だぞ」
「誰か、衛兵を呼んで来い!」
「木剣でやるのか? おいおい、まだ若いのに」
周囲のざわめきが聞こえてくる。それを、認識の外にやるようにタケルは意識した。徐々に、神経が研ぎ澄まされてくる。視覚の中の、特に目の前の剣と男だけに意識が集中される。
男が、剣を振り下ろした。
「鈍い!」
タケルは叫んでいた。
男の剣を軽々と回避する。しかし、それは撒き餌でしかない。必殺の一撃は、そこから繰り出される横薙ぎの一撃。それを、タケルは背後に飛ぶことで軽々と避けていた。
剣を振り切った男には隙ができる。その肩に、タケルの木剣が深々と突き刺さっていた。
男は剣を取り落として、肩を抑えて呻き声を上げる。骨が、折れているだろう。
タケルは剣を蹴り飛ばすと、振り返ってアオの手を取って人混みの中を駆け始めた。
「衛兵が来る。見つかったらヤバいだろう?」
アオは、悪戯っぽく微笑んだ。
「お前、強いな」
「伊達に剣術科じゃないよ。まあ、その中でもトップクラスだけどな」
さり気なく強さをアピールするのを忘れないでおく。アオには、いくら良く見られようと悪いことはない。そして二人は、そのうち元来た広場に舞い戻っていた。
二人とも、呼吸が乱れてすらいない。
けれどもなんとなく、二人してその場に座り込んだ。
「金を持ってる舞姫科の生徒の外出が禁止されるわけだな。アカデミーの制服は見ようによってはカモか」
アオが、呆れたように言う。
「これで、貸しが二つだよな」
「二つもあったっけ」
「一つは、相手がぼったくりだって教えたこと。一つは、相手を撃退したこと」
「まあ、言われてみればそうだなー」
アオはどうでも良さげに言う。
「それじゃ、一つお願いがあるんだけれど」
「なんか、嫌な予感がするな……」
「舞を見せてほしい」
アオは、困ったような、考えこむような表情になった。
けれどもタケルは思うのだ。こんなに可愛い子が舞うならば、それはどんなにぎこちなくても綺麗に違いないと。
その期待に満ちた視線を受けて、アオは苦い顔になる。
「がっかりするだけだぜ」
「がっかりなんて、しないさ。下手でも、見せてほしい」
「貸し二つか。言われると弱いな……」
そう言って、アオはしばらく考え込んでいたが、そのうち、一つ溜息を吐いた。
「こうやって迷うのも、男らしくないか」
「君は、女の子だけどね」
アオは、意表を突かれたような表情になる。
「今日一日一緒に過ごして、それでも俺を女の子扱いするんだな」
「だって、君は女の子じゃないか」
「男の子みたいって、舞姫科の友達には散々言われてるんだけどな」
「確かに男勝りだけれど、俺にとっては君は女の子だよ」
「……なんか、気恥ずかしいな」
そう言って、アオは表情を隠すかのように俯いた。そしてそのうち、また溜息を吐いて立ち上がった。
「一度だけだからな」
アオは手を大きく広げ、右手をやや上空に伸ばし、左手をやや床に向かって伸ばしたポーズで動きを止めた。
そして、スカートを揺らしながら滑らかに舞い始めた。
ステップを踏んで、彼女は優雅に踊る。時に回転し、時に膝を高く上げて。宮廷などの踊りよりもテンポは速い。剣術で鍛えたのだろう身体能力が生み出す舞のキレは、見ものだった。
そのうち彼女は、右手を前に差し出し、左膝を高々とあげて、動きを止めた。
そして気恥ずかしげに、腕を組んで足を下ろした。
「満足かよ」
そう言って、ぶっきらぼうにそっぽを向く。
「なんだ、上手いじゃないか。カカシの踊りなんて言ってる奴は見る目がないな」
タケルは惜しみなく拍手をする。
「違うよ。期待されていると思うと、期待されている動きをしなきゃと思って、自然と体が動いたんだ。今、初めて俺は上手く踊れるようになったんだよ。まったく……」
アオは、深々と溜息を吐いた。表情は、柔らかかった。
「これで、また貸し一つだな」
「次に会う時に、返してくれればいい。また、町に出ようぜ」
「リッカさんにバレてなければだけれどな……」
不吉なことを、彼女は言った。
その予言は、正しかった。帰ったらそこに既に梯子はなく、仕方がなく正門から戻ったタケル達はリッカに雷を落とされる羽目になったのだった。
学長室から出て、アオが沈んでいないかと表情を疑う。
「今回は不手際だったな」
そう言って微笑むアオは、とても魅力的に見えた。
その晩、タケルは今日の一日を振り返った。
女の子の手を引き、時には引かれ、町のあちこちを冒険した。アオの歌声や踊りは、タケルの心に染み付いて取れそうもない。
ルームメイトに、思わず呟いてみる。
「なあ、俺って格好良いかな?」
「馬鹿言ってないで寝ろ」
ルームメイトの言葉は、冷たかった。
小さく溜息を吐いて、タケルは窓の外を見る。空には丸い月が輝いていた。
「また、会えるかな……」
会えるならば、もう一度彼女の手を引いて歩きたい。そんなことを思ったタケルがいた。
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月夜の下で、アオは舞っていた。それを見ているのはミチルだ。
最後のポーズを決めると、ミチルは拍手をしてみせた。
「凄い上達じゃない。何があったの?」
「いや、色々あってな。最初は男の俺が女の舞? って違和感があったんだが。俺も女として見られてるんだなーと数カ月ぶりに実感したり、期待に応えないとなーとか考えてたら、自然に踊りの繋目から繋目へと体が自然と動いたっていうか」
ミチルは滑稽そうに笑う。
「相変わらず変なことを言うね。アオちゃんは女の子じゃない」
「違う、俺は男だ」
アオは、目を細めて渋い顔になって言う。
「女の子だよ。とっても可愛い女の子」
「男」
「意地を張るねえ」
アオは、ミチルの手をとった。そして、自分の体に抱き寄せた。
「男なんだよ……」
ミチルにはわかってほしかった。ミチルには、男と思われたかった。それは、アオがミチルに恋をしているからだ。
アオがミチルを愛しいと思った理由。それは、数カ月前のある出来事、地下迷宮での冒険まで遡る。
ミチルは、アオの背を軽く何度も叩いた。
「はいはい、わかったよ。アオちゃんは、男の子になりたいんだね」
「男なんだ」
どうやら、この思いは今は伝わりそうにもなかった。
けれども、いつかはきっと、と、アオは思う。
ミチルの体は柔らかく、温かかった。




