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03 新生

 大きく振動する世界を駆け抜けるのは二人と一羽。

 崩壊してゆく白い世界に動揺した様子を見せず瓦礫を足場に高く跳んだ雫は、そのまま術を紡いで宙に魔法陣を描いた。

 ズン、と押し付けられるような感覚に下方を見ればぽっかりとした暗闇が口を開けている。

 不安定な場所だけに影響が著しいのだろうと、雫は歌うように術を展開させるハクトの声に耳を傾けた。


「雫、準備が整っていなくても行くわよ」

「いつもの事だわ。ビブリ」

「お供いたします」


 天地がひっくり返るようにぐるりと回る。

 どこまでも広がる深い闇を仰ぎながら雫が肩を竦めると、ハクトは笑った。

 雫の呼びかけにビブリと呼ばれた男は胸に手を当て頭を下げる。

 整った顔立ちに白の執事服。誰の願望なのやら、と雫が呟くと左腕に抱かれていたハクトが「ふんっ」と鼻を慣らした。


「加速するわ」


 そう言って雫はハクトを強く抱え直す。

 ちらり、と後方にいるビブリを見れば彼は無言で静かに頷いた。

 彼の後ろには白い世界の欠片が暗闇に呑み込まれている光景が広がっている。

 魔法陣に落下してゆく彼女達とは反対に、崩壊する白い世界は暗闇へと落ちていく。じわりじわり、と黒へと変貌してゆく白い世界に別れを告げて、雫は落下速度を上げた。

 そのまま魔法陣の中央を突き破るように着地した彼女達の姿は魔法陣に吸い込まれるように消え、彼女達が消えた後に魔法陣も消失した。

 ハクトが転移先の座標を指定し、固定しているので失敗する危険性は低い。

 だが、稀に移動中にアクシデントが発生する場合もある。

 今までそんな事はなかったが、油断はできないなと雫が気を引き締めていればビブリの鋭い声が飛んだ。


「雫様、危ない!」

「え?」


 何が、と尋ねようとする前に衝撃が彼女を襲う。

 腹部に何かがクリーンヒットしたというのにハクトをしっかり左腕に抱いたままなのは流石だ。

 ぶつかってきた物体を退けようとすれば、スゥと体内に溶けるように消えてしまったのでハクトは変な顔をする。

 気を失いかけている雫は、必死に呼びかけてくるハクトの声を遠くに聞きながら誰かの後姿を見つめていた。

 近くて遠い、似て非なる存在。

 穏やかな青い波紋が優しく雫を包み込み、彼女の声がすぐ傍で聞こえてくる感覚が心地よい。


「危ない、落ちてた?」

「ほんの少しですが」

「雫、大丈夫? 具合悪いところはない? 怪我は?」


 ハッと目を覚ました雫は慌てて飛び起きようとして、くらりと眩暈に襲われた。

 額に手を当てて気持ち悪さに顔を歪めながら、背中を支えてくれているビブリに礼を言う。

 そんな彼女を心配そうに覗き込んでいるハクトはまるで母親の様だ。

 大丈夫だと弱々しい声で笑みを浮かべる雫にハクトの表情は曇る。橙色の瞳がゆらゆらと揺れ、冷や汗をかいている雫をじっと見つめていた。


「少し休憩した方がよろしいかと」

「そんな時間ないでしょ。私は、大丈夫」

「駄目よ雫。良くなるまで休みなさい」

「でも」

「安心なさい。貴方を置いてどこかに行ったりはしないわ」


 白いうさぎにそう諭されて静かに頷く雫。

 ホッとしたように息を吐いたビブリは奇妙な光景に思わず笑みを浮かべてしまった。二人は同士のようなものだと言っていたが、親子のようにしか見えない。

 こんな状況だというのにほのぼのしてしまうと笑みを浮かべたまま、ビブリは出現させた本を開いた。


「ここに記されている事が事実であるならば、そう急ぐ必要はないかと」

「それでも……」

「雫」

「もちろん、雫様が心配なさるように限られた時間ではありますが」


 自分もハクトの意見に賛成だと優しく告げるビブリに、雫は眉を寄せて拳を握った。

 二人の言っていることは雫もよく分かっているだろう。しかし、状況が状況だけに気持ちが急いてしまうのだ。

 自分を落ち着かせるように大きく深呼吸を繰り返してその場に横になる。


「由宇がいたわ」

「彼女が?」

「うん。由宇の中にはレディもいた。あれは、レディだったのかもしれない」

「羽藤由宇とリトルレディは同調後、一時的に一つとなりその場を治めたとなっていますからね。恐らく雫様が目撃したのは同調後の彼女達だったのかもしれません」


 リトルレディの欠片であるティアドロップと、魔王の力の一部を取り込んだ由宇。

 復活した肉体とそれら力の相性は抜群で、彼女の体もティアドロップの力で再生されたという。

 貴重なティアドロップを惜しげもなく使用した上に、人体再生まで可能にしてしまう研究者が恐ろしいと雫は眉間に皺を寄せた。


「シュトーラル、ハヤテ、クジャ」

「行方不明になった研究者の、こちらでの姿ね」

「面白いものですね。行方不明になった研究者の中で、人になっているのは一人だけとは」

「あら、生きているだけマシよ」


 実験中の事故による研究者の消失は数人ではない。何十人だ。

 偶々、責任者である雫の父親が不在時に起きた事とは言え生きているだけで奇跡に近い。

 その事故を知った時、雫は自分の父親がそこに含まれていない事にホッとし、これからそんな事が起こるのかと想像してゾッとした。

 適切にやればあんな事故は起こらないと父親に説明されても、万が一というものはある。

 家族というものを人一倍大事にする父親だからこそ心配せずにはいられない。


「そうだね、生きてるって素晴らしいよ」

「雫……」

「大丈夫。私はまだ死ねないもの。私が死んでしまったら、父さんはきっとああ(・・)なってしまうかもしれないじゃない?」

「冗談では済まされないところが、なんとも返答に困るわね」


 いつもならこんな気持ちにもならないはずだが、今回は調子が悪い。

 ハクトは自分が思っている以上に動揺している己に気づき、それを誤魔化すように顔を伏せた。

 しかし雫はそんなハクトの心情も知らず、優しく抱え上げると頬ずりをした。

 ぐりぐり、と顔を押し付けられてハクトの愛らしい顔も歪んでゆく。


「大丈夫よ、ハクト。貴方がしっかりしてる限り、私は大丈夫」

「それは責任重大だわ」


 自分に言い聞かせるような雫の言葉を聞きながら、ハクトは目を細めた。

 やっと離されたハクトは地面に降ろされ、ホッと息を漏らし笑みを浮かべる。前足で器用に毛づくろいをしながら雫の表情を観察して頷く。

 強がりからの嘘かとも思ったが、どうやら体調は回復したようなので安心したのだ。

 目を光らせていないと何をするか分からないから本当に困る、と保護者のようなことを思いながらハクトは念入りに毛づくろいを続けた。


「そろそろ移動した方がよろしいかと。同一箇所に留まり続ければ怪しまれますからね」

「そうね。ハクト」

「このまま直行して問題ないわ」


 毛づくろいを終えて満足気な表情をしているハクトを抱え上げて歩き出す雫は、何かに導かれるかのように目印もない場所を進んで行く。

 周囲の詳細な状況も把握できていないというのに、迷いのない足取りを見てビブリは不思議そうに首を傾げた。

 全てを記録していると言っても過言ではない自分の本にも書かれていない場所を、何故彼女は知っているのだろうと。


「どこへ行くのか、知っているのですか?」

「え? ああ。いや、分からないけど勘かな」

「雫は由宇の影響を受けやすいわ。だからじゃないかしらね」


 何かに引き寄せられるというよりは、ソレが在る場所が何となく分かるのだと言う雫にビブリは興味津々の表情で彼女を見つめた。

 こちらの世界の彼女よりも少しだけ大人びているが、中身は年齢相応にしか思えない。

 さほど慌てず騒がずで、面白味のない部分はあるけれど些細なことで大騒ぎするのに比べればマシだ。

 気づけば目の前にいた二人を主人として認識したビブリは、自分の主人はとても素晴らしいと興奮した様子で笑い始めた。

 面白いことを言った覚えはないと小さく口を開ける雫に、ハクトは「気にしなくていいわ」と告げる。


「雫、気をつけて」

「分かってるけど、大丈夫だと思うわ」

「大丈夫って、ちゃんと確認してから……っ! ああっ」


 何もなかった場所に突如出現した扉を開こうとする雫に、ハクトが警戒するよう言うが彼女はそれを笑って軽く流した。

 扉を開けたと同時に攻撃されるかもしれないと身構えたハクトだったが、何も起こらず目をパチパチさせる。

 雫の後に扉の中へと入ったビブリの背後で、音もなくその扉が消えていく。

 退路を断たれたというのに雫は相変わらず落ち着いていて、ハクトは不思議そうに彼女を見つめた。


「雫?」

「移動中にクラーとぶつかった」

「……あらぁ」


 名前を呼んだだけだというのに聞きたい答えが返ってきて、ハクトはその小さな体を震わせる。驚いた、と呟く彼女に「それにしては嬉しそうだけど」と雫は呆れた表情で周囲を見回した。

 先ほどの場所と何も変わらない、ただの白い空間が広がっているように見えるが進んでいくうちに景色が変わってゆく。

 透明な鉱石が虹色の光を放ちながら床や壁、天井を埋め尽くしている様は圧巻だ。

 雫が靴でその鉱石を踏みつけても欠けることはない。


「これは……」

「予想通りじゃないの?」


 こうなることは分かっていただろうと雫はハクトに問いかけるが、ハクトは驚きに目を見開いていた。

 失敗は許されない一度きりのチャンスを最大に生かすため、ハクトはあらゆる情報を入手し解析している。時にそれが非道だと言われるような事であってもだ。

 そんなハクトですら目の前の光景は予想外で戸惑いを隠せない。

 ハクトが安心しているから雫はいつも落ち着いている。それを知っているだけに慌ててハクトは雫を見上げてほっと息を吐いた。

 こちらも予想外だが、自分よりも雫の方が落ち着いていて笑ってしまった。


「いいえ」

「そっか。ま、やる事は変わりないから大丈夫でしょう」

「ふふっ、雫が落ち着いているから私もすぐ冷静になれて助かるわ」

「この先に進むのですか?」


 渋い表情をしながら落ち着かなさそうに周囲を見回すビブリ。

 彼のそんな様子に雫は苦笑して、先に進まなければここまで来た意味がないと答える。

 それはビブリも一応理解はしているようだが、嫌そうな顔をしたままその場から動こうとしない。

 無理に連れて行くこともないのでこの場で待機しているか、好きなところへ行けばいいと雫が告げるとビブリは表情を一変させた。


「いえ、お供します」

「無理しなくても……」

「いいえ。無理などしていません」


 あからさまに嫌な様子だったじゃないかと雫が言えば「気のせいです」と真面目な顔で返される。

 嫌悪感を押し込めてまで付き合う必要はないと優しく言っても「お供します」と言ってきかない。

 抱えているハクトは遠くを見るような表情で何かを呟いている。

 断る理由もない雫は好きにすればいいとビブリに告げた。

 その言葉を受けてビブリは深々と頭を下げる。


「何があるか分からないから警戒だけはしてくれる?」

「もちろんです」


 ビブリは落ち着かない気持ちになりながらも、雫の後をついてゆく。

 自分より小さな背中は恐れを知らない様子でペースを下げることなく先へと進んでいる。ただの人間だというのにこの場所の影響を受けないというのも面白い。

 それと同時に、自分でさえ気分が悪くなるというのに彼女は全く平気なのが悔しかった。

 ヒトという生き物は脆く弱いものだという先入観のせいだろうかとビブリは考える。

 自分に記録されている情報を照らし合わせても、雫は普通の人間とは言えないだろう。

 ハクトのように喋る小動物というのもおかしい。

 しかし、その二人に自分は負けた。

 それは格下だと思っていた傲慢な自分が招いた油断だと、ビブリは理解している。

 だから二人に対して憎悪という感情は全く抱いていない。

 昔の自分は記録に記されてはいるが、今の自分とは全くの別人だと考えているからだろう。

 

「面白いものですね」

「ん? 何か言った?」

「いえ。くれぐれも、油断なさらぬよう」

「もちろん」


 心の中で呟いていたと思っていたビブリだが、思わず口から漏れていたらしい。振り返る雫に笑顔を浮かべると、力強く頷かれた。

 彼女に抱かれているハクトの様子が気になるが、雫が全幅の信頼を寄せているくらいだから大丈夫だろうとビブリも頷き返した。




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