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02 相棒

 一見すれば何も変化がないように思えるが、付き合いが長くなればその些細な変化が分かるようになる。

 それはそれだけ長く一緒にいるという事であり、雫は小さく息を吐いてもうそんなに経つのかと呟いた。

 彼女の呟きを耳に入れつつ、ハクトは徐々に色を失ってゆく偉大なる賢者(マスタービブリオン)を注意深く観察する。

 本を中心にして描かれた紋様が青白い光を発しているのを確認して頷く。

 何も言わなくなった老人の姿は崩れ落ちるようにして消え、その気配を感じなくなった。


「いまのところ……」

「油断は駄目よ、雫」

「はぁい」


 展開させた術に手を当てて力の流れを感じていた雫は、ハクトの言葉に気を引き締める。

 こういうところで油断するからいけないんだわ、と呟く雫にハクトは穏やかに笑うだけ。

 ハクトの声はとても穏やかで耳に心地よい。

 艶がある落ち着いた大人を思い浮かべるような声で、見た目とはアンバランスなので面白い。

 本人も気にしているらしく、もっと可愛い声が良かったと言うこともあるが雫はこの声が好きだ。


「順調だけど、順調すぎて邪魔されない?」

「普通はね。けれどこの場所は偉大なる賢者(マスタービブリオン)が隔離してしまった場所だから、彼らですら容易に近づくことはできないわ」

「そう。それに彼らは由宇達を相手にするので精一杯かな」

「ええ、そうね。今回の由宇は今までと全く違うもの」


 とてもいい環境を整えてくれた、と嬉しそうに告げるハクトの言葉は偉大なる賢者(マスタービブリオン)に対する皮肉にしか聞こえない。

 それを知るのは雫と、原型がなくなってしまった偉大なる賢者(マスタービブリオン)だけだが。

 完全に色を失った本は下部から砂状になっていく。

 魔法陣の上に落ちた砂は、うさぎの紡ぐ術と吹きかける息によってクルクルと舞い上がった。

 雫が展開させた結界の中で螺旋状に回る砂は角度によって色が変わる。

 やがて、螺旋は一つから二つになり緩急をつけながらくるくると回っていた。


「ハクト」

「心配いらないわ。成功よ。後は、無事に定着するのを待つだけね」


 待っているだけというのも中々大変だが、やっとここまで来れたのだから失敗はしたくない。

 そんな思いを抱えながら雫は目を伏せた。

 ぼんやりと浮かぶのはこちらの世界の自分自身。

 危機感もなく羨ましいほどのん気だと呆れたこともあったが、それは諦観なのだと知った時に心の距離が一気に縮まった。

 番人から許可を得て閲覧した羽藤由宇の記憶。

 趣味が悪いとしか言えないほどの、死亡エンドのオンパレードも見ている内に慣れてしまうから不思議だ。


「由宇は、ちゃんとできるか不安だわ」

「大丈夫よ。彼女とティアドロップの相性はいいようだもの。肉体消失には驚いたけど、再生できたのは貴方のお父様のお陰でしょう?」

「……父さんも馬鹿よね。リスクを犯してこっちに来る必要がどこにあるのか」


 血の繋がっていない娘一人にどうしてそこまで必死になるのか雫は不思議に思うことがあった。

 今回の件もそうだ。

 父親の研究を上手く利用しながら、彼の力を借りるフリをして家族というものから自分を切り離すつもりだった彼女の目論見は失敗してしまった。

 自棄になったのは最初だけで、後は冷静に行動していたはずだと雫は自分の言動を思い返す。

 その様子を見たハクトは苦笑して目の前に出現した世界地図を眺めた。


「……どこでバレたのかしら」

「ふふふ。意外と雫は抜けているから」

「第一、比較的安定してあちらの世界と行き来できるのはこのペンダントを持つ私だけなのに」


 雫が父親から渡されたティアドロップのペンダント。

 由宇のものとは違って純度は落ちるが、それでもとても貴重なものだ。

 これがあるから雫は今ここにいる。


「そうだわ、雫。そのペンダントをあそこに入れてごらんなさい」

「イヤ」

「大丈夫よ。私が貴方を騙すように見える? まぁ、由宇にとってはトラウマもあるようだけど」


 しろうさという名前の相棒は羽藤由宇を何度も死へと導いた。

 可愛らしい小動物の外見をした赤い目の存在。

 世界を支配していた神の影響に抗えない可哀想なそれはもうどこにもいない。

 イナバを見た時に一瞬ハクトを思い出して寂しくなったと呟いた雫に、ハクトは嬉しそうに目を細めた。

 こちらの世界の由宇とは違って落ち着いているように見える雫だが、ハクトに言わせれば由宇の方が落ち着いているらしい。

 自分の方が辛い思いをしている、とムッとしながら呟く雫に「そういうところよ」とハクトが笑えば雫は何も言えずに黙ってしまった。

 どちらがより不幸だと比べるなんて馬鹿らしいとは自覚しているが、雫にとって由宇の環境は恵まれていると思う。

 世界が違うのだから仕方がないと分かっていても、羨まずにはいられない。

 だからといって雫が由宇を恨むことはないが、自分がどこかで選択を間違えたのではないかと考えてしまうのだ。

 深く考えすぎだとハクトには言われるが、もっといい行動ができたんじゃないかと雫は常に思う。


「情けないのよね。全て貴方に言われるがまま。自分で行動しても、酷いことにしかならないのは身に染みて理解したけど」

「それを言うなら由宇も変わらないのではないかしら?」

「イナバや管理者の指示に従ってるから? そうだとしても、彼女には私にはない勢いがあるもの」


 静かにペンダントを首から外した雫は、躊躇うこともなくそれを結界の中で回り続ける螺旋へ投げ入れた。

 ペンダントは螺旋と螺旋の間で停止して柔らかな光を放っている。

 螺旋はペンダントの光と音に呼応するように色々なリズムで回り、動きを止めたかと思うと螺旋が崩れ線状になって不規則に動き始めた。

 ハクトの目の前に浮かんでいた世界地図が消え、波形や文字が現れる。

 ぽん、とハクトが前足で叩けば文字が躍り結界内に吸い込まれるようにして消えていった。


「うん、順調ね。のんびりしている時間はあまりないのだけど、ここで急いでしまうと全てが無駄になってしまうからしょうがないわね」

「ちょっと可哀想な気もするけど」

「あら、偉大なる賢者(マスタービブリオン)のこと? あれは生き物ではなく道具なんだからそう気にしなくて良いわよ」

「ハクトって、時々冷たいよね。ばっさり切り捨てるというか」


 だからこそ、ここまで辿り着けたのは雫が一番よく知っている。

 自分も切り捨ての対象に入っていてもおかしくないが、ハクトがそう判断した時は仕方がないと思っていた。

 そう考えている事をきっと父親は知っていたんだろうと思うと、雫は少しこそばゆい気持ちになった。

 血の繋がりはないが、幼い頃から家族として共に生活してきたせいだろうか。

 結局、上手く立ち回れているつもりでいたのは自分だけという情けない結果になっている。

 いつものんびりしている彼を騙すのは、そう難しくないと考えていたのが悪かったかと雫は溜息をついた。

 家にいる時の父親はとても名のある研究者には見えないどこにでもいる中年だが、職場では違う。

 前に何度か忘れ物を届けに研究所に行った時のことを思い出して、懐かしさについ笑ってしまった。


「あら、思い出し笑い?」

「うん。ちょっとね。父さん、ぼんやりしてるようで鋭いの忘れてた」

「いいじゃない。貴方にとってはよき父親なんだから」

「そうね。よき夫であり、よき父親だと思うよ」


 実際こちらに来てから父娘が顔を合わせたのは一度だけ。

 短時間で簡潔なやり取りしかしなかったというのに、雫が想像している以上に彼女の父親はこちらで暗躍していた。

 それを知っていながら言わずにいたハクトの気遣いを想像し、彼女はハクトの頭を撫でた。

 ハクトと出会っていなければ、自分は今頃何をしていたんだろうかと呟く。


「あのまま、だったでしょうね」

「それでも悪くないと思うけど」

「そうね。進んで茨の道に行く者はいないもの。けれど、貴方のお陰で私はとても救われているわ」


 ありがとう、由宇。

 そう優しく愛情の篭った言葉を口にするハクトに雫は笑みを浮かべて「雫ですけど?」と首を傾げた。

 目を合わせて笑っている途中で、雫は驚いたように目を見開く。

 不思議な顔をしているハクトに目元を指差せば、ハクトは理解したように「ああ」と頷いた。

 ハクトの鮮やかな赤い目が黄色になっている。

 雫がじっと見つめていると黄色い目は少しずつ赤みを帯びて、橙色に変化し落ち着いた。

 赤と黄色の絵の具を混ぜたようだと苦笑すると、大して驚かないことを指摘された。


「貴方と一緒にいたら、驚きの連続だもの」

「うーん、それもそうね。振り回してばかりだものね。ごめんなさい」

「ううん。ハクトについていくと決めたのは私だから」


 大変なことも多いが、色々な経験もしてきた。

 由宇のように死亡しても繰り返すだけならどれだけ便利だろうと思ってから、雫は慌てて首を左右に振った。

 彼女はその果ての無いループに精神をすり減らし、発狂し、何も感じなくなるまでに落ちた。

 それでも心が壊れなかったのはどうしてだろう。

 神原と出会う前で壊れていてもおかしくない由宇の心を思って、雫は眉を寄せた。

 自分は自分で思っているほど強くはない。

 全く同じではないと分かっているけど、根が同じだからこそ分かることもある。


「どうしたの?」

「由宇は強いなと思って。記憶を全て見たから言えるけど、私もあの立場にいたらああなれたかどうか分からないから」

「そうね、無理でしょうね」

「あらやっぱり?」


 神や世界ですら驚き制御できないイレギュラー。

 管理者の一人を実父に持ち、主人公補正もないのに消滅からの再生。

 それはハクトが彼女に植え付けた《黄泉戻し》の能力のお陰でもあるが、由宇はそれを知らない。

 偶然に偶然が重なっているお陰なのか、ただ単純に彼女が幸運なだけか。

 それともリトライできなくなる前に誰かが暗躍しているからなのかは分からない。


「由宇が一番特殊になるなんて、思ってもみなかったけど」

偉大なる賢者(マスタービブリオン)が最初に接触したのが彼女だもの。見つからないと思っての接触だったんでしょうけど、甘すぎるわよね」

「慢心からの自滅。中々面白い話じゃない」


 自分の力に自信があるからこそ、幼い頃の雫にも接触してきたくらいだ。

 雫は由宇と違い、彼に懐くことなく警戒心を剥き出しにして最終的に燃やしてしまったが。

 夢の中とはいえ今思えば随分と過激で酷いことをしたものだ、と彼女は他人事のように苦笑した。


「お陰で私が自由になれたもの。本当に雫には助けてもらってばかりだわ」

「由宇とイナバに比べたら、私達の相棒暦は長いものね」

「ええ。とても、長いわね」


 記録の一つとして偉大なる賢者(マスタービブリオン)に収蔵されていたハクトは、雫が本棚を燃やしたお陰で助かったのだ。

 燃え盛る本棚から飛び出た何かとぶつかった雫はその衝撃に気絶し倒れたのでその後のことは知らない。

 混乱しながらもハクトはぶつかった幼子を守る為に偉大なる賢者(マスタービブリオン)をどこかへ飛ばしてしまったが、まさかそれが違う世界の由宇の元だとは想像もしていなかっただろう。

 こちらの世界に来たときから由宇と偉大なる賢者(マスタービブリオン)の繋がりを気にしていたハクトは、それが確定になると何度も雫に謝罪した。

 しかし雫は故意にやったわけではないから、とハクトを慰める。

 こちらの世界でも由宇が偉大なる賢者(マスタービブリオン)の思い通りにはいかなかったようで、雫は腹を抱えて大笑いしていたくらいだ。


「夢が現実になるのもびっくりしたけど、子供だったからまだ受け入れられたのよね」

「そうね。自分で言うのもなんだけど、しゃべるウサギなんて気持ち悪いわ」

「別にうさぎじゃなくても良かったんだけど」

「けれど、幼い貴方が一番気に入ったのはこの姿だったでしょう?」


 最初は姿はなく声だけだった。

 流石に怖がられるとハクトが予想した通り、オバケだと勘違いした雫には泣かれてばかりだったのを思い出す。

 いくつも姿を変えて試し、やっと落ち着いたのが今の姿だ。


「ふふふ、昔話に花を咲かせていたら終了したみたいね」

「ん?」


 いつの間にか透明な画面には初期化が終了しましたの文字が映っている。

 初期化とは、と首を傾げる雫にハクトはゆっくり回る二重螺旋へ前足を伸ばした。

 中央部で優しい光を放っているペンダントを雫に手渡せば、彼女は変化しているそれを見て眉を寄せる。

 落ち着いて穏やかな光を放っていた緑が、青に変わっている。

 そう、由宇の体から発せられたあの光と同じように。



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